30数年前のバンドが今話題になっています。
と言ってもごくローカルな範囲での話なのですが、それがこの写真の学園祭バンド「カニ穴パンチ」です。
1974年に大学の同級生数人で始めたバンドなのですが、その名前のユニークさからか、僕らが卒業してからも在校生に代々引き継がれ、延々と続いたそうです。(15年以上?)
最後のほうはオーケストラの金管を中心としたビッグバンドになったようですが、僕はその実態を知りませんでした。
それが大学の創立40周年の記念行事に関連して「カニ穴パンチ」専用の掲示板ができたと言うことで、僕の元にも今は教授になっている友人からメールが届きました。
いったいどういう風にして始まり、どう消えて行ったかが話題になっているようです。
僕も創始者(?)の一人として投稿しようと、古い写真を引っ張り出すと、ありましたありました。それが上の写真です。
名前の由来は書類をフォルダーに閉じるときに穴をあける「強力二穴パンチ」の『強』がたまたま隠れていたのか、見落としたのか、僕の研究室のT先生が「力二穴パンチ・・・?」とつぶやいたのを、大分県出身のS君が「T先生、『力二穴パンチ』といっとたぞ!」と耳敏く(?)聞いていたのが始まりです。
そもそもは、ボーカルにギター2、トランペット1、コンガ1という5人編成のラテンバンドだったのですが、この次の年はピアニカ、クラリネット、ベースが加わり、その当時の学生バンドにはまず見られなかった『歌謡曲バンド』の風格をなしてきました。
S君のトランペットで始まるM君の『函館の女』の熱唱は満員の聴衆を魅了しました。それに感動したのかどうか、定かではありませんが、僕らが卒業したあとも、教授のS先生がボーカルで『函館の女』を歌い継いでいたようです。
卒業してからも、僕らは東京で何年間か『力二穴パンチ』を続けたのですが、徐々に生活環境が変わり、皆それぞれの道を歩むようになりました。
東京での『力二穴パンチ』です。(若いね!)
と言う事で、このシリーズは連続3回くらいは続きそうです。
と言ってもごくローカルな範囲での話なのですが、それがこの写真の学園祭バンド「カニ穴パンチ」です。
1974年に大学の同級生数人で始めたバンドなのですが、その名前のユニークさからか、僕らが卒業してからも在校生に代々引き継がれ、延々と続いたそうです。(15年以上?)
最後のほうはオーケストラの金管を中心としたビッグバンドになったようですが、僕はその実態を知りませんでした。
それが大学の創立40周年の記念行事に関連して「カニ穴パンチ」専用の掲示板ができたと言うことで、僕の元にも今は教授になっている友人からメールが届きました。
いったいどういう風にして始まり、どう消えて行ったかが話題になっているようです。
僕も創始者(?)の一人として投稿しようと、古い写真を引っ張り出すと、ありましたありました。それが上の写真です。
名前の由来は書類をフォルダーに閉じるときに穴をあける「強力二穴パンチ」の『強』がたまたま隠れていたのか、見落としたのか、僕の研究室のT先生が「力二穴パンチ・・・?」とつぶやいたのを、大分県出身のS君が「T先生、『力二穴パンチ』といっとたぞ!」と耳敏く(?)聞いていたのが始まりです。
そもそもは、ボーカルにギター2、トランペット1、コンガ1という5人編成のラテンバンドだったのですが、この次の年はピアニカ、クラリネット、ベースが加わり、その当時の学生バンドにはまず見られなかった『歌謡曲バンド』の風格をなしてきました。
S君のトランペットで始まるM君の『函館の女』の熱唱は満員の聴衆を魅了しました。それに感動したのかどうか、定かではありませんが、僕らが卒業したあとも、教授のS先生がボーカルで『函館の女』を歌い継いでいたようです。
卒業してからも、僕らは東京で何年間か『力二穴パンチ』を続けたのですが、徐々に生活環境が変わり、皆それぞれの道を歩むようになりました。
東京での『力二穴パンチ』です。(若いね!)
と言う事で、このシリーズは連続3回くらいは続きそうです。