病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

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ヘルスリテラシー

2019-11-02 16:28:42 | はとはあと最新情報
第22回全国病院広報研究大会 in KYOTOを振り返って
HISフォーラム 2018第22回全国病院広報研究大会 in KYOTOを振り返って10月27日、感慨の色深い“秋の京都”でのHISフォーラム2018、「ヘルスリテラシーと健......

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健康の持続に欠かせないデザインの眼差し

2019-07-14 14:19:55 | はとはあと最新情報
健康の持続に欠かせないデザインの眼差し

医療の大半は医学という科学で構成するが、かけ替えのない命や健康の手立てとしてのサービスや環境という側面を考えると、それ一徹ということがもどかしい。ましてデザインという概念は、たとえ科学的であっても全ての要素がそうとは言えない。感受性やアートによる配慮や支援がないと成り立たない一面がある。この曖昧な区分けを一体どう考えればいいのだろう。その不審は苦渋の身体内部が具に「見えない」ことにあるのではないか。身体は自分自身でありながらイメージでしか認識できない擬かしさにある。

7月13日の午後、大阪梅田のアップローズタワーの関西学院大学梅田キャンパスでそんな「身体イメージ」をテーマに、第25回の関学キュレータ実践会が行われた。講師には、日本HIS研究センターから石田章一が立ち、演題「五蔵が協働して喜ぶ“Design”を考える」について講演し、サービスとしての現代医療のあり方、デザインによる医療のあり方に提言し、参加者の脳内を少なからず震わせた。前向きな姿勢や言葉やつなぎに行く身体部位は、必ず一体となって全身で対応しているという実感(イメージ)が最高の良薬となる。

人が何気なく反射的に発信する「笑顔」など身体反応は、見る側から非言語(シンボル)であると言える。理で考えた思考や文面よりも速やかに、また大量の信号(データ)を配信することができる。これを捉えて他者の視覚は、一瞬のうちにその微妙なメッセージを読み取り、確定してその脳に伝える。この時一切の物的機器など不要なのである。他の実感と抱き合わせて評価・判断し、何らかの次に行動に変える。音やモノではない視覚世界が身体の動きで構成するコトバ(非言語)として活用される。

身体を使い“言語“になるのに「歌唱」がある。身体を楽器として声帯からの「歌」によって心を表現して楽しむ。身体イメージは、自身の体内に取り組み拡大するタイプもあれば、体外に発信にて外部に意思や意識を伝えるタイプがある。いずれも実物としての手応えはないが、心身と微妙に共振し、人間の判断、決断、行動という意思決定につなぐ。そのとき、少なからず人々の健康や体調の変化に影響していく。いいデザインは、いい潜在意識に結びつき、弱腰はそのように振舞っていく。良質の結果は単純である。mitameya190714



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目覚めたい、愛の理念による組織的人材育成

2019-06-16 15:20:05 | はとはあと最新情報
目覚めたい、愛の理念による組織的人材育成

私たちの二つの目は何を捉え、どんなことに役立っているのか、考えてみると底抜けに面白い。目の神経が対象を捉えることで、自分の意思に関わらず、さまざまな印象が自発的に湧き上がり、断片的ではあるが、身体を使って独自の行動や仕草を誘発する。つまり目が捉えた刺激を自分なりの世界に変えながら、それぞれの生を持続させている。それだけに「見ること」は考えているよりも凄いことであり、また面白いというのが当グログの一貫性である。今回は、病院に入院したという経験から「見えた」心理的光景であり、社会という身体知性、その堕落の一場面である。

さまざまな受診指導・連絡のため病室に来て質問を繰り返えしている看護師に対し、ベットに横臥したまま答えていたときのこと。合図もなく突然、反対側のカーテンから首だけだして話し始めた別のナースが現れた。それまで続けていた会話を遮り、いままで質問しながらメモを取っているナースに向けて、全く無関係の話を持ちかけたのだ。状況から緊急の要件と直感、それまでの会話は譲るべきと思い、当方は口を閉ざした。しかし、カーテンの顔からは、ベットに寝ている当方へのサインは一切ないまま、二人の会話は数分続いた後、バシャ!とカーテンからの覗きの顔は消えた。

その後、もともとの看護師の口からも詫びらしい言葉もなく、その会話の中身に緊急性も感じられないが、それを詫びてほしいなど、さらさら思っていない。「ここは病院なんだ。特別なことも起こりうる。協力も惜しまない」と考えている。でも、もともとカーテンからの顔が、申し訳なさを伝える言葉または表情とか全身からの態度がなければ、医療サービスどころか、通常のエチケットも成り立たないわけである。なんにもなし。ベットに寝ている人間を意識している気配すらなにもないあり様である。医療を受ける人間を「ヒト」という認識なし。その常識・ルールを持ちわせていない。

ここでただ愚痴っているだけではない。以前から「医療崩壊」という言葉が、この世界に冷風として吹いていた時代があった。クレーマーさん達が病院に押しかけた時代である。しかし今は、その反動であるのかどうか知らないが、実感にはもっと冷ややかなモノを感じる。前の例でいえば、すでに喧嘩にもならない。周りの人の存在は、ただの環境であり、仕事はキーを叩くのと同様の対応である。「温かいサービス」というキーを叩くだけ。挨拶や労いは無用の長物、なんの得にも役にも立たないという認識が、医療の場の全体にと言わないまでも広まってきているように感じる。

「医療は営利ではない」がそれは理想である。利益がなければ回らない、がそのような議論は聞きあきた。現実に目の前、痛みで困っている人に対して、その場にいる人間(人の間にいる人)が何をすべきか、という視点と教養は必須である。たったそれだけの経験であったが、目の前に見えた現象、自らの体験は、すでにこの世のものではなかった。このことをどうするか、これからの成果、効率を前にした社会の仕組みが必要だが、その前に「非効率であっても愛の理念による組織的人材育成」をどうするか、人材育成自体が機械的効率を求めるだけでは無理。たとえ無駄でも心の施策を。mitameya190616

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健康に囚われない“健康のあり方”とは

2019-06-09 13:26:03 | はとはあと最新情報
健康に囚われない“健康のあり方”とは

現代人の誰もが願って止まない健康とは何か。超高齢化の時代を迎えて、健康への関心が頓に高まりを見せている。医学の進歩は、人々に希望や期待を抱かせてくれる情報が増幅される。ときには不安や心配の要素にもなる。結果、新しい病気が増え、新しい治療や予防法が増える。それぞれの人や家族にも知識が入り込み、健康情報で溢れんばかりの状況が人間社会を覆い尽くす事態である。結果、誰もが病院サービスの利用者、関係者となり、健康とは何か、健康人とは誰のことか、その輪郭が「よく見えない」という状況になってきているのではないだろうか。

一つには、“健康=正常”という常識・観念が固定化しつつある。健康でなければ、人と伍して真面な社会生活ができないかも知れないという不安感が、とにかく理屈抜きで「健康であらねば」を溜め込んでいくのだ。健康を害したとき、寝込んでしまった辛さ、痛みは大変なもの。それは誰もが経験して知っていく道程だ。毎日の暮らしから、なるだけ怪我や病気を遠のけ、日々の安心・安寧を引き寄せたいというのが普通の人々の思いである。ということもあるが、命ある生態としての本能であり、宇宙全体の摂理であると言えるのかもしれない。無造作にバラまかれたビラのような薄っぺらな“健康観”が霧散しているのである。

それでも、病気や怪我に出合うことがなければ、それで「健康」な日々といえるのか。診断で病態の判定がなければ、それで健全な身体なのだろうか。我々は、毎日の暮らしの中で、苦しみや痛みを伴わないなら「正常」であり、それで何の問題もないと考えがちである。いいかえれば、医師に相談しないで疑問もなく過ごせるなら健康なのかである。多少の差があっても、いつも生きる心身について悩むクセがあるが、そうした神経の反芻そのものが自然である、と考えられないだろうか。このもう一人の自分を、心の法廷に連れ出すことが健康に最も必要な気がしてきている。

健康って何か。孤独かもしれないが、いま自らの健康イメージ(認識)をシッカリと変換することが人として重要である。医療を機械化、商品化するよりも、それぞれが自然のまま生き、自ら体感することである。待たされて、延ばされて、試される生き方から、笑ったり、怒ったり、強請ったりという、暮らしを演じる仮面をつけてでも「日常」の中に育っている自然の感覚を大切に生きる、この時代、そんな感性こそが愛おしく待たれているのではないか。人は機械ではない。どう考えてもムジン運転、その次に来るかも知れないムジン医療は、どう見ても無理がある。mitameya190609


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やればできる健康へのイメージ投与

2019-06-01 12:47:55 | はとはあと最新情報
やればできる健康へのイメージ投与

身体の健康とは目に見えない実感である。目に見えるがごとき現実が、いっとき意識されて身体のアウトラインを実感している。かといってどこからどこまでが身体で、どの辺りが神経に当たるのか、他者だけでなく自らにも完全な説明など難しい。あくまでもイメージの世界。医者の診察においても、ほとんどがイメージの自覚か印象のやり取りに過ぎない。その場その時に特有の実感が記憶され、より確かな感覚として受信される。遥か遠くに汽笛が聞こえてきたように、耳をすまして遠くを聞くが如しである。

イメージは常に変幻自在に変化する。昨日の痛みも今日は違っている。痛みだけでなく、部分の違和感、硬直感もその場その時で少しずつ違う。同じメニュー・食材の食事であっても、すべてその味は違う。微妙な変化がその場の景色を変えていく。しかし、このように目で見える物理的現実が変化してのことばかりではない。変化の想定、思惑がイメージを創出していくということもある。現実より先回りをして“イメージ部屋”を用意してしまうのである。人間の脳裏にとって、その方が優しいのかもしれない。

痛くもないのに「痛い」と自身が感じれば「痛い」のである。いえ「痛い自分でありたい」と自覚すれば「痛い」のである。「痛い」の単語は、確かに脳からの危険信号に違いないが、「見た目に痛い」のは想定であり、イメージでもある。「危険な場所には近づかない」は常識になっている。このことが誰にでも理解されてしまうと当たり前になる。関心が薄れて認識しなくなる。大切なことは、言葉の羅列ではなく、感覚やイメージの違いを記憶していくよう配慮することである。つまり「見た目」「非言語」によるコミュニケーションである。

人の一生、何事も経験と感であるという。感覚を磨くことで人間という生き物になれる。「人間に代わってAIが…」というのは、課題があっても人は要らなくなる・その場に居なくなるということである。経験と感の中身を愛でる動きや奔放なイメージがあってほしい。鳥取大学医学部付属病院の新しい広報誌のネーミングは「カニジル」である。格好良さより地元の愛語を選んだ。身体の芯まで温めるイメージの食感がタイトルとなった。しかも大学医学部の着想である。やればできる、イメージによる健康戦略である。mitameya190601

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