病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

無意識に活動する「まなざし」の世界を知ろう

2018-03-28 16:09:33 | はとはあと最新情報
無意識に活動する「まなざし」の世界を知ろう

私たち人間は、日常からのさまざまな意思決定やマネジメントにおいて、常に現状によって切り替わるその場の眼差しによって変化し、環境に対応して生きようとしています。対象それぞれの本質的な違いなどを、明確に意識することで卒なく対応しているのです。身近な問題においても、「わたし」「あなた」「みんな」の視点を明確にすることが医療の質を向上させ、相互のコミュニケーションを豊かなものにできるというのがHISの思考であることは、このブログに読者ならすでにご承知のことと思います。

最近、私宛に送られてきたメールによれば、「私たちの思考、感情、学習の95%は意識されることなく(無意識に)生じている」とありました。情報源は、ハーバード大学のマーケティング学の教授ジェラルド・ザルトマン氏でありました。まさにHISが、従来、医療の場に欠かせないと考えてきた思考の近いものに一致しますので、ここで有難く取り上げさせていただこうと考えました。意識とは初めから知識化された記号であり記憶である。身体認識(イメージ)は、やる気や理想と対話する人間的な力になりそうです。

HIS思考や判断、そして行動の意思決定においても、多くは無意識のうちに生じるイメージ、つまり脳裏に浮かぶだけの脳内映像の質に注目し、その価値を運用しているということが言えそうです。例えば、誰も不思議といわないのですが、自転車に乗るにもほとんどが論理的な対応ではなく、動物的身体感覚によってバランスを取り前進していきます。また、複数の人たちが集まり何かをするときは、他者のチカラとの均衡・関わり合いの感覚を重視し、パートナーのみならず「みんなの思い」を絡めていきます。

そこでは、意識と無意識が縄のように絡まっていき、みんなが一体となることができます。団体戦に限らずスポーツはすべてその仕組みによって成り立っているのではないでしょうか。しかしそれらは、重要な割には大変わかりにくいという欠点があります。そこで行われることが人々に無意識に訴える感性工学、つまりデザインやアート、そして音楽、動画というメディアなのです。名言や一枚の絵を見て元気になるということもあるように、これらのシュツエーションの精力が人に吸収されるのです。

ここで重要なことは、無意識に伝わる無形の価値についての深い理解であり、その無形メディアから発信されるイメージの質の問題です。よくないメディアからは正直によくないイメージが発露されるという落し穴があります。この見極めと活用のためには、その“ツモリ”になることが人間的満足の視点からも必要です。直感や閃めきもこうした無意識の質から生まれてくる感覚であり、人を動かす力になります。医療を求める人々にとって、現場の情報や環境には、どんな質をキープしているのか考える必要が出てきています。

<お知らせ>
第195回HIS広報プランナー認定講座 開講のご案内
日時:4月14日(土)午後1時〜5時
会場:京都YWCA (JR京都駅から地下鉄烏丸線・丸太町下車徒歩10分)
テーマ:ヘルスリテラシーを育む病院、その基本7原則

申込書など詳しくは、http://www.j-his.jp/ にあります。
お電話のお問い合わせは、075-741-8219 月水金13:00~17-00

病院に情報発信力や洞察力の具備(広報)が、なぜ必要なのか

2018-03-18 15:46:19 | はとはあと最新情報
病院に情報発信力や洞察力の具備(広報)が、なぜ必要なのか

鋭い観察力で物事の変容を見抜くことを洞察するといいます。今回は、病院など医療施設、介護現場において機械化しにくい(だろう)チカラとして洞察力を見ていくことにします。

かねてから言われてきたように、我が国の医療サービスとりわけ情報開示や診断説明など利用者にむけた情報提供は、情緒豊かな文化性を考えると進んでいいるとは言えないように思います。情報がどうあれ、そこを取りあげて機嫌が悪くなるということはあまり聞きません、専門サービスとして欠かせない使命の一つであり、市民など多くの人々にとって適切でわかりやすい情報環境の強化は、その質の保障の一端をなすものであるようです。

このため、その実現にはサービスの前提となるコミュニケーションのレベルアップが必要になりますが、医療現場における専門意識と利用者の意識や健康文化の乖離から、適切な説明の伝達・納得に至る結果を引き出すことが結果的に困難とされることが多いように思います。
たとえば、医療情報が丁寧に提供されたとしても、そこに示される専門的情報や言語レベルが一般に理解できることは限られています。

また、医療者が伝えようとし、説明しようとする形式的な事務レベルの話では、理解や感情といった個別性もあって、すべての人に均質な情報の伝達をもって納得してもらうには困難なことが多いのではないでしょうか。
必要不必要の別はありますが、医療サービスの提供とそれに必要なコミュニケーションは何かを考えると要点は次のとおりです。
1) インフォームド・コンセント(正確で適切な説明と同意)
2) エンゲージメント(信頼と協働による個別性の維持)
3) ビジュアル・コミュニケーション(非言語環境の重視・改善)
4) 広報活動(絶えざる組織文化マネジメント)

説明と同意はもちろん、利用者との協働や非言語つまりは感覚的判断による情報の発信や洞察という生きた人間への語りかけ、その人だけの「物語」に欠かせない配慮の能力の必要性が問われているといえます。
広報は、マス社会への情報構成の意味合いが強いようですが、対象の構成がコミュニティであり社会であることを考えると、その出発点は個人一人一人であり、シッカリと個別のコミュニケーションに、「ここだけ」の理想を求めるのも間違いではないように思うのですが、いかがでしょう。

⚫️病院広報の勉強会お知らせ
195回 広報プランナー認定「基本講座」認定3単位
日時:4月14日(土)午後1時〜5時
会場:京都YWCA
詳しくはHISサイト http://www.j-his.jp/

病院広報についてのご相談
おきがるに 日本HIS研究センター(NPO) 
info-his@j-his.jp(笠松)

人も病院も「見る目」の中でいきている

2018-03-13 14:47:24 | はとはあと最新情報

人も病院も「見る目」の中でいきている

人が生きているのは、目に見える世界です。あるいは人の息遣いや風の音であり、人の声に聞こえる空間です。加えて匂いや味わいとかの温度もあります。
人が生きる世界とは、ただ単なる固定的で動かしがたいものではなく、いつも人が知覚する感覚の中にあります。目に見え感じる観念的な広がりといえなくもありません。目の網膜に知覚されているだろう刺激だけでなく、多様な音、臭い、手触り感などの刺激が相まって、生きている環境を捉え調和してくれます。

特に視覚(見る目)は、人と人、集団のコミュニケーションに大きく関わっている認識機能です。生体として生きていくための舵取りになくてはならないというだけでなく、社会や組織をつなぐ機能と社会が、見る・見えるということを原点にして繋がります。何がどのように見えるかを課題として、脳と連絡をとり、知っているなら、どのように見えるか、そのデータを分析し、適切な対応が摂れるよう各部にそれも瞬時に指令をだすというAI顔負けの仕組みです。

また、見て美しいと感じる対象には人々は、おおいなる興味や関心を抱き記憶します。その結果、その体験を如何によって好意好感などの評価・認識します。美しいと認識するには、単なるその時の偶然であっても、美しいという判断理由を論理的の示すことはなかなか難しいものがあるのではないでしょうか。言えることは、ただ美しいとは、総じて言い方、表現の一般化であって、美しいというのも多様な姿や印象があり、交わし合う言葉のようにはいきません。

「富士山が美しい山であった」というのは観念的な表現です。人が発する感動は、冷気の中で偶然のうちに観た朝焼けの富士の雄姿に感動し、今すぐにでも誰かに伝えたいという願望で胸がいっぱいになった。というように、そこには表現しきれないほどにトキメキが広がった、などということがあります。現実に観た対象に感動し、それを素直に言葉にするこのような脳作業は、チカラ仕事ではありませんが、なかなか骨の折れる時間といえます。

世に構成学という美的解釈があって、無意識にも感覚的にも見た目に統一や秩序が認められるのです。ハーモニー、バランス、リズム、バラエティ、コスモスなどの隊列があり、整い過ぎを好まないなどという贅沢もあってなかなか現実世界のようにカンタンに事は進まないのです。それに整理されてわかりやすいコト、そのコトの運び、時間の経過、強弱にも不整脈があって可能なかぎり俊敏な問診の必要がありますが、現実的な縛りからは距離があり楽チンです。

感動や感覚は、その都度の身体的評価は難しいように思えます。ゆえに好まれないことも多々あります。しかし、人が目で見る・見える・見ている場には、いつも興味や交感が生起していきます。またそれ故の苦しみや悲しみにも事欠かないのがこの世界です。形あるものほとんどを目が捉え、理性と感性が呼び出します。人と人のコミュニケーションは、見た目からつながる主観的視神経により、脳に伝えるデータ変換の仕組みに左右されるからです。またこんど。

第195回広報プランナー認定<基本講座>のご案内

4月14日 13:00〜17:00 京都YWCA
「ヘルスリテラシーを育む病院広報その基本7原則」
対象:病院広報を強化し、サービスの質をあげたいすべての医療関係者
詳しくは、http://www.j-his.jp/ のトップINFORMATIONで

見ること、見えることは、現世を生きること

2018-03-04 16:13:20 | はとはあと最新情報
見ること、見えることは、現世を生きること

モノを見る目というとき、目の働きは、見える見えないという眼科的機能だけではなく、心身の全機能と結びついて感知し思考するという意味でも大変重要なことです。目的と目標、似たような言葉のニュアンスをいまさら論じるほどの意味があるのかと思われるかも知れませんが、研究や事業に欠かせない「計画」や「問題」、まして「デザイン」を語るとか構築するうえで、論旨を明確にしていくことが、その後の展開の質を高めるのに絶対欠かせないわけです。先日の新聞では、白内緒を手術して視力を回復した人は、しなかった人より平均寿命をのばしたとのことでした。この世をシッカリ見ることは、生きることにつながりそうですね。

今は亡き白川静先生の「常用字解」によりますと、目の行く先、目配りの先は、取るに足りない目先のことと誤解されやすいように思いますが、実は「目的」の「的」には、「あきらか」という意味合いが含まれていて、かねてからの目的を達成して問題が明らかになり晴れやかな気分になるということが書かれているのですね。
そして、同じような印象の言葉である「目標」の「標」を見てみると、目標(めじるし)とも読まれ、いわゆる標示物、木の梢に取り付けたとりあえずの標識(しるし)という説明があります。

病院施設には、数多くの標示・貼り紙が見られたり、院内の各種サービスや機能を標示するサイン、案内表示板がありますが、それらはあくまでその場の機能を担う標であり、それによって病院の法人の本質や理念の意思表示しているわけではありません。
言いたいことは、それらの事実を踏まえて、その施設は何をしたいのかという「目的」を適切にすることです。わかりやすい説明で補強しながら、その過程を案内するのが目しるしで「目標」という役割認識を担っています。

とかく気をつけないと間違いやすいのは、目的と目標の字の印象が似ていることから、問題の前にある(目に見える)仕事の達成を目的と勘違いすることではないでしょうか。むしろ大きな事業では、一人一人が全容を体験することは出来ないかも知れません。だからこそ広報活動という情報の共有プロジェクトの適切さが必要になります。病院広報においても、広報誌を発行することは目標であっても、それ自体が病院の目的ではないということです。仮に広報誌やホームページがなくても、病院の目的は、それら目標の集積によって存在することを知りましょう。見ること、見えることは、現世を恙なく生きることなのです。


写真は、京都の知恩寺での「すこやか検定講座』の様子

⬛️195回広報プランナー認定講座のお知らせ

日時:4月14日(土)午後1時〜5時/教室:京都YWCA
内容:講義とワークショップで身につける病院広報のABC(3単位)
詳しくはお問い合わせください。075-741-8219 info-his@j-his.jp