いよいよ、2017年も大晦日となりました。
従って、今年、最後の「はとはあと」ブログのお届けとなります。
。。。。。。。。。
年末のお片づけ+雑巾掛けのなりゆきで見つかりました。
昭和55年、淡交社からでた「懐石サントリー」という豪華雑誌で、
の後半部にドタッと出てきましたので、
少し文化の香りを、と思いました。
同誌は、50名近い文化人による多くの資料提供によるようで、
写真、デザインによる格調高い誌面展開もさることながら、
控えめながら味わい深い大人の文章が、お酒にピッタリ行けそうです。
いろいろタイトルが通り過ぎるなか、目に止まった言葉は「稽古」です。
ちょっと読んでみます(書いてみます)と、
安土桃山時代の茶人山上宗二の遺した一文に茶湯年来稽古として
「十五ヨリ三十マデ万事ヲ師ニマカスル也。三十ヨリ四十マデ我ガ分別ヲ出ス。
習、骨法、普法度、数奇雑談ハ心次第ナリ。
但シ、十ノモノ五我ヲ出スベシ。
四十ヨリ五十マデ十年ノ間ハ師ト西ヲ東ト違ッテスルナリ。
其ノ内、我流ヲ出シテ上手ノ名ヲトル也。茶湯ヲワカクスル也。
又、五十ヨリ六十マデ十年ノ間ハ師のゴトク一器ノ水一器ニヤウニスル也。
名人ノ所作ヲ万手本ニスル也。
七十ニシテ宗易ノ今ノ茶湯ノ風体、名人ノ他ハ無用也。ということのようです。
なんでも、「師ト西ヲ東ト違ッテスル」とは、
先生のいうことの反対をやってみろ、ということらしいです。
そうすれば、我流の境地に行き着き、新しい所作を掴むことができるとか。
ちょっと難しいようですが、分かる気もします。
そのタイミングのままで、背負い投げではなく
内股をかけてみるとか、先生のいうとおりでは、閃きが生まれない。
閃きが自分一人でするものです。
「稽古とは一より習い十を知り、十より返るもとのその一」
つまり「初心、古書を紐といて考えること」が肝心とのことでした。
みなさま、今年も大変お世話になりました。
来る年も、よろしく御願いいたします。
石田章一 拝