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ぽかぽか春庭「西洋版画展 やっちゃんと西洋美術館散歩」

2024-07-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240702
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩梅雨(1)西洋版画展 やっちゃんと西洋美術館散歩

 ランチ後、西洋美術館へ。どうせタダだから、ついでに見ていこうと疲れ気味のやっちゃんを誘う。やっちゃんは、絵をみすぎておなかいっぱいだったのに、見始めたら熱心に見ていく。私はいつも通りすがりに覗く西洋美術館常設展だから、椅子があるとすわり、休み休み進む。

 新館企画展で「西洋版画展」をやっていた。こちらは初めて見る版画が多かったから、ひとつひとつ丁寧に見ていく。


 西洋美術館の口上
 「リト(litho)」は、ギリシャ語で「石」を意味するlithosが語源です。1798 年頃にドイツの劇作家アロイス・ゼネフェルダーによって発明された当初から版材として石灰石が使われていたため、リトグラフという名称が一般的になりました。この技法で重要となるのは、水と油が互いに反発しあう性質を利用する点です。木版画、エングレーヴィング、エッチングなどでは、彫ったり削ったり、酸で腐蝕させたりして版に凹凸をつけますが、リトグラフは石の上に図柄を描き、化学処理を施すことで、平らな版から印刷できることが大きな特徴です。この新たな方法は、19 世紀のヨーロッパにおいて、楽譜や地図、出版物など実用的な印刷や複製技術として活用される一方、自由な描画が可能なことから、多くの画家たちが試みるようになり、美術の分野においてフランスを中心にまたたく間に広まりました。
 本展では、発祥の地ドイツから各国への広がりを伝える初期の作例や、リトグラフの大衆化に寄与したドーミエのカリカチュア、マネやルドンらによるさまざまな試み、そして世紀末に隆盛を極めた多色刷りのポスターにいたるまで、19 世紀におけるリトグラフの歴史と表現の展開を、およそ40点の作品を通して概観します。あわせて、制作工程の一例を示し、この技法の原理を紹介するコーナーを設けています。リトグラフならではの描写に注目しながらその歴史を辿り、各作品をじっくりと「視る」ことで、多様で豊かな表現をお楽しみいただけたら幸いです。
 
オディロン・ルドン「キリスト」 1887 「聖アントワーヌの誘惑第一集 空から舞い降りてきた一羽の大きな鳥が彼女の髪の頂に襲いかかる」
 

エドゥアール・マネ「エドガーアランポーの大ガラスより」 

エドゥアール・マネ「プルチネッラ」1874年 カラー・リトグラフ

ジュール・シェレ「フォリー・ベルジェールのポスター:ロイ・フラー」1893
 ロイ・フラーは、イサドラ・ダンカンに先立つ、西欧の人気ダンサー。マダム貞奴が大評判だったころに人気を競い合いました。写真ではフラーが白いスカートをひらひらさせて舞っている姿を見てきましたが、カラーリトグラフでも踊るフラーの姿が残されていました。

アルフォンソ・ミシャ「サラ・ベルナール ロレンザッチオのポスター」1896

アンリ・トゥルーズ・ロートレック「写真家セツコ―」1896

アドリア・グアル「罪ふかき女 ポスター」1899

ピエール・ボナール「パリの生活情景 表紙」「パリの生活情景 中庭の家」
1899
 
ピエール・ボナール「パリの生活情景 ボア通り」
 
ピエール・ボナール「パリの生活情景 上から見た風景」


 リトグラフは大量印刷にもむき、19世紀20世紀前半の広告美術にも盛んに用いられ、ポスター印刷などに数多くのすぐれた作品が生まれました。ロッカーにスマホを置いてきてしまったやっちゃんは、「馬が好きだから、馬が描かれているリトグラフを撮っておいて」というので撮影。私がぼうっと見ていた馬も、やっちゃんは「この子は蹄鉄を履いていないな」などと細かいところを見落とさずにいました。毎朝、大学馬術部のボランティア指導を欠かさず、元気なやっちゃんを見習って、梅雨時でも湿らずに暮らしていきたいです。

 

<つづく>
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