熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

METライブビューイング・・・「蝶々夫人」

2020年02月12日 | クラシック音楽・オペラ
   長崎を舞台にした幕末日本の、純粋無垢の若い芸者蝶々さんとアメリカの海軍士官ピンカートンとの儚い恋の物語で、随所に顔を覗かせる日本の童謡など懐かしい日本の旋律が旅情を誘う、美しいプッチーニ節のオペラである。

   プッチーニの有名なオペラながら、鑑賞した記憶は、意外に少ない。
   「蝶々夫人」を最初に聴いたのは、サンパウロ市立劇場でのサンパウロオペラで、ボリショイ歌劇場でタイトルロールを歌って人気を博していた東敦子の圧倒的な舞台であった。次に印象深いのは、渡辺葉子のロンドンのロイヤル・オペラでの蝶々夫人で、感動して2回行った。スカラ座やウィーン国立歌劇場などトップ歌劇場を総なめにしたのだから凄い歌手であった。
   ほかにも何度かオペラ劇場でも、コンサートなどでも、ヨーロッパ人などのソプラノの蝶々夫人を聴いて来たが、このオペラだけは、日本女性の素晴らしい歌声を聞きたいと思っている。

   今回のキャストは、
   指揮:ピエール・ジョルジョ・モランディ
   演出:アンソニー・ミンゲラ
   出演:
     蝶々夫人:ホイ・ヘー、ピンカートン:ブルース・スレッジ、シャープレス:パウロ・ジョット 、ススキ:エリザベス・ドゥショング

   ピンカートンは、直前にアンドレア・カレに代わって、アメリカ・カリフォルニア州出身のテノール・ブルース・スレッジが歌った。METデビューは2003年《セヴィリャの理髪師》アルマヴィーヴァ役で、その後、モーツアルトを歌い、欧米の歌劇場でロッシーニからヴェルディまで幅広く活躍中ということで、相手役のホイ・ヘーも素晴らしいと言っており、感動的な舞台を披露した。
   シャープレスも、予定表には、プラシド・ドミンゴであったので、期待していたが、ブラジル生まれのベテランバリトンのパウロ・ジョットに代わっていた。

   さて、中国人歌手の蝶々夫人のホイ・ヘーは、初めて聞いたが、凄い歌手である。
   2002年、上海デビュー時には、メゾソプラノとして、ドラベラを歌ったというのだが、ヨーロッパで、蝶々夫人を歌い、100年記念でイタリア各地で喝采を浴び、その後、ウイーンやニューヨークで、「トスカ」を、そして、スカラ座やベローナで、「アイーダ」を演じて、ローエングリンのエルザも歌っていると言う。
   今回の蝶々夫人などは、得意中の役柄だということで、プッチーニについては、十二分に熟知しており、会心の舞台であったのであろう。
   プッチーニは、イタリア駐在大山公使夫人から十分に日本の知識を吸収していたので、かなり上手く蝶々夫人を描いているが、前述したように愛に生き名誉に生きた蝶々さんの、繊細かつ潔くて潔癖な生きざまは、やはり、DNAのなせる業と言うか、日本人歌手に期待する以外にないと思っている。

   ホイ・ヘーHui Heも、実に素晴らしい蝶々夫人だが、どこか、雰囲気が違っていてシックリと来ないのは、その所為かも知れないのだが、欧米人にとっては、東洋系のソプラノが演じればそれでエキゾチックに雰囲気が味わえるという認識であろう。
   
   
   少し前に、映画「私は、マリアカラス MARIA BY CALLAS」を見て、カラスの実に初々しい蝶々さんを観て感激したのだが、ドナルド・キーンは、
   カラスの録音を聞いて、蝶々さんがピンカートンに長く愛してと訴えるところなど、胸に迫るものがあり、十五歳の日本娘になり切っている。カラスは、この作品に表現された悲劇の核心を直感的につかみ取ることによって、このオペラの歌詞を、いいえ、音楽さえも超越していたのです。と、20世紀、カルーゾと並ぶ二大歌手の一人だと称賛している。

   この舞台で、特筆すべきは、アンソニー・ミンゲラの意表をついた演出である。
   前面の舞台には、4本のレールを敷いて、何枚もの障子を左右に移動させて舞台展開を図り、バックステージには、高い急な階段を立ち上げて舞台を設置し、奥はダウンしているので、登場人物は、その背後から浮かび上がって出てくる感じである。
   口絵写真は、婚礼のために、蝶々さんが登場したシーン。
   舞台の天井には、大きな鏡が設置されているので、効果抜群である。
   衣装は、疑似日本的だが、とにかく、カラフルであり、照明が非常に巧みなので、舞台映えして、長崎を舞台にしたとは思えないエキゾチックで幻想的な舞台を繰り広げている。
   

   ミンゲラは、日本の古典芸能の舞台や手法を、多分に取り入れていて、演出を豊かにしている。
   まず、冒頭、両袖に座った幕引きが、幕開けを演じるのは、蜷川幸雄が、「マクベス」で、仏壇の舞台の幕開きで、両脇で座っていた老婆と同じシチュエーションであるし、前述の提灯やハトを持って右往左往して随所に登場する黒衣の活躍などもそうだし、何よりも特筆すべきは、文楽の舞台を応用して、役者の何人かを人形に置き換えて演じさせていることである。

   1幕で登場する蝶々さんの召使は、二人遣いだが、実にリアルに演技する蝶々さんの息子の坊やは、本格的な3人遣いである。
   尤も、日本の文楽のように洗練された高度なテクニックはないので、非常にぎこちないのだが、人形の形と人形遣いの役割が面白い。
   まず人形遣いだが、日本の主遣いに当たるのは、左遣いのようで、後頭部の真ん中に差し込まれた棒状の取っ手で首を操り、左手を操作し、右遣いが、人形の背中に設えられたドアの握りのような支えを握って人形を安定させて、右手を遣い、足遣いは、足を遣う。
   人形の首は、全く表情が変わらず上下左右するだけだし、手には指金も何もないので手を開いたままなので、文楽のような繊細で微妙な人形の表情は出てこないのだが、ホイ・ヘーは、涙が出るほど感動したと言っていたので、本当の坊やだと思って舞台を務めたのであろう。人形遣いも、命を吹き込んだ喜びを語っていた。
   「ライオン・キング」で、ジュリー・テイモアの演出でも、日本の舞台芸術の手法も取り入れられており、欧米のオペラ劇場でも、色々なところで、日本の影響を感じて嬉しくなったことがある。
   別な意味で、日本の文楽の凄さを感じた瞬間でもあった。
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