熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

当麻曼荼羅縁起絵巻と運慶阿弥陀三尊像・・・鎌倉国宝館

2009年11月20日 | 展覧会・展示会
   真冬のような寒さと冷たい雨に打たれて、秋の鎌倉散策もままならず、丁度、先月出かけた光明寺の寺宝などを集めた浄土教美術展を鎌倉国宝館で行っていると言うので出向いた。
   何よりも、国宝の「当麻曼荼羅縁起絵巻二巻」が展示されていると言うことで、これを見るのと、浄楽寺蔵の運慶作阿弥陀三尊像を見れば、それで十分だと思っていた。

   当麻寺へは、学生時代に良く出かけた。
   二上山の見える田舎で、野見宿禰と当麻蹴速が相撲を取ったと言う相撲発祥の地のそばを通り過ぎて、かなり整った寺域に入るのである。
   東と西に揃った綺麗な姿をした三重塔が非常に印象に残っており、そして、いまだに、あの時に聞いた澄んだ綺麗な水琴窟の音色が耳から離れない。

   中将姫が、極楽往生を願って蓮糸で、曼荼羅を織り上げて、阿弥陀仏のお迎えを受けて極楽へ旅立ったと言う言い伝えがあり、その曼荼羅が、当麻寺にあるのだと言う話にロマンがあって、その曼荼羅と、その中将姫の話を絵巻にした当麻曼荼羅縁起絵巻が、国宝だと言うので、いつか、是非に見たいと思っていた。
   尤も、当麻寺の国宝の曼荼羅は非公開の本尊であるから拝観は無理で、室町時代の写本(それでも重文)と言うことになるのだが、今回の鎌倉でも光明寺蔵の写本が展示されていた。阿弥陀三尊を中央に描いた非常に詳細な緻密に描かれた曼荼羅だが、黒く変色していて良く見ないと分かり辛い。

   ところで、光明寺蔵の縁起絵巻だが、この口絵はその一部で、阿弥陀佛が沢山の菩薩を従えて天空から、中将姫(この場合は藤原豊成の姫)をお迎えに来迎するシーンのようだが、実に克明に丁寧に描かれていて非常に美しい。
   菩薩団は、謂わば、天国の音楽隊と言った感じで、先頭は大きな琴を演奏しているし、バックには大きな太鼓隊が控えており、笛、鐘、どら、それに、幡を掲げている菩薩も居るし、まだ、鮮やかに残っている絵の具の跡から察すると、大変華麗な来迎図であったと思われる。
   この図の先に、十二単を着た姫たちの居る館に向かって、三体の菩薩の舞い降りる姿が描かれているのだが、正に、天使像のように華麗で美しい。
   光明寺の本堂の欄間の天女像とは違って、これらの菩薩像は、平等院の鳳凰堂の雲中菩薩像のような趣があって、中々素晴らしい。

   別な所では、姫が機織り機に向かって曼荼羅を織っている姿が描かれている。
   部屋など建物は逆遠近法で、やや、遠方に行くほど広がっているので、フラットな感じだが、この阿弥陀像もそうだが、描かれた人物の重要度において人物の大きさを変えて軽重の差をつけている。
   他のページでは、宮殿の建築であろうか、色々な職人たちの作業姿を、丁寧に描いていて、当時の労働の様子が良く分かって面白い。
   
   運慶の阿弥陀三尊像だが、まだ、表面の金色が残っていて、中々、華麗な仏像で、阿弥陀像は、平等院や日野の法界寺の国宝の阿弥陀如来の雰囲気で、脇侍の勢至・観音菩薩のあらわな腰をツイストした姿は、何となく、薬師寺の日光月光菩薩を思い出させて面白い。
   私には、この三尊像が、特に、運慶の仏像の特徴を示しているのかどうかは分からないが、特に、印象深いと言った感じはしない。
   あっちこっちで、運慶を見ているのだが、私の好きな運慶の像は、奈良の円成寺の大日如来坐像で、若さがはちきれそうな初期の作品だが、実に美しいのである。
   
   面白いと思った絵画は、重文の「二河白道図」である。
   縦長の絵の中央部分に、左赤、右黒のカーペット状の空間があり、左には戦い、右には家族の憩いの情景が描かれている。
   そのカーペットの間に一本の白い道が引かれていて、釈迦に見送られた旅人たちが、白道を上に向かって歩き、頂に立つ阿弥陀佛に迎えられる。
   絵の下方には娑婆世界、上方には、壮大な極楽浄土が描かれている。
   真っ赤な火の世界は憎悪、黒い水の世界は愛欲を意味するとの説明だったが、憎悪は別としても、人を愛し、その結果として結ばれる愛が、何故、煩悩であり悪徳なのか、深遠な哲理はともかく、疑問なしとはしない。
   とにかく、極楽浄土へ誘う仏画がいくつかかあって、当時の人々の死生感が分るような気がして面白かったが、幸せは人夫々であろう。
コメント
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