病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

在宅医療の先駆け、意識の高かった臨床家とは

2017-11-28 13:06:13 | はとはあと最新情報
 

 厚生労働省も最近ようやく、在宅医療を重視するようになりつつありますが、一般の医療業界では、病棟医療が中心で、なかなか、在宅医療の存在が認められない時代が続きした。しかし、各地域において「意識の高い臨床家」の努力で、「在宅医療」の重要性が各地域で認められるようになりなりました。
 では、「意識の高い臨床家」として具体的にどんな医師がおられたのでしょうか。在宅医療の資料を調べていたら、意識の高いといわれる5人の臨床家の名前を発見しました。
1. 東京都東村山の東京白十字病院の佐藤智
2. 京都府の堀川病院の早川一光
3. 新潟県大和町ゆきぐに大和病院の黒岩卓夫
4. 長野県萩野氏の諏訪中央病院の今井澄
5. 東京都足立区の萩原病院の増子忠道 以上5名の先生方です。
 病院での治療が有効でなくなった重い障害を持つ患者、治療不能ながん患者が、自宅で過ごすことを希望しながら、病院に滞在することを余儀なくされていました。このような人達を退院させ、自宅での継続的な医療を提供する意識の高い臨床家が各地域に現れわれました。この5人の医師のプロフィールを簡単に紹介します。
1.東京都東村山の東京白十字病院の佐藤智医師のプロフィール。1948年東京大学医学部卒業。東京白十字病院院長、 先生は東京に生まれ,東京で育った.父から受け継いだキ「リスト教の宗教観は,大学生時代のYMCA活動や,キリスト者医科連盟のメンバーとしての活躍の原動力となりました。         
2.京都府の堀川病院の早川一光医師のプロフィール。1948年、京都府立医科大学卒1950年、京都市上京区西陣に住民出資の白峰診療所を開設。1958年、堀川病院に発展し、院長、理事長を歴任、1984年から1999年の辞任まで顧問を務めた。「自分の体は自分でまもる」をスローガンに、住民主体の地域医療に専念                                  3.新潟県大和町ゆきぐに大和病院の黒岩卓夫医師のプロフィール。私がゆきぐに大和総合病院(現・ゆきぐに大和病院)を辞めて、同地に診療所を開いたのは約20年前です。診療スタイルは外来と往診(訪問診療)を基軸に、介護保険制度による介護サービスを在宅の枠の中で展開しています。          
4.長野県萩野氏の諏訪中央病院の今井澄医師のプロフィール:東大紛争の 「医師・服役時代」、当初は都内の医療機関に勤務したが、その後長野県に移り、1974年に茅野市の公立諏訪中央病院に赴任する。1992年、日本社会党から参議院議員選挙・長野選挙区に立候補。                
5.東京都足立区の萩原病院の、増子忠道医師のプロフィール:。東大在学中に東大闘争に参加。卒業後,東京の柳原病院に勤務し,平成3年院長。東京東部地域の寝たきり老人の実態調査をおこない,また在宅医療にとりくむ。健愛会理事長,かもん宿診療所長。福島県出身。これら5人の医師たちの本当に「意識の高い立派な臨床家」の努力のおかげで「在宅医療」の道が開かれたということが確認できた次第です。(菅原正博:経済学博士・HIS顧問)

※日本HIS研究センター会員報VIBRATION:YODANより

写真は、健康知能を向上させるために、病院のリハビリ室で行なっている「すこやか検定」の様子。
誰でも正解できるような常識問題を、受験者に解いてもらうことで、医療と向き合う意識・姿勢を高揚させようというもの。
岡山県の平病院の認知症予防教室の後で行なっており、このため日本HIS研究センターが日々バージョンアップを図っている。

非言語コミュニケーションを知ろう

2017-11-14 16:42:52 | はとはあと最新情報
 広報理解に欠かせない非言語のコミュニケーションとは

 21回目、大阪・門真市の松下記念病院で開催していただいたHISフォーラム2017が終わり、その後片付け、とくに“人の目に見えないことの後片付け”も、やっとのことで終わり、早くから待っていただいているテーマの点検を始めたところです。
 で、このブログ「はとはあと」評価もグッタリから立ち上がるべく、このデスクに向かったというわけです。
 
 病院広報は、HIS思考の中で情報を担うという性質上、どちらかいうと分析的な視点を槍の先にして状況を確固たるものにしていくところがありますが、アートのような非言語系になると、いわゆるロジックよりも感覚に扇動されるし、伝えるためには、そうならないように頑張るなどという部分も否めないわけで、さまざまに難しいところ抱えているといえます。暴れ者の感性を手なづけながら、目的とする理性の展開へ引き寄せて話を展開することが求められる、それが非言語ということでしょう。
 
 たとえば、居酒屋の前に示されているメニューの表示には、カラフルな文字やイラスト?で表現されているのに、入ってみると偉く高級感のある内装や調度品にびっくりするような場合がありますね。これもサプライズとしていいのかも知れませんが、どこか裏切られた感がしたという経験はよくあるものです。
 
 チョーク絵で書いた看板が示すのは、「親しみ」であり「気楽さ」であり、少々荒っぽくても「お気軽よ」という視覚言語により表現されているのに、入ってみると釣り合いの取れない雰囲気や高級な空間が待っていた。安上がりを期待していたのに、これでは一種の裏切りに近いのですが、文面・言語ロジックで「約束」したのではないので、争議にはなりにくいうえ、内心つまり深層の心理ちゃんはただ泣いている、ということで終わりです。高級の印象を与えておきながら、安っぽいイメージだったというのでなく、まだ救われたと思いませんか。
 
 こうしたことは病院・診療所においても同様で、立派な玄関や掲げられた理念を信頼して受診したのに、粗雑な案内や職員の対応にがっかりしたなどという情けない事態となるのは、非言語を理解できる人がいないこと。つまり「ヒトの目に映る印象が語るイメージ」を組織が抑えてなかったからです。

 身成がそのヒトの品格を表す、ヒトを迎える玄関がご主人の人柄を表すなどというのも、そのような視点からの話というわけなんですね。医療機関は、苦しみを抱えた人々が出入りし、そして集まるところなのです。言葉ではなかなか出ないのですが、目は介助を求めて集中します。身体の状況にもよりますが、顔は笑っているとしてもその心理は深いところから叫んでいると思います。医療・介護施設に見えるモノが何を語っているのか、サービスの本質からいっても重要なキーポイント、それは手付かずのままの非言語のコミュニケーションといい、ここまでの概念を病院広報が取り込む必要があるのです。(いしだ・しょういち)