病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

茶事も、酒事も、ただ一生稽古あるのみ

2016-12-31 17:30:20 | はとはあと最新情報

いよいよ、2017年も大晦日となりました。
従って、今年、最後の「はとはあと」ブログのお届けとなります。
。。。。。。。。。

年末のお片づけ+雑巾掛けのなりゆきで見つかりました。
昭和55年、淡交社からでた「懐石サントリー」という豪華雑誌で、
の後半部にドタッと出てきましたので、
少し文化の香りを、と思いました。

同誌は、50名近い文化人による多くの資料提供によるようで、
写真、デザインによる格調高い誌面展開もさることながら、
控えめながら味わい深い大人の文章が、お酒にピッタリ行けそうです。

いろいろタイトルが通り過ぎるなか、目に止まった言葉は「稽古」です。
ちょっと読んでみます(書いてみます)と、

安土桃山時代の茶人山上宗二の遺した一文に茶湯年来稽古として
「十五ヨリ三十マデ万事ヲ師ニマカスル也。三十ヨリ四十マデ我ガ分別ヲ出ス。
習、骨法、普法度、数奇雑談ハ心次第ナリ。
但シ、十ノモノ五我ヲ出スベシ。
四十ヨリ五十マデ十年ノ間ハ師ト西ヲ東ト違ッテスルナリ。
其ノ内、我流ヲ出シテ上手ノ名ヲトル也。茶湯ヲワカクスル也。
又、五十ヨリ六十マデ十年ノ間ハ師のゴトク一器ノ水一器ニヤウニスル也。
名人ノ所作ヲ万手本ニスル也。
七十ニシテ宗易ノ今ノ茶湯ノ風体、名人ノ他ハ無用也。ということのようです。

なんでも、「師ト西ヲ東ト違ッテスル」とは、
先生のいうことの反対をやってみろ、ということらしいです。
そうすれば、我流の境地に行き着き、新しい所作を掴むことができるとか。
ちょっと難しいようですが、分かる気もします。

そのタイミングのままで、背負い投げではなく
内股をかけてみるとか、先生のいうとおりでは、閃きが生まれない。
閃きが自分一人でするものです。
「稽古とは一より習い十を知り、十より返るもとのその一」
つまり「初心、古書を紐といて考えること」が肝心とのことでした。

みなさま、今年も大変お世話になりました。
来る年も、よろしく御願いいたします。

石田章一 拝


HIS講座2:みんなちがって、みんないい

2016-12-26 16:38:28 | はとはあと最新情報

病院広報(はとはあと)レベルUPを図る上で重要なのは、
その組織に染み込んだ独自の思考です。
しかし、一目で認識しきれない難しい思考では、伝えることができず、無いに等しい状態になりがちです。
そこで創発されたのが、HISつまりは、Hospitality-Identity-Systemという概念であります。
この3フレーズで関係する組織や個人を捉え直し、コミュニケーションをより”複合的”にすることで、
双方のキャッチボールの質を考えてみようというのです。

つまり、Hospitalityの視点からは、自分ではなく「あなた」の言い分や期待を、
また、Identityの視点からは、「わたし」の主張や簡単に譲れない考え、 
そしてSystemの視点からは、「みんな」を代表する社会、組織、仕組みなどを突き合わせるのです。
その結果、見えてくるもの中にある新鮮なアイデアを取り出そうというわけです。

患者さん中心は、最近大手をふって歩くほどではなく、
むしろ、一時より身近な存在、身近すぎて鬱陶しい存在、また頼もしい存在と様々です。
そういえば「わたし」も、気持ちの上では、日々さまざまに変身しながら生きていて、
私同士が、結構コミュニケーションをしながら生きていると思います。

もっとも顕著なのは、Systemの「みんな」です。
自分や特定の相手以外の人々・グループをさし、社会、組織、制度、仕組み(なぜかSで始まる)、
近年は、SNSなどインターネットの信号による薄いけれど手軽な個別社会も出現しました。
コミュニティや集団、国家も入れてもいいかもしれません。それぞれ意思をもった人の集まりなのです。

これらの革新的動向は、HISにとってより進化していく可能性があると思います。
その一翼を担っていくのが「広報」という”窓”です。
見えるのは固定的観念的な景色ではなく、感じたことも自在に概念化することができ、
いっそう人々に自由と可能性を生み出してくれる窓として、HISが活用されるといいなと思っています。

金子みすずという若き詩人は、HISにとって大いなるキャラクターであるかもしれません。
「みんな違って、みんないい」。命ある万物は、すべて違うのです。
HISのレンズによって、すべて違うし、違うために生きている、ともいうことができる。
その意味を発見し、我が身に線を弾いてくることを賛美しなければなりません。

「ケンカしようよ、友達だから」 
聖路加の日野原先生に教えてもらった言葉です。
葉っぱのフレディという演劇に出てくるそうじゃないですか。
涙がでるくらい嬉しかった言葉です。

写真は、病院が出している、頑張る広報誌のいろいろです。
「みんな違って、みんないい」いろいろで輝きが射してくることは本当です。

次回にまた




HIS講座:1 そもそもHISって何するテクニック?

2016-12-20 13:40:09 | はとはあと最新情報

病院広報は、現在、日本HIS研究センターの中心的な商品カテゴリーのようになっていて、
病院広報の説明をすれば、当法人のすべてを解説したかのように誤解されることもあります。
そこで、ここ暫くは当法人の本来の目的や理念について解説していきたいと思います。

NPO法人である日本HIS研究センターの定款(目的および事業)には、
この法人は、「医療・保健・福祉などいわゆるヘルスケアサービスの提供には、
健全な施設運営の確立とともに、利用者と提供者の相互理解と信頼が不可欠と考え、
HIS理念重視のもと、よりよい医療・福祉環境とコミュニケーションの創造を目的とする」
という文面が鎮座しており、つづいて保健・医療・福祉・教育・情報化社会・消費者保護など
健康はないのですが、関連のお馴染み言葉がならんでおります。

大方の法人や団体の定款では、同様になんとなくの方向が示されているのが普通ですが、
これでは具体性がなく、初めての人には鬱陶しいと思いますので、
新年をまたいで、HIS思考を中心に使い方の例などに触れていきたいと思います。
途中でボロボロと落ちてくる知識の片割れが、お役に立つこともありますのでご期待ください。

病院広報はあくまでも「広報」の範疇を考えてのことです。
いい広報展開は、情報の発信者にも、受信者にもプラスがあるものです。
いわゆる「知っておいてよかった・助かった」というあれです。
多くは親切で、分かりやすい以上に、高度な判断・気の利いた配慮のある情報です。

しかし広報とは、情報あるいは情報の塊である。また、必要な言葉の塊である、
ということもできます。必ずしも言葉の塊が役立つのか、
ルールどおりの言葉で伝えて、本当に効果のある伝達ができるのか、
という心配も多々あるのではないか、と思いますがどうでしょう?

確かに言葉のやりとりは、双方が同じように理解できていて初めて成り立つ仕組みです。
日々日本語での暮らしをしていて当たり前に考えていても、わからない人にはさっぱりわからない。
言葉だけでなく、常識や判断の基準や社会の仕組みなども、知り合っているからこそ、
好き放題のコミュニケーションができるわけです。

何が知られていて、何がでえきないのか。広報であってもなかっても、
相手のそのような前提を理解して、相手に「よかった!」を届けることが必要です。
広報は「理屈」だけではない、「感覚」によることが多いのも、
多様な人、社会を把握して判断すること、いわゆる見識が必要になるということです。

ビジュアルの「人間革新」は、多少大げさのようです。
しかし、いうほどでもなく、やはり革新は機械では難しく、人間が革新を起こしていく、
苦もあり楽もあり、それがなければ、なにも始まらないわけです。
その意味でHISは「人間革新」のモットーによるものと言えます。

では次回に。






"医は意なり"、医療の本質を照らす医療を

2016-12-13 15:23:37 | 石田章一・仕事の欠片


早いもので、四国中央市でHITO病院と共催した病院広報研究大会から、
もう1か月以上経ってしまいました。
開催までに積み残していた仕事や、いわゆる残務処理のようなこと、
そして、やはり疲労感でしょうか、自分ながら動きがスローになった感じの日が続きました。
気がついたらもう新年の準備をしなければならない時期にきていました。

それでもスケジュールに入れた予定は、相手もあるので自動的に進んでいきます。
6日は、NPO法人の来年の総会に向けた準備もスタートさせています。
幸いにして、ボランティアで仕事の分担を引き受けてくれる人や
専門的な知恵を貸してくれる人も集まってくれ、ありがたい話です。
そうした様々なメンバーの知恵と活動に期待しながら頑張って行こうと思います。

おかげさまで「病院広報」も随分浸透して来たようです。
いままで広報という言葉や理解・認識には、企業広報とまったく同質であり、
とくに医療界では「広告」や宣伝の意味と混同して使われてきました。
いえ決して広報なら良くて、広告が悪いという意味ではありませんが、
それらの出方や内容、表現の情報と環境によっては、業界ごとに規制があったりして、
ちゃんとした情報発信には、注意が必要ということに変わりはありません。

ただ言えるのは、広報を広告と比較するには、どこか無理があることです。
企業では、事業がうまく周るように「知らせる」「認識させる」ことが目的になります。
では病院ならどうでしょう。もちろんそれも大事ですが、それ以前に「人の命や尊厳」について
専門を超えたプロ意識と技、そして結果が問われることへの広報が必要になるのだと思います。
広告で何をするのか、広報でどうするのか、しっかりと意識することが必要です。

意識の話は、大雑把になりがちです。広報は社会を主題にし、
社会が良くなるよう、様々な活動を継続させることが中心になります。
寄付やボランティア活動といった人々の思いを集めておこなう活動も一つです。
そのゴールはSocial Good(社会善)の創発です。
社会にとって広告と広報、どちらがいいとか、正しいということには無理があります。

私たちは「病院広報」とわざわざ概念化して強調していますが、
そもそも医療そのものが、すでに社会貢献として発展してきているのです。
医療・介護の本質を極め、懸命に進めることが何より必要であり、
それを「手分けして発展させるところに意味や価値がある」のではないかと思います。
特別にサービスを付加することで形骸化した満足を生み出すよりは、
医療の質にすべてをかける医療を待っています。

※「医は意なり」は江戸後期の儒学者・亀井南冥のことば

12/14 すみません少し手をいれてしまいました。