病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

見えないモノが、見えて来るコミュニケーション:2

2018-01-29 14:51:19 | はとはあと最新情報

 今日は前回、分かりにくかった?かもしれないコミュニケーションの話の続きです。
 コミュニケーションという概念は、多くの人が「伝えること」と理解されていますが、相手の話を「聞く」という立場から、次なる内容を組み立て、その絡みの中から、相手が望む情報に近づけるという双方向のコミュニケーションという理解があります。  
 そこで起きてくるのは、伝える側と聞く側の話の捉え方についてのギャップが着いて回るという問題です。伝え手はこのことに最大の配慮をしながら伝えるのですが、これが何かとしんどい作業と言えます。

 どんな事柄が理解されて、何が理解されていないのかを伝えながら検証して行く、それが誰もが経験的に知っているコミュニケーションの現場ですね。コミュニケーションといえば、伝え方のスキルとか、伝わる仕組みという理解が一般的で、病院でそれを担う広報はコミュニケーションを行う職種という理解で止まっていて、実際はうまく行かなかった苦い経験をお持ち方も多いのではないかと思います。
 人は、組織を組んでも組まなくても、何かを達成しようとして対象を意識した時、その場にふさわしい話題や言葉を、身体的にも繰り出して、汗を掻くことが必要になると思います。
 
 言いたいことは、「コミュニケーションには、満点はない」ということであり、さらに言えば100%「コミュニケーションでは通じない」とも言えるのです。だからこそ、その場に「花束としてのコミュニケーション(非言語)」が必要になると思うのですが、いかがでしょうか。いわゆる情報のやり取りを言葉の論理だけに頼らないコミュニケーションです。現代社会は高度な情報テクノロジーでできています。しかし、その最初の出会いのほとんどは、人が単純に「見る」ということから始まっていることに気づくことです。

 まずそこから「見える」ものが何か、その立ち位置から見ての認識から始まると思うのです。そしてそれらは、ただ「見た」だけなのか、「観よう」としていたのか、あるいは「診る」や「視る」という必要に迫られてのことなのか、また「覧る」や「魅る」が含まれてのことなのか。こちらの「見え方」に大きな問題はなかったか、あるいはその対象に影響する「見せ方」「観せ方」「魅せ方」に特別な意図は、あったのか、なかったのか、それらの要素は、どの程度、どうだったのか。一つの「みる」においても、これほどの「視点」の差が考えられるのです。

 「見る」は感覚としての意識を集め、その刺激を経験庫にまとめそのうえで知識としてまとめコミュニケーションに活用します。また同じ「見える」といっても人により多様な違いがあります。また、その経験や知識を言葉という情報にして、さまざまな機会にアレンジして活用することもあります。
 以上は、視覚情報の受け手としての反応ですが、考えてみれば人は実に多様な情報処理をしていることになります。がしかしこのことは当然のこととして、もう一面についてのことを述べる必要があるようです。
 これらの原則を踏まえてコミュニケーションに臨むことにより、多面的で多様な成果が得られます。病院広報を極めるには、「まずはコミュニケーションとは何か」という理解をしっかりと抑えることが必要です。
 
 先日、京都で開いた第194回の広報プランナー認定講座において、この視覚原理について触れました。どう考えても基本情報だけではありません。情報の発信には、既成の言語の羅列による情報の発信がいくら論理的でわかりやすいというだけでは、人の思いに響く伝達になりません。要約していえば対象の欲求はもちろん、「聴いている側(受け手)の理解や姿勢が伝えてくる情報」に真摯に応える臨場的コミュニケーションと認識されるような「構えと体制」の実践が必要だということから、この講座を「実践講座」としました。
 
 それには、多面・多様に応える意識と視覚言語の活用が欠かせないということになります。以下は、その講座の1コマに掲出した情報です。
●見る 見える 見せる
●観る 視る 診る 看る 覧る (魅る?)
●見え方 観せ方 魅せ方
●見るは意識を集め、経験し、知識にする
●見ることは、学びの場、見学(教育になる)
   情報や環境を集約し意識の対象となり、それぞれ人間の成長と意識改革  
   に欠かせない視点であるといえます。



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見えないモノが、見えて来るコミュニケーション

2018-01-21 15:31:52 | はとはあと最新情報

見えないモノが、見えて来るコミュニケーション

 昨年10月に右目の白内障手術をやりました。眼科に行って初めて目の有り難さがわかります。見えるということがどれほど生きていくうえで大切ということですね。医療や介護というサービスの質を上げるにも、目は重要です。いえ視力を競うということはありませんが、目が果たす役割は、視力だけに留まりません。生きているという現実世界をタテ・ヨコ・ナナメにと感じ取り、他の器官や神経と連携して、さまざまなこの世の現実を把握してくれています。

 医療機関という社会機能がなり立つためには、地域をはじめとする外部との協働が欠かせません。目が働いているように、外部の存在を正確に認識する機能が必要になります。地域に暮らす人々や関係機関が何を望み、どうしようとしているのか、具に把握し、適正な位置関係を模索しているといえますが、その役目こそ、広報というコミュニケーション機能の仕組みと言えるように思います。

 ここに示した図は、決して医学的でもなく、経営学的でもありませんので、そのようなご配慮は無用です。むしろ広報学的医療現場図といった方がいいかもしれません。多少目脂で犯された目で見ているようですが、言えることは、病院とて「経営体」つまり呼吸する生き物であるという点です。そのような目線でそれぞれの役割や機能を配置して、生きていくために生産性を上げるために必要な概念図と考えていただければいかがでしょうか。

 こうして見ると、広報は生物の心臓ポンプのような役割、つまり栄養や酸素を送り出す総元締めのような位置にあります。いずれもなくてはならない機能であり、調和よくまとまり生きていくメカニズムのひとつです。組織を回すには知的な働きも必要ですが、そればかりではなく、精神力や忍耐力がカバーし支援することが必要です。こうしてみれば、スポーツに求められる生命力、総合力としての頑張りのイメージにもなります。

 世の中、ますます便利になって、居ながらにしてなんでも手に入れる、なんでも可能になる時代の予感が感じられる咋今です。スマホはまだまだ便利になり、人間が担う適度な負担や役割はどうなるのでしょうか。見る、聞く、触る、話す、寝る、食べる、寝る、考える、行くなどなどの認識の面白さは、人間にとって輝かしく生きがいといえますが、人間の感性はどこまで有効と言えるか、少し心配です。。。。まだ、お正月のお屠蘇気分がのこっているのか、とりとめのない文章になり申し訳ありません。

◾️なお、1月26日は、京都・山科で194回となるHIS広報プランナー認定講座です。
余裕のある方は、お出でいただけると助かります。詳しくはhttp://www.j-his,jp/

「成果のための病院広報の基礎固め、その7つの理解」

2018-01-10 14:16:53 | はとはあと最新情報
 第194回 広報プランナー認定「実践講座」のご案内

 企業でも病院でも、その成果を上げるために運用される組織的な環境では、人と人の関係づくりは大きな関心事といえます。それは「人が仕事をする」という場合と、「組織が仕事をする」という印象の場面があり、その印象の切り替えの判断に明確な方法が見当たらないという困難から始まっています。
 組織的な捉え方では、人が単位となって仕事を進め、成果に繋ぐというのが普通の理解になりますが、いずれにしても、単なる人の集まりや一時的なグループではなく、明確な目的に向けた人的機能として理解するには、多くの知識が必要になります。

 今まで組織の一員として仕事をしてきた人には、ごく当たり前の話でも、そうでない人にはその感覚を活かしたやりとりができるのに、そうでない人は、コミュニケーションで損をしていくということになりかねません。それは仕事は、コミュニケーションの取り方、質によって成果が左右されるということが信じられているからです。
 コミュニケーションがとれているかどうかの計測はなかなか難しく、その価値観や感覚もさまざまです。そのために「いいコミュニケーションとは良い結果につながる」と考えるしかない、という困ったことがあります。いくらスッキリした話し方であっても、感覚的に違和感を持たれてしまうと理解も半減、イライラ感が残ってしまいます。
 
 また、育った時代や住んでいる地域が違うなど、日常のわずかな感じ方の違いで相互の距離に悩んでしまうこともあるでしょう。まして同じ職場や環境であればあるほど拡大機能が働き深刻になりますから不思議です。
 他者とのコミュニケーションは現代人の誰もが悩み疲れている。理解していてくれて当たり前、私ならもっと違うやり方でこうする、などと自分中心の考えになりがちで、それくらいは自分もわかってる、はずという思いがあるため一層その煙の中に引き込まれてしまう。誰でもそんな思いに悩んだことの一つや二つあることでしょう。
 
 しかしながらドッコイそこは人なのです。そんなことは何十年もこの世にいてみんな知っている。きちっと真面目に考えるほど、シンドさが増してくるということも解っている、という側面があります。そうだからこそ現在なんとか出来ているのだと思います。
 
 そこで提案です。目に見えるものに惑わされるのではなく、もう少しものごとを「粗雑」に考えてみるのもイイかもしれません。絵の修練にデッサンという技術があります。初めから細部まで書き上げるのではなく、まず大雑把な感じを捉え、自分自身と対話しながら次第に細部を描き上げていくプロセスです。  
 
 この感覚は新しい構想などを見える化するときに応用したり、経営企画を進めることにも使えます。ここではまずは理想の完成を追求するのではなく、「コミュニケーションは完全に伝わらないことを前提」として進めることです。伝わるコミュニケーションを疑ってみる。理念なんかも、思いが伝わらないからこそコミュニケーションが必要だと‥。当然のこと、病院広報というコミュニケーションにおいても、少し論理的ではないのですが「伝わらないからこそ、広報から目を離せない」という心がけが大事、としておきましょう。

第194回 広報プランナー認定「実践講座」のご案内
開講日:1月26日(金)午後1時〜5時(受付12時45分〜)
会 場:京都市生涯教育総合センター(アスニー山科)2階多目的室
   JR山科駅南へ徒歩5分・地下鉄東西線・京阪京津線山科駅より徒歩3分

テーマ:「成果のための病院広報の基礎固め、その7つの理解」
内 容:講義とワークショップによる病院広報の実務理解
認定単位:3単位(12単位取得と要件マスターでPL認定)
講 師:日本HIS研究センター代表理事・石田章一ほか
受講料:一般(会員外)12,960円/HIS会員(登録者)8,640円
    ※「はとはあと」認定施設の受講者1名に限り無料とします。

以上のほか、通信による基礎研修として「基本講座」を随時受付中!詳しくはお問い合わせください。

医療の現場は「愛語」の思考で出来ている

2018-01-01 14:48:08 | はとはあと最新情報
新年のご挨拶代わりのである調で失礼します。

 医療制度の質もさることながら、医療現場のコミュニケーションの現実にもっと神経を使う必要がある。厳しい時代を迎えているからこそ、ヘルス・コミュニケーションや病院広報に配慮すべきではないだろうか。

 たとえば「患者という言葉」、これは院内の広報メディアから使用を抑制することはできないか。「それでは患者さんにどう伝えればいいのかわからない」という訴えが返ってくるが、現実を直視する以外に解決はない。たとえば「ご来院の皆様」とか「ご利用の方々」など、考えればどうにでもなるし、むしろ対面では「本名+さん」で呼びかけるのが筋というものだ。
 
 ではなぜ、「患者」がよくないのか。「患う者」は上から目線の印象が残っているという観念論だけでない。確かに病名がつけば患者としてサービスが進むが、そうでなくても区別なく「患者」の語はどこにでも出現する。この対応の一つには、可能なかぎり病気を予防し健康社会が維持できるようになれば、必然「患者」は事実少なくなってくる。社会の進化と医療制度のさらなる伸展に期待すべきだ。
 
 そして二つ目は、可能な限り医療サービスを定義し、むやみにサービス利用の人々を弱者扱いしないで、医学医療の発展のパートナーとして協働していく途である。住民を弱者扱いする医療に先はない。漫然と「患者」という言葉が無意識に使われると、実はそうでない人も、弱者の自認を深めてしまうということもあり、当然のこと管理・手続きのコストも低減できない。その曖昧さが、ときには神経を使うクレーマーにつながっていくことにもなろう。
 
 必要なことは、国民が自覚し自立して健康の維持ができるよう政策を施し、専門家として毅然と振る舞い行動することでのみ「信頼」は蓄積できるように思う。「患者」という辞を控え、「隣人」に置き換える思考が求められるのだ。鎌倉時代の禅宗の僧・道元が伝えたように、医療の場では「愛語」でなければならない。言葉が人を癒すという心理学や社会学に目を向けたい。病院が目指すものは、事務的に患者をつくることではなく、一言を吟味しながら社会と向き合うことであって、少なくとも「患者様におもてなし」だけをもってすることではない。

 新春に、門前の小僧よろしく経を詠んでみた。社会には勉強も研究もしないのに解ることもある。(患者という言葉をなくす会会長・石田章一)