病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

見ることは、生きること。命の感覚そのものである

2018-06-30 17:27:00 | はとはあと最新情報
見ることは、生きること。命の感覚そのものである

見る・視る・観る・看る・診る。多くは人の目を通して行う人体の掌握機能である。ぼんやりと全体視するときもあれば、部分を取り出して詳細を分析することもある。残念なことにそれは、そこに存在する全てを把握するという程のものではない。むしろ気ままに、見たいもの見るという傾向が強く、また保守的で過去に見たもの・見えたものに拘りがある。その後の自らの行動に大きく影響を与えるところが問題でもあるが、人の目は、要するにこの人間社会の基底となっている。目でなく手でもなく、全身をから見えるものは見えるのだ。

たとえば、過去の経験によって得られたデータ・記憶に照らし合せて、今後とるべき行動基準を作成するなどということ自体は、特別に斬新なわけではない。数字でない概要などを、全体に平らな傾向などを基準にして考えていくことは、新しい感覚につながらないだろうか。人心を惹きつけていくような斬新な感動のためには、それを纏める脳神経が対応していなければならない。しかし、一般には、見ることは、分析的であり、他と見分けることで自立している。過去に見た記憶や経験が、現在を決めているのだ。

我々は、脳内や神経に蓄えられたイメージ・印象・閃き・連想は、「夢を見る」というようにそのとき瞼に浮かび上がる不確かで一瞬の絵空のように捉えがちだ。だが、例えば意識レベルによる印象のアンケートによりデジタル的に処理した場合、どのようにも考えることができる。つまり過去の経験値が自らにとって、たまたま最悪を示していれば、それを覆すことはかなり困難となる。ここに個人差やバイヤスがかかれば、生産的な判断は、そのデータに左右されて困難となる。多面的な印象調査は、それらの要素を拾いきれるかが問題である。

特別な人の話を聞くときや、初めて入って見ようかと考えるレストランでは、事前の印象に工夫、というより相手側の好みや考えが強くなりがちで、具体的なイメージにも独自の配慮がされていることが多い。だが、どんな場合であれ固定的な印象をもつのではなく、それこそ“白紙”でいくほうがいい。気構えたり期待していくと失望につながりかねない。お互いに見てきた世界が違うと、見て欲しい印象と見た目に差ができて失敗する。よいイメージは、決して演出するのではなく、本質に触れ時間をかけて“仕組むこと”が最も重要である。

見るとは、ただ見る・見えるという効用の次元ではなく、また、正確さを追求する機能の面だけではない。自動車で言えばまさしくフロントガラスの存在である。部分を詳しく見ることから、全体を見抜いて自と他を把握する。その質を見分ける動きや変化を捉える。推測し思考し統合するなど、知性の多くを担うのが目である。見ることは命。まさに生きることに等しい。よく見ること。気をふんだんに注いで視ることで人生や社会の質をあげる。ただ、聞くことも、触れることも、そして話すことも、すべては「見ること」であらねばならない。mitameya


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医療の本質は“コミュニケーション”でできている

2018-06-23 15:58:54 | はとはあと最新情報
医療の本質は“コミュニケーション”でできている

○「医療は、医学の社会的適応である」とは、武見太郎氏がいい放った名言であり、医療人の間ではつとに有名な言葉であるが、今はどうなのだろう。詳しい背景は知らないが、イメージで捉えるかぎり、かなりの部分で納得できる言葉である。それは医学が学問でありながら、実際に社会に適応しなくてはならない宿命を滲ませている、という意味を含めてである。哲学や物理学が社会に適応することなど、一向に関係ないと考えるのに、医学だけがなぜ?といいながら、現場は日々の仕事に誇りを感じているところがある。

○ それはともかく「社会的適応」では、抽象的でちょっとわかりにくい。いつものように強引にいってしまえば、それは「医学のサービス化」ではないだろうか。多分、武見先生はそのことが言いたかったのではないかと。その後「医療はサービス業」ということが厚生白書に登場した。それいらい医療現場では、サービス理論も理解しないまま、なんとなくサービスとは接遇(おもてなし)あるいは患者満足(苦情・クレーム対策)というふうに理解が固まって行ったような共同認識がある。勘違いの医療コンシュルジュ出現にびっくりした。

○ 医学の社会的適応とは、その根底に地域や利用者、利害関係者との対話や協働あっての医療改革でなければならなかった。困った事に形式としての見た目のサービス化だけが前に押し出されてしまったのである。現場をみていると「由らしむべし知らしむべからず」に代表される、お上の医療はそのままに、形式のサービスだけが浸透してきた感がある。その後、サービスの質の向上には、人と人の十分なコミュニケーションが欠かせない、という思考が入り込み、その構造的なあり方にも注目が集まってきている。

○ ところが、小難しい理屈には同調するが、優しい・思いやりのある・ことばにはノリが悪い。漢字が数多く並んでいないと気が済まない。気に入らない。専門方言が横行するのである。これらは自らの文化である。悪いのではない。他国語を話せる人を尊敬するように、異文化を理解・利用できることは素晴らしい。同じように専門職や研究者が異なる文化に馴染むことこそ、進歩である。とくに多様な身体の悩み・痛みに落ち込んだ人とのコミュニケーション、協働に欠かせない珍着・進化の場には、である。指導的立場の絶対的仕事である。

○ それだけではなく、医療そのもの本質も本来、コミュニケーションの構造をしている。ただの仕組みではなく、心根をもった希望の塊である。安全、安心、信頼、連携、救急、ホスピタリティ、事務管理、医療の医学以外は、どこをとってもみなコミュニケーションそのものである。ものごとへの認識が深まり、意識が高まれば、それだけで解決してしまうことも多いはずである。もちろん「医療の質」もコミュニケーションの質、つまりはその現場の文化によって大きく左右される。「いいものを見て、心して伝える」文化ではないか。 mitameya


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「心地よさ」の本質をデザインをする仕事師・アートディレクタ

2018-06-17 13:28:39 | はとはあと最新情報
「心地よさ」の本質をデザインをする仕事師・アートディレクタ

見たのも、見えたものは、言って見れば視覚神経的栄養ではないか。人の目に見えた像がもつ価値は、まさに人と社会を構築する「食べもの」と理解していいのだ。このブログで書いてきた「目に見えるコンセプト」は、このような価値観を深く認識することによって、人間たちのコミュニケーションやコミュニティを「心地よい場所」とするためのデザインとなる。デザインはアートを基盤とするサイエンスといえる。当然、社会性のある医療・福祉・介護の世界に不可欠な要素である。だが医療サービスの苦悩と同様に、専門性と社会性の間で今日も苦しんでいる。

何を見たか、何が見えたかと同時に、それらが「どのように見えたか」、あるいは「見えてしまった」かは、この展開にとって重要である。人の目は当然、心理信号の検出器官としての働きがあると同時に、脳内に蓄えられた記憶を参照し合成してイマココ独自の実態として、ある種、活用可能な可能性を試作する先端器官でもある。誰かがテーブルの上にある赤い林檎を見たとする。その林檎という概念を満足させる条件がそろっていて確実に林檎であるという認識は記号的であるが、「何を見たか」、「何が見えたか」にギャップはない。しかし後者、脳内の記憶を参照し合成した、新たな映像による指定の言語では画一的な処理はできない。

林檎は赤いのか青いのか。1個なのか複数なのか。多様な色合いが見てとれるのか。テーブルの材質や色柄、クロスや器などなど実態は様々であり、それらの構成や実在のいかんによって、頭の中では何枚のもの“想像絵”を描くことができる。だが実際はそんな面倒なことをしているわけではない。「一瞬の印象」としてそれぞれの脳裏に記憶されていく。自分にとって「心地よく美しい」印象もあるが、どこかしら「思い出したくもない」印象もある。もちろん自然に忘れること、消えていくものもあり、記憶・印象として新陳代謝も行われる。

このような現実を踏まえて、一定の条件下において人間に「心地よさ」を設計の基本デザインの仕事師をアートディレクタという。絵描きと違って自ら作品を描くことはしないが、理系的な、ときには医学的な知見をも考慮しながら、一方、経済性や生産性の視点をも加味して、多くの人材とともに社会のあるべき姿を実現させる仕事である。普通には理解できない概念下での立ち回りのため、何でも屋と言われがちだ。それぞれの、時には「大衆の見た目」に何がみえているのかを、自らの哲学の固定ネジを締め直して仕事をする。あまり人前に出てくる機会がないので知られていない。

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航空サービスに見える提供サービスの質レベル

2018-06-11 11:40:24 | はとはあと最新情報
昨日の午後、大阪・天満橋近くのエルおおさかで、第196回のHIS広報プランナー認定特別講座を開いた。講師は、元ANAキャビンアテンダントのキャリアウーマン、病院広報との関連付から、何が言えるのかを検証しようというテーマを掲げてみた。受講者が少なかったためか、顔を付き合わせての熱い研修となった。講師はいわゆる顧客対応スキルとその理論から、医療の場におけるサービスの要点を述べながら、病院広報に必要な専門者による人的対応の視点を重ね合わせることで、双方にない新しい視点を把握したい狙いがあった。

もともと筆者は、「医療提供の場に顧客はいない」と考えている。利用者が顧客だという意識は専門者としての誇りの喪失である。医療の基盤は人間同士の互助の精神であるから、商取引のような特性を前面にする考え方は、要するに「似合わない」のである。この双方の助け合いは、本来、対等のものであり、診療報酬は掛かった経費のワリカンあるいは謝礼として公平に処理すべき性質のものと考える必要がある。もちろんその下支えに国の制度があってもいいが、この本質を忘れて、医療を商品の如く、あるいはビジネスの如く流通させる経営理念には耐え難い。現場の叫びが聞こえないのはなぜなのか。

その割には、医療施設の受付、待合、廊下を始め、広告規制が至らない多くの壁面には様々な案内情報に満ちていて、院内空間はところ狭しの情報で犇いている。それぞれの案内表示には相当な頑張りがみられるのに、掲示板としての統一ルールが感じられない。いわゆるテンデバラバラで読むにはかなり困難な状況である。掲示板ならそんなものと諦めもできるが、掲示板だけでは足りず、廊下や診察室ドア、待合室壁面など至るところに打ち砕ける荒波の如く氾濫している。その一つ一つに「患者様」なる呼びかけが張り付いているのだ。

患者様はお客様を意図しているのは明らかだろう。「お客様は神様」というその思いを伝えたかったのだろうが、「患者」とは「内々」での言葉である。他人様に向けて使うには、相当の配慮が必要であり、その微妙な響きは市民によって「病院だから大目」に見られてきたことを考えてみる必要がある。患者という言葉自体は、可能な限り使わないほうが気分がいい。なんらかの疾患が見つかり治療中の人であっても自らを「患者」と意識している人は多くはない。「治療中のみなさま」「ご来院の方々」など工夫すればその場その時に適切な言葉はあるはずだ。

自らを患者とする意識が、病人を造ってしまう。それが無意識の世界に広がりさらに惨めな現実を生み出してしまう。自らの笑顔や仕草に心がけて来た人は、そうでない人に比べて明確に長生できているとする研究成果もでてきているようだ。キャビンアテンダントが、サービスの質維持の核に見える。しかし、航空機が事故を起こしてはサービス以前の問題である。航空機の本質は安心安全である。医療とフライトの双方に求められるのも、本質サービスと接遇サービスによる高度レベルの融合である。病院も負けずに意識を変えねば。 mitameya


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知らないうちにできている”無意識”広報をめざす

2018-06-07 15:38:33 | はとはあと最新情報
知らないうちにできている”無意識”広報をめざす

広報ってよく聞くがその本質は何なんだろう。ここは難しく考えないで、自らの印象を真ん中において気楽に考えてみよう。しかし、いま、お呼びでない勝手な印象もその中に含まれている可能性もある。酷いのは「広報」と「広告」を身勝手に混同したまま理解してしまうということである。言葉の違い以外に、理解が進まないケースでもっと面白いのは、「広告」であっても、「広報」としてやってしまえば、医療の広告規制に引っ掛からないという考える人がいるくらい、この概念は、言葉の世界でなんの光もない暗やみにあるのである。光が当たらないのは無いことに等しいのか。

ここではこれを、もう少しシンプルに把握し理解しょう。広報も広告も「伝える」というレベルではなんの齟齬もない。ほとんど同じである。だが、伝えることは同じであっても、それを「受ける」または「聴く」立場にたてば、様々な事情や期待があるものである。つまり「伝える」ための目的とか理由である。伝える仕事には、それを当然とした認識が求められ、特に経済の絡むコミュニケーションでは、ニーズを聴く姿勢が必要になる。人間には常に言いたいこと、伝えたいことがあり、人の行動を引き出すには、しっかり伝える技術に加え、「聞いて纏める力」が必要になる。

「伝える」とは「聴く」こととセットとである。その相手が知りたいことが何かを聞き出せないと伝えたことも儘ならない。その意味では、広報も広告も、あるいは診断結果の説明においても、なんら変わらないコミュニケーションの原則といえる。それを適正にすることが効率のいいコミュニケーションになる。でもここまででは、これから「登るべき山の麓」に来たにすぎない。人と人のコミュニケーションには、言葉を重ねただけでは、なかなか伝わらないという真実に満ちている。トランプさんと正恩の話し合いなど、一筋縄ではいかない。本人もわかっていないのがわかる。

とかく広報誌ができたから「広報」ができていると考え、情報を伝えあえばコミュニケーションが成立したと考えがちだが、それは気休めにもならない。確かに言葉や概念は把握されるが、実際は相手に何がしかの「行動」や「成果」を求めているのである。こだわるのではなく、皆んなの相互理解を行き渡らせること、そのことで社会を色よく照らすことはできるのではないか。やってみないとわからないことばかりだが、それこそが求められる広報活動である。「やれることを全てやる」ことで成果が滲み出てくる。そんな仕事と考えることだ。

それは人のため社会のための「誇り」の仕事といってもいいかもしれない。このため、ここでいうホスピタリティとは、ピンクのおもてなしスキルではなく、前向きに相手を受け容れる(聴く)姿勢、自分もともに成長しようという対話と協働による美しい構えでなくてはならず、それらがひとつひとつの日常の言葉として経営理念と融合する、言語だけではなく印象形として見せながら訴えることになる。一挙手一投足が言葉ではない、非言語のコミュニケーションであり、その一部が広報の活躍による広報活動であるという理解がほしいと思うのだ。 mitameya 2018.6.7


NPO法人日本HIS研究センターからお知らせ

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(優秀事例10月27日・京都左京区・聖護院御殿荘での研究大会で表彰)
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