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ぽかぽか春庭「1万年の漢字文化&吏読&万葉仮名」

2020-06-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200621
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ニーハオ春庭漢字話(1)1万年の漢字文化

 2009年、中国赴任時に書き留めた漢字話の再録です。
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2009/04/01
ニーハオ春庭ニッポニアニッポン語教室>漢字の国からニーハオマ?(1)1万年の漢字文化

 シリーズタイトルの「ニーハオマ?」は、中国語の手紙の冒頭などに使われる挨拶のことばです。「お元気ですか」という意味で「你好[ロ馬]」と書きます。ふだんの挨拶では「ニーハオ你好」だけですが、手紙などでは疑問詞の[ロ馬]を付け加えるのです。さて、「手紙」とは、中国語でトイレットペーパーを意味する、ということは、最近日本人の間でも知られてきました。中国からのニーハオ春庭通信、漢字の話ウンチクシリーズ。最初の漢字シリーズは日本語と中国語で意味の違う漢字のあれこれ。
 まずその前に日本語における漢字の復習から。

 漢字は、日本語にとって大切な表記文字です。日本語は漢字ひらがなカタカナアルファベットを取り混ぜて表記する、世界でも少数派の表記システムを持っています。
 ひらがなカタカナは、日本語にあわせて発達した文字ですが、元になっているのは平仮名も片仮名も漢字です。漢字は日本語の自立語の多くを表記し、ひらがなは文法上の機能を表すことを主にしています。非自立語、すなわち付属語・接尾辞・助詞、動詞形容詞など用言の活用語尾を表記します。

 にほんで つくられた かんじ(こくじ)も あるし、にほんで そうさくされた じゅくご(みんしゅ じんみん てつがく やきゅう きょうわこく など)もあり、かんじは にほんごに かかせない もじと なっています。 かなだけで ひょうきする てんじなどの ひょうきほうも ありますが、いっぱんてきには かんじかなまじりぶんが ふきゅうしており かんじを つかわない ひょうきは たいへん よみにくいものに かんじられます。 
 日本で作られた漢字(国字)もあるし、日本で創作された熟語(民主、人民、哲学、野球、共和国など)もあり、漢字は日本語に欠かせない文字となっています。仮名だけで表記する点字などの表記法もありますが、一般的には漢字仮名交じり文が普及しており、漢字を使わない表記は、たいへん読みにくいものに感じられます。

 現在までの研究で最古の漢字とされるのは、「中国寧夏回族自治区の大麦地区で発見された岩壁に描かれた絵文字」です。(2005年10月5日新華社)
 中国大使館HPに新華社発表の記事があります。
http://jp.china-embassy.org/jpn/zgly/t215151.htm

 大麦地区岩壁の初期の岩画は、今から1万6千年から1万年前のものと測定され、その岩絵の図形から1500余りの絵文字が、漢字の起源とみなされています。(文字として解読されたのは一部分だけですが)
 殷時代(商王朝)の甲骨文字などと同様の文字体系がすでに1万年前から存在していたことがわかり、これまで紀元前5千年ごろから使われていたという漢字の歴史が大きく塗り替えられたました。

 この漢字は、紀元前600年頃から始まったという稲作の伝来とともに随時日本に伝えられてきたと思われます。AD50年~800年の間に、つたわったことの証拠として、剣や鏡に残された文字があります。剣や銅鏡に残された文字から、漢字伝播の過程が研究されてきました。

 木簡の出土も相次ぎ、日本がどのように漢字を受け入れ、日本語に合わせて使いこなすようになったのか、明らかにされてきました。
 銅鏡や銅剣の文字は呪術的なマークとしての使用が多く、実質的に「日本語を表記する文字」として使用されるようになったのは大和飛鳥時代より以後のことになります。

<つづく>
2009/04/02
ニーハオ春庭ニッポニアニッポン語教室>漢字の国からニーハオマ?(2)万葉仮名とハングル

 日本と同じように古代朝鮮や越南(ベトナム)も中国からの漢字文化を受け入れました。古代朝鮮では、吏読(りとう)と呼ばれる表記方法がありました。日本語と同じ文法(ことばのしくみ)がある朝鮮語では、名詞や動詞語幹を漢字で書き表し、付属語を付け加えるやり方で表記されていました。一部の漢字を仮名のように用いる読み方で自国語と中国語の相違を補う方法が考え出されていました。

 三国時代(高句麗、百済、新羅の三国が鼎立した時代)から新羅統一時代にかけてまとめられたというこの「吏読」は、日本語の万葉仮名成立の先駆と考えられます。
 しかし、日本語の万葉仮名が平仮名に発達したのに対し、朝鮮半島での文字は、15世紀のハングル成立まで、独自の文字は発達しませんでした。

 日本の漢文は、初期には半島出身の知識人が吏読を加えた漢文として伝えたものを踏襲し、遣隋使遣唐使の時代になると中国本場の漢文を習得し、全面的に中国語に翻訳する「漢文・化」が可能になりました。『日本書紀』『懐風藻』など、正式な漢文とはやや異なる文体ながら、中国人にも読める漢文で書かれています。

 古代日本人が自由に漢文を読み書きできた以上に、古代朝鮮の官吏や貴族達は漢文を読み書きできたと思われます。古代朝鮮は、自国のことばを発音のままに表記することをせず、漢文及びその補助的な手段として付属語吏読によって表記してきたので、古代朝鮮語がどのようなものだったのか、今では再現することができません。現代韓国語朝鮮語の遠い祖語は新羅語だろうということが研究されていますが、その新羅語はどのようなものだったか、一部分しかわかっていません。自国語を発音通りに記録せず、中国語に翻訳された形でしか記録されていないからです。

 漢字を発音するとき、日本語は「音読み」「訓読み」の二通りを使い分けました。一方、古代朝鮮語は「音読み」だけを用いたのです。「古代」という語をかんがえてみましょう。日本語は「古」に対して「コ」という音読みの発音と「ふる」という訓読みの発音の両方を用いたので、現代日本語の「ふる」は、古代日本語でも「ふる」と発音したことがわかるのですが、古代朝鮮語では「古」に対して「コ」という音のみをつかったので、新羅語で「古い」に当たる語をどのように発音したのか、わからないのです。

 朝鮮語を発音のとおりに表記する方法は、15世紀の世宗大王によるハングル創作を待たねばなりません。古代朝鮮語を復元するためには、わずかに中国文献や日本文献に古代朝鮮語の断片が残されているのを研究していかなければならないのです。
 千年前の日本語は文献によって確認できるけれど、千年前の朝鮮語は書き残されていないのです。古代朝鮮語は全部古代中国語に翻訳されて記録されたからです。

2009/04/03
ニーハオ春庭ニッポニアニッポン語教室>漢字の国からニーハオマ?(3)こもよみこもち万葉仮名

 ハングルは、15世紀に作られた非常に合理的な文字で、韓国語朝鮮語を表記するのに適したすぐれた文字です。しかし、古代朝鮮語の表記は残されていませんから、15世紀以前の中世朝鮮語古代朝鮮語を復元することはむずかしい。

 4~5世紀から8世紀の日本語が復元できるのは、発音通りの日本語が万葉仮名によって『古事記』『万葉集』などに残されているからです。
 泊瀬朝倉宮御宇天皇(後代に雄略天皇と名付けられたオホキミ)を作者として伝承された古代の婚姻歌謡は、漢字だけで表記されていますが、日本語として読み解くことができます。賀茂真淵や本居宣長のおかげですが、その後、万葉仮名の研究は著しく進んでいます。

籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒
家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居
師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母

籠(こ)もよ み籠持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串もち 
この岳(おか)に 菜摘ます児
家聞かな 告(の)らさね 
そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ 居れ
しきなべて われこそ座せ われにこそは 告(の)らめ家も名も

 古代日本語の発音が、万葉仮名表記によって再現できます。そして、音韻変化の研究によって「掘串 ふくし」の発音は飛鳥奈良以前には「pu ku shi」であったこともわかっています。

 現代韓国語朝鮮語では、漢字をほとんど使わない社会生活になっているので、カムサハムニダ(ありがとう)の、「カムサ」が中国語由来の「感謝」と共通する語彙であることに気づかない子供も育っています。

 日本語の漢字教育をうけた層は、「ごこうじょうにかんしゃします」と発音したとき、頭の中には「御厚情に感謝します」という文字が浮かびます。同音文字、「ご厚情に」を交情、向上、工場、口上、恒常、攻城、荒城、甲状、攻城、高城に置き換える間違いはでるかもしれないけれど、「かんしゃします」の場合、官舎はスル動詞にならないので、「かんしゃします」ということばを聞いたとき、「官舎します」と間違えることはない。

 日本語は、漢文での読み書きのほかに、「漢字をつかって日本語を書き残す方法=万葉仮名」の方式を採用し、200年ほどの間に「日本語表記につごうのよい平仮名片仮名」を広く用いるようになりました。漢字を「ほんとうの文字=真名」とし、それを崩した草書体の文字を「仮の文字=仮名」として、日本語を日本語のまま表記できるようにしました。平安文学の開花は、平仮名の発達による、ということは、土佐物語、源氏物語、古今集仮名序に記されているところです。

 日本の漢字は、現代でもなお「隣の国から伝わった文字」という意識を残している点で、世界の表記システムの中で特異な地位を占めています。アルファベットを使う言語の国では、だれも「古代フェニキア文字を変化させて使っている」などと考えもせずにアルファベットで自国の言語を書き表しています。アルファベットによって母語を書き表している国の人々が、アルファベットの由来などまったく知ることもなく文字を使っているのに比べると、日本は1500年たっても、子どもたちに漢字を教えるとき、それが中国由来のものであることを意識しています。

 私たちは「漢字は中国から来た」ということを、当然のように知りつつ母語を表記する文字として使っています。母語を表す文字のよってきたる所を1500年以上も忘れることなく使い続けているのは、音読み(中国語読み)訓読み(和語の読み)という「ひとつの文字に2種類の言語の読み方」を1500千年間変わらずにつづけてきたからでしょう。

<つづく>

2009/04/04
ニーハオ春庭ニッポニアニッポン語教室>漢字の国からニーハオマ?(4)我的中国的工作

 中国の「中」という文字を見たとき「チュー」という音声が頭に浮かびますが、「中」ひとつだけあったら、日本語母語話者は「チュー」のほか、「なか」という発音も頭のなかに思い浮かぶるはずです。そして、文脈によって「チュー」と読んだり「なか」と読んだりします。私たちはこのことを当たり前のことのように感じていますが、これは世界的には特殊なことがらなのです。

 「人中で」というときは「ひとなか」で「なか」と読み、「会議中」「食事中」というときは「チュー」、「一日中」のときは「ジュー」と、ひとつの文字の発音を何種類もつかいわける技術を身につけていることは、世界の言語文字表記でほかにあまり例のないことです。漢字ひらがなカタカナ3種類の文字を混ぜて使い、しかも漢字にはひとつの文字に数種類の発音があり、和語か漢語か、という語彙の種類別によって、文字の読み方を変える。

 「きのう、コーエンに行ったんだよ」という話を聞いたとき、前後の話の続きから、「公園に行った」のか、「講演に行った」のか、「公演に行った」のか、文字を思い浮かべて判断しています。私が以前続けていた視覚障害者のための朗読ボランティアでは、よく同音異義語の説明を求められました。前後の文脈から判断できないとき、「コーエンにイッタ」と朗読した場合、意味がわからないからです。
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20200620
 漢字の読み方教育、今日もしっかり教えてきました。熟語を丸ごと覚える方法が中国人学習者にはあっているのではないか、と、この1年間感じてきました。非漢字圏学習者への漢字教育が主だった大学での留学生センターとまた異なる漢字教育の難しさですが、日々、まじめに勤務しております。

<つづく>
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