熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

古書店での本との出合いの面白さ

2018年03月18日 | 生活随想・趣味
   読書が趣味と言えば趣味と言えるが、私にとっては、人生の一部そのものである。
   したがって、暇があれば、神田神保町や東京の大型書店に立ち寄っている。

   その時、結構、神保町の古書店を回わる。
   私が古書店で本を買うのは、新古書、古書店に流れた新本の、主に、経済学書や経営学書で、いわゆる、古本の類は買わない。
   定価でも、普通、2500円止まりなので、それ程気にすることもないのだが、興味深いのは、どんな本が、古書店に回って来るのかを知ることと、偶には、高価な専門書が2~3割安で手に入ることであろうか。

   ところが、古書店を梯子していて、時々、気付いていなくて、興味深い本を見つけることがあるので、この時は、経年などの損傷程度で、人の手が入っていないような本なら買って読むことがある。
   第一、自分自身が本の情報を得て、カバーできる本など限られていて、気付かなくて立派な本はいくらでもある筈で、そのために、書店を歩き回っているのだが、無造作に何の脈絡もなく、古書店の店頭のワゴンなどに並べられている本に魅かれることがある。
   大型の立派な書店では、類型的なディスプレィで、新本主体であり、何の面白みもないのだが、このワゴンの中には、何故、こんなところにこんな本が紛れ込んだのかと思うような本があったりして、興味を持つことがあって面白いのである。
   今は、アマゾンなどがあるので、どんな本でも探せて不自由はないのかも知れないが、廃版や絶版になった古い本など、まず、新本の書店にはないであろうし、古書店でしか、その実物には接し得ないのである。

   先日、神保町の澤口書店の店頭で、
   黒澤明・宮崎駿著「何が映画か」1993年刊を買って、国立能楽堂の公演の帰途、車中で読んで、非常に面白かった。
   映画界の両巨頭が、かたや実写、かたやアニメの視点から、映画の世界について、興味深い話に蘊蓄を傾けて語っており、とにかく、魅かれて一気に読み通した。
   話題に出てくるシーンのショットが出てくるのは勿論、多くの映画のカットや背景写真などが随所に挿入されていて、私など、黒澤作品や宮崎駿作品を結構熱心に見続けていたので、興味津々であった。
   因みに、時間が許せば、この書店で500円以上本を買うと、二階の窓際で、マシーンで抽出した珈琲などを頂けるサービスがあり、靖国通りを見下ろしながら、小休止のひと時を過ごせるのである。

   もう一つ、最近で面白かったのは、
   高峰秀子・松山善三著「旅は道づれ ツタンカーメン」昭和55年刊。
   夫婦で旅立ったエジプトの旅行記である。
   個々に、紀行記を綴っていて、それを合体したようなもので、私の関心事である歴史遺産の旅物語であり、それに、映画界で秀でた芸術家肌の二人の本なので面白いであろうと思ったのだが、夫々の個性や視点の差などが出ていて興味深かかった。
   エジプトの古代遺跡を巡る旅でもあるので、多少学術的な記述もあるのだが、出会った人々との触れ合いや普通の夫婦と変わらない感情のもつれなど、とにかく、旅と言う非日常の異次元の世界に入ると、心が開放されるのであろうか、旅の過程での思いを自由に綴っているので、緩急自在、楽しく読める。
   これまで、高峰秀子の本は、何冊か読んでおり、非常に文才のある知性豊かな文章で、感心しながら楽しませて貰っていた。

   こんな思い出は、いくらでもあって、書けばきりがないのだが、これも、本を読むと言うことのみならず、善き人との出会いが素晴らしいように、善き本との出会いと言うのも、私の読書の楽しみの貴重なエレメントではないかと思っている。
コメント
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