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佐倉城址公園姥が池 菖蒲

国立歴史民俗博物館 http://www.rekihaku.ac.jp/

の帰りに少し散策してから帰りませんか?

佐倉城址公園 佐倉市城内町官有無番地

佐倉城は、戦国時代中頃の天文年間(1532年から1552年)に千葉氏の一族である鹿島幹胤(かしまもとたね)が

鹿島台に築いたといわれる中世城郭を原型として、江戸時代初期の慶長15年(1610年)に佐倉に封ぜられた

土井利勝によって翌慶長16年(1611年)から元和2年(1616年)までの間に築造された平山城です。

北に印旛沼、西と南に鹿島川・高崎川が流れる低地に西向きに突き出した、標高30m前後の台地先端に位置します。

佐倉城はこうした地勢を巧みに利用し、水堀、空堀、土塁を築いて守りを固め、東につながる台地上に武家屋敷と

町屋を配して、城下町としました。以後、江戸の東を守る要として、有力譜代大名が城主となり、歴代城主の多くが

老中など幕府の要職に就きました。なかでも、幕末期の藩主・堀田正睦(ほった まさよし)は、日本を開国に

導いた開明的な老中として有名です。

 明治維新後には城址に陸軍歩兵第二連隊(後に第五十七連隊=通称・佐倉連隊)が置かれたために櫓や門

などはすべて取り壊され、昭和20年の終戦まで軍隊が置かれていました。

公園の本格的な整備は昭和54年度から始まり、水堀の復元・本丸跡・出丸跡・三逕亭(茶室)などが整備されました。

また、昭和58年、明治百年記念事業として、公園隣接地に国立歴史民俗博物館が開館し、現在に至ります。(佐倉市 HP)

 

 



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6月8日、スカイプラザ・スターリアの震災時初動訓練がありました。

写真の安否確認板をドアの外に掲示。ボランティアが掲示をチェックしました。

今回の訓練の安否確認板の掲示率76.7パーセントでした。

 

今日の橋岡の一般質問で事業継続計画の策定を要望し、あわせて防災意識を向上させる取り組みの必要性を

訴えました。

人口17万5000人の佐倉市の避難所収容人数約24,330人。

一昨年H24に行った防災アセスメント調査では、想定避難所生活者は21,454人です。

人口に対する収容可能な率は 13.7パーセント、市民の7人に1人が避難所に避難することを想定しています。

3.11では使用不可となった小中学校の体育館がありますので当然ながらこの収容人数は少なくなることが予想されます。

防災井戸は設置数が3.11以前:22基 現在 41基と増設が進んでいますが、避難所に避難した市民の水を

確保するための防災井戸です。自宅等に避難している市民=市民の7人のうち6人の水は、個々の自助による備蓄が頼りです。

 

政府が設けた専門家などによる検討会は、東海沖から九州沖へと続く南海トラフ。東海、東南海、南海の3つの

地震が連動して起きた場合、避難者は発生1週間で最大950万人と予想し、

被災地は広い範囲にわたり、支援が行き届かないおそれがあるとして、各家庭で食料や飲料水などの

備蓄を1週間分以上確保することが必要だと指摘しました。

 1週間分の水の備蓄とは、一人分でも水は21リットル、カセットコンロボンベがおよそ6本。

携帯トイレは1日5,6回としておよそ40回分が必要。レトルトのものなど日常から食べられるものを備

蓄の中に組み込み、食べてなくなったら、その分を次の買い物で買い足していくことで、

保存食の賞味期限切れを防ぎます。

水1週間分。4人家族で84リットル。2リットルのペットボトル6本入り7ケースの備蓄が必要です。

日曜日に行われたユーカリが丘スカイプラザ・スターリアの震災時初動訓練でも3日分の備蓄をしている人が8割、

1週間分の備蓄をしている人は1割未満でした。

避難所に避難する市民の弱者対策やフロアーマップの作成など地域住民との共有は大切ですが、

同じく、重要なのは避難所に避難しない市民(人口の約86パーセント)の防災意識=自助を向上させる取り組みの必要性を

訴えました。



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