熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

日経を読むのは無意味なのか

2021年10月18日 | 政治・経済・社会
   PRESIDENT Onlineで、ひろゆき『ひろゆきのシン・未来予測』を再編集して、「日経新聞を読んでいないと時代に取り残される」そう考える人のほうがよっぽどマズい理由」という記事を掲載した。

   ”僕自身、大学時代に、日本経済新聞を取って毎日隅々まで読むということをやっていました。広告まで含めて全部目を通すと、どれだけ集中しても1時間程度かかります。かかる時間と得られるものを考えたときに、続ける意味を見出せずに1カ月でやめてしまいました。ましてや、情報の速度が飛躍的に上がった今の時代、新聞に書いてあることはすでに時代遅れもいいところです。日経新聞を読みこなせば賢くなるとか、ビジネスに役立つ情報をキャッチできているとか考えている時点で、かなりまずいでしょう。”と言う。

   新聞は消滅の危機にあるとして、毎日の河内孝記者の言を引用して、”日本の新聞は、ビジネスモデルを変えなければ生き残れない。一番の危機は、インターネットの時代を生き残るビジネスモデルが見つかっていないこと、見つけようともしないことである。インターネットで誰もがつながっている時代になって、SNSなどでいろいろ情報を共有し合っているときに、メディアが「第四権力」などと威張って、上から情報を流す時代は終わった。”と言う。

   なぜ「新聞」が軽減税率の対象になったのかとか、アメリカでは、ハイパーローカルやニッチなコンテンツなど、新しいジャーナリズムの動きが出ている一方、日本の新聞はいまだに迷走しているとか、大手新聞社は都心の一等地を保有していて、不動産業で利益をあげているとか、日本独特の「記者クラブ」というシステムに問題があるとか等々、大手新聞社は「体質」を変えられるかと疑問を呈して、新聞の消滅の危機について論じている。

   これだけでは、何故、「日経新聞を読んでいないと時代に取り残される」そう考える人のほうがよっぽどマズい理由」なのかと言う理由が良く分からないのだが、紙媒体の新聞の凋落については、理由の如何に拘わらず、時代の趨勢であるので論じるのは避けて持論を述べる。

   あくまで独善と偏見の私見だが、日経新聞を読むことは、時代に取り残されるかどうかは別にして、知識情報を得るための一つの媒体であって、その意味では、読む価値はあると思っている。
   まず、疑問なのは、日経を隅々まで読むという姿勢で、全く無意味であるし愚の骨頂だと思う。
   私が終始徹底しているのは、日経を開いて全ページを一覧して、その時に、読みたいと思った記事を読むことにしていて、読み飛ばした記事には目もくれない。
   何十年も日経を読んでいれば、日経の何処を読んで、どう活用するのかくらいの知恵は着くはずである。

   さて、新聞と言うのなら、日経電子版についても論じる必要があるが、これは、一応デジタル時代の要件は満たしている。内容が時代遅れだとか文句を付けるのなら、日本で、日経以上の内容のある知識情報媒体が何処にあるのか聞きたい。
   その前に、紙媒体の新聞の価値についてだが、未だに、紙媒体の本を駆逐できない電子書籍で論じたのと付合するのだが、何よりも一気に一覧できることで、必要に応じて前に戻って反復できることで、電子媒体では、これが難しい。
   新聞記事の大半は、新聞の電子版やインターネット記事で補足しているが、どうしても、新聞の一紙は、紙媒体で読みたいので、それが、私には日経なのである。

   「日経新聞を読んでいないと時代に取り残される」そう考える人のほうがよっぽどマズい」というのなら、それでは、時代に取り残されないためには、どうするのか。それを示さずに、このような無責任な発言をすることが許されると思っている神経自体が問題である。
   そのような適切な方法など、ある筈がなく、あったとしても、人それぞれ違うし、至難の業である。
   経済学者の経済予測が殆ど当たらないのも、株のプロの株予測が猿がダーツを打って命中する確率よりもはるかに悪いのも、須くこれである。

   余談だが、よしや、時代の潮流がつかめても、取り残されないためにはどうするのか、この方が、はるかに難しい難題であり、地球と一緒に運命を共にするのも、一つの選択肢であろうと思っている。「時代の潮流に乗り遅れて時代に取り残される」こと自体が、果たして、悪いことなのかどうかさえ疑問だと思っている。

   私自身は、これまで、自分なりに、時代の潮流をつかみたいと思って、専攻した経済学と経営学に関連する新しい知見などについては単行本主体だが極力フォローしてきたし、それとは別に、必要だと思われる歴史書や文化文明論、未来学関係本と言った、むしろ、雑誌や週刊誌などを避けて、真面な知識情報媒体に対峙してきた。
   新聞の電子版は、ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、ロイター、時には、ロンドン・エコノミストや、プロジェクト・シンジケートなどの記事を読んで補足している。
   日経新聞は、それらの貴重な知識情報媒体の一つである。
   テレビについては、NHK BS関連の時事特集や教養番組に注目して見聞きしており、ニュースについては、BS1の「キャッチ!世界のトップニュース」と「国際報道2021」を必ず見るようにしている。
   しかし、このようなやり方が良いのか悪いのかと言う以前に、自分が時代の潮流に取り残されずに済んでいるのかどうかという確信など皆無であるし、大体、時代の潮流そのものがどう言うものか、おそらく、こう言うことではなかろうかと言う程度のあやふやな知識しか取得できないし、それに自己満足していると言うのが正直なところである。

   もう一度、日経に戻るが、時代遅れだと言われようと何と言われようと、日本の知識情報媒体として、最高峰の存在だと思っている。
   日経がなければ、勿論、日経新聞単独を言うのではなく、日経がトータルで提供している事業全部をひっくるめて言うのだが、日本の文化知的水準は、ぐっと低下するはずである。
   
   「日経新聞を読んでいないと時代に取り残される」そう考える人のほうがよっぽどマズい」のではなくて、読む人間の姿勢なり、知的対応力が問題であって、日経新聞を、斜交いに見て、真面に読めない人のほうがよっぽどマズいのである。

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1 コメント

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Unknown (mac68615)
2021-10-19 06:36:30
記事を探してザッと読んでみました。彼は必ず人を振り向かせるようなタイトルをつけますが、日本の新聞記者厚遇がおかしいという印象の記事でした。文章とその対価がもっと熟れてくるべきではという印象の文章。タイトルだけはその対価を支えている読者に向けた毒々しいものですね。
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