病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

"医は意なり"、医療の本質を照らす医療を

2016-12-13 15:23:37 | 石田章一・仕事の欠片


早いもので、四国中央市でHITO病院と共催した病院広報研究大会から、
もう1か月以上経ってしまいました。
開催までに積み残していた仕事や、いわゆる残務処理のようなこと、
そして、やはり疲労感でしょうか、自分ながら動きがスローになった感じの日が続きました。
気がついたらもう新年の準備をしなければならない時期にきていました。

それでもスケジュールに入れた予定は、相手もあるので自動的に進んでいきます。
6日は、NPO法人の来年の総会に向けた準備もスタートさせています。
幸いにして、ボランティアで仕事の分担を引き受けてくれる人や
専門的な知恵を貸してくれる人も集まってくれ、ありがたい話です。
そうした様々なメンバーの知恵と活動に期待しながら頑張って行こうと思います。

おかげさまで「病院広報」も随分浸透して来たようです。
いままで広報という言葉や理解・認識には、企業広報とまったく同質であり、
とくに医療界では「広告」や宣伝の意味と混同して使われてきました。
いえ決して広報なら良くて、広告が悪いという意味ではありませんが、
それらの出方や内容、表現の情報と環境によっては、業界ごとに規制があったりして、
ちゃんとした情報発信には、注意が必要ということに変わりはありません。

ただ言えるのは、広報を広告と比較するには、どこか無理があることです。
企業では、事業がうまく周るように「知らせる」「認識させる」ことが目的になります。
では病院ならどうでしょう。もちろんそれも大事ですが、それ以前に「人の命や尊厳」について
専門を超えたプロ意識と技、そして結果が問われることへの広報が必要になるのだと思います。
広告で何をするのか、広報でどうするのか、しっかりと意識することが必要です。

意識の話は、大雑把になりがちです。広報は社会を主題にし、
社会が良くなるよう、様々な活動を継続させることが中心になります。
寄付やボランティア活動といった人々の思いを集めておこなう活動も一つです。
そのゴールはSocial Good(社会善)の創発です。
社会にとって広告と広報、どちらがいいとか、正しいということには無理があります。

私たちは「病院広報」とわざわざ概念化して強調していますが、
そもそも医療そのものが、すでに社会貢献として発展してきているのです。
医療・介護の本質を極め、懸命に進めることが何より必要であり、
それを「手分けして発展させるところに意味や価値がある」のではないかと思います。
特別にサービスを付加することで形骸化した満足を生み出すよりは、
医療の質にすべてをかける医療を待っています。

※「医は意なり」は江戸後期の儒学者・亀井南冥のことば

12/14 すみません少し手をいれてしまいました。


「書く」文化が、病院経営を助ける

2012-05-10 17:45:09 | 石田章一・仕事の欠片

 いつも大幅に踏み込んだなどといわれる広告規制緩和により、こんごの医療広告への対応や情報公開の必要性が声高にいわれているが、いったいどのようになることを理想としているのであろうか。医療技術の水準の高さや手厚い看護、患者本位のサービスの実践など、その努力の成果があるとすれば、ぜひそのことは具体的な根拠をもって地域の人々に伝えたいに違いない。また、マスコミをはじめ第三者からの評価の事実やハードルの高い多くの認定の実際は、医療機関としてぜひ知ってもらいたいことの最大のものであろう。法律上、不特定多数への医療情報の伝達がいまだ不自由な現状では、社会に向けて医療の質を表現豊かに自慢することは夢物語なのだろうか。

 また、市民や患者の立場から、知らねばならない知識や情報が数限りなくあり、その不備から質のよい医療の選択が簡単にできないことも大きな問題であるといえる。しかし、このような医療情報の乾きを、単に法律や制度だけに押しつけて済ませる説明でいいのだろうか。これは情報の不足もさることながら、むしろコミュニケーションの不足、さらにいえば心からの叫びの不足ではないのか。コミュニケーションとは、人の意識によって自らの身体と行動で伝え、共感するようなリアリティである。情報を伝えようとするひたむきな姿勢や態度が、よりぬくもりのある情報を伝えることは、だれしも経験的に知っていることではないか。

 とはいえ正確で効率のよいコミュニケーションを果たすには、それなりのスキルや能力、感性をともなう。その基本が忘れられていないだろうか。あるいは軽視されていないだろうか。とりわけ医療現場では、こうした表現を必要とするテーマには、成員個人の資質にたよるだけで、組織としての情報能力の向上、情報の整備という課題は置き去りのことが多いように思う。診療報酬に結びつかいないというだけで、手薄にしておくことの報いは必ず訪れるといって過言ではないだろう。けしてここで華やかな案内書や広報誌を奨励するのではない。掲示板の張り紙1枚、玄関先の診療案内に現れる文章の適切性、明快性、職員のことば表現など、単にサービス業という面からだけでなく、医療の質や信頼にかかわる問題認識として取り組むべき課題であるべきだ。近年、表現のもつ力を活用した治療や介護がグループホームなどでも行われるようになっていることを考えてもその必要性はもっと見直されてよいと思う。

 なかでも「書く」という表現技術は、医療の最前線において、すべての医療者に欠かせないセンスでありスキルである。すでに多くの説明は必要ないと思うが、文章を、そして情報をつくり、扱うことは、どのような仕事においても基本であることはまちがいない。読み書き、ソロバンといわれてきたように、それらの基本、教養をもってはじめて、コミュニケーションは正しく適切におこなわれるのである。とくに医療においては、その論理性、必然性、人間性、社会性など、多くの観点から確かなやりとりと論証が求められるからではないのか。書くことは、考えることでもあり、自らを高めることにも通じる。ひとつひとつのことばを吟味しながら綴ること、それが力をもつのである。

 こらからの競争時代の知恵くらべ医療経営にとって、その優劣は、このような情報の基本的実践能力によって決定づけられるはずである。そのためには、“基礎体力”としての書く表現力が尊重され、それらが組織文化として根づくことが必要である。医療における情報の問題のみならず、安全の問題、質の問題においても、すべて「書くこと」や「記録すること」という習慣化された組織風土のうえに構築されるように思う。

 医療の健全性から広告の適正化としての規制は必要である。しかし広告規制を緩和すれば医療の情報問題が解決したり経営が改善するとは思えない。必要なことは「相手の立場に立ってそれを考え表現する力」、「表現した結果から相手の反応を予測する力」など、情報に対する読み書きという、人間のコミュニケーション実践力と、それを育くもうとするマインドではないだろうか。

 


病院広報のチカラ① ブランド育成の基礎知識

2012-04-11 13:04:18 | 石田章一・仕事の欠片

 近年、医療にもブランドという考え方が用いられるようになった。一般にブランド戦略とは、商品なりサービスへの信頼や魅力を生み出し、共感や名声を高める活動である…というと、「それなら当院だって医療の質を上げるのに日々努力はしている」という医療施設も多いが、どう考えればいいのだろうか。多少専門的になるが、ブランド戦略の本質は、あくまでも「のっぴきならない経営哲学」を「他者の目」に適うよう創造していくという、二律相反するところにある。相反するものは説明がつかないが、究極は説明をなくすことが目的でもあるともいわれるから面白い。たとえばベンツというブランドは「ベンツ」でありそれ以上の説明は不要である。それがブランドの本質である。

 こうした性質上、ブランドにかかわる担当者は、つねに専門職とは違った広角かつ良質の価値観をもっていることが求められる。広報が専門的に担うことも多いが、提供する商品やサービスの本質、そのあらゆる背景について横断的に熟知していることが求められたりもする。ところで医療においては、ブランドの前提として、何が商品で何がサービスであろうか。商品がモノというなら、医療のほとんどは、無形商品つまりサービスであるから、無形のままでその信頼と魅力を高める活動が、医療のブランディングということになる。確かにいいホームページがあり広報誌が発行されていることも重要なことだし、快適な医療環境、地域とのコラボレーションも、施設理解のうえから素晴らしい活動である。

 しかし、これらのコミュニケーションは情報を「伝えるツール」であり、そこに人間の体温はない。接遇スキルなども含めて多様な医療の場では、あくまでも補完的・形式的なコミュニケーションといえないだろうか。医療の場に求められるのは双方の対話や共感、納得という人と人のふれ合いの中で育むものである。医療の多様性、個別性を考えるとき、臨機応変に意を用いるコミュニケーションが何よりも大事であり、その人なりにその一瞬一瞬にどんな適切な説明、情報提供ができるか、むしろそれは「聞くこと」が先行していくべきであり、そのことに着目しスタッフを成長させることが信頼や魅力となり人を集める。 ただ、それぞれのヒトにそのような経営哲学が貫かれていること、誰もが信頼し誇りに思える表現と風土づくりに軸足とエネルギーを賭けることが必要であり、その多くは、トップマネジメントであろう。

もう少しわかりやすく言おう。そのメディアである「ヒト」のあり方、ヒトについての経営哲学に端を発するコミュニケーションこそが、向上のインセンティブとなり医療の質につながる。医療スタッフの、ただ単の説明ではない一言が良質であり、「ここにきてよかった」という印象が残るようなコミュニケーションとその支援環境、いわば組織風土を醸成することである。このことを私たちは。医療組織になくてはならない、一人ひとりが輝く「ヒトメディア・ヒトブランド」といってきた。高度な医療であってもなかっても、医療は人の心につながっている。

◆構えと対応

1)将来に向けてどんな施設になるか、トップがリーダーとなってくり返しディスカッションする(性急に結論をだす必要はない。何年かかってもよいと、トップがその構えを見せていくことが何より大切)。

2)医療のブランディングは、医療の隅々に取りついている。患者とのハイコンテキストなコミュニケーションが鍵であり、スタッフがそれを握っていることを、あらゆる機会に伝えて組織として再認識しよう。

3)見た目をバカにしてはならない。素人に見えるものを知っているのがプロの目。どう見えるのか、聞いたって言わない、まず言えない。ディスカッションするしかない。(医療タイムスNo.2046より)