先日、ヘイミシュ・マクレイの「2050年の世界 見えない未来の考え方」について、「日本は2050年にも第4位の経済大国」という見解について書いた。
日本経済についてだけの見解であったので、今回は、全般的な著者の未来展望について考えてみたい。
かなり、独善と偏見があるので、多少は割り引いて考えるべきだと思うが、ほぼ正鵠を射ているので参考にはなろう。
まず、日本は、地球上で最も高齢な社会となっていて、高齢化する先進世界の先頭を走っている。高齢化は更に進み、2050年には人口が1億人前後まで減り、労働力は総人口以上に速いペースで減少するため、高齢者がより高齢な人の面倒を見る国になる。
大規模な移住があれば人口の減少は抑えられるが、他の国が混乱すればするほど国境を閉ざし、国民同士の自助強力の国民性が根付いており、そうはならず、外を見ずに内向きになり、日本は日本であり続ける。
経済規模は相対的に小さくなっていくが、世界第4位の経済大国を維持し、西側連合の一員としてアメリカとの同盟関係は揺るがず、製造大国であり続けて、世界中に物理的資産や金融資産を保持し続ける。
日本の文化は他の国々に強い影響を与え続け、高齢化に直面する他の社会の手本として、高齢化社会のパイオニアとして貢献する。
問題は、日本は真のテクノロジーの座を維持出来るのかであるが、今の高い技術力は、1世代前に培われたスキルの上に成り立っている。日本はソフトウエアよりハードウエアに強く、輸出可能なサービスよりも輸出可能な財の生産を得意としているが、家電でリーダーだった時代は終り、世界をリードする自動車セクターの重要性も相対的に低下傾向にあり、日本の大学はレベル自体は高いものの、そこに学びに行く外国人は少ない。
国民は文化生活を送っているが、経済のほとんどの分野で世界の最先端から遠ざかっている。
イノベーションの歌を忘れたカナリア、国際競争力を喪失した日本企業の惨状が悲しい。
第二の懸念は、国の財政状況、過剰債務の問題である。
日本は、すでに公的債務の対GDP比が世界の主要国の中でも最も高く、これからも上昇し続ける。この状況は持続不可能で、どの様な形態のデフォルトになるかは分からないが、次の30年のどこかで、債務を再構築しなければならない。
労働力が急速に縮小する中で、対GDP比で世界最大の公的債務残高は維持出来ないし、日本社会は強靱だが、混乱と痛みを伴わずに公的債務問題を解消できるとは思えない。と言う。
これまで、何度か論じてきたので蛇足は避けるが、成熟経済に達した日本は、生産性のアップによる経済成長を望み得なくなっている以上、経済成長による債務返済は殆ど絶望的なのだが、
MMT/現代貨幣理論に従えば、
「自国通貨を発行できる政府は財政赤字を拡大しても債務不履行になることはない」ということであるから、ケインズ政策の実行などやむを得ず過剰債務になっても、心配はないと言うことであろうか。
財政金融問題についての知識も乏しいし、まだ、MMT/現代貨幣理論については、半信半疑なので、何とも言えないのだが、
債務の返済を考えれば不可能であろう、しかし、日本の異常な公的な過剰債務にも拘わらず、日本経済はビクともしていない。金利は払うとしても、このまま、塩漬けして債務償却を考慮しなければ、問題がないような気もしている。
余談ながら、片山さつき議員と岸田首相が、今日の国会で、名目GDP1000兆円論議を展開していたが、30年間も500兆円台でアップダウンし続けて600兆円越えさえ難しいのに、馬鹿も休み休みに言え、と言っておこう。
第三の懸念は、地政学の問題である。
日本は内向きになりすぎて、力を増す中国に対抗する勢力にはなれない。自分の領土は防衛するが、中国の領土拡大を止める盾には加わらない。
中国は、自国の固有の領土であるとする地域を占領すれば、そこで踏みとどまる、いずれにしても、中国の領土拡大の野望はやがて潰えると言うのが本書の大きなテーマの一つなのだが、東南アジアの近隣諸国の間の緊張を日本が傍観するとしたら、不安を感じずにはいられない。と言う。
結論として、日本は2050年も結束力のある安定した社会であり続けるが、世界にあまり関心を持たない。国を閉じようとはしないが、相対的には犯罪の少ない環境や清潔さ、秩序を大事にする。と言う。
島国には、世界に目を向けて、支配するとまでは行かなくても、少なくとも影響力を行使しようとする道を選べるし、世界への扉を可能な範囲で閉ざそうとすることも出来る。1950年から90年代までの40年ほどは、日本は前者の道を選んだが、今世紀に入ってから、日本は後者の道を選んでいる。日本は2050年までその道をひた走って行くだろう。と言うのである。
日本は内向きで閉鎖的で世界に向かって国を閉ざしていると言うのは、極論過ぎるとは思うが、昔、ドラッカーが、日本はグローバリゼーションに対応できていないと言っていたのを思い出した。中印など新興国や東欧などが破竹の勢いで世界市場に雪崩れ込んで成長街道を驀進していた時期に、日本はグローバリゼーションの大潮流に乗れずに、鳴かず飛ばずで失われた経済に呻吟し続けた。
私は、文革後の悲惨な中国や、後進状態で貧しくて発展の片鱗さえ見出し得なかった東南アジアの国々を、当時訪問していてよく知っているので、その後の目を見張るような近代化や成長ぶりや今日の偉容と、停滞し続けている日本の現状を見比べて感に堪えない。
もう一つ内向き日本で思うのは、国際情勢に対する日本人の無関心さであろうか。
ウクライナ戦争やガザ・イスラエル戦争等に対して、世界の各地で人々の激しい抗議デモなどが巻き起こっているが、日本では、関係者以外は我関せずで、安保騒動やヴェトナム反戦運動以外は、国民運動が盛り上がったことが殆どない。
しかし、マクレイは、他の国が混乱すればするほど、日本人は国境を閉じるのは正しい選択だったという確信を強くする。とまで述べているのだが、これは看過出来ない。
日本経済についてだけの見解であったので、今回は、全般的な著者の未来展望について考えてみたい。
かなり、独善と偏見があるので、多少は割り引いて考えるべきだと思うが、ほぼ正鵠を射ているので参考にはなろう。
まず、日本は、地球上で最も高齢な社会となっていて、高齢化する先進世界の先頭を走っている。高齢化は更に進み、2050年には人口が1億人前後まで減り、労働力は総人口以上に速いペースで減少するため、高齢者がより高齢な人の面倒を見る国になる。
大規模な移住があれば人口の減少は抑えられるが、他の国が混乱すればするほど国境を閉ざし、国民同士の自助強力の国民性が根付いており、そうはならず、外を見ずに内向きになり、日本は日本であり続ける。
経済規模は相対的に小さくなっていくが、世界第4位の経済大国を維持し、西側連合の一員としてアメリカとの同盟関係は揺るがず、製造大国であり続けて、世界中に物理的資産や金融資産を保持し続ける。
日本の文化は他の国々に強い影響を与え続け、高齢化に直面する他の社会の手本として、高齢化社会のパイオニアとして貢献する。
問題は、日本は真のテクノロジーの座を維持出来るのかであるが、今の高い技術力は、1世代前に培われたスキルの上に成り立っている。日本はソフトウエアよりハードウエアに強く、輸出可能なサービスよりも輸出可能な財の生産を得意としているが、家電でリーダーだった時代は終り、世界をリードする自動車セクターの重要性も相対的に低下傾向にあり、日本の大学はレベル自体は高いものの、そこに学びに行く外国人は少ない。
国民は文化生活を送っているが、経済のほとんどの分野で世界の最先端から遠ざかっている。
イノベーションの歌を忘れたカナリア、国際競争力を喪失した日本企業の惨状が悲しい。
第二の懸念は、国の財政状況、過剰債務の問題である。
日本は、すでに公的債務の対GDP比が世界の主要国の中でも最も高く、これからも上昇し続ける。この状況は持続不可能で、どの様な形態のデフォルトになるかは分からないが、次の30年のどこかで、債務を再構築しなければならない。
労働力が急速に縮小する中で、対GDP比で世界最大の公的債務残高は維持出来ないし、日本社会は強靱だが、混乱と痛みを伴わずに公的債務問題を解消できるとは思えない。と言う。
これまで、何度か論じてきたので蛇足は避けるが、成熟経済に達した日本は、生産性のアップによる経済成長を望み得なくなっている以上、経済成長による債務返済は殆ど絶望的なのだが、
MMT/現代貨幣理論に従えば、
「自国通貨を発行できる政府は財政赤字を拡大しても債務不履行になることはない」ということであるから、ケインズ政策の実行などやむを得ず過剰債務になっても、心配はないと言うことであろうか。
財政金融問題についての知識も乏しいし、まだ、MMT/現代貨幣理論については、半信半疑なので、何とも言えないのだが、
債務の返済を考えれば不可能であろう、しかし、日本の異常な公的な過剰債務にも拘わらず、日本経済はビクともしていない。金利は払うとしても、このまま、塩漬けして債務償却を考慮しなければ、問題がないような気もしている。
余談ながら、片山さつき議員と岸田首相が、今日の国会で、名目GDP1000兆円論議を展開していたが、30年間も500兆円台でアップダウンし続けて600兆円越えさえ難しいのに、馬鹿も休み休みに言え、と言っておこう。
第三の懸念は、地政学の問題である。
日本は内向きになりすぎて、力を増す中国に対抗する勢力にはなれない。自分の領土は防衛するが、中国の領土拡大を止める盾には加わらない。
中国は、自国の固有の領土であるとする地域を占領すれば、そこで踏みとどまる、いずれにしても、中国の領土拡大の野望はやがて潰えると言うのが本書の大きなテーマの一つなのだが、東南アジアの近隣諸国の間の緊張を日本が傍観するとしたら、不安を感じずにはいられない。と言う。
結論として、日本は2050年も結束力のある安定した社会であり続けるが、世界にあまり関心を持たない。国を閉じようとはしないが、相対的には犯罪の少ない環境や清潔さ、秩序を大事にする。と言う。
島国には、世界に目を向けて、支配するとまでは行かなくても、少なくとも影響力を行使しようとする道を選べるし、世界への扉を可能な範囲で閉ざそうとすることも出来る。1950年から90年代までの40年ほどは、日本は前者の道を選んだが、今世紀に入ってから、日本は後者の道を選んでいる。日本は2050年までその道をひた走って行くだろう。と言うのである。
日本は内向きで閉鎖的で世界に向かって国を閉ざしていると言うのは、極論過ぎるとは思うが、昔、ドラッカーが、日本はグローバリゼーションに対応できていないと言っていたのを思い出した。中印など新興国や東欧などが破竹の勢いで世界市場に雪崩れ込んで成長街道を驀進していた時期に、日本はグローバリゼーションの大潮流に乗れずに、鳴かず飛ばずで失われた経済に呻吟し続けた。
私は、文革後の悲惨な中国や、後進状態で貧しくて発展の片鱗さえ見出し得なかった東南アジアの国々を、当時訪問していてよく知っているので、その後の目を見張るような近代化や成長ぶりや今日の偉容と、停滞し続けている日本の現状を見比べて感に堪えない。
もう一つ内向き日本で思うのは、国際情勢に対する日本人の無関心さであろうか。
ウクライナ戦争やガザ・イスラエル戦争等に対して、世界の各地で人々の激しい抗議デモなどが巻き起こっているが、日本では、関係者以外は我関せずで、安保騒動やヴェトナム反戦運動以外は、国民運動が盛り上がったことが殆どない。
しかし、マクレイは、他の国が混乱すればするほど、日本人は国境を閉じるのは正しい選択だったという確信を強くする。とまで述べているのだが、これは看過出来ない。