病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

良いものを見て取り入れる習慣

2018-05-31 17:56:54 | はとはあと最新情報
良いものを見て取り入れる習慣

最近、頓に時代の変化を感じる。どんな時だろう。もちろんそれは加齢からくる心身の自覚もある。衰えだけではない。手に持っていたものを、偶然落としそうになった時などは、結構素早く解決できる自信がある。あまり疲れとは違う感じもする。ところが社会の動き、他者の行動などを見ていると、時代の変化と感じざるを得ない場にいる。満員の電車の中で、大きな鞄やリュックを抱え背負ったまま、スマホに興じる女学生がいる。別に気にすることもないようでも、電車が揺れるたびに、足を踏まれたり、鞄で腕をこすられたりだ。

なんだ、そんなことか、と言われそうなのも変化の印ではないか。つまり彼女は目の前、車内の隣人たち、それらが作り出す状況について、自らの目というセンサーを使って波長を合わせることはないし、隣人と暮らそうともしていないから夢としての把握もできていない。たとえばこんなことだけでも、時代や社会は変わってしまった。良い悪いという話ではなく、社会をまとめていた人間の感覚が、すっかり変質しそうなのである。個別の人間性の変質がニュースにも現れる時代となった。大事なものが見えていない。

見えていないということは、環境に適応するという生き物にとって大事なことも必要としなくなる。もちろん一気に変化するわけではない。だから返って判りにくいのかもしれない。見えていない人が、この地球の上で共存しているわけだ。高齢者(私も立派な)の自動車運転と変わらない。目に見えて、脳や神経がそれに反応してその危機に対応していく。それが多くの生物の“生”でないのか。怖いのは、国の今ここを判定し、安全を確保する社会機能でさえ、そのような視点が入ってこない。目でみることの大切さを、である。

目で見たときにどうなのか。問題があるのかないのか。その基準もないのでシステム化もできない。人が汚いとか、うるさいとか、冷ややかとか感じながら生活するという目の前の質、環境の質を嗅ぎ分けながら生きている。まさに見ることは、共に生きることなのだ。社会を心地よくすることで引き継いでいく存在である。良いものを見る習慣が必要で、よくないモノを見ない。美しいものに関心をもって近づいてみる。その法則を知る。その原点努力は、間違いなく良いものを見ること。「モノをよく見て生きる」を薦めたい。

HISフォーラムi n KYOTO
案内書ができました。ご希望のかた、メールください。info-his@j-his.jp

見える像の裏に見えるさらなる命のエレルギー

2018-05-25 16:41:57 | はとはあと最新情報

目に飛び込んでくる最近のマスコミ報道は、なんだか情けなくなる内容で息苦しい。なかでも報道陣の前、それも謝罪の場にピンクネクタイはセンスよりも自覚のなさを表していた。新聞では色までは見えないが、複数のメディアに接すると、印象に残るニュース自体がカラー化する。モノクロームの中にも色が見えるのである。多くの印象が複合化して固まっていくのにくらべて色は直接的である。テレビで見た映像が大きなインパクトになり、そのニュースの配色を決めていく。第一印象だけが、その後の印象を決めるのではないようだ。

人は起床して次に就寝するまでに、どれほどの視覚と出会うのだろうか。その種類や量・サイズなどが判れば、どんなことができるだろうか。印象の移動や交換などができれば、瞬時の他人の脳や神経を楽しむことができるかも知れない。意識して行動しているときは、そんなことは排斥されるだろうが、問題は無意識の時に、他人からいわば借りてきた印象が幅を利かすと、見かけは同じ人でも全く予想外の振る舞いが始まってしまう。人それぞれに重視している判断基準が壊れてしまい、信じられないことが起こるのではないか。

人はこの世で「現実から見えたもの」から得た様々な記憶や印象の蓄積といういわばデータベースを頼りに、知的生活を通して生きているが、無意識による判断や決定への調整ができなくなったりして狂ってしまうと、人間という生命体は破滅するしかない。よくわからないが、少なくとも夢遊病者ばかりの社会にならないかという心配がでてくる。現実にこの脳の無意識を利用しての社会への働きかけがある。幸い意識レベルを前提としての話だから、現実的な問題はないが、社会が夢遊を患っては大変だ。

一度は「見て見たい」夢の世界を。見ることも夢だが、見たことも夢になる。しかし、現実には夢よりも「見る」こと自体が重要であり有用である。仮に知的でなくても自分なりの指針を見ることによって、その人なりに主体的に見た価値は着実に見えてくる。我々の眼差しの先は、いわば彫刻刀のようになって鋭く現実像を彫り込んでいくのだ。見ることは生きることに等しい。時にはただぼんやりと眺めること、楽しむこともいいだろう。見える像の裏に見えるさらなる命のエレルギーを我々は確信すべきだと思う。

お知らせ:
大阪でHIS広報プランナー認定(3単位)講座

ヒトメディア・ヒトブランドの活用講座を開講
日本HIS研究センター大阪事務局では、来たる6月9日(土)午後1時〜5時(4時間)、エルおおさか(京阪天満橋徒歩5分)6階において、表記講座を行います。医療・介護など福祉サービスの経営管理者や専門者に最適です。受講料はHIS会員8,640円、会員でない方は16,200円 並行して各種会員も募集中、講座申込と同時入会がお得です。
詳しくは電話075-741-8219 http://www.j-his.jp Mail:info-his@j-his.jp

見ることとは、変化の中に身を置き感じること

2018-05-19 14:40:36 | はとはあと最新情報
見ることとは、変化の中に身を置き感じること

見ることで生きる。見て・見えた結果としての知覚像は、目の奥に広がり、神経を煽ってある種の信号体系となる。それが過去の同種の信号体系との型併せにより相違が検出される。それが認識の構造ではないのか。視覚機能に疎い素人は、自らの経験(過去の同種の信号体系)という尺度を用いないと把握できない。しかし、それは唯単純な仕方を繰り返す作業であるとは思えない。形の物量感、色目、柔軟度、表面感覚、湿感、温度感などあらゆる感覚の有無を認めながら、より現実に納得可能な状況のあり様を問いかけている。

それらは、物質でありまた空間である。こういうことは、あたかも静止した物量とか空間として扱われがちだが、すべては一定ではないのだ。つまり見た時と、見えた時では、対象物の変化に変化が現れる(対応する)ということである。それはその対象物自身の変化でもあるが、その形づくる環境要因による変化の場合もある。例えば、光である。立方体に光を当てると、いっそう立体感が増すことは理解されやすい一例であるが、見る・視えるという要因には、当初から決まり切った形態が存在していてそれらを規定しているわけではない。

この脳の中で起こっている事象(身勝手な活動)は、もちろん人間の言葉では表し切れないほど不定形に隆起したり、消え去ったりしていつも知らない振りをしている。でも、その様な脳内の実態を切り取り、楽しむことも、自覚と認知があれば、対話することも可能だし、それを楽しむこともできる。また、それを象徴として形容すれば、現代人が挙って歓迎している生産性の現場にも連れ出すことができる。これほどまでして手探りの、さらにその奥にある官能の世界を我々は求めてしまうが、今、それは無価値の極悪しか見ないと。

実はこの話は、2つ折りの用紙を間違って反対に追ってしまった世界の話である。なんてこともない。あるものは、ある。ないものはないのである。要はあるのだ。だから、そのような台車にさえ乗っかっていれば、死んでも生きていることができる。生きていても、死んでいるかもしれない。事実、街をあるいても、食事をしても、脳と神経のお世話により、使い分けができている。印象とかイメージという脳内映像を無料で楽しませてくれている。人間が不安に慄いている間に。我々はもっと現世を「見る」ことに真剣であらねばならない。


お知らせ:
大阪でHIS広報プランナー認定(3単位)講座を開講

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日本HIS研究センター大阪事務局では、来たる6月9日(土)午後1時〜5時(4時間)、エルおおさか(京阪天満橋徒歩5分)6階において、表記講座を行います。医療・介護など福祉サービスの経営管理者や専門者に最適です。受講料はHIS会員8,640円、会員でない方は16,200円 並行して各種会員も募集中、講座申込と同時入会がお得です。
詳しくは電話075-741-8219 http://www.j-his.jp Mail:info-his@j-his.jp

ヒトメディア&ヒトブランドを意識して観る

2018-05-11 09:52:50 | はとはあと最新情報
ヒトメディア&ヒトブランドを意識して観る

病院広報でいう「病院」は、病床数20以上という病院の定義ではなく、世間の認識でいう病院のことである。一般市民は、診療所と病院の区別がついていない。医師や看護師がいて、怪我や病気の回復に努めているところを「病院」というのを「見て」のことである。そこには「医学」も「法律」もない。あくまでも庶民としての生活感情に向けて定義したまでである。ではなぜ、そのように拘ったのか。広報はその地域の理解・認識を得ることが主目的である。人や社会をより「広く」「深く」見ていくことが必要と考えたからである。

医療は、人が一人で冷静に判断するには、複雑な印象がある。その全容が見えにくい上、日々変化を続け、全体が見えにくい構造をしている。もちろん先端技術も負けてはいない。感心するほど精巧緻密な診断も可能であり、大きな期待も掛かってくる。しかし、それらを素人が理解しようとする実体の一面にしか過ぎないのではないか。一人の人が生き考え思いを馳せることのできる世界は、個々が自覚できるスケールではないはずである。なぜなら計算世界は果てしないからである。如何様にも行き詰まるまで絵が描けてしまう。

それらを見分けるのは、生きた人間の目である。目で見て心地いいものが生物としての最高の現実である。心地いい刺激が目に入り全身に行き渡るとき、人は人として自然界の一員となれる。人と素直な対話がしたくなり、また、新たな環境の一部を生み出し、他者にも貢献することができる。病院の、いえ医療の、いえ医療サービスの仕事とは、心地よい環境の創出、少なくともその心得をもって社会に尽くしていくことではないか。もちろん現在の姿勢や機能が不要ということではない。その先を「見る」「観る」によって、もっとも進むべき方向を「見つめる」ことが生きる態度である。

そのために必要な社会的コミュニケーション、それは専門者それぞれがメディア機能を協働すること。伝えるべきことを適切に伝えることはもちろんのこと、独自に生み出したわかりやすく心地よい表現姿勢を創造することで、それこそブランドという、通じ合う言語にならなければならない。あなたの前に立っただけで「心地よい」と感じられることが、ひいてはあなたと協働できる関係値を事前に保持することとなり、いっそう成果を引き出しサービスの質を高める。この実行こそ、無意識のうちに現れる不可解な印象や不適切なイメージの飛散を防止する唯一の手立てといえないだろうか。

★HIS Information★
HISフォーラム2018・第22回全国病院広報研究大会
京都開催のご案内

NPO法人日本HIS研究センターは、来たる10月27日(土)、京都市左京区の聖護院・御殿荘において第22回全国病院広報研究大会を開催します。会場には全国の病院やヘルスケア施設から集まった病院広報の応募事例の中から、選ばれた優秀演題の発表と最優秀であるBHI賞などの審査・表彰を中心に、施設間の情報交流を行い、これからの医療・福祉について学びます。
開催の支援者を代表して門川大作京都市長や京都私立病院協会・清水鴻一郎理事長などが、京都創発のHIS活動に期待するお言葉をいただくほか、京都大学大学院医学研究科・中山健夫教授の記念講演などが予定されています。
参加についての詳しい情報(演題応募や当日参加など)は、順次 http://www.j-his.jp/ に表示していきます。ぜひご参加ください。

見ることの強化で「見てほしい社会」を

2018-05-04 15:49:06 | はとはあと最新情報
見ることの強化で「見てほしい社会」を

ゴールデンウィークという言葉が誰にも行き渡ってどのくらいになるだろう。この言葉を聞いて特別な印象を感じる訳ではないが、なんとなく“春本番”という雰囲気になり、前向きで悪い気はしない。むしろ毎年のように決まって見せつけられてきた、渋滞する高速道路や満員の新幹線から降りてくる家族たちのカットだ。これらの映像によって、皆が認識してきた暮らしの春が一致してくる。そのように国民の固定観念に合わせて作らないと、話がうまく回らない、いう事情もある。一歩下がって見れば、長閑な風景といえる。この世に起っている現実は、視点と見方、つまり見て欲しい情報しだいで変わるといえる。

その歴史は間違って伝えられてきた、歴史は事実ではない。間違った認識が広がっているという話も、最近になって伝えられることも多くなっている。電車で移動中に降りるべき駅を乗り越してしまい困った時のようで、どうにもならない。科学的根拠というのも思考するときは同じだし、昔あった「神の声」という絶対のお告げも似たようなもののような気がする。交通事故を起こしてしまえば後戻りなどできない。いってみれば頭の中の事情・現実であって問題解決はマイナスに向かってしかできない代物である。いくら素晴らしい建物であっても、図面の上で生活することはできないのだ。

そうするとそれを包み込むために、より大きな風呂敷が必要になる。機能別のポケットやファスナーがあれば整理がつき便利この上ないと考える、ことのように理解してしましようだが、この思考の大風呂敷はやがて限界に達してしまう。中身が予想以上に増えるようでは、その仕組みにいつか物量の限界がやってくる。大風呂敷のサイズの限界、それを持ち上げる力、エネルギーや仕組みの限界、である。こうなれば手段・方法において既成概念を突破していくしかないことは誰でも理解できる。高齢化、こんなことも早くからわかっていたこと、いまさら問題として騒ぐ社会でいいのだろうか。

高齢化を重荷と考えるのではなく、高齢化自体をよりプラスに向ける社会でなければならない。同じことを繰り返しながらも目的展開を活発にし、毎日の繰り返しに新しい発想を歓迎する。そのとき最も必要なことは、いつか限界が待っているからという自覚と、だから現実の改革は、足元から始めていなければならないという2点である。言ってみれば固定観念という代物こそが現状突破を妨げるのだ。そのためには人間にとって「見える」ことが何より大切である。私たちが何に目を向けているか、何を見たいと志向しているか。それによって「何を見てもらいたい」かを創る、この意識がこれからの社会を生み出す。



病院広報についてのお知らせ
5月20日(日)午後2時〜5時 NPO法人日本HIS研究センター・定時社員総会(ひとまち交流館京都)
6月 9日(土)午後1時〜5時 HIS広報プランナー認定講座・エルおおさか(京阪天満橋徒歩5分)
10月27日(土)午後1時〜6時 HISフォーラム2018開催(京都市左京区・聖護院御殿荘) 応募事例締め切り7月31日
このほか本年は、BHIデザイン賞2018(病院広報誌コンクール)も行います。

詳しくは、www.j-his.jp をご覧ください。