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ぽかぽか春庭「鉄路-人生はガタゴト苦役列車に乗って」

2013-05-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/05/29
ぽかぽか春庭@アート散歩>ボロの美と贅沢貧乏(7)鉄路-人生はガタゴト苦役列車に乗って

 今回の春庭コラムタイトルは、3つの作品のタイトルの合成です。王兵『鉄西区第三部・鉄路』、井上マス『人生はガタゴト列車にのって』、西村賢太『苦役列車』
 列車つながりで集めただけですが、BOROシリーズの最後の感想として、王兵の『鉄路』でまとめてしまおうと。

 『人生はガタゴト列車に乗って』は、井上ひさしの母親マスさんの自伝です。井上ひさしは、たびたびエッセイや自伝的小説に、その破天荒な母親を登場させていて、「ひさしのおっかさん」の姿は井上ファンにはなじみになっていました。

 マスさんは、山形での短い結婚生活で長男ひさしと次男をもうけるも、夫は早世してしまいました。マスさんは山形から岩手へと流れ、釜石など東北各地を渡り歩きながら、貧しくともたくましく生きて行きます。
 1983年に出版されたマス自身の執筆による自伝、私は読んだことなくて、演劇で見たのです。

 浜木綿子主演の舞台、姉に招待されて、帝国劇場の一番前の席での見ました。妹のモモは演劇好きで地元で「おやこ劇場」という活動をしていたので、ときどきいっしょに舞台を見る機会がありましたが、姉といっしょに舞台を見たなんて、この『人生はガタゴト列車に乗って』ただ一度きりだったので、私には思い出の残る作品です。

 5月23日の仕事帰りに渋谷へ出て、イメージフォーラムで『鉄西区第3部 鉄路』を見ました。渋谷駅の出口を間違えて、いつもの方向音痴、六本木通りから青山大学西門あたりをぐるりと遠回りして、やっと映画館に着いたら、まだ上演時間まで小1時間ある。となりにある「根室食堂」で時間つぶしサンマ塩焼き定食なら480円という格安だったのに、昼ごはんはもう食べちゃったし、夕ご飯には早い、という時間なので、サンマ単品280円と生ビール430円。

 ビール飲んだら寝ちゃうぞと思いながら飲んでいました。私、ちょっとでも目をつぶるとすぐ眠れる寝付きのよさを誇っているんです。電車のなかでも、座ればすぐに寝られます。明るくても平気ですが、暗い映画館の中なら、なおさらぐっすり。

 『鉄路』は、王兵(ワン・ビン)監督のドキュメンタリー映画『鉄西区』(ティーシィークTie Xi Qu: West of Tracks)の第3部です。遼寧省瀋陽市鉄西区を2000年代初頭に取材した、第一部「工場」240分、第二部「街」175分、第三部「鉄路」130分、計545分という大作ドキュメンタリー。
 私は「工場」も「街」も見たことない。王兵の最新作『三姉妹・雲南の子』を見たいと思い、上映館をさがし、『鉄路』もやっていたので見る気になったです。

 最初のシーン、真っ暗な冬の夜。列車の先頭に据えたカメラが、延々レールの上を走っていきます。暗い、、、、
 田園地帯の美しい風景も鮮やかな街の風景もなく、列車はひたすら雪と闇の中の走っていく。レールのシーンが続きます。

 ちょっと目をつぶって目をあけたら、朝の線路にになっていました。上演開始から40分、寝てしまった。あらら、ビール飲むんじゃなかった。でも、それからの90分、とても充実したよい作品だったので、冒頭の40分を見逃したこと、悔しい。ビール飲まなきゃいいのに。

 王兵は、機関車の中で働く人々を写し、休憩室で弁当を食べトランプに興じる労働者をうつします。2000年の彼らは、日本人観客の目に、終戦直後から1950年代の日本がそうであったほどの暮らしに見えます。つまり、貧しい。

 ことに、正式の鉄道職員でもなく、駅の雑用をしたり鉄屑拾いをして暮らしている老杜と杜洋親子の暮らしは、圧倒的に貧しい。住む家は、鉄道線路脇の電気もないボロ小屋。無断で住みついているけれど、老杜が言うには、「鉄道公安局」にコネがあるから、住み続けていられるのだと。息子の杜洋は成人になっても働き口もなく、老杜が働いている間も、ぼうっとボロ小屋の中にいるだけ。日本でいうならニート。

 ある日、老杜は鉄道の石炭を無断で拾ったという罪をきせられて、拘置所にいれられてしまいます。鉄道の中に落ちているものを拾って売っぱらうのは、労働者たちの小遣い稼ぎとして、どの労働班もやっていたことでした。労働者たちは自分たちもやっていることなので、老杜が鉄道内に落ちているものを拾うのも見逃していました。しかし、杜親子の住む家を取り壊すことにした上層部は、それを見逃さないことにして親子の追い出しをはかったのです。

 杜洋は、泣きながら拘置所にいる父親を案じます。幼い頃に母親が出て行き、残された父と息子。杜洋の弟は食堂で働くことになって出て行き、たまに帰って顔を見せるきり。杜洋は、父を頼る以外になく、父とこれほど長く離ればなれになったことはなかったのです。ようやく父が帰されました。郊外の拘置所へ迎えにいく杜洋。杜親子は、場末の安食堂で食事しました。杜洋は酒を飲み、酔っ払います。

 杜洋は、父親をどれほど案じていたかと泣きくどき、自分を見放すなと土下座します。と、思ったら次は自分をほったらかしにした父へ怒りをぶつけて床にころがります。ついには老いた父親が大きな息子をおんぶして帰る始末。老杜は、自分の人生を息子に語り始めます。文革時代にわが家は没落してしまったのだと。

 2001年の春、空港近くの住まいを見つけた老杜は、鉄道労働者の休憩所にやってきて、自分は月に500元、息子も300元を貰える仕事にありついたと、仲間に告げます。収入が出来たので、必ず返済するから、皆に借りた借金はもうちょっと待ってくれというためにやってきたのです。今月は、携帯電話を買ったために、お金をつかってしまったが、あとで必ず返すと、老杜はいいわけします。

 二人あわせて一ヶ月800元(約1万円)の収入は、他の都市部で働く労働者と比べて決して低い額ではありません。2007年2009年に中国に赴任したとき、食堂店員の月給は600~700元でしたから。まして農民と比べれば、上等な月収で、老杜がケータイを買い込み、自分より若い女性と再婚できそうになったのもわかる。

 私が1994年に中国に赴任したときは、高給ビジネスマンや軍幹部しか持っていなかったケータイを、13年後の2007年に赴任したときは大人はみなケータイを持っていて、2009年には学生までが皆持っていました。90年代に始まり、2000年以後は爆発的な勢いで貧しさから脱却した都市部の中国。日本が1945年から30年かかって成し遂げた変化を、中国は2000年以後、たった10年で行ったのです。短期間の変化の中に、当然ゆがみがでてきます。

 年収200万元(日本円で約3000万円)があり、投資可能な資産が1000万元(約1億3000万円)以上ある中国人(中国富裕層)は、30万人もいます。一方、貧困層はどんどん拡大しています。前から農村と都市部の格差は大きかったですが、都市部の貧困層拡大も急速です。農村から出稼ぎにやってきて、そのまま都会に住みつく人も多い。

 中国では、農村に生まれた農村戸籍の人は、都市部に戸籍を移動することはできません。移動できるのは、軍人と大学入学者のみですが、農村出身者が大学に入学するのは都市部に比べて不利です。
 出稼ぎ者が都会で子を持つと、子は無戸籍者になり、学校に行くこともできず、貧困層の連鎖になっています。

 母親のいない杜洋は、洗濯もされていない垢じみた着たきり雀のような服を着ていました。農民の親が出稼ぎにでてしまって、取り残された農村部の子どもたちは、今もなお、ボロボロの服をきています。
 青森のBOROは、丹精込めてつくろいを施したボロでした。しかし、親が出稼ぎに出ていて繕い物をする人もいない中国農村の子のボロ服は、文字通り襤褸。破れたらやぶれたままのボロです。

 中国の農民がそろって飢えから解放されたのは、人民中国成立以後のこと。その点では毛沢東を評価したい。「毛沢東が晩年に文革をやったのは、自分を権力者のままにしておくための過ちだったが、彼のやったこと全体としては評価できる」というのが、現在の中国での受け止め方と思います。

 21世紀になって、ようやく貧しい農村部でもテレビを買い、ケータイを持つようになりました。
 この先、ボロを綴りあわせたような布団は捨てられていくに違いない。中国に田中忠三郎はいるでしょうか。中国人は、ボロボロの布団に美を見いだすことがあるでしょうか。
 彼らは、華麗ド派手なものを好みます。ぴかぴか光っていたり、原色の取り合わせは中国どこでも見ることができますが、「侘び、寂び」はどこにも見かけない。お寺も金ぴかで派手です。

 奈良時代平安時代のお寺も派手だったそうですが、今の日本人は金ぴかのお寺を見ても美しいとは感じない人が多いでしょう。私が高校の修学旅行で平安神宮へ行ったとき、ちょうど柱や壁の塗り直しがおわったところで、赤い柱が派手でした。それを見て、私はこんな赤い柱、気持ち悪い、と感じたのです。われわれの美意識が千年の間に、金ぴかや原色の寺を受け付けないほどに変化した、というべきでしょう。

 グランジファッションが中国の若者に流行ったら、画期的な出来事にちがいない。中国4000年の文化の中になかったことですから。
 おそらく、清朝時代などの古い書画骨董を保存する人はいても、大躍進失敗以後の極貧の農村の衣服や布団を保存しようとする人は、中国にいないのではないかと案じます。

 日本には、行基、西行から良寛、芭蕉を経て西村賢太に至るまで、「貧しさ」の中に人間の真実と美を描き出した文人の系譜があります。
 中国にも、竹林の七賢人ら「清貧」の文人暮らしの伝統はありますが、清貧は「ほんとうなら贅沢もできるのに、あえて質素を選ぶ」という生き方ですから、老杜親子がそうであったような、選びようもなく極貧の中に落とされている、というのとは異なります。

 私の中国文化への目配りはほんの少々なので、もしかしたら、農村でボロ布を集めてまわる「物好き」がすでにいるのかもしれませんが、少なくとも日本には紹介されていません。
 中国4000年(あるいは6000年)の歴史の中で、BOROの美に気づく人が現れるなら、中国の文化は、1911年の辛亥革命でも1949年の共産国家誕生でも、1960年代の文化大革命でも成されなかった「文化と美意識の変革」が起きたことになるでしょう。

 「BOROは美しい」と今言えるのは、青森も岩手も、電気もねー、ガスもねー、信号ネーあるわきゃネーと歌った時代を通り過ぎたからなのかも知れません。

 田中忠三郎が集めたBOROには、貧しいなか親子が寄り添って暮らし、必至に生きていた思いがこもっています。時代を超えてなお、美しいと感じさせる圧倒的な力があるのです。
 このBOROを見るために、またアミューズミュージアムに出かけたいと思います。
 田中忠三郎さん、「BORO」を伝えて下さって、ありがとうございました。

<おわり> 
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4 コメント

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名もなく貧しく美しく (まっき~)
2013-05-29 14:19:59
今回のシリーズも、楽しく読めました。
楽しくというのが適切かどうか、ちょっとだけ疑問ですが、たぶん春さん的にはOKなんじゃないかと。

『鉄西区』は映画祭に3日通い、なんとか制覇しました。
観終えた! という感慨が邪魔をして冷静に評価出来なかったりもしたのですが、ドキュメンタリーとして見応え充分だったのは確かです。

貧乏とは少しちがいますが、AVに『ボディコン労働者階級』という傑作があります。
ドヤ街とAV女優、その対比が際立っていて、優れた(当時の)日本論になっていたんだよな、、、と、春さんコラムを読んでいて、なぜかこの作品を思い出しました。

ちなみにグランジ音楽は好きですが、グランジファッションは真似出来ませんでした。
中華間の歴史と文化って凄いと思うのですが (くちかずこ)
2013-05-29 15:36:16
実際の中国人の生活は・・・???
ワイルドスワン、入院中に上、中、読みました。
中国人から見た文化大革命の一面を知った気分になりましたが、
今の気力、体力では、下巻は読めそうにないので、今日、良い子に送り返しました。
「武士は食わねど・・・」
日本人は、どん底でも、美の一分を守りたいというDNAがあるように思います。
中国人は、どうなのかなあ???
「貧乏」
6年間、一度も仕送りを受けなかった普通の子。
院は学費さえも自前でした。
援助を申し出ると、
「貧乏を楽しんでいる」
と言ったことを思い出しました。
弁当代を削って、参考書を買っていたことを後日知ったくちこですが、
中高大院と私学だったので、裕福な家庭の子弟に囲まれていた筈です・・・
それでも胸を張って生きてくれたこと、嬉しいことだと思っています。
過労死寸前の生活を経験した強さは、お金に買えない宝となっていると思うので。
まっき~さん (春庭)
2013-05-29 21:46:28
笑えるコラムをめざしているに笑いをとるのはなかなかできません。せめて、楽しんで貰えたらうれし。

女犯」も「ボディコン労働者階級」も見たこと無かったけれど、バクシーシ山下の名前、どうしてしっていたのかというと「セックス障害者たち」の著者だったからその名が記憶に残ったみたい。バクシーシっていうのが「だんなさま、おめぐみを」っていう意味なので、おもろい芸名だとおもって。

私の服、グランジファッションじゃなくて、ただのボロです。

くちかずこさん (春庭)
2013-05-29 21:50:21
懸命にがんばってきた次男さん、いよいよお嫁さんも決まって、うれしいことですね。
生きて行くことの厳しさもよくわかっているから、きっと結婚生活も順調にいくでしょう。
「貧乏を楽しんでいる」って、やさしいことばです。お母さんに心配かけたくないという意味もあるでしょうけれど、お弁当代を参考書代にまわせる人はきっと大成します。
息子の大成を待ち望み、孫の成長をたのしみに、ながいきしなくちゃね。

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