病院広報(はとはあと)評価支援情報

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視神経に力を入れて、素直に“ものをよく見る(感じる)

2019-05-19 16:26:03 | はとはあと最新情報
視神経に力を入れて素直に“ものをよく見る(感じる)

若葉に包まれた大木の高い枝に止まって小鳥が鳴いているようだが、その姿は一行に見えない。鳴き声は可愛く澄んでいて聞き惚れる。どんな鳥なのか、一目見てみたいものと思い、木の周辺の立ち位置を変えてみたが、どうしても見えなかった。それから何日か経た日曜日の朝、散歩の途中、その可愛い鳴声が風にのって舞い降りてきた。羽音や飛び移る影も感じるのに、さっぱりその姿が見当たらない。その実際を目で確かめることができる姿はなく、苛立ちは続くばかり。そのわずかな記憶は、大気の中に溶け込むように消えてしまう。

また、実態はそこに間違いなく見えているというのに、そのことに向き合っている実感が付いてこないということもある。目で見て、手で触れて感じとっているのに、なんとなくその体感や重量感が感じられないという状態、というのもある。シュールリアリズム、超現実的な絵画に向き合って感じる感覚だ。確かに高度でリアルな描写に圧倒される反面、現実でない虚しさにその感動は打ち消されてしまう。そのような分裂症状の理解から逃げ出して、絵画の中の虚無的な空間に留まっていることはできないものか、思案をしてしまう。

心があっても、花がないということもある。心は感動で沸騰していわゆる花となるが、花がないという事態が起きているのか。もとから心がないからか、萎れてしまったのか。もともと花とは関係が途絶えてしまうのか。こんな議論になるなら、心が花とのご縁などなく、心の役割も消滅してしまわないだろうか。心は苦痛や辛さを伝えるが、心底からの喜びを伝えようとする、また、求めようとする。花があってもなかっても、人は花が咲くよう務めることができる。美しい鳥の声で鳴く鳥を探してみよう。絵画の中に美を観てみよう。

我々が、捉えづらいという「美」とはなんだろう。探しづらく見つけにくい美に出会うには何が必要なのか。美を的確に感知できるようになるには、何が必要か。素直に感じとる力はいかにして身につくのか。いろいろと悩ましいが、これらは、いわゆるスキルではない。なんども、ここで述べてきたが、自分にとって心地よく、前のめりになってでも見たくなる感覚にしたがって、いい視覚情報を大らかに経験していくこと、つまりは素直に視神経に力を入れて「ものをよく見る(感じる)こと」である。mitameya190519

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