熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場・・・文楽「ひらがな盛衰記」

2017年12月11日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   この「ひらがな盛衰記は、この文楽の「大津宿屋」や「笹引」、「松右衛門内」や「逆櫓」と言った舞台を、歌舞伎でも、見とり形式で、別々に見ることはあるのだが、今回の文楽のように、半通し狂言であっても、通して上演されると、よく分かって面白い。
   特に、「大津宿屋」の前に置かれた「義仲館の段」は、何十年ぶりかの上演のようだが、義仲が、妻子を残して、死を決して巴を伴って出陣する場を描くことによって、義仲の正室山吹御前や駒若君主従の敗走と流浪の経緯、そして、義仲の四天王の一人樋口次郎兼光の忠義などが鮮明となって、更に、ストーリー性が見えてきて楽しませてくれる。

   先の秀山祭で、松右衛門内と逆櫓を繋いだ「逆櫓」が、吉右衛門や歌六、東蔵などによって素晴らしい芝居が演じられて、その余韻も冷めやらぬ間の文楽の舞台だが、歌舞伎と文楽との微妙な差があって、興味深った。
   特に、歌舞伎では、義経たちとの奮戦で傷つき、血まみれになった手負い獅子のような形相になった樋口次郎が追われて登場してくるのだが、文楽では、三人の船頭を倒した後、松の木に上って物見して包囲されていることを悟って、およしより、権四郎が訴人したことを知ると言うストーリーになっていて、もう少し淡白で、歌舞伎では最も絵になる壮絶な樋口の雄姿はない。

   ところで、この文楽では、やはり、歌舞伎でも良く演じられる「松右衛門内の段」が、最も充実した舞台であろう。
   先の「大津宿屋の段」で、鎌倉方の番場忠太に踏み込まれて、身代わりとなって危うく命が助かった駒若君を求めてやってきた腰元お筆が、権四郎とおよしに、槌松として育てられている若君を返してくれと言って繰り広げられる両者の心の葛藤と苦衷極まりない愁嘆場、そして、その後、
   聟入りして義子として愛しんでいた槌松が主君の遺児駒若君であったことを知った松右衛門が、樋口として威儀を正して、義父権四郎に、武士としての忠義を立てさせて欲しいと哀願して、両者和解すると言う劇的な舞台展開であろう。
   この段の奥は、呂太夫と清介の義太夫と三味線、胸に響く。

   
   権四郎は、玉也の遣う独壇場の人形とも言うべきであろう、その素晴らしさは、特筆ものである。
   樋口次郎は、ダブルキャストで、この日は、ベテランの玉志、豪快な遣い手で、権四郎との武士としての忠義を越えた親子の情愛を見せていて上手い。
   これも、ダブルキャストであったが、山吹御前に健気に仕え、梅若君を守り通した腰元お筆を遣った簑二郎の活躍も凄く、役柄もあろうが、退場の時観客の拍手を浴びていた。
   権四郎の娘で松右衛門の女房、と言うよりも、若君の身代わりとして殺された槌松の母:およしだが、微妙な立場で難しく、歌舞伎では、人間国宝の東蔵が演じていたが、文昇も流石に上手く、庶民の雰囲気を匂わせているところが良い。

   とにかく、私見だが、文楽も歌舞伎も、名演を見せるミドリの舞台もよいが、やはり、一本の物語芸術であるので、通し狂言で鑑賞すべきであって、それこそが、醍醐味であろうと思っている。
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国立能楽堂・・・普及公演:能「隅田川」ほか

2017年12月09日 | 能・狂言
   今日は、まず、国立能楽堂に行き、その後、「国立劇場」に出かけて文楽を鑑賞した。
   国立能楽堂は、
   《特集・夏目漱石と能―生誕150年記念―》と銘打った普及公演、プログラムは、
   解説・能楽あんない  隅田川と‟あづま”の風流  林 望(作家) 
   狂言 文荷(ふみにない)  茂山 忠三郎(大蔵流)
   能 隅田川(すみだがわ)  観世 銕之丞(観世流)

   冒頭、林望氏が、漱石と能、そして、能「隅田川」について興味深い解説をした。
   参考になったのは、物狂いについてで、隅田川に登場する梅若丸(子方/谷本康介)の母(シテ/観世銕之丞)は、狂女を意味するのではなくて、狂うと称してササを持って登場するのは、何か芸をする芸人を意味していたのだと言う指摘であった。
   そう考えれば、当時、女人独りで、辺境の地であった東下りをしてきたのも、なるほどと頷けて、船頭(ワキ/宝生欣哉)が、何故、何か芸を見せれば乗船させると言う意味も、そして、必ずしも狂女として振舞っていないのもよく分かる。
   四番目物 狂女物と言う先入観を持ってみると鑑賞眼が狂うと言う指摘でもある。

   この「隅田川」で興味深いのは、銕仙会HPの「浮かれ、絶望、そして宗教的エクスタシーを経て、再びの絶望へ。」と言う指摘。
   前場で、シテが、ワキの船頭に、伊勢物語の九段の在原業平のストーリーを前提して、船頭が、都人で狂人なら舞わないと乗せないと言ったことに対して、「隅田の渡し守ならば、日も暮れぬ、舟に乗れとこそ・・・」と言う筈だと言い、業平もこの渡りにて「名にし負わば、いざ言問はん都鳥・・・」と歌ったと述べた後で、あの白い鳥は何と申すのだと聞くと鷗だと答えたる、この船頭の風流のなさを表出するあたり、気分はすっかり業平になって浮かれ遊ぶと言う中野顕正氏の指摘が、浮かれと言うのであろうか。林望氏の話が生きてきて、一寸鑑賞眼が上がったような気がした。
   芸能者としての梅若丸の母の束の間の業平を思っての旅心歌心がふっとよぎった瞬間で、「子を慕って遙々下ってきた狂女に突きつけられたのは、あまりにも残酷な現実であった。うららかな春の隅田川で起こる、絶望と祈りの物語。」を浮き彫りにしていて、業平の旅情と共に二重に楽しめるたような気がしたのである。

   
   この「隅田川」は、世阿弥が、子方の梅若丸を登場させない方が良いとしたのに対して、元雅は、子供役者を出さなければこの作品は演劇として成立しないと考えてその提案を拒否し、以後、子供の幽霊が実際に舞台に登場する演出が続けられていると言うことで、この舞台でも、人々の念仏の大合唱の中から、死んだわが子の甲高い綺麗な声が聞こえてきて感動的であった。
   この子は母の幻覚によって見えているだけなのだと言うことで、子方の登場しない演出も試みられているようだが、そうなれば、もっと抽象的象徴的となって、私などには理解し難くなる。

   この子方については、世阿弥は、この曲の演技のグレードを上げることが出来ると考えており、元雅は、子供は破壊者と言うか、この曲の流れを一端、全部ぶち壊す役目をイメージしていたのでどうしても出そうと考えたと、銕之丞氏は述べており、しかし、母親が泣こうが子供が死のうと、・・・隅田川は滔々と流れている。そういうドラマだ。と言っているのが興味深い。
   また、僕も研究して、子方なしで一度演じてみたいとは思っている。とも述べている。

   先代の観世銕之丞の著書「ようこそ 能の世界へ」と、当代の銕之丞師の「能のちから―生と死を見つめる祈りの芸能」を読んで、銕之丞師の舞台には、大変関心を持って、鑑賞させて貰っており、今日の「隅田川」も、感激のひと時であった。
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国立劇場・・・文楽:傾城恋飛脚の「新口村の段」ほか

2017年12月08日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   働く貴方にと銘打った「12月文楽鑑賞教室」
   プログラムは、
   日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)渡し場の段
   解説 文楽の魅力
   傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)新口村の段

   2時間一寸の短い公演だが、非常に中身が濃くて、本舞台の「ひらがな盛衰記」にも過ぎた熱のこもった文楽公演で、楽しませてくれた。

   傾城恋飛脚の「新口村の段」は、先月の歌舞伎座で見た「恋飛脚大和往来 新口村」の文楽バージョンで、
    亀屋忠兵衛 藤十郎
    傾城梅川 扇雀
    孫右衛門 歌六 に代わって、
    人形は、
    亀屋忠兵衛 勘彌   
    傾城梅川 清十郎
    孫右衛門 玉男


    多少、ストーリー展開には、微妙な差があって、その違いが、歌舞伎と文楽との味わいの差でもあろうか。
    最も印象的なのは、ラストシーンで、
    歌舞伎では、寒々とした、しかし、実に美しい奈良の田舎道を遠ざかって行く二人を孫右衛門が見送ると言う哀切極まりない絵のように詩情豊かな幕切れだが、
    文楽の場合には、部隊展開に制限があろうか、孫右衛門が、二人を見送った後、とぼとぼと雪の中を歩き始めると、舞台の忠三郎の家が、少しずつ下手に移動して行く。
   この段切れの一文、”・・・子を思ふ、平紗の善知鳥血の涙、長き親子の別れには・・・”と、子供を漁師に獲られて血の涙を流した能「善知鳥」を引用しており、孫右衛門は、正に、断腸の悲痛。
   傘を半開きにして顔を埋めて、前かがみになって泥濘を踏みしめながら、とぼとぼと家路につく孫右衛門の悲しさ慟哭を、玉男が人形に託して痛いほど聴衆に叩きつけて感動的である。

   亀屋忠兵衛の勘彌、傾城梅川の清十郎も、実に情感豊かに、美しくて流れるような舞台を作り出していて素晴らしい。
   清十郎は、忠兵衛と孫右衛門と言う全くシチュエーションの違った相手に対応する梅川の心の揺れを、実に微妙に演じ分けながら、近松が愛してやまなかった筈の梅川の心情を表出してくれているようで、感動した。
   勿論、上手く表現できないが、呂勢太夫と燕三、千歳太夫と富助の義太夫と三味線の素晴らしさは言うまでもない。

   日高川入相花王の「渡し場の段」は、安珍清姫の物語である。
   道成寺に逃げ込んだ安珍を、必死になって追いかけて来た清姫(紋臣)が、日高川の渡し場にやってきて、安珍に小金を貰って買収された船頭(紋秀)が、舟を出してくれないので、切羽詰まった清姫は、ざんぶと日高川に飛び込んで、みるみるうちに蛇身となって川を渡りきる。
   元の赤姫の姿に戻った清姫の口は割けて鬼の形相、「ガブ」と言う首を使っての変身が素晴らしい。
   水模様の幕が上下に揺れ動いて、日高川をイメージ、・・・その上を浮きつ沈みつ激しくのたうつ蛇体の清姫は、人間では表現できない人形の世界。
   10年以上も前の舞台、このブログに書いているのだが、残念ながら、玉三郎の舞台はどうだったか、思い出せない。

   文楽の魅力を語る希太夫、寛太郎、玉誉は、実に説明語り上手で、面白かった。
   この同じ公演を、外国人にもプログラムがあって、ダニエル・カールが解説していると言う。
   今月は、「ひらがな盛衰記」を含めて、東京の歌舞伎公演は、早くから満員御礼。
   素晴らしいことである。
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わが庭・・・椿タマアメリカーナ咲く

2017年12月08日 | わが庭の歳時記
   「玉の浦」の実生で、アメリカで作出されたピンク地に白覆輪の牡丹・八重咲きの綺麗な椿で、今年は蕾のつき方が良くなかったので、その分、実にしっかりとした美しい花を咲かせてくれた。
   千葉の庭で、玉之浦を植えて、かなり、大きく育ったのだが、気象条件によって、白覆輪の出方が不安定であった。
   ところが、このタマアメリカーナは、非常に安定していて、綺麗な白覆輪の縁取りが素晴らしい。
   鎌倉に移転する時に、玉之浦の実生苗を持ってきて、植えているので、どんな花を咲かせるのか、楽しみにしている。
   
   
   
   
   

   先に咲いたタマグリッターズの残りの蕾が膨らみ始めた。
   面白いのは、蕾の先に蕊が飛び出していることで、同じく、ピンク加茂本阿弥も、蕾に先端に蕊が見える。
   蕾がほんのりと色づき始めると、暫くすると開花するのだが、これから寒さに向かうので、綺麗な花弁に傷がつかないか心配である。
   
   

   ちらほら咲き出したのが、エレガンスみゆき。
   ほんの数ミリの八重咲小輪で、結構、エレガントである。
   秋~春まで紅梅に似た鮮濃赤色花が楽しめる従来にないサクラ。非常に花つきがよく、冬季も咲き続ける。と言うことで、タキイから買って庭植えしているのだが、今のところ、枝の先端に、ぽつぽつ、咲き始めたところである。
   もう、2メートル以上に育っているのだが、春までにどこまで咲くのか待っている。
   
   
   
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人工知能―機械といかに向き合うか (Harvard Business Review)

2017年12月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   人工知能やIOTについて、本を読み始めたのだが、まず、ハーバードビジネスレビューの「人工知能」。
   ハーバードビジネスレビューの論文を纏めただけなので、整合性はないのだが、結構、興味深かった。

   まず、ウィキペディアによると、
   人工知能(じんこうちのう、英: artificial intelligence、AI)とは、人工的にコンピューター上などで人間と同様の知能を実現させようという試み、あるいはそのための一連の基礎技術を指す。
   今や、自動車はドラーバーなしで走る時代、
   私など、単純に言って、AIは、人間の能力・仕事を代替したり、拡張するもので、ある段階において、人間を凌駕するのかも知れない、といった程度の知識から、出発しているのだが、いずれにしろ、これまでに人類が経験していた産業革命とは、全く違った、人類の命運にかかわる一大変革であるような気がし始めており、良いのか悪いのか恐ろしささえ感じている。

  冒頭の論文は、「オーグメンテーション:人工知能と共存する方法」。
  オーグメンテーションとは、かって効率重視の企業が追求した自動化戦略とは対照的に、現行の人間による作業を基準として、機械処理の拡大によっていかに人間の作業が深められるかを見極めることで、知識労働者は、スマートな機会をクリエイティブな問題解決のパートナー・協力者と見做すようになる。ことだと言うのである。

   インターネットやロボット、そして、この人工知能が、人間の仕事を奪って、人間の仕事がなくなる日が来るのではないか、と言った今様ラダイット運動の危険さえ囁かれ始めているのだが、この本では、人間がAIを上手く駆使して、協創共存することに主眼を置いた論文が多いような気がする。
   しかし、そのためには、人間が相当賢くならなければならないと言うことで、それに打ち勝てるのかどうか、人類への厳しい挑戦を迫っていると言えよう。

   ところで、今日の日経に、「グーグル、AI「アルファ碁」を改良」と言う記事が掲載されてて、興味深いのは、「独学で試行錯誤し鍛錬」と言う指摘である。
   これまでのソフトは、人間が長年の歴史の中で考案した「定石」やプロ棋士の棋譜を学ぶことで強くなってきた。
   しかし、このアルファ碁は、AIに、将棋や碁やチェスのルールだけを教えて、独学で自己対戦を繰り返して、数時間で、現状の世界最強ソフトを超える強さを獲得した。
   正に、驚異的な進歩である。

   当然、ゲーム以外の分野、人間には解けない難題の解決においても、人知を超えたはるかに高度な貢献をしそうである。
   ディープマインドは難病の早期発見や新素材の開発、生命の起源解明などの応用を見込み、将来、AIが人間の知性を超える「シンギャラリティー」の実現につながる可能性がある。と言うのである。

   さて、高度なAIの議論は、ともかく、私が面白く読んだのは、「アリババの戦略はアルゴリズムに従う」と言う記事である。
   結構、アマゾンを使っており、よく開くのだが、これまでにクリックした関連情報が一挙に、ページに現れて、これでもかこれでもかと言った調子で、繰り返らされ、インターネットでも頻繁に追っかけてくる。
   結構煩いのだが、気付かなかった情報や興味深い商品の紹介もあったりして、役に立つこともある。

   これは、アマゾンに限ったわけではなく、インターネット上には、一度はクリックした関連の商品やサービスのPR記事が、変わり万古に頻繁に表れる。
   この現象は、セルフチューニング型アルゴリズムのレコメンドシステムの為せる業で、インターネットが自然に作動していると言うことで、正に、AIの世界なのである。
   変化の激しい市場で求められる機動的な経営のためには、このアルゴリズムを効果的に活用して、ビジョンを再定義し、自社のビジネスを再構築し続けてこそ、破壊的イノベーション時代の戦略策定が可能だと言うのである。

   ハッキリしていることは、ICT革命によって益々高度化する知識情報化産業社会、絶えず、クリエイティブでイノベイティブな知力と感性を養う努力を怠っては、生きて行けない世の中になりつつあると言うことでもあろう。
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映画:勘三郎の「め組の喧嘩」

2017年12月04日 | 映画
   十八世中村勘三郎が、江戸の芝居小屋を現代に復活させた『平成中村座』の舞台を映画にした松竹のシネマ歌舞伎「め組の喧嘩」。
   実際の歌舞伎の舞台を観ているよりも、映画になると、ずっと、ストーリー性が傑出して面白くなるのが不思議である。
   実際に劇場に行って、歌舞伎やオペラを観たり、球場に行って野球を観たりするのとは違って、映画やテレビを観た方が、臨場感には欠けるが、よく分かると言う、あの感覚である。
  
   私は、勘三郎を最初に観たのは、もう、25年ほど前に、ロンドンフェスティバルで、「春興鏡獅子」の小姓弥生、後に獅子の精で、幼かった勘九郎と七之助が、胡蝶の精で可愛い踊りを見せていた。それに、玉三郎との「鳴神」。
   その後、日本に帰って、ずっと、歌舞伎座に通っているので、随分、勘三郎の舞台を観ているのだが、残念ながら、「平成中村座」へは、行く機会がなかった。

   「め組の喧嘩」は、文化二年二月(1805年3月)に、町火消し「め組」の鳶職と江戸相撲の力士たちとの間に起こった乱闘事件を、講談や芝居にしたもので、「火事と喧嘩は江戸の華!」をテーマとした恰好の江戸歌舞伎である。
   「め組」鳶頭の辰五郎(中村勘三郎)は、品川の料亭で隣り合わせに宴席を持っていた、喧嘩っ早い鳶たちと相撲力士たちの小競り合いを収めるのだが、帯刀を許された武家のお抱えの力士たちの方が鳶よりは格上だと言われて、怒りを胸に席を蹴る。面子をつぶされた辰五郎は、焚出し喜三郎(中村 梅玉)から諭されるも、女房お仲(中村 扇雀)や露月町亀右衛門(中村 錦之助)など手下に煽られるまでもなく、密かに仕返しを決意。愛する妻と幼い子供に別れを告げ、命知らずの鳶たちを率いて、力士たちとの真剣勝負に乗り込んで大乱闘。寺社奉行と町奉行の法被を身に着けた焚出し喜三郎が中に入って、騒ぎが収まり、祭りの神輿が登場して大エンダン。
   舞台のバックが開放されて外が見えると、スカイツリーが聳えている。
   正に、江戸ではなく、平成の中村座の舞台である。
   ニューヨーク中村座の映像でも、街の背景が現れてびっくりしたが、これは、完全に蜷川幸雄の世界であり、20年以上も前に、ベニサンピットだったと思うが、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」の舞台で見た記憶がある。

   先日、東海道五十三次のスタート地点記事で、江戸歌舞伎・中村猿若座発祥の地と、め組の本拠地であった芝大明神のことを書いたが、実際の故地を思い出して興味深かった。

   この舞台の上演月は、2012(平成24)年5月で、勘三郎の没年月日は、2012年12月5日(57歳没)だと言うから、逝去直前であり、イナセで粋な、パワー全開の迫力ある勘三郎の舞台を観ていると、全く信じられない思いであり、歌舞伎界の損失が、如何に甚大であるか、身に染みて実に悲しい。

   今、関容子の「勘三郎伝説」を読んでいるのだが、19歳だったと言うから、本当に真剣そのものの太地喜和子との純愛物語から紐解かれる勘三郎ストーリーを感じて、不世出の大役者の舞台を反芻している。
   太地喜和子は、寅さん映画の第17作 昭和51年7月「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」の芸者ぼたんで登場して、凄い役者だと思った記憶があるが、超名優とも言うべき宇野重吉と岡田嘉子が登場する、龍野を舞台にした詩情豊かな映画でであった。
   何故か、勘三郎の歌舞伎は、「籠釣瓶花街酔醒」や「鰯売恋曳網」など、玉三郎との舞台を鮮明に覚えている。

    さて、シネマ歌舞伎の「め組の喧嘩」は、
    配役
め組辰五郎:中村 勘三郎
辰五郎女房お仲:中村 扇雀
四ツ車大八:中村 橋之助
露月町亀右衛門:中村 錦之助
柴井町藤松:中村 勘九郎
おもちゃの文次:中村 萬太郎
島崎抱おさき:坂東 新悟
ととまじりの栄次:中村 虎之介
喜三郎女房おいの:中村 歌女之丞
宇田川町長次郎:市川 男女蔵
九竜山浪右衛門:片岡 亀蔵
尾花屋女房おくら:市村 萬次郎
江戸座喜太郎:坂東 彦三郎
焚出し喜三郎:中村 梅玉

   役者が揃っていて、正に、感動的な舞台である。
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鎌倉だより・・・明月院の秋は如何に その弐

2017年12月03日 | 鎌倉・湘南日記
   明月院は、アジサイの寺として有名だが、季節外れに、一房だけ、明月院ブルーのアジサイが咲いていた。
   気象条件によって、春の花が、秋に狂い咲きすることは珍しくないのだが、アジサイは、初めて見た。
   いつも、アジサイの頃には、歩けなくなるほど人人で賑わう正面の山門に向かう坂道は、ひっそりと人影さえ見えない。
   
   
   
   

   山門の柱に、いつも、三連の竹の花活けがかけられていて、中々雰囲気があって楽しませて貰っている。
   それに、本堂へ向かう細道に、沙羅双樹の木が植わっていて、その前に、生けられている花も、また、格別である。
   平家物語の冒頭の一説、涙しながら、京都のあっちこっちを歩き続けた頃が懐かしい。
   
   
   
   
   
   

   開山堂に向かう石段横にも、衣装を身に着けた地蔵が置かれていて、花が飾られていて、これにも、いつも、目が行く。
   地蔵と言えば、本堂後庭園にも、赤地蔵と青地蔵が置かれていて、広い庭の点景となっている。
   
   
   
   

   さて、本堂後庭園だが、谷津の奥に広がった庭で、裏山を背負って、ほぼ、手前の境内ほどの広さがあり、石庭の奥には、菖蒲園が広がっている。
   その山側の斜面と庭園内に植えられているもみじが、色づいていて綺麗である。
   ただ、夕刻なので、殆ど日が陰ってしまって、逆光で鑑賞すべき紅葉に日が当たっていないので、やはり、太陽が高い晴天の日に来るべきであろうと思う。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   本堂後庭園の紅葉は、次のような雰囲気である。
   
   
   
   
   
   
   
   
    
   

   綺麗なのは、木の紅葉のみならず、地面にびっしりと敷き詰めた落もみじ。
   あたかも、画家が絵を描いたように、色彩豊かに苔や岩の表を荘厳しているようで面白い。
   
   
   
   
   
   
   
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国立能楽堂・・・働く貴方に贈る「紅葉狩」ほか

2017年12月01日 | 能・狂言
   30日の国立能楽堂の公演は、
   ◎働く貴方に贈る と言うタイトルのついた企画公演であった。

   演目は、
   狂言  薩摩守(さつまのかみ)  大藏 基誠(大蔵流)
   実演解説 装束付け   山階彌右衛門(シテ方観世流)      
   能  紅葉狩(もみじがり) 鬼揃(おにぞろえ)   観世 芳伸(観世流)

   開演時間が、少し遅くなって7時だったので、終演は9時半であった。

   今回、興味深かったのは、
   能「紅葉狩」の前に、観世清和宗家の実弟である山階彌右衛門師の指導解説で、能に登場する侍女の装束付けが、舞台上で実演され、その後、「船弁慶」の一部が舞われた。
   山階彌右衛門師の解説が、懇切丁寧で分かり易かったうえに、ユーモアたっぷりの語りが面白かった。メモを取っていないので、正確さには欠けるが、
   着付けの襟元の開いたところを見せて、能は700年も前に、「パリコレ」に先んじていた。
   かずら‐おうぎ(鬘扇)は、玄宗皇帝と楊貴妃や侍女たちが集う梨園が描かれている、しかし、梨園は歌舞伎の専売ではなくて、能もそうで、私の奥さんも梨園。歌舞伎の梨園の梨は、離婚の離ではないでしょうか。
   今回の能は、鬼揃の小書のついた舞台で、登場人物が多くて、国立能楽堂の出費も多い筈だが、江戸時代に将軍との直談判で派手な舞台を設えて、出費が多いので罷りならぬと幕府よりお咎めの書面を受け取っていた。
   これから、男の人は、繁華街を歩いていて、美女に囲まれて酒を飲まされて誑かされて、・・・そんな危険を暗示しているのが、この能「紅葉狩」。
   何時も、シテで舞う彌右衛門師は面をつけているので、表情は分からないのだが、清和宗家によく似た表情が印象的であった。
   地謡頭を務めておられたが、表情一杯の熱の入れようであった。

   今回の観世流能「紅葉狩」は、「鬼揃」の小書で上演される豪華版で、前場の侍女5人が、後場で、鬼となって登場して、舞台と橋掛かりを渡り歩いて、ワキ平惟茂(則久英志)と戦うと言う華やかでスペクタクルな舞台である。
   前場でも、この侍女たちが、惟茂にお酌をしたり、二組に分かれて連舞を舞うなど見せる舞台となっていて興味深い。
   最後に、前シテ女(観世義伸、清和宗家の実弟)が、舞いはじめ、惟茂が、酒の酔いで眠ってしまうと、急テンポに調子を変えた囃子に乗って、激しく舞い始めて、緊張が高まり、後場への序曲となる。

   前シテ女は、中央の作り物に隠れて中入り、その後物着して、後場で、黒頭・般若面で鬼と化して登場するのだが、侍女の鬼たちは、赤頭・般若面で、揚幕から次々と登場してくる。
   鬼たちは戦いの後、退場して行くのだが、後シテ女だけは、舞台に残って、惟茂に討たれて、正中で、がっくりと倒れ込む。

   面白いのは、前場で、彌右衛門師の解説ではないが、立ち去ろうとする惟茂に向かって女が後ろから近寄って袖を引く、  
   ”恥づかしながらも袂に縋り留むれば、さすがに岩木にあらざれば、”と言うかなり際どい謡の詞章で、朴念仁ではない悲しさ、ついつい、誘惑に負けて美女と酒に弱い男の本性が現れる。

   この舞台では、ワキの活躍も著しいが、中入後のアイ/武内の神(大藏吉次郎)のかなり長い台詞と惟茂に太刀を与える演技など、観世信光の作品とかで、ワキやアイに活躍の場を与えていて面白い。
   いずれにしても、この紅葉狩は、色彩豊かでストーリー展開も面白いので、歌舞伎でも、華麗な舞台が楽しめるのが良い。

   この能の舞台は、戸隠山。
   鬼女がいるのは分かるが、こんな長野の山奥まで、惟茂が、鷹狩に来たとは思えないのだが、そこは能の世界。
   しかし、今はシーズンでもあるが、戸隠山ともなれば、紅葉の美しさは、限りなく素晴らしいのであろうと思う。

   さて、狂言の「薩摩守」だが、文武両道に秀でた清盛の弟忠度のこと。
   しかし、狂言では、その高尚な忠度の逸話をテーマとするのではなく、金も持たずに旅をする遊行の出家(大藏基誠)が、茶代を踏み倒した茶屋(大藏彌右衛門、大蔵流宗家)の入れ知恵で、神崎川を、無銭で渡ろうとして、秀句に目のない船頭(大藏彌太郎)に、「薩摩守」と言って、その心を「ただのり」と応えようとするのだが、それを忘れて、のりだけは覚えていたので、「青のりの引き干し」と応えて、船頭に留め置かれる話。
   他愛無い話だが、登場人物の対話の面白さと、舟に乗っている二人の船上での揺れ具合などの芸の細かさや、秀句をテーマにしたやり取り、
   狂言も、定型化しているとは言え、奥行きを感じて面白い。
   
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