熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

万作・萬斎の和泉流「舟渡聟」

2014年09月26日 | 能・狂言
   前回は、千五郎家の大蔵流狂言「船渡聟」について、印象記を書いたが、今回は、日本能楽会東京公演で、観世能楽堂で行われた和泉流「舟渡聟」を観る機会を得た。
   聟入りしようと出かけた男が、道中の渡し舟の船頭にねだられて、祝儀の酒樽を空けてしまうと言う話で、ここまでは両流派とも殆ど同じなのだが、
   大蔵流の方は、舅に対面して、祝儀に持参した酒樽が空であることがばれて、聟が大恥をかくことなっている。
   ところが、和泉流の方は、この酒を飲んだ船頭が、舅本人であることで、面会する訳にも行かず断わろうとするのだが、妻に諭されて、髭を剃って姿を変えて会うものの見つかってしまうと言う一寸捻った話になっている。

   今回は、船頭・舅が万作、聟が萬斎、姑が石田幸雄で、万作萬斎父子の呼吸ぴったりの演技が実に面白い。
   この舞台では、船頭は、ほくそ頭巾をかぶり長い髭をつけて登場し、その特徴のある髭と頭巾が、後段の変装の小道具となる。
 

   両流派の間に、多少の差があり、その違いも興味深い。
   大蔵流では、婿は酒樽として葛桶を持って登場するが、和泉流では、角棒に笹の枝のついた大きな鯛と杉手樽を担って出て来る。
   そして、大蔵流では、盃は葛桶の蓋だが、和泉流では、船頭が腰に挿している船底の水をくみ出す時に使う淦取を代用するのが面白い。
   聟が舟に乗るところなどは、和泉流では、狂言「薩摩守」で不慣れな客が飛び乗って舟が大揺れするシーンを援用しており、大蔵流では、船頭の棹捌きに合わせて聟が器用に体を左右に揺らせて舟の揺れを表現するのだが、和泉流では、婿は微動だにせずに座っている。
   大蔵流では、船頭は最初から酒を飲むのだが、和泉流では、匂いだけでも嗅がせよと言ってエスカレートして行き、聟が樽の口をしようとすると、船頭は左手で聟の手を押さえて「一献酒は飲まぬものじゃ」と二杯目を注がせる、このあたりの微妙な仕草の違いにも笑いを誘う。

   さて、聟が舅宅に到着して出迎えるのは、姑だが、帰宅していないので迎えに行き、帰って来た舅が、聟を見てびっくり。
   橋掛かりの二の松まで逃げて行き、器量よしと聞いていたが、あのような醜男を聟にすることはならぬ、と妻に言うも、妻に責められて、顛末を語って髭を剃られるのである。

   聟と対面しても、舅は、左手で袖を持って顔を隠し通しで、杯事の時も、「酒の匂いを嗅ぎましても酔いまする」と言って飲まずに我慢し続けているのが面白い。
   最後には、聟が顔を見知るためにと言って、嫌がるのを無理に袖を引いて舅の顏を見るのだが、びっくり仰天。
   面目ないと謝る舅に、「いやいやそれは苦しからず、とにもかくにも舅殿に、参らせんがためなり」。

   興味深いのは、聟が「さらば暇申さん」と別れを告げると名残を惜しみながら、二人は、「山の端にかかった・・・」と謡ながら、扇を開いて舞って、ガッシ止め。

   シテは、聟のようだが、この舞台では、万作の船頭・舅が、シテであろうか。
   聟の萬斎の余裕綽々で真面目な表情ながら、笑みを感じさせながら万作の船頭・舅の至芸を受け止めて対応している真摯な姿が、中々素晴らしい。
   万作の船頭・舅は、地なのか芸なのか、虚実皮膜、私などには、まだ、よく分からないが、何時も、万作の舞台では、人生とはこう言うものなのであろうと、しみじみとした感慨に似た思いを感じながら観させてもらっているのだが、今回の船頭・舅も、滋味深い味が滲み出ていて良い。
   石田幸雄の姑は、大蔵流の太郎冠者に代わる役柄だが、わわしさの片鱗もない優しい女をさらりと演じながら、存在感を示していた。

   さて、今回の「日本能楽会東京公演」だが、
   狂言方の人間国宝山本東次郎の語・大蔵流「那須」の素晴らしさも特筆ものだが、
   五流の能の番組は、舞囃子・宝生流「砧」高橋章、舞囃子・金剛流「野守」豊嶋三千春、能・観世流「杜若 恋之舞」観世清河寿、
   そして、一調・金春流「高砂」本田光洋・三島元太郎、仕舞・観世流 「白楽天」浅見真州、「笠之段」梅若玄祥、仕舞・喜多流 「松風」友枝昭世、「天風」香川靖嗣
   人間国宝ほかトップ演者たちの豪華な出演であり、負けず劣らず、素晴らしい地謡や囃子方の登場で、大変な公演であった。

   私など、初歩の鑑賞者にとっては、勿体ないくらいである。
   昔、行く行くは、関西に帰って、京都か奈良に住もうと思ったのだが、やはり、何かと言った時には首都圏を離れない方が良いと思って止まり、この鎌倉が、終の棲家になりそうながら、このような機会を持つと、正解だったような気がしている。
   故郷は遠きにありて思うもの、・・・今では、行きたい時に行けばよいのだと思っている。

(注記)バックは、国立能楽堂の舞台。
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