この「ひらがな盛衰記は、この文楽の「大津宿屋」や「笹引」、「松右衛門内」や「逆櫓」と言った舞台を、歌舞伎でも、見とり形式で、別々に見ることはあるのだが、今回の文楽のように、半通し狂言であっても、通して上演されると、よく分かって面白い。
特に、「大津宿屋」の前に置かれた「義仲館の段」は、何十年ぶりかの上演のようだが、義仲が、妻子を残して、死を決して巴を伴って出陣する場を描くことによって、義仲の正室山吹御前や駒若君主従の敗走と流浪の経緯、そして、義仲の四天王の一人樋口次郎兼光の忠義などが鮮明となって、更に、ストーリー性が見えてきて楽しませてくれる。
先の秀山祭で、松右衛門内と逆櫓を繋いだ「逆櫓」が、吉右衛門や歌六、東蔵などによって素晴らしい芝居が演じられて、その余韻も冷めやらぬ間の文楽の舞台だが、歌舞伎と文楽との微妙な差があって、興味深った。
特に、歌舞伎では、義経たちとの奮戦で傷つき、血まみれになった手負い獅子のような形相になった樋口次郎が追われて登場してくるのだが、文楽では、三人の船頭を倒した後、松の木に上って物見して包囲されていることを悟って、およしより、権四郎が訴人したことを知ると言うストーリーになっていて、もう少し淡白で、歌舞伎では最も絵になる壮絶な樋口の雄姿はない。
ところで、この文楽では、やはり、歌舞伎でも良く演じられる「松右衛門内の段」が、最も充実した舞台であろう。
先の「大津宿屋の段」で、鎌倉方の番場忠太に踏み込まれて、身代わりとなって危うく命が助かった駒若君を求めてやってきた腰元お筆が、権四郎とおよしに、槌松として育てられている若君を返してくれと言って繰り広げられる両者の心の葛藤と苦衷極まりない愁嘆場、そして、その後、
聟入りして義子として愛しんでいた槌松が主君の遺児駒若君であったことを知った松右衛門が、樋口として威儀を正して、義父権四郎に、武士としての忠義を立てさせて欲しいと哀願して、両者和解すると言う劇的な舞台展開であろう。
この段の奥は、呂太夫と清介の義太夫と三味線、胸に響く。
権四郎は、玉也の遣う独壇場の人形とも言うべきであろう、その素晴らしさは、特筆ものである。
樋口次郎は、ダブルキャストで、この日は、ベテランの玉志、豪快な遣い手で、権四郎との武士としての忠義を越えた親子の情愛を見せていて上手い。
これも、ダブルキャストであったが、山吹御前に健気に仕え、梅若君を守り通した腰元お筆を遣った簑二郎の活躍も凄く、役柄もあろうが、退場の時観客の拍手を浴びていた。
権四郎の娘で松右衛門の女房、と言うよりも、若君の身代わりとして殺された槌松の母:およしだが、微妙な立場で難しく、歌舞伎では、人間国宝の東蔵が演じていたが、文昇も流石に上手く、庶民の雰囲気を匂わせているところが良い。
とにかく、私見だが、文楽も歌舞伎も、名演を見せるミドリの舞台もよいが、やはり、一本の物語芸術であるので、通し狂言で鑑賞すべきであって、それこそが、醍醐味であろうと思っている。
特に、「大津宿屋」の前に置かれた「義仲館の段」は、何十年ぶりかの上演のようだが、義仲が、妻子を残して、死を決して巴を伴って出陣する場を描くことによって、義仲の正室山吹御前や駒若君主従の敗走と流浪の経緯、そして、義仲の四天王の一人樋口次郎兼光の忠義などが鮮明となって、更に、ストーリー性が見えてきて楽しませてくれる。
先の秀山祭で、松右衛門内と逆櫓を繋いだ「逆櫓」が、吉右衛門や歌六、東蔵などによって素晴らしい芝居が演じられて、その余韻も冷めやらぬ間の文楽の舞台だが、歌舞伎と文楽との微妙な差があって、興味深った。
特に、歌舞伎では、義経たちとの奮戦で傷つき、血まみれになった手負い獅子のような形相になった樋口次郎が追われて登場してくるのだが、文楽では、三人の船頭を倒した後、松の木に上って物見して包囲されていることを悟って、およしより、権四郎が訴人したことを知ると言うストーリーになっていて、もう少し淡白で、歌舞伎では最も絵になる壮絶な樋口の雄姿はない。
ところで、この文楽では、やはり、歌舞伎でも良く演じられる「松右衛門内の段」が、最も充実した舞台であろう。
先の「大津宿屋の段」で、鎌倉方の番場忠太に踏み込まれて、身代わりとなって危うく命が助かった駒若君を求めてやってきた腰元お筆が、権四郎とおよしに、槌松として育てられている若君を返してくれと言って繰り広げられる両者の心の葛藤と苦衷極まりない愁嘆場、そして、その後、
聟入りして義子として愛しんでいた槌松が主君の遺児駒若君であったことを知った松右衛門が、樋口として威儀を正して、義父権四郎に、武士としての忠義を立てさせて欲しいと哀願して、両者和解すると言う劇的な舞台展開であろう。
この段の奥は、呂太夫と清介の義太夫と三味線、胸に響く。
権四郎は、玉也の遣う独壇場の人形とも言うべきであろう、その素晴らしさは、特筆ものである。
樋口次郎は、ダブルキャストで、この日は、ベテランの玉志、豪快な遣い手で、権四郎との武士としての忠義を越えた親子の情愛を見せていて上手い。
これも、ダブルキャストであったが、山吹御前に健気に仕え、梅若君を守り通した腰元お筆を遣った簑二郎の活躍も凄く、役柄もあろうが、退場の時観客の拍手を浴びていた。
権四郎の娘で松右衛門の女房、と言うよりも、若君の身代わりとして殺された槌松の母:およしだが、微妙な立場で難しく、歌舞伎では、人間国宝の東蔵が演じていたが、文昇も流石に上手く、庶民の雰囲気を匂わせているところが良い。
とにかく、私見だが、文楽も歌舞伎も、名演を見せるミドリの舞台もよいが、やはり、一本の物語芸術であるので、通し狂言で鑑賞すべきであって、それこそが、醍醐味であろうと思っている。