病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

目の輝きから見える人間のあるべきチカラとは

2018-07-26 16:41:20 | はとはあと最新情報
目の輝きから見える人間のあるべきチカラとは

今度の倉敷市の豪雨災害で思い出されるのは、2013年(17回)のHISフォーラムを、倉敷中央病院の支援で開催した。随分とさまざまなご支援をいただいた。事例発表の結果は、福岡の飯塚病院がBHI賞の栄光に輝き、喜びでいっぱいになった。倉敷市の秋の紅葉の色合い・鮮やかさは頭について離れない。それぞれの事例発表の直後に、外部から講師を招いての基調講演を行うのだが、このときは、誰にお願いしたのか、ご記憶があるだろうか? 実はこの方、医療の関係者でないのに無理に?お願いしてのご講演だったことが懐かしい。
 
何を隠そう、今、福岡市で株式会社寺子屋モデルの社長の立場ながら、新しい趣旨で学校を建てようとしている山口秀範氏である。大企業に勤め商社マンとして世界中で仕事をしてきた男である。その彼が私に話したことの一つに、どこの国に行っても、どんな後進の国に行っても、「子どもの目は、輝いて美しい」だった。言いたかったのは、日本の子どもの目はどうして輝きを失っているのだろうということだった。その時に思ったのは、人がモノを見る目というは、「何に憧れて生きているか」を映し出す鏡ではないかということであった。
 
私は、彼ほど各国を回ったことはないが、それでも一時、仕事がらみもあって、あまり話題にならない国や土地にも随分いってきた。アメリカ、ヨーロッパを始めモロッコやエジプト、オーストラリア・・中国は仕事で何度も訪問してきたので、山口さんの言いたいことは自身もよく感じてきている。海外の子どもたちは、ハッとするくらい生き生きして見えるのだ。勉強はどの程度しているのかわからないが、いわゆる生き物としては日本は確実に負ける、と思った。子どもが、溌剌として遊んでいる。こんなに良いことが他にあるだろうか。

本来、目が輝く・・ということは表現であって、実際に目から光が出ているといことではない。今見ている対象への興味・関心はもちろん、心地よい感覚が伝わり始めるなら、その奥から滲み出るように、次第に眦が感動を示し始める。何らかの具象対象物であっても、それを連想させる事象や既成概念を超えた閃きであってもいい。脳裏がそのような審美性を感じとれば連想的に眦は、間違いなく自らの喜びの形をとり始めるだろう。今見ている世界は、目を形づくる筋肉となって、それを見る目に届けながら自然と同期していくのだ。

日本の子ども達には、そのような訓練の機会はないのだろうか。幼少の者たちに語り聞かせる仕組みや文化がないのだろうか。目に飛び込む要素は、近代化によりいまや格段に増えているが、それを飲み込み、生きるに有用な栄養にするチカラがない。仕掛けや言葉ばかり多くなり、何事も客観できる時代だが、父親と野に出て、ただ青空を見上げて白い雲の話をする。母親の体温に抱かれて御伽話でウットリ眠りつく。生きること自体が心身の息遣いへとつながる。そんな主観によるあり方が、もっと希求されていいのではないのか。mitameya


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認知症の予防も担うコミュニケーションとは

2018-07-21 15:05:40 | はとはあと最新情報
認知症の予防においてもコミュニケーションは重要なファクターである。先ごろ目にした週刊誌の記事には、友人や気心の知れた仲間たちとのお喋りは、認知症の有効な予防策になるいう話がでていて納得だった。人は高齢になるにつれ自宅に籠りがちになり、人とのコミュニケーションの場や時間が少なくなる。社会とのつながりが希薄になると、この「社会脳」の働きが低下していく傾向がある。話し相手の言わんとすることも適切に把握した対応ができなくなり、社会との関係に配慮した会話ができなくなるというのだ。

なんでもない日常のコミュニケーションには、意味・言葉のやりとりだけでなく、声ぶりや言葉の強弱、タイミングなどによって様々な表情にして伝えていくことを考えると、人にとってコミュニケーションというのは、なんと凄いことかと理解するしかない。しかも、意味の伝達は、大きく要素に分けて分析できるが、さらに驚きとすら言えるのが、感情のやりとりや印象による感覚の伝達である。これらの多くは不確かな軌跡や光陰によって描かれることもあるが、私たちは、それらを高尚なものとして受け入れようとする。

人間は「社会脳」を使ってさまざまな世界を創造しようとしている。事の大小や数量の過多ではなく、コミュニケーションの質的創造であるといえるかもしれない。人が伸び伸びと安心して頼れるコミュニケーション環境などはどうだろう。あるいは生と死の世界を何往復ものシミュレーション可能で、一人で何人もの人生を実感するなども面白いと思う。だが、人間の本質は、「楽あれば苦あり」という天から仕組みにある。「社会脳」のプラットホームに入るときは、決して迷わないよいうに祈りの心を忘れてはならない。

健全な社会脳を維持して、楽しかった人生の旅を思い出にするには、心地よいコミュニケーションに努めるべきである。心地よいとは、丁度よいということである。丁度よいとは自分への配慮は確保できたし、他者への配慮をいま少し可能にすることができそう、という自覚と満足である。コミュニケーションはそのためにある。言った言わないは子どもの喧嘩。マスコミも反省が必要だが、もうひとつ、コミュニケーション・ゲームには100点はないだろう。常に上位を目指し、笑顔で生きるところにその意味があることをお忘れなく。mitameya

写真は、京都市中京区の御池通柳馬場交差点界隈


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あなたの世界もそう、この世は「見る目」でできている

2018-07-14 17:28:26 | はとはあと最新情報
あなたの世界もそう、この世は「見る目」でできている

見た目とは、生理的にいつものように目を開けば見える像である。その像の知覚とともに、実際の視覚像を印象の構成づける神経機能により、見えてしまう印象を司る感情象があるという。それを知ったのは過日読んだ新刊書、「日本人の健康常識」の著者・奥田昌子先生によれば、この象、実は思ったよりもはかなり大きく、人間が保有する知覚像の大半を占めるという。よほど人間の判断がテキパキしていないと、大半の像が拗ねて暴れ出すと手がつけられず、大変なことになりかねない。人間はこの像を手なずけるために苦労が絶えないというのだ。

ひとつひとつが見えるのではなく、視野の空間として目をやる方に見えているが、特に意識した対象が見たもの、見えたものとして処理される。特に意識されなかった像は記憶にも印象として残らず、まるで映画のようにさって行ってしまう。ところが意識して記憶した像やストーリーは人の脳裏に残り、記憶の後から辿ることができる。記憶には、短期記憶と長期記憶があるそうで、記憶してもあまり意味のない像は、約1週間程度で忘却してしまうと言われているが、長期記憶は、子供の頃などの思い出しかり、それぞれが体験として知っている。

他の動物はどうなのかは知らないが、人間は見ることで体験し学習して、より高度な知的判断ができるようになる。恐らく単に見えるだけではないだろうが、外界からの、ある種の刺激を捉え、その時の印象の特徴を記憶して行くことで、それらの違いや関係、仕組みを知ることとなり、他の知覚や感覚も動員しながらいっそう大きな世界を記憶していくが、同じものを見ても、違うものを見ることができる。というより興味をもって見てしまう。光のあたり具合や同時に聞こえていた音響、鳥の声、滝の音、林の騒めき。記憶はさらに新たになる。

自然界の印象や感覚もあるが、早くから人が記号化してきた概念もある。言葉や文章ばかりでなく、世界は、人間のあらゆる認識世界をイメージ化したアート、実用のなかに折り込んだ無数の文化や環境とともにある。これらすべては、人の目をとおして培われた遺産であり、人に学び成長することを教えている。私たちは、もっともっと「見ること」に真剣であるべきである。もっと前のめりでいいから、周囲を「見抜くこと」に生きるべきだ。折角与えられた「見える」という能力を使って進むべきなのだ。あらゆる成果は、「見ること」の中にある。

見ることは、「感じること」である。と同時に「分析すること」でもある。「見分ける」という言い方もある。違いを自認して理解することができ、次の段階を見定め補足を発見する。雲行きに明日の様相を知ると同時に、相棒の様子・表情に変化を感じる生き方がある。「見ること」「感じること」ことの中にこそ学びがある。ゆえに「自らを見せること」、見てもらう部分。とりわけ自身・自社・自院における「組織の表情」に当たる印象は重要である。理念を掲げてはいるが、感覚的に全く連動していない事例にであう。学びがないのはもちろん継続していく意志薄弱なことを伝えている。mitameya


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コミュニケーションが最高の仕事であるために

2018-07-11 15:48:35 | はとはあと最新情報
コミュニケーションが最高の仕事であるために

伝わるとは、どんなことなのか。よくよく考えてみれば、コミュニケーションは何のために行っているのか、案外、自覚されていないように思う。普通言われるのは、言ったことが相手に理解されたことだとか、「わかったよ」といって、首を縦に振ったことなのか。あるいは、何も(声をあげての)返事は無かったけれど、期待していた行動とか約束はすべて果たしてくれたからということもある。これはよく言われる「阿吽の呼吸」があったから、というのもある。心や気持ちが快く通じることが、コミュニケーションなのだろうか。

これらは人と人のコミュニケーションとして「伝わる」を解釈した説明としては、そんなものだろう。しかし、コミュニケーションの意味には「通信」があり、受発信の概念も含まれている。意味や概念を示す信号が、意図した領域に到達し、またその反応として発信元に返信される。あるいは一度きりの受発信ではなく、なんども同様の更新が繰り返されるというイメージも一般的である。こちらは機会的で、いまや我々の暮らしの中に数多く見られるのが、言葉が意味を乗せていく通信型のコミュニケーションである。

むしろ不可解にさえ思われる人間関係を通して、それを人がワザワザ行うコミュニケーションとは、それはどのように考えればいいのだろう。コミュニケーションとは「伝えること」あるいは「伝達する」と定義したことが間違いかもしれない。つまり、言葉を右から左へ、素早く多量の情報を移動させるというイメージがある。まるで選挙のときの候補者が車の上から訴えかける、一方通行のマイク音のようなものである。当に「届けばいい」「伝わればいい」という言葉発信の質量がコミュニケーションであるとされてきた印象もある。

しかし落ち着いて考えていくと、人には心がある。伝わった言葉の塊に感動することもある。うまく組み合わせて伝えるという理性も働かせて伝えることができれば、人は反応してくれる。その反応の仕方が言葉、あるいは言葉以上の、またその組み合わせが、意味のある返答になる。その継続・繰り返しが「共鳴」になり、高まって行けば、次第に意味を交換することになり、流れを見ていくと形式を超えて「対話」となる。強調や間の取り方によって、そこに主張が生まれ、交流つまり真のコミュニケーションとなる。

そのようなコミュニケーションに出会ったとき、人は人のためにモチベーションを高め、人のため組織のために役立とうとする。私が若い頃、数年勤めていた企業では、経営理念を掲げ、日常からのコミュニケーションを厳しく定義していた。コミュニケーションは伝達ゲームではない。「言葉を伝えるのではなく、その相手がその情報の結果によって成果を上げるよう努めることである」と口やかましく伝えられていた。回覧板のように、ただ情報を伝えたのでは仕事ではない。結果を出るように活用してこそコミュニケーションであるというのだ。mitameya


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コミュニケーションとは、伝わらないことか?

2018-07-04 16:00:29 | はとはあと最新情報
コミュニケーションとは、伝わらないことか?

いつも喩えに上がる言葉に、人とは「人の間」というのがある。決してひとりで生きているのではなく、人と人の関係こそが大事であり、意味があるというわけである。京都の金融機関が、市民に向けてそのこと強調して「ON YOUR SIDE」というメッセージを、地下鉄の車内広告でうたっていた。通じ合いというか、響き合いというか、そこに人としての喜びを伝えことは、多くの人が認識しているところだろう。いいかえれば、その行為はコミュニケーションということができる。明確な外形は描けないが、その理想形として、関係者への期待を込めたやりとりである。

この理想の外形とは、伝わることを前提に考えること。つまり「伝わったらいいなあ」というアウトラインを構成する期待値で始まるが、往々にして期待値で終わりかねない難しさがある。伝える意味・内容の質がある。伝え方や伝える力量がある。また、伝わりの環境条件の良し悪しタイミング、さらには使用する言語もあるし、相手の理解力、受容力もある。その相手の立地する社会の価値観もあるだろう。100伝えたいとしても、さまざまな障害によって、かなりの食い違いが生じてしまい、シンドイのがコミュニケーションという行為である。論理だけの思考が困るのはこの時である。

いっそうコミュニケーションとは「伝わらないこと」とした方がいいのではないか、と思うくらいである。事実そんなタイトルの書籍もあったように思う。しかし、そのように伝わらない環境の中で、私たちは、いったいどうのように「コト」を伝えているのか、いえ、伝わらなかった結果をどのように処理しているのだろうか。それを確と確かめて手を打つのが、プロのコミュニケータではないのか。いえいえ、そんなスキルを身につけても、ピタッとした理解には結びつかないのではない。ではでは、どうして・・・? ここらは、直感!による仮説の緒でしかないが。

実は私は、長年デザイナーという職業をやってきた。当然クライアントとの話し合いから、その企業や病院なりの解決すべき課題ヒアアリングを何度もおこなうのだが、相手はいわゆる“顧客”であり、問題点をクリアに説明できる能力の持ち主ではない。いっそうコミュニケーションには、危険度が高いのが当然であり、その後のプロセスや条件を考えると、絶望的になることもある。はじめは解釈も多層化し、企画進行が困難なことが多い。どうしようもなくなることもシバシバである。伝わらない不幸は、当面の間、固定化するが、不思議にある時点をもって急速に瓦解することもある。 mitameya


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