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ぽかぽか春庭「ル・コルビジェの絵 in 大倉集古館」

2024-07-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
ル・コルビュジエ《奇妙な鳥と牡牛》(タピスリー、1957
20240616
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩梅雨(3)ル・コルビジェの絵 in大倉集古館

 上野にある世界遺産の西洋美術館を設計したル・コルビジェル(1887~1965)。西洋美術館でル・コルビジェ展があったとき(2019年2月19日-5月19日)、140点展示されたのを見逃しました。
  次に国立西洋美術の近代絵画室に特集が組まれ、ル・コルビジェの絵画が展示されました。ル・コルビジェの絵画を収集してきた大成建設からの貸与展示でした。写真撮影自由の西洋美術館の中、ル・コルビジェは、一部の絵が撮影は禁止でしたが、自由に撮影できた絵もあり、楽しく鑑賞できました。2022年5月25日に鑑賞。
 このときは、コンポジションなどの抽象的な絵がほとんどで、私の興味も建築との相関関係でしたので、絵が好きだからもっと見たいという感じではありませんたした。

 今回のル・コルビジェ展は。西洋美術館にも貸し出していた大成建設所蔵の絵画のうち130点が、大成建設と大倉集古館の共同開催で「特別展 大成建設コレクション もうひとりのル・コルビュジエ~絵画をめぐって~」として展示されました。(2024年6月25日ー8月12日)
 
 大倉集古館の口上
 まもなく没後60年を迎える建築家ル・コルビュジエは、20世紀を代表する建築家として知られていますが、同時に数多くの美術作品を残大成建設株式会社(社長:相川善郎)は、公益財団法人 大倉文化財団 大倉集古館(東京都港区)と共同で「特別展 大成建設コレクション もうひとりのル・コルビュジエ~絵画をめぐって~」を2024年6月25日(火)から8月12日(月・祝)の期間、大倉集古館にて開催いたします。 したアーティストでもあります。本展では、世界有数の点数を有する大成建設のル・コルビュ・kkジエ・コレクションの中から、美術作家としての業績をご紹介いたします。彼の素描やパピエ・コレがまとまって公開されるのはおよそ30年ぶりとなります。 

 でかけた6月28日は、東京や神奈川にも大雨警報が出たどしゃぶりの一日。六本木一丁目駅からエレベーターで住友王国を抜け、スエーデン大使館前からスペイン大使館前を通り、アメリカ大使館前で曲がってホテルオークラエリアへ。このあたりでは、歩行者は少数派。大雨の道、スペイン大使館前の水たまりでは、スピードを落とさないで走り抜ける車が大きく水をはじき、びしょ濡れ寸前。あやういところでした。高級車というのは、歩く人のことは目に入らぬものか。ぷんぷん。雨のため見えにくかったんだろうと、貧乏人の心優しき解釈をしてひたすら歩く

 明治期日清日露戦争時に、武器を売りまくって大財閥となった大倉喜七郎が、収集した美術品を一般の人のために開館した大倉集古館。日本最初の私立美術館です。関東大震災で焼失した代大倉集古館の二代目として伊藤忠太の設計により完成し、2019年に耐震設備と地下展示室を加えてリニューアル開館。大倉集古館は、ぐるっとパスで入館できるので、パスを買うたびに訪れる美術館です。日本や東洋美術の展示が多かったので、ル・コルビジェの絵画展示は意外でした。娘は美術展で必ず買っている記念のクリアファイルを買い、私はめったに買わない図録を買う。

 2階展示の初期作品から観覧。
ピュリズムから詩的なオブジェまで
展示はル・コルビジェの油彩、素描、パピエ・コレ、版画、タピスリー、彫刻など。素描やパピエ・コレ作品がまとまった公開は約30年ぶりだそうですが、私は30年前には見ていないので、今回がお初です。
 
 ル・コルビュジエは、本名シャルル=エドゥアール・ジャヌレ・グリとして 1887年にスイスに生まれました。1917年に故郷を出てパリに定住し、画家アメデ・オザンファンとともにキュビスムを批判的に継承しました。「ピュリスム」を提唱。ピュリスム(ピューリズム。Purisme、Purism。純粋主義)とは、シャルル=エドゥアール・ジャヌレ(ル・コルビュジエ)とアメデエ・オザンファンが、フランスで、その著作『キュビスム以降』(Après le Cubisme, 1918年)およびその雑誌「レスプリ・ヌーヴォー(エスプリ・ヌーヴォー。新しい精神)」(L'Esprit Nouveau, 1920年から1925年にかけて28冊を刊行)において主張した、絵画の形式です。ピュリスムは、機械時代に即し、大量生産の工業製品を普遍的なオブジェとしてそこに美を見出し、対象を幾何学的な形態にまで単純化し、黄金比や正方形を基準にした厳格な構図によって画面を構成しました。 

 ル・コルビジェの絵。初期にはヴァイオリンや瓶などの形を画面にコンポジションとして構成することに主眼がおかれていました。

 静物 1921      ファベーラ(リオデジャネイロのスラム)1929
 

犬とコップのあるコンポジション1932    レア 1931
  

 2階の初期絵画の次の進展は、「女性像」。豊満な女性像、レジェに似ているなと思ったら、ル・コルビジェは1920年にレジェと出会っていました。 
 ルコルビジェは、1929年の船旅で客船の中で出会ったジョセフィン・ベーカーに惹かれました。ジョセフィンは黒人公民権運動や女性の地位向上に活動する歌手。積極的に活動する生き方と豊満な肢体。ル・コルビジェの好みの女性像は、以後一貫しています。ジョセフィンと結ばれることはありませんでしたが、残された女性像の素描は、以後に描かれたたくましく力強い女性像のプロトタイプに見えます。「レスリングをする女」など、強い女性が好きなのは妻イヴォンヌ・ガリとの結婚後も一貫しています。イヴォンヌとは1922年に出会い、1930年に43歳で結婚しています。結婚後フランス国籍取得。

イヴォンヌ・ガリ 1929

 イヴォンヌは1957年、ル・コルビジェ70歳のときに。先立ってしまいました。

サーカス馬と女 1929

 踊る女性歌う女性、スポーツなどの体を動かす女性へのまなざしは強い女性への讃仰 に満ちています。
 女性のアコーディオン弾きとオリンピック走者 1928-1932

しかし 具象的な女性像は、しだいに変形していきます。最愛の妻イボンヌを描いた「長椅子」に座るイボンヌの姿は、ソファの上に溶けかかっているようです。
 長椅子ソファに座る裸婦と犬 1934

 アコーディオンに合わせて踊る女 1949
 

 第二次大戦後のル・コルビジェは、建築の仕事と並行して絵画制作もすすめていました。

 コンポジション 1963

 女と手 1948-1949

 チャンディガール 1953

 インドのパンジャブ州チャンディガールは、ル・コルビジェが都市計画を手掛けた都市です。ル・コルビジェが町のシンボルとしてデザインした鳥と手のモチーフは、ル・コルビジェの死後、チャンディガールにモニュメントとしてつくられました。

女のいるコンポジション 1955

 1950年ころからル・コルビジェは、パピエ・コレの制作を始めます。パピエ・コレは、折り紙や新聞紙を貼り付けていく作品です。

 リトグラフ「行列」1962



 また、タピストリー産業が衰えたことを憂えて、タピストリーの原画を提供するようになりました
タピストリー「奇妙な鳥と牡牛」1957


 地階には、ル・コルビジェの著作も並んでいました。

 ル・コルビジェは、 1965 年に77歳で死去。葬儀はルーブル宮で国葬として営まれました。

 ル・コルビジェの最初期から晩年の仕事まで年代順に作品を見ていくことができ、特に女性像は初めて見ましたから、強くたくましい女性像を好ましく思いました。
 水彩画の公募展ですらりとした美しい女性像が並んでいるのを見た2日後のル・コルビジェでしたから、レボリューション婆は強いレスリングで取っ組み合いをしている女性像に心惹かれました。

 世界遺産「西洋美術館」設計者というほか、これまで知ることがなかったコルビジェについて、全貌を知ることができ、私好みの女性像の描き手であったことがわかってよかったです。

<つづく>
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