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ぽかぽか春庭「白河清澄庭園」

2025-05-29 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250529
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記あやめ咲いたか菖蒲はまだか(1)白河清澄庭園

 毎月の第3水曜日シルバーデー、2025年5月は現代美術館へ。
 現代美術とは相性が悪いHALですが、現在シルバーデーで入れる主な美術館博物館は庭園美術館写真美術館現代美術館の3館。東京都美術館はシルバーデーを実施しないことに決定して、高齢者は往復はがきでチケットを申し込み抽選にかわりました。江戸東京博物館は休館中。よって、今月は現代、来月は庭園。展覧会情報を見比べて、よさそうなところへ。庭園美術館のときは白金植物園(科博付属自然教育園)についでに寄るし、現代美術館のときは木場公園によることがあるけれど、木場公園は、先月娘とお好み焼き教室のついでに寄ったので、今回は清澄白河庭園へ。

 清澄白河庭園は2022年6月に訪れて以来。6月1日にもまだ菖蒲もあやめにも時期が早かったので、5月21日にも早かろうと思って出かけました。咲く時期は年によって異なります。24日土曜日から菖蒲祭りというので、もしかしたら21日に気の早いつぼみも出ているかと思ったのですが、全然でした。

 菖蒲の勝負には負けましたが、夏日になるという予報の中、水辺の散歩は気持ちよく、朝ちゃっちゃと作った焼きそば弁当を池の端のベンチで食べてから帽子かぶって日傘さしてぶらぶらしました。

  
涼亭へ向かって歩く        涼亭の茶室で外国人団体が茶道体験中
 

芭蕉句碑。近くに芭蕉庵があったことから、芭蕉庵近くの池というゆかりで「古池やかはつ飛びこむ水の音」
 

 外国人観光客も老人会の団体も、老夫婦ふたり連れも、のんびり池周遊の散歩。奥多摩あたりの自然の中を歩く森林浴セラピーとは異なりますが、公園セラピーっていうのもあるのだとか。11時から12時半までの公園で、心身リフレッシュできました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「大阪関西万博⑦チケットゲットの件万博災難の件」

2025-05-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250527
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記万博⑦(7)チケットゲットの件万博災難の件

 大阪万博、「行列しない万博」とぶち上げておいて、初日以後、入場ゲートはじめパビリオンやレストラン前に長蛇の列。雨がふると雨宿り場所なし。リング下は吹き込む雨にびしょ濡れになる。歩き疲れても、濡れてない休憩ベンチ遠い少ない。日が照ると日陰ナシ熱中症必至。ラーメン3800円ほか食べ物高いし、予約しても食べるまで数時間待ち。自動販売機で売っているドリンクは旧統一教会経営の企業、などなど。悪評、不平不満噴出のエキスポ2025ですが、行ってまいりました。

 ドリンクの販売契約は解除するとの発表ですが、すべてにわたって後手後手の会場運営に、万博後のカジノ運営優先なのかと下種の勘繰りも生まれます。そうそう、会場に大発生した虫対策は、アースとフマキラーが乗り出すそう。この殺虫剤の費用も税金かしら。たぶん、カジノの虫対策として契約がとれるんだろうな。今回パビリオンを出展した企業、建設に関わった企業が、ダミー会社を含めて、どのようにカジノに関わっていくかを、国民府民は注視していくべき。金にならないことに、ボランティア参加している企業はないはず。

 懸賞生活を続ける娘、エキスポ2025チケット4枚当選しました。企業が押し付けで買わされたチケット。商品買って応募すると当選する懸賞にした。2つの企業のチケットがあたりました。協賛企業は、中抜きの万博運営でしこたま稼いでいるのですから、当てがわれたチケットを懸賞の当選品にするのは痛くもない。

 母娘のふたりで5月8日9日の二日間観覧決定。ホテル代は、スーパーの買い物で貯めたポイントに現金を足して、スーパー系列のホテルに宿泊。新幹線代は自腹です。娘が乗り物に弱いので、少しでも快適な移動を、と高望み。母だけ夜行バスで大阪に行こうとしましたが、ひとりで大阪に着いても、乗り換えとかわからず、万博会場で落ち合うのは不可能と、同行決定。
 万博が少々しょぼかったとしても、無料大好きHALですから、出かけることに躊躇なく、意気揚々と大阪へ。

 懸賞当選したチケットで入場するのだから、そこで運は使い果たしている。
 1日目。2万歩あるいてくたびれはて、風呂も入らずに寝ました。翌朝、風呂に入り、うち開きの風呂場ドアを開けました。足の置き所が悪く、ドアが左足親指にどしんと当たりました。血が出ました。自分の感覚だと、たぶん、親指の骨、ひび入ってる。

 娘は医者に行ったほうがいいと言うのだけれど、行きたくない。去年の今頃、パソコンキーボードを右足小指に落として、レントゲン撮りました。小指の骨折れてるという診断でしたが、シップのほかに治療ナシだったので、今回も医者行っても治療なしだと思います。親指と人差し指を括り付けてできるだけ歩くなって医者が言うだろう。チケットゲットで運は使い果たしているので、こんなメに会うのもしかたなし。
 2日目はバス移動にしました。できるだけ歩かないように、と思っても、会場内の移動は歩き以外にないのです。障害がある方や高齢者が事前に申し込みをしている電動車が園内を移動していましたが、当日申し込み分もあれば、いいのにと、うらめしい。

 2日目、足の負担を考え、予定より早めの帰宅を決めました。会場内レストランは長時間待ちですから、新大阪駅で駅構内の店で晩御飯を食べることにして、17時すぎ、夢洲駅へ。地下鉄中央線に腰を下ろし、背中のリュックを下ろしてハタと気づきました。肩にななめがけの合切袋(スマホ、財布、保険証など)は持っているけれど、がらくた入れのトートバッグがない。中には水筒とかタオルハンカチとか、がらくたしか入っていないので、あきらめるべきか、娘におそるおそる告白すると、とにかく戻って落し物センターに届けようと、東ゲートへ逆戻り。係の人が落し物センターに連れて行ってくれました。トートバッグの外観やなかに入っているものを説明する。「えっと、水筒とタオルハンカチ、ティッシュとパン」
 パンは、レストラン長蛇列で食べ損ねた場合の保険として持ち歩きました。

 係の人が電話で問い合わせて「中央なんたらセンターに届いている」という。落し物がちゃんと届けられる、なんと良い国ニッポン。現金はだめだけど、がらくたトートバッグは届く。(これまでの人生で、2万円のもらいもの傘は出てこなかったけど、千円の傘は届いていた)。

 母は足が痛いだろうからと、娘が往復30分かけて、中央なんたらまで取りに行ってくれました。ありがたし。早く帰るつもりだったのに、結局予定の新幹線の1時間ほど前に新大阪につきました。レストランは無理だから、駅弁を買う。娘は近江牛焼肉駅弁1600円。落し物をとりに行ってくれたごほうび。母はトートバッグの中の残りモノパンをかじる。自分への罰。
 新幹線は1時間早めることができて、最終便より前には自宅に戻ることができました。いやはや、足の指は痛めるし落し物はするし、毎度毎度失敗なしに旅は終わらない。
 
 娘は、スマホと格闘してイタリア館やウズベキスタン館、カナダ館、三菱館の予約をとってくれました。スマホ苦手な高齢者には、予約を入れることなどできないことで、予約なしになんとかなるだろうと出かけた老夫婦は、大屋根リングを一周し、いくつかのパビリオンの外観を見て、疲れ果てて帰った、というようなインタビューをテレビで見て、私よりはスマホに強い娘がいてよかったなあと。娘とてスマホネイティブの10代20代に比べると、悪戦苦闘だったろうと思います。3日前の0時に受付開始の予約スマホメール合戦では数秒で予約終了。0時10分には、すべての予約が満杯。なんだかなあ。デジタル社会では高齢者はものの数に入っていないのでしょうが、落ちこぼれ感はんぱない。

 なんだこりゃあ、と思った万博キャラのミャクミャク。デザインはミスドのポンデリング似だけど、ぜんぜんかわいく思えない。けど、おみやげ用のぬいぐるみなどは売れているらしい。私も写真撮りました。万博に来た証拠写真と思って。
 そんなこんなで、私にとって、はじめての万博でした。

 5月8日、朝4時起き。5時には最寄り駅から電車にのって6時には新幹線乗車。早起きしたのでうつらうつらの中、70年万博の年の労働の思い出が車窓を通り過ぎていく。楽しみにしていた「富士山を見る」は、頭に雲をまとった姿で、シャッターきりませんでした。

 2025万博宣伝のために、1970万博の振り返りがメディアに氾濫しました。いわく月の石、いわく人間洗濯機。太陽の塔。振り返りはキラキラしています。未来の夢にあふれていました。
 娘には「1970年は、母は東京に出てきたばかりで、お金もないし、とても大阪に行く余裕はなかった」と述懐したのですが、ほんとうはちょっと違います。
 
 お金がなかったのは事実ですが、、、団塊の世代の70年事情など、つらつらと振り返ると。
 私の周囲の若者は「70年は安保の年」という人のほうが多かったんです。私も70年万博は、70年安保闘争をつぶすための目くらましだという説、さもありなん、という感覚でした。団塊の世代にとって、10年前の60年安保闘争を担った世代が残っている環境でしたから、学校や職場で「万博が~」なんていう話をしたら、10年年上の世代ににらまれること必至。「俺たちは60年安保を阻止できなかったから、お前たちがなんとかせぇ」なんて言われてもなあ、という感覚で迎えた70年。68年69年の学生紛争で燃え尽きてしまった団塊たちの70年。私も誘われてベ平連のベトナム戦争反対デモにくっついていった覚えはあり「ベトナム戦争反対」とシュプレヒコールを叫んだ覚えはありますが、アンポ反対と叫んだ記憶はない。ちょこっとべ平連うしろにくっついただけなのに、ベトナムが平和になったのは、きっと私のデモ練り歩きも貢献したに違いないと思い込める自己評価の高さ。

 学生闘争が潰れたのは、万博めくらましの成果というより、学生闘争そのものが風船がしぼむがごとく終息化したゆえだったように思います。1968年度には67大学、1969年度には127大学において火を噴いていた 学園紛争が、私が東京に出てきた1970年には、一部の大学では続いていたものの、全国的には鎮静化していきました。ただし、私が在籍した私立では、70年71年72年と学生による学園ロックアウト封鎖が実施され、授業は一回か二回やると中止。学期おわりに教授宅へレポートを送付すると単位がもらえました。私は医療労働者として、せっせと労働しました。

 労働の成果。「衛生検査士」という資格試験を受け、一発合格。(衛生検査士は臨床検査技師の下位資格で、看護師に対する准看護師にあたる資格です)。自慢じゃないけど自慢するけど、通常は2~3回受験したのち、4回目くらいで合格すれば上出来といわれて「1回めはおためしだから、不合格でもがっかりしないで」と言われていたんです。一生の幸運をここで使い果たしたのかもしれない。学校の授業がないので、臨床検査の勉強時間はとれて、白血球像の分析法とか、寄生虫卵の見分け方とか、顕微鏡のぞいてしっかり学びました。ただし、私が学んだ程度のことは、赤血球の数え方など顕微鏡覗いてカチカチと数取器で数える方法はとっくの昔に機械化され、たぶん、私が受け持った業務のほとんどは機械化されていると思います。

 1970年に二十歳だった春庭も55年たてば75歳です。さらに55年後、次に日本で万博があるとして(たぶん、ないと思うけど)、130歳となった身は足が動くこともならず、、、って、生きてないよね。
 1851年に第1回万国博覧会がロンドンで開催されてから、ひとつの国が会場になる万博は、今世紀中にひとまず世界への役目を終えるのではないかと思う。

 5月8日、8時すぎ大阪駅着。
 新大阪駅での恒例到着記念。


 宿泊のホテルに荷物を置き、本町駅から大阪メトロ中央線で夢洲駅へ。

 ガンダムは、お台場で見たからいいようなもんだけど、片膝ついた姿は、大阪万博だけの特別スタイルだというので、ごいっしょに記念撮影。たぶん、大屋根リングより丈を高くしちゃいけないので、原作にはいっさい出てこないという片膝つきスタイルになったんだろう。万博終わったらどこ行くのか知らないけど、立て!ガンダム!私も親指痛いけど立ちます!


  観覧客についての印象。平日だから、全体的に高齢者が多かったです。若い年代は、小学生の遠足中学生の社会科見学高校生の修学旅行。そろってぞろぞろ歩いて、団体予約ができたひとつを見て、リング歩いて終わりってくらいかな。子供たちの胸によい思い出として残るといいなと思います。次の図工や美術の時間には、必ず万博の絵を描かされる。

 小学生へのテレビニュースインタビューで、「一番の思い出は、ガンダムの前で写真をとったことです」と語る子がいました。ガンダムの館の予約とるのは超難関だそうで、たぶん小学生団体は館内に入っていないと思います。写真を撮ったことだけでも思い出に残ってよかったとも思いますが、ガンダム写真が一番の思い出になる万博って、50年後まで一番の思い出になるのかなあ、と。

 「太陽の塔の中を見たことと月の石を見たことは、55年たっても忘れない」と語る中高年が、今回の万博にもきているだろうし、私のように55年前には見ることはなかった、という高齢者も来ている。今回万博を見た子供たちが、55年後の未来を、今よりよい社会にしてくれることを願うばかり。

 一日目夜、宿泊の御堂筋、イルミネーションがきれいでした。東京は冬の間イルミネーションが青山通りとかあちこちで輝くけど、大阪は5月も光ってるなあと思ったら、今年度は万博の開幕に合わせて4月から特別に点灯しているって。「輝く未来へつなぐ光のシンボルストリート」をテーマに、万博カラーライトアップ。光物すきですから、歓迎です。未来が輝く光でありますように。

 以上で春庭の2025万博話おわりです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「大阪関西万博一日目③オランダ館関西パビリオン」

2025-05-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250525
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記万博(3)大阪関西万博一日目③オランダ館関西パビリオン

 大阪万博、5月8日午後は13時半に予約がとれたオランダ館へ
 

 13時半予約でしたが、入り口で30分列に並び、オーブという球をもらって館内に入る。壁にあるポイントにオーブをくっつけると、オーブの色が変わる。あちこち移動したおわりにドームに映写される360度全天の映像を眺める。星空の映像を眺めたりして、最後にオーブを返却する。ドームを出るとすぐにオーブ返却をうながされ、あれれ、これで終わりかという感じ。娘と、ふたりのオーブをくっつけると海をきれいにできたり、最後にいっしょにドームに入った人がオーブを合わせて地球の未来をよくできたり、なにか参加者が活動できる工夫があればよいのに、と話しました。オーブの役割があまりなかった。
 

 娘が買いたかった、万博オランダ館限定販売のミッフィちゃんぬいぐるみは売り切れだったので、オランダワッフルを買って、リングの下のベンチで食べることに。日本では定番になったベルギーワッフルとは違い、丸くて薄型のワッフルでした。

 関西パビリオンへ入館するまでにいくつかのパビリオン撮影。
 シンガポール館          インドネシア館
 

タイ館。この建造物、右半分は鏡に映されています。


 サウジアラビア館の前で写真撮影に応じていたアラブの王子みたいなイケメンとツーショット。「シュクラン」とアラビア語でお礼を言ったら、ことばをかえしてくれました。聞き取れなかったけど、たぶん「どういたしまして」のアラビア語。昔、フスハというアラビア正書文字を習って挫折したことを思い出す。子音を書かずに大文字だけの表記でコーランを読み下す。「كتاب」表記は「KTB」だけで、文脈によって(Kitab=本)になったり(Kutub=複数の本)になったりする。幼いころからコーランを暗唱し全文暗記するくらいにならないと読みこなせない。私にはムリでした。 


 16時予約の関西パビリオン。関西各県の共同パピリオンです。


 娘は福井までいけないので、福井ブースに恐竜の化石展示があるのではないかと期待して予約したのですが、まったくの期待外れで、展示があったのは、あまり大きくはない恐竜模型。あとは狭いブースでの映像展示。懐中電灯を渡されて、壁のひび割れを照らすと化石の絵が表れるという遊びもあったけれど、娘の結論は「こりゃ化石を見たいなら福井の恐竜博物館にでかけて来い、と思わせるための展示だな」

 鳥取県ブースでは、コナン君鬼太郎君と写真を撮っただけで終了。関西各県のスタンプ押して、兵庫ブースに座ることができたので、丹後市紹介ビデオをぼうっと見て疲れてきた足をしばし休める。
  

 夜の予約「アオと夜の虹のパレード」観覧までの時間、大屋根リングの上を歩きました。
 


 大屋根の上からオーストリア館とスイス館を見ました。
 オーストリア館 スイス館

 これから万博へ出かける方のための「お役立ち情報」
 パビリオンが立ち並ぶリングの内側外側。平日でも時間帯によっては、女性用トイレは列が伸びているのを見かけました。案外気づかれていないトイレがあります。大屋根リングの上にもトイレが設置されています。エレベーター上がった先に隠れるようにトンネル状態のトイレがあり、平日はほとんど待たずに入れたし、トイレ前の自動販売機並びに給水所。待たずに水を補給することができました。給水所、ありがたし。一度も飲み物を買わずに、ペットボトルに給水して間に合わせました。なお、自動販売機の飲み物も、大方の観光地とことなり、ぼったくりじゃありません。物価高の観光地にも500ml500円なんていうペットボトル値段もありますが、500ml150円160円です。

 水上ショーの時間もせまり、とりあえずおなかにいれることに。駅ラーメン3800円の値段は知っていましたが、屋根の上で演奏していたギターの演奏に呼びこまれて、ポルトガル館のレストラン外の椅子で待つこと30分。娘は、椅子に座ってギター演奏を聴きながらの待ち時間だから、30分も長くなかったと言います。こんなふうに待ち時間の暇つぶしをかんがえてくれるところ、点数高い。
 

 私のオーダー。カルドヴェルデ(ポテトとケールのスープ)880円。バカリャウ(干し鱈)コロッケ1155円。娘のオーダー。バカリャウとブロア(干し鱈とトウモロコシ粉パン)2450円。アップルジュース715円。ふたりでデザートパォンデロー(半熟カステラ)770円×2。おみやげアーモンドタルト440円。合計7205円。
カルドヴェルデとヴァカリャウコロッケ    ヴァカリャウ&ブロア
  

 半熟カステラを食べる


 半熟カステラは、半分プディングっていう感じ。どうしてこれがポルトガルの宣教師から伝わって、日本のカステラのような「完全焼き菓子」変わったのか不思議。
 娘の「万博飯」の要望は、「今まで食べたことのないものを食べる」だったので、「半熟カステラもトウモロコシ粉パンも初めてだった」と満足していました。私は干し鱈のコロッケにがっかりしたので、不満足。待っている間に値段も確認していた3個セットなのですが、3個合わせても、おなかのどこに入ったかわからないくらい。干し鱈はもともとそういうモノなのかもしれませんがぱさぱさで塩が強い。私には、セブンイレブンのポテロコロッケ100円のほうが旨い。と、文句を言っても、万博会場のセブンイレブンは入店するのに長蛇の列。

 ポルトガル館を出ると、アオと夜の虹のパレードの開始が迫っていました。せっかく予約席がとれたのです。雨が降らずによかった。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「大阪関西万博2日目⑥ウズベキスタン館ブルーオーシャン館インド館オーストラリア館」

2025-05-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250524
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記万博(6)大阪関西万博2日目⑥ウズベキスタン館ブルーオーシャン館インド館オーストラリア館

 5月9日14時、予約のウズベキスタン館へ。
 ウズベキスタン館に14時入館。ウズベキスタン予約のデータが流出した、というニュースがあったので、予約が消えてしまっているのかと心配しましたが、大丈夫でした。流出した個人情報のケアはどうなっているのでしょう。


 すみません、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスタン、、、どっちがどっちやら区別がついていなくて。
 「知の庭」をテーマにしたウズベキスタンの展示。国の紹介の映像、現代技術のレプリカ展示などが主でしたが、トルコや中央アジア諸国のモスクやタイルが大好きな娘にとっては、現代科学技術はいいからタイル見たい、でした。ウズベクのモスクなど、おそらくこれから訪れることもない国の光景と思うと、興味深く見ました。

 現在3700万人の人口の半数近くが「モスレム」だということですが、ソ連時代に宗教が遠くなった人も多く、中東の厳格なイスラム教信者にくらべると、宗教に対して「ゆるい」そうです。


 2階展示の外には、「木の庭」展示。ウズベキスタンの木の造形のとなりに大屋根リングの木組みが見えるので、面白く見ることができました。
 

 
 ウズベキスタン館で娘が買ったモスクの絵葉書の中の一枚をもらいました。

 おなかすいてきたけれど、どこも満杯。
 入れそうな所どこでもいいと、セルビア館のカフェへ。20分ほど並びました。「席の確保は各自でどうぞ」とウエイターが言うので、荷物をまとめて席を立ちそうな人の椅子にすばやく座りました。娘は「セルビアのスナック」を買って、「食べたこと見たことのないセルビアの食べ物」を楽しみました。ビタサシロムはパンのような。ヴァニリツェはクッキー。チェヴァビというソーセージのようなもの。たぶんチェヴァビとケバブは語源いっしょ。
   
セルビアの旗と刺繍クッション
  

 セルビア共和国って、知っていたことは首都はベオグラードってことだけ。えっとチェコから別れたんだっけ、ユーゴから別れたんだっけと、迷ってしまうくらい、何にも知らなくてごめんなさい。今、ひとつわかりました。ヴァりニツェというのは、セルビアのジャムサンドクッキーです。

 セルビアカフェに座るまで、レストランを探してうろうろしたのですが、酷評芬々の石の休憩所の下を行ったり来たりしました。かなり大きめの石に穴があけられ、鉄索でつながれています。下を通過するとき、ちょっと怖い。
  

 今は大丈夫だけど、会期の終わりごろには日にさらされた石が劣化し、割れて落ちると言われているので、この石の下の休憩所で休みたい方は、お早めにお出かけください。

 15時20分からブルーオーシャン館へ。三菱未来館のような企業設立パビリオンのひとつ。特定非営利活動法人ゼリ・ジャパンって、まったく知りませんでした。海洋のプラスチックごみの減少などに取り組んでいるそうです。
 中央のBドームで海の映像。こちらはやはり既視感あり。オランダも三菱もブルーオーシャンも、似たような映像がごっちゃになって区別がつかない。
 紙の筒、セロファンの筒を建築材料として使っているという説明にドームを見上げると、ドームの屋根の構造として使われていました。こういう「モノ」が印象に残ります。
 

 夕方になって並ばずに入れる館に入ってみました。
 インド館。4月13日のオープニングに間に合わなかったけど、遅れて開館しました。

 インドがいかにハイテク産業で伸びてきたかという展示もあったけれど、ローテク工芸品の展示とインド舞踊。私はこういうほうが好き。
 



 オーストラリア館。外観は他の館に比べて色遣いが派手。 オーストラリアっていったら、コアラとカンガルーと羊。
 
↓のコアラは映像展示です。できれば多磨動物園などから飼育員込みで借り受けてコアラを展示してほしかった。無理か。

 オーストラリア館、ほかにも見るべき展示があったらしいのですが、コアラの映像見たあたりで力尽き、早めに夢洲駅に向かうことにしました。万博のレストランはどこも「長い列。高い。私にはうまくない」の三拍子なので、新大阪で何か食べて帰ろう、とバスに乗って東ゲートへ。
 夢洲駅から始発の中央線座席に座ろうとして、はたと気づいた。忘れ物。
 以下、顛末は次回。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「大阪関西万博2日目⑤三菱未来館カナダ館」

2025-05-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250522
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記万博(5)大阪関西万博2日目⑤三菱未来館カナダ館

 大阪関西万博2日目。5月9日は御堂筋のホテルで朝バイキングから。ホテルによっても異なるのですが、この朝の朝食会場でお料理をとっている宿泊客は私と娘以外、ほとんどが英語スペイン語、ほか何語だかわからない外国人客でした。たまに中国からかなと思っても、話しているのは英語だったりするので、シンガポールあたりの中華系の方なのでしょうか。大挙しておしかけると思われた中国客は格安民泊に2人予約部屋に6人が泊まったり、富裕層は万博目当てで高騰したという大ホテルに泊まるので、娘が半年前に予約した中堅ホテルにはいなかったみたい。

 新幹線に乗ってやってきた8日朝より早く会場に着くかと思いましたが、昨日より遅い10時過ぎに夢洲着。
 雨予報で人々の出足が遅くなったのか、荷物検査の列は昨日朝より短くなっている気がしました。
 三菱未来館の予約11時に間に合わせて10時50分に館の受付に並び初めて、30分待ちました。

 「並ばない万博」というのは、「少々待ち時間が短くなるだけ」という意味だと、えらいさんも言ったよし。複雑な手続きとらせて、これが万博見物に必要なのかというくらい個人情報をあれこれ記入させて、あげく初日はWi-Fi不足で予約QRコードが開かなかったりした。三菱館まえでも、私たちの前のおっさんがQRを出せずに苦戦していたので、私と娘は紙に印刷したQRコードをスキャンしてもらって先に進みました。紙への印刷手間を客にさせているだけだと思う。最初から紙チケットを発行すればいいだけなのに。


 館の中は映像「 JOURNEY TO LIFE 」だけで、館内の撮影禁止。内容は昨日のオランダ館ドームと重なる映像。海の中で生命が生まれ地球に満ち、未来は火星まで広がっていく。たぶん、高度な映像をだしているんだろうけれど、すごく既視感。二番煎じの気分。これならファルネーゼのアトラス、カラヴァッジョのキリストの埋葬という実物をど~んと並べたイタリア館に劣ること、はなはだし。実物は強い!昨日見たパナマの土産物工芸品とかのほうがまだしも見ごたえがあった。

 三菱の口上。「いのち」にまつわる、「いのちの始まり、いのちの未来」「いのちの尊さ」「いのちの出会いと共に生きる奇跡」といった様々な思いや不思議を共有し、一人ひとりがいのちの未来を想像する時間と空間を体験できるパビリオンです」といううたい文句があまり心に響かない映像でした。きっと名のある映像会社が引き受けて制作したのでしょう。作った会社は良心的に作業したのでしょうけれど、火星の映像は、火星の隕石には勝てないのだと思う。
 ちゃっちゃっと映像見て、外に出ると雨が降っていました。


 昨日の歩数は2万歩になり、歩きすぎた。とある理由により、二日目はバスで移動しようという娘の提案で会場周回バス利用。一日利用券千円。ただしコ―スによって、行先にちょうどよく止まるバス停がなかったりする。三菱館近くの東ゲート南バス停からカナダ館へ行くために、途中乗り換えてほぼぐるっと会場一周しました。
 大屋根リングの下をバスで通過したリ、海脇を通ったり、バスもアトラクションのひとつと思えば楽し。会場の外側も見えて、バックヤードツアー気分。働き手は電気自動車で移動していました。

 大屋根リング下のバス
 

 カナダ館12時~12:45の予約でしたが、ぎりぎり44分に入館。こちらは並ばずにすぐに入れました。
 

 カナダ館の中には白い氷山が所狭しと並んでいる。
 係員から渡されたタブレットを氷山にかざすと、カナダを紹介する映像がタブレットに出てくる。映像は単純だけれど、表示の方法に工夫があり、参加できた気分になれます。ただ椅子に座って海の中や火星探査を見ても、それは今どきテレビでもyoutubeでも見ることができるのだから、驚きを演出しないと。カナダ館のタブレットは、思いがけなくカナダの蒸気機関車やらイヌイットやらがボンって出てくるので、驚きがありました。

 やはり、映像や展示をただながめるだけでなく、参加したほうが楽しい。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「大阪関西万博④アオと夜の虹のパレード」

2025-05-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250520
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記万博(4)アオと虹のパレード&ドローンショウ

 20時半から、娘が楽しみにしていた噴水ショウ「アオと夜の虹のパレード」観覧です。ポルトガルレストランでゆっくりしたので、少しあわてて会場へ向かいましたが、すでに予約エリアも満杯です。中央のいちばんよい席は「招待席」。娘も当然応募しましたが、抽選ではずれました。一般予約席は、その両側。予約なしはさらにその外側。噴水エリアの外側の大屋根リングにも、観覧客がぎっしりです。


 遅れ気味に席に着いたので、二人が並んで座れるところはありませんでしたが、一人分があいている席が一番前とそのうしろにあったので、座ることができました。恋人同士なら二人並んでみたいでしょうが、母娘は縦に並んでも文句ない。


 ウォータープラザ」の水上に、幅約200メートル、奥行き約60メートル、
面積約8,800平方メートルのショーエリアが設置され、水のスクリーンに少年アオや絶滅してしまった巨鳥ドードーが写されます。300基の噴水に照明やレーザーが当てられ、火も吹き出す演出が壮大でした。
 巨大な舞台空間が誕生します。
 
(ストーリー)
 月夜に虹がかかる時、その島では生きものたちによる祝祭が開かれるという。そんな言い伝えが残る島で、ひとりの子ども「アオ」が夜の虹と出会う。
 繰り広げられる祝祭に歓喜するアオが、多様な生きものたちと交わり心を通わせていく不思議な物語
 
 

 

 30分の火と水のショウ、素晴らしかったです。一番前の席だったので、水しぶきもかかったし、火が出ると熱さを感じて迫力満点。

 噴水ショウに続いて、ドローンショウが始まりました。1000機のドローンが空に浮かびます。
 

 

 ドローンショウが終わって、一斉に客が駅に向かうと混むだろうと思いましたが、夢洲は始発駅なのだから少し待つことになっても、座って帰ろう、とゆるゆる歩く。うしろの二人連れが、「今日よかったね。あいこさま見れて」と語り合っている。「写真撮影が行われるので、一般の方は入場できません」というところがあり、あそこで待っていれば、「あいこさま万博御視察」と出会ったのかも。

 いろいろ問題点も多い万博ですが、チケット当選で入場した私たちには、十分楽しめる一日になりました。入場券ふたりで一日分15000円払っていたのだったら、いろいろ文句もあるところですが、今のところの文句は、「予約をしても30分くらい並ばされ、待ち客への配慮が何もない」と「レストランの待ち時間2時間と聞いてあきらめた。食べ物高い」の2点だけ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「大阪関西万博②イタリア館」

2025-05-18 00:00:01 | エッセイ、コラム

 イタリア館(+バチカン)の屋上庭園を大屋根リングから見る

20250518
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記万博(2)大阪関西万博②イタリア館

 万博2日間の見学ですが、一番の目的は、イタリア館のアトラスとカラバッジョ、レオナルド・ダ・ビンチです。本物です。
 わくわく期待して娘がスマホと格闘して予約確保したイタリア館へ向かいました。

 彫刻「ファルネーゼのアトラス」と「レオナルド・ダ・ビンチ」草稿、バチカン所蔵カラヴァッジョ「キリストの埋葬」という実物を見たいというのが、万博見物を決めた一番大きな目的です。
 モナリザもミロのヴィーナスも、せっかく日本に来たのに見に行くことができなかった春庭。こんどこそ実物を見ずにおくものか、という願いに、娘はスマホのイタリア館ページを開いて、申し込みサイトの英語に不安になりながらも、11時半の予約がとれました。いざ


 イタリア館の前。彫刻家ミンモ・パラディーノによる、長いとげを持つ兜の形をした巨大なアルミ彫刻 「サン・エルモ」がお出迎え。ジブリのアニメに出てきそうな。        館内はコロッセオを模しています。
 

 予約は11時半でしたが、入り口で30分ほど待ち、12時ころ入館。ディズニーリゾートの待ち列、待ち時間が長くても、待っている間も退屈せずに壁のパネルなどを見て楽しんでいられるサービスがある。万博監修者はそのへんをもっと工夫すればいいのに、という娘の感想。そこは「客の満足度が儲けに直結する」「リピーター確保が利益拡大の要」である営利企業の営業努力。大阪関西万博、税金使って「結局だれも責任とろうとしない」半年限りの殿様商売ですから、「こんなとこ二度とくるか!」という客がいても平気、との差でしょう。

 言っておきます。イタリア館は何度でも来て見る価値がある。写真撮り放題、「キリストの埋葬」に目の前まで近づける、という大サービス。もし変質者がいて、イエス様にインクぶっかけたりしたら、誰が責任とるんやろ、と心配になりました。

 イタリア紹介の動画を映していた画面が、四つに割れて開くと、ファルネーゼのアトラスがドンと目に入る。
 

 古代ローマ時代(AD2世紀)に作られた大理石彫刻。イタリアのファルネーゼ家がルネサンス期に収集した「ファルネーゼ・コレクション」の一つでしたが、現在はナポリ国立考古学博物館蔵。

 ギリシャ神話の巨神アトラスを描写したギリシャ彫刻を、ローマ時代に模写した作品(ローマンコピー)です。コピーと言っても、ギリシャ時代のもとの作は失われているので、唯一無二の貴重な彫刻。その貴重な作品重さ2トン、高さ2メートルの作品を、実際に日本に運んできて見せてくれるのですから、他館の映像がどれほどきらびやかでも、実物の魅力にはかないません。

 アトラスがかついでいる天球には、ギリシャ神話に登場する星座が克明に刻まれています。
 

 

 かつぎ続ける天球の重さも、ローブからはみでたプリンとしたおしりも、とても魅力的なアトラスさんでした。今では、天球図だけでなく地図帖を表す一般名詞として人の口にのぼるアトラス。

 アトラスは、ギリシャ神話に登場するタイタン神族の一人です。イアペトスとクリュメネの息子。弟は、天界から火を盗んで人類に与えたプロメテウス。オリンポスにゼウスが生まれると、オリンポス神族とタイタン神族の戦いが始まり、アトラスは敗れてしまいました。永遠に天球を支えるという罰を負わされ、彼の支えにより、天は今も地上に落ちてこず、ちゃんと天に広がっているのです。アトラス、えらい!

 イタリア館の目玉は、ほかにレオナルド・ダ・ビンチの草稿。アトラスが周囲を一周してゆっくり眺められたのに、草稿は狭い通路のガラスの中に鎮座し、係員が「シャッターを押すのはひとり一回です。一回シャッターを推したら、展示前から離れてください」と、目を光らすので、私もじっくりなど見ていられず、シャッタ―押しただけで、押し出された。でも、レオ様がおんみずからお書きになった草稿を目にできたのですから、ありがたしありがたし。
 

 3つ目のイタリア館展示は、ドメニコ・ティントレットの肖像画「伊東マンショ像」です。2016年夏に東京国立博物館に来日したときは、見ることができませんでした。はるばる東の果ての国からやってきた遣欧使節団の少年たちは、ポルトガルでもイタリアでも大歓迎を受け、教皇へのお目通りもかないました。少年たちの凛々しい物腰は「これぞ王族のふるまい」と称賛され、17歳の伊藤マンショは、大ティントレットの息子25歳のドメニコの手で肖像が残されました。衣服はむろん、顔立ちも欧風になっていますが、なかなかイケメンです。会えてよかった。


 イタリア館の中にバチカンブースがあり、カラヴァッジョの「キリストの埋葬」(1603-1604制作)が展示されていました。キリスト教絵画に詳しくない日本の観客のために、絵の人物の名前の解説もあり、三人のマリアも区別がつきます。右側がクロパの妻マリア。両手をあげている。真ん中はマグダラのマリア、後列中央のイエスの母マリアは尼僧姿。イエスの遺体を抱える弟子ふたり。上半身を抱きかかえるのは、福音を書いたヨハネ、足を持つのがニコモデ。埋葬というと、日本人は土の中に埋めると思うけれど、ジュリエットが死んだあと、ロミオに会ったときは、墓室に横たわっていただけで、ベッドに寝ている状態と同じでした。埋めるのではなく、遺体の下にある石板の上に横たえて、墓室に安置する。子供のころ、クリスマス会のお菓子欲しさに出かけた教会で、イエス様は墓地から復活したと聞かされて、地面の土を掘り飛ばし墓石押し倒して出てくるイエス様を想像して、ちょっと怖かったけれど、石板に横たわっているだけなら、マリアたちがたっぷり塗りこめたという香油が防腐剤となっていて復活もしやすい。

 クロパの妻マリアが万歳している両手も、イエスの母マリアがヨハネの肩越しに伸ばした左手も、顔の大きさに比べて大きすぎると思いました。この手で香油をたっぷり塗ったのでしょう。愛です。

 イエスを育てた養父ナザレのヨセフが大工カーペンターだったと聞くと、やはり日本人の印象では、ノコギリやカンナを持っている感じがするけれど、ナザレで家を建てるなら石を積み上げる石工がカーペンターです。イエスも30歳までは説法に出歩いたりすることなく養父を手伝って石運びなどしたでしょうから、ニコモデが抱きかかえるイエスの足も福音書ヨハネが抱く上半身も、肩の筋骨盛り上がっていて、肉体労働をしてきた男の体です。カラヴァッジョは筋骨隆々イエスとしてボディを描きました。

 ぶどう持っているバッカスも酒杯もっているバッカスも、ちょいバカっぽい顔に描いているカラバッジョですが、埋葬されるイエスは、目を閉じていてもなかなかものをしっかり考えてきたお顔です。磔になる前は、天の父に向って「なぜ私を見捨てるのか」と恨み言を叫んだけれど、安置された石板の上では、復活後に弟子たちにかけることばなど選んでいたに違いない、と思える静かな思索に満ちたお顔です。

 私は直行便で極楽浄土へ行くので、煉獄で最後の審判を待つ時間はないと思うけれど、たくさんの人々をお救いください、とお祈りしてきました。ここに描かれた埋葬のころは世界中集めても人口2億人程度だったそうですが、今じゃ80億人がひしめく地球。宇宙は広いから煉獄が込み合うこともないでしょうが、審判待ち時間は、万博に持つ検査の列なんか目じゃないくらい長い列になると思います。みな仲良く天国に迎えられますように。

 イタリア館の天井には、飛行機模型がつってあります。1920年にアルトゥーロ・フェラーリンがジーノ・カッパニーニと共にローマ-東京間を飛行した際に使用したSVA9型機を、オリジナルの技術図面に基づいて忠実に再現したもの。
 ほかにも、現代美術の心臓がぐるりと輪になっているのとか、ミラノ・オリンピックの聖火リレートーチなどを眺めることができました。

 
 東京オリンピックトーチのレプリカ展示が2019年にありました。ディズニーonアイスの会場で「持って見よう」というコーナーがあり、実際にもってみたら思ったより重くて、これ掲げて走るのたいへんだ、と思いました。イタリアミラノトーチも、レプリカでいいから、持ってもいいよコーナーがあったら、私と娘は列に並んだのに、と思いました。実際の体験こそよい思い出になります。

 イタリア館の3階はレストランとイタリア庭園。レストランの待ち時間は2時間くらいというので、待つのをあきらめて、庭園の中を通り抜け、次の予約オランダ館へ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「大阪関西万博一日目①大屋根コモンズC」

2025-05-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250520
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記万博(1)大阪関西万博①大屋根リング、コモンズC
 
 母娘のふたりで、5月8日9日の二日間万博観覧決定。
 懸賞応募を続ける娘が、二つの企業の懸賞に当選したのです。ホテル代は、スーパーの買い物で貯めたポイントに現金を足して、スーパー系列のホテルに宿泊。新幹線代(往復グリーン車、豪勢です)は自腹です。万博が少々しょぼかったとしても、無料大好きHALですから、出かけることに躊躇なし。

 入場に時間がかかると聞いたので、娘が「10時入場」を「9時」に予約を取り直してくれたのに、夢洲駅に着いたら、すでに10時。どうしても行動が遅い母娘ですが、高齢者あわてずユルユルを合言葉に、流れにのって入口へ。
 

 10時10分ころに荷物検査に並びはじめて、10時半に入れました。ゴールデンウイークを避けて来場した作戦は、ここまではOK。
 まずは、ミャクミャクと記念撮影。「かわいくない」と悪口を言ってきましたが、会場にきたからには、ごいっしょに。
  

 大屋根に向かいます。巨大な木組み。京都清水寺の大舞台と同じ組方で、釘は使っていないという古来からの工法が自慢のリング。ただし木材は、日本産では足りず、北欧産の集積材というネットの記事がありました。インターナショナルなお祭りだから、ま、いいか。
 
大屋根に上るのはエスカレーターで  2階からリングの中を見る    
                          
 
遠目のリング。2段になっている。
 

 東ゲートから第1日目の目当てであるイタリア館に着くまでにとりあえず前を通ったパビリオンの写真をとっておく。
 
マレーシア館            フィリピン館   
 
 モザンビーク館。入館しなかったけど、スタンプを押してみる。


 大屋根リングの内側は、外国パビリオン。円の中心は植え込み「静けさの森」。だれもいないエリアだったが、のんびりしていると、イタリア館の予約に送れるので、ささっと。

 
 予約がなくてもささっと見ることができる、いうなれば「弱小館」をのぞくことに。
 共同出展であるコモンズC。パナマ館でバーチャル海の景色を楽しみ、あとはスロベニア・スロバキアの国紹介映像を見て、とにかく「来ました!」の記念スタンプを押す。そもそも、私にはスロバキアとスロベニアの区別がつかず、えっと、スロバキアがチェコスロバキアから分離したのはわかるけど、スロベニアは元はどこだっけ、ユーゴスラビアのスラビアとスロベニアは同じだっけ、とわかっていませんでした。
 万博の目的にひとつは、アメリカ中国などの大国ばかりでなく、名前を聞いたこともない小さな国が世界にはたくさんあることを知れること、というのだけれど、コモンズCに入っている国の中、ガボン、モンテネグロ、サンマリノの3国が地図上のどこにあるか、ソラで頭に思い浮かべられた人、すごい!

 万博来訪一番の目的であるイタリア館へ。結論から言ってしまうと、映像中心のパビリオンがしょぼく見えるほど、イタリア館の実物展示がすごい。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「母の日」

2025-05-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250515
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記薫風(8)母の日2025

 毎年心のこもったプレゼントをくれる娘。今年もいろいろ取り合わせて、感謝状つき。ありがたいことです。
 娘が大切にしていたマグカップを落として割ってしまったときは大叱声を受けましたし、落し物引き取り所まで母に代って取りに行ってくれたり、ダメ母を気遣ったり叱ったりの娘です。

 今年のプレゼント、花鉢が届くのは6月。花カタログからお好みをひとつ選ぶ形式だったのですが、私が切り花ブーケか鉢植えか迷い続けたために、申し込みが遅くなり、母の日には間に合いません。ブーケの花は華やかできれいですが、枯れた花を「ドライフラワーブーケ」というつもりでとっておくと、「枯れた花はさっさと片づけて」と叱られるので、今年はどうしようか迷っていたのです。

 母の建築散歩のお供にと、「Tokyo名建築案内」の本。お菓子好きの母のために「ありあけハーバー」「さくら紅葉せんべい」。そして、感謝状。「娘より」とことばを添えてくれました。感謝状にあるほど、お料理も掃除もがんばっていなくて、料理は手抜き、お掃除は目立つゴミを拾っている程度ですが、娘息子がなごやかにすごしてくれることだけを願ってすごします。弱くなった足をいたわりつつ、美術館歩き建築めぐりも続けます。



<おわり>
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ぽかぽか春庭「はいさいフェスタエイサー in 川崎ラチッタデッラ」

2025-05-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250513
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記薫風(7)はいさいフェスタ・エイサー in  川崎ラチッタデッラ

 5月3日、GWの一日川崎で「はいさいフェスタ」を見ました。エイサーが行われていることを検索で見つけ、シネコンへ行く前に、ひとりで観覧。
 川崎はいさいフェスタは、2025年に22回目となる、なかなか老舗のおまつりです。川崎市特に鶴見区に、長年沖縄出身者が多く住み、2004年からはいさいフェスタが行われてきました。

 沖縄エイサーを生で見たことがありませんでした。テレビでは見たことがあるのですが、生のエイサー、新宿のエイサー祭に行きたいと思いつつ、真夏のお祭りでちょっと躊躇していました。晴天には暑くなるという予報がでていますが、真夏よりは暑さも弱めと思い、ラチッタデッラ噴水広場で13時から階段ステージで待つこと30分、13時半から演武が始まりました。

 太鼓の音高らかに、エイサー開始。
 

 獅子舞
 

 伝統的な沖縄民謡のほか、「海よ」とか「童神」などの琉球歌謡と呼ばれる曲も演奏されていました。
 

 エイサー、とても迫力のある音が響きました。来年も見にこれたら来たいと思います。よさこいソーランもそうですが、仲間同士が集って練習し、祭で練習の成果を人々に見てもらう、というハレの舞台に出演する人々、夏の新宿にも出演するグループもあることでしょう。暑さに負けず、おすごしください。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ネモフィラ in 舎人公園」

2025-05-11 00:00:01 | エッセイ、コラム

20250511
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記薫風(6)ネモフィラ in 舎人公園

 4月29日、目覚めてぐずぐずしていましたが、あ、今日はみどりの日だから、公園めぐりしなくちゃ、と飛び起きました。急いで朝ごはん身支度。靴を履こうとして、はたと気づきました。本日は昭和の日。みどりの日が5月4日に移動してからすでに20年がたっている。昭和生まれの昭和育ちなのに、どうも昭和の日とは相性が良くないみたい。

 せっかく身支度したので、とにかく家をでることにしました。天気は「みどりの日びより」。最寄り駅へ向かう道筋、2~3分で駅に着く間に思いついたことは。 昔、乗り鉄だった春庭ですが、最近は「ただ乗っている時間を楽しむ」という乗り鉄をやっておらず、移動のために地下鉄とバスのシルバーパス乗車ばかり。これではいかん。って、いけないことはありませんが、むだに乗ることもやりたいシルバーパスヘビーユーザー。
 シルバーパスで乗れる舎人ライナーに乗ろう!

 2017年の開業から8年もたつのに、足立区に縁うすく、乗る機会がなかった舎人ライナーに乗車します。が、終点の見沼代親水公園駅は埼玉県ですから、シルバーパスで降りると一駅分の料金発生。舎人公園駅で下車することに決定。舎人公園で検索すると「ネモフィラ」が登場。4月29日まで「花と光のムーブメント」というイルミネーションショウもやっているというので、心はネモフィラ祭。ネモフィラを見に行く!

 ネモフィラといえば、ひたち海浜公園がよくテレビの旅番組で取り上げられるし、昭和記念公園も有名。昭和の日だから昭和記念公園かなとも思いましたが、足立区舎人公園も悪くないにちがいない。さて、シルバーパスで行けるコースを検索。行きは、都営三田線白山→都営バス西日暮里→舎人ライナー舎人公園駅。ずいぶんと遠回りのコースですが、乗ることが目的だから、都営バスで団子坂を下るときは、鴎外もこの坂上り下りしたんだろうとか、あれこれ楽しみつつ舎人ライナーへ。沿線の景色。ダダ~と広がる住宅街。荒川を渡るときは広々とよい景色でしたが、足立区の家並は、あまり楽しめる沿線ではありませんでした。矮小住宅に住む身としては、せめて眺めるだけなら白金松濤とか田園調布とか、住めることもない大きな家を外から見て楽しみたいのですが、足立区に広がる家並は、我が家とそれほど変わりなくて、大邸宅は見つからない。足立区の人、ごめん。

 舎人公園で車内の半分は下車。駅のすぐ前が公園です。
 午後の公園。三々五々、家族連れ、老夫婦、若いカップル。かわいい服を着たお犬様一行。さまざまな人々が楽しそうに歩いていたり、簡易テントを立ててくつろいでいたり。
 
 園内地図をもらったのですが、もとより地図を読めない女。こどもがそり遊びをしている係員にネモフィラ花畑の場所を教えてもらいました。
 ネモフィラはいちばんの盛りはすぎていましたが、まだまだ映える薄青い色を残していました。


 私の母は、小さい花が集っているのが好きで、花屋の花ならフリージャ、野の花ならオオイヌノフグリが大好きでした。私もオオイヌノフグリが好きでしたが、今では都会では見るのはまれ。田舎でも、群生していた田畑の畦の土手が減り、オオイヌノフグリが消えてしまい、「犬のふぐり(陰嚢)」という気の毒な命名に憤慨する人もいなくなりました。

 在来種の「犬のフグリ」は、種子の形が犬の陰嚢の形だそうです。私は見たことないけど。その花に似ている外来種(明治以後の移入。帰化植物)に「大犬のフグリ」という名がつけられてのですが、種子を包む果皮はかわいいハート形で、犬のフグリは適切な命名とは思えません。英語名は「鳥の目」。日本語で別名の「星の瞳」を見聞きしたことはない。 

 オオイヌノフグリが、オオバコ科クワガタソウ属の越年草。ネモフィラは、ムラサキ科ルリカラクサ属の草花で、別名「瑠璃唐草(るりからくさ)」と呼ばれます。英語名は「あかちゃんの瞳」

 

 舎人公園に広がる大池。
 

 ネモフィラソフトクリームも売っていましたが、私は青い色の食べ物は苦手なので、持参のパンとコーヒーで軽食。園内には平日ならまあまあ座れる数のベンチがあります。

 

 18時からライトアップが始まるのですが、園内ぶらぶら8千歩したところで少々足がくたびれたので、高齢者無理せず帰ることに。
  
 帰り道。舎人ライナーを熊の前駅で下車。都電荒川線(サクラトラム)に乗り換えて、久しぶりの都電乗り鉄を楽しみました。

 熊の前駅の都電

 
 舎人ライナーと都電に乗れたし、ネモフィラきれいだったし、よい一日になりました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「神田川沿い史跡点描 with 日曜地学ハイキング」

2025-05-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250510
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記薫風(5)神田川沿い史跡点描 with 日曜地学ハイキング

 4月27日の日曜地学ハイキング「神田川の橋と史跡をめぐる散策」の史跡編です。
 神田川沿線には、江戸から明治へとさまざまな史跡が残されています。橋をめぐりながら、史跡の説明もあれこれレクチャーを受けました。

 聖橋から少し川をくだった川のほとりに立つ椋の木。お茶の水駅臨時出口の脇です。先生の解説がなければ、「元宮」の札が下がっているのを見ても、そのまま通り過ぎたと思います。太田道灌が娘の疱瘡治癒を祈った一口稲荷(いもあらいいなり)神社。明治になって太田姫稲荷と名を改め、総武線拡張のために移転。元の場所の椋の木に礼が立てられました。


 最初の史跡見学地は、お茶の水駅聖橋から屋根が見えるニコライ堂。ニコライ堂は何度か訪れ、信者以外も受けられるミサに参列させていただいたこともあります。今回は「外観だけ短時間で」ということだったので、ちゃっちゃと外観写真を撮影。
 


 日本では儒教信者は宗教として組織されているわけではありません。(宗教法人ではない)。
 おおかたの仏教信者と同じように、 教祖などを信じる信仰としてより人生の指針として受け入れられているように思っていたのですが、4月27日湯島聖堂では、宗教的な儀礼と思える行事が行われていました。孔子祭として儀礼が実施され、孔子への供物が並び、孔子をたたえる歌を歌い、献茶や祭文奉読など、一連の式次第は宗教っぽく見えました。宗教法人として組織してしまえば、税金対策になるのにと、思ってしまうのは、岡田斗司夫の母と同じ。岡田斗司夫母堂は宗教法人を買い取り、自ら教祖となろうとしたのに失敗。この点、ゆずの母は息子に神社を買ってもらい、教祖として岡田斗司夫母より成功したみたい。私もなりたい教祖様。(もしイーロンマスクくらい稼いで税金対策しなければならなくなった場合)

 先生の解説では、門の建物は再建されたものですが、「入徳門」という額は徳川綱吉の揮毫だそうです。綱吉は儒学大好きッ子として育てられましたから、将軍になってからも儒学に傾倒しました。

門と本殿
 

孔子さまへの供物          本殿の儒教のえらいさん像
 

 儒教の宗教っぽい儀礼について孔子祭のパンフレットを読み、宗教についてあれこれ考えながら神田明神に向かいました。神田明神では40分ほどの休憩時間があったので、地下のトイレに行ったあと、しばし神様と仏さまについて、よしなしごとを思いめぐらしました。ボッチ参加なもんで、しゃべりあう人もいなくて閑だったので。

 中国赴任中に、高句麗の第19代王である好太王の碑と、山東省にある孔子の生地曲阜(きょくふ)、旧満州現在ハルビン市にある 731部隊実験場をこの目で見たことは、中国で仕事をしてよかったことのひとつと思っています。日本からの一般的な観光ツアーでは、行きにくい場所ですから。
 文化大革命中は孔子が否定され、孔子廟も荒れ果てていたと思いますが、2009年には観光地としてにぎわっていました。

 自分は仏教徒であるという自覚がなくても、一般的日本人の中には、仏教的概念がいきわたっています。日本のキリスト教信者は人口0.8%ですが、しっかりと自分が信者であることを自覚しています。また、新興宗教団体に所属している信者は、自分が教徒であることを自覚して信仰を持っているようです。
 それ以外の親が檀家だから親の葬式をお寺に頼んだ人々は、とりたてた自覚もなく、初宮参りや七五三は神社で祝詞をあげてもらい、結婚式は教会のバージンロードを歩きたい(バージンでなくてもバージンロード)。そして家族の葬式はお寺で、といようなまぜこぜを一生のうちに過ごしています。中国人は、儒教を宗教としてとらえていなくても、人生の教えとして骨身に染みていると感じます。「親に孝」を否定した中国人にはまだ会ったことない。

 ミャンマー人ら小乗仏教徒は、輪廻転生を固く信じています。前世と来世があって、現在の生き方によって来世に生まれ変わるステージが変わると、確固として信じて生活しています。釈迦自身が輪廻転生を全否定したにも関わらず、釈迦像に向かって、来世は今よりよい身分に生まれるよう祈って日々を過ごしています。身体に障害を負って生まれた人とか地震で亡くなってしまった人は、前世の行いがよくなかった報いだ、と信じられています。ヤンゴン赴任中に出会った人々はみな親切で、私のバッグをすった人について「イスラム教が盗んだに違いない」と、悪口を言っていました。

 さて、明神といいながら、神田明神は神仏習合の意味での明神様ではなく、強い祭神という意味で、三神を表しているみたい。三神とは。大黒様オオクニヌシとえびす様スクナヒコナは、どちらも天照大神側にクニを譲った側。さらに大和政権にさからった平将門も祀られていて、やあやあ、かなりの「まつろわぬモノどもの」の神社であることだなあ。HAL は東京に住んで40年になり、お出かけ大好きであるにも関わらず、湯島聖堂と神田明神に来たのは初めてでした。引率のひとりI先生も「この前、地学ハイキングの下見にきたのが、初めての湯島聖堂」とおっしゃっていたくらいですから、儒学に縁遠いHALが初めてなのは、珍しいことでもないと思います。

 史跡案内の先生に、「旧万世橋の擬宝珠」が神田明神祖霊社の脇にあることを教えていただきました。祖霊社は、神田明神を尊崇した氏子・崇敬者の先祖をお祀りするお社です。乃木希典が書いた文字を刻んだ忠魂碑が立つ両脇に、旧擬宝珠が赤く錆びて立っています。


 神田明神にお参りしたとしても、教えていただかなくては、絶対に目に入らなかったでしょうから、やはり先達はあらまほしきもの。
  社殿は、関東大震災により焼失したあと、1933(昭和9)年に鉄筋コンクリートで再建され、耐火構造の社殿は東京大空襲にも焼け残る。戦火に耐えた銀杏の木も教えていただきました。神田明神が焼けてしまっても、銀杏は焼け残る。火に強い銀杏。

本殿と門
 
  
 地下のおみやげ売り場、グッズ展開がなかなかすごかったけれど、ながめただけで結局なにも買わずに、おみこし巡幸の地図をもらっただけ。お賽銭もあげなかったので、たぶんご利益はないと思うけれど、将門様に江戸鎮守を託して神田明神をあとにしました。

  旧万世橋の下のレンガ街は今では「マーチエキュート神田万世橋」として整備され、商業施設になっています。
  

 旧橋下でランチ休憩となりました。私は旧万世橋駅が展望休憩所になっていたのを思い出して、展望室ですぐ目の前を 中央線上下が通り過ぎるのをながめながら持参のパンを食べました。

  

 ↑の二人は、親子連れがくると展望のよいベンチを親子に譲りました。電車大好きっ子と思われる4,5歳の男の子と赤ちゃんを連れた親子連れ。電車が通るたびに坊やがはしゃいで楽しそう。お金をかけなくとも、無料の展望室で電車を目の前で見られて幸福な坊やだ、と一家を見ていました。そう思いたいのは、私自身がふたりの子を連れて、休日のたびに公園や荒川土手などお金をかけない場所で過ごしてきたからです。、我が母子の休日の過ごし方のひとつが日曜地学ハイキング。化石掘りも多摩川河口カニ観察も、ありがたい企画でした。電車を見ながらパンをかじっている親子を見ているうち、30年前25年前を思い出し、涙が出てきました。

 旧万世橋近くには、昔交通博物館がありました。今はさいたま新都心駅に移転してしまいましたが、旧交通博物館に1度だけ入ったことがあります。現在は跡地にJR神田万世橋ビルが建っています。万世橋ビルの前がランチ後の集合地。
 
 柳森神社をすぎて柳原通りを通過中のこと。建築好きの琴線にふれる建物が残っていました。海老原商店。数少ない「看板建築」が現地に立ち続けている例です。少し前までは、海老原商店 (高松松蔵宅)の隣には青い錆びの出た銅板葺きの看板建築が並んでいました。今では中央区観光協会の街写真に残っているだけ。私が通った2025年4月27日には、隣の建物は解体されて空き地になっていました。そのうち海老原商店も解体の対象になるのでしょうが、できれば中央区がお金を出して、せめて江戸東京たてもの園の看板建築通りに移築してほしい。
  

 地学の先生方は看板建築には興味ないので、とっとと柳橋方面へ行ってしまう。私もおいてけばりにならないよう、ちゃっちゃと写真だけとって一行を追いかけました。

 神田川最後の橋、柳橋を過ぎると、隅田川親水テラスの一角。地学ハイキングの先生に東京の地層の話地震対策の話をうかがったのち解散となりました。
 地団研の先生方、ほんとうに感謝です。
 
 隅田川にかかる両国橋を背にして

<おわり>
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ぽかぽか春庭「神田川橋巡り with 地学研究会」

2025-05-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250508
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記薫風(4)神田川橋巡り with 地学研究会

 4月26日土曜日から2025年のゴールデンウイークがはじまったとかで、テレビニュースは海外へ出かける旅行客の姿を成田や羽田からの中継で伝えていました。
 春庭のGW。4月27日、日曜地学ハイキングの例会「神田川の橋と史跡を巡る散策 」に参加しました。一日中よく晴れ渡った4月にしては暑いくらいのお天気でしたから、途中休憩時に、中の長袖シャツを脱いで半袖Tシャツになり、せっせと歩きました。お茶の水聖橋から神田川が隅田川に合流する地点の柳橋まで。

地学ハイキングからの巡検内容の案内:
①ニコライ堂:ギリシャ正教の大聖堂で,緑色をした円形の屋根が目立つ.
②聖橋:1927にかけられたアーチ橋で,橋から地下鉄丸の内線とJR総武線の交差や松住町架道橋がみられる.
③湯島聖堂:徳川綱吉が建てた孔子廟.入徳門・大成殿・孔子像などを見学.コース沿いの地質の説明.
④神田明神:神田祭は江戸の3代祭りのひとつ.本殿に加えて旧万世橋欄干の石材を使用した彰忠碑も見学する.
⑤昌平橋:この橋から聖橋がよく見える.江戸時代の寛永の頃に架けられ「一口橋」と呼ばれていた.
⑥万世橋レンガ街:筋違橋跡の碑・旧万世橋駅のホームの見学
昼食休憩:旧鉄道博物館横のスペースで食事
⑦和泉橋:昭和通りの幅に合わせた広い橋で,川沿いに柳の木が沢山植わっていた柳原土手を思い浮かべる.
⑧美倉橋:橋の起源は古く,寛文年間(1661-1673)の架橋.
⑨左衛門橋:明治八年頃架橋された民間による有料橋であった.
⑩浅草橋:屋形船が沢山浮かぶ
⑪柳橋:柳橋芸者や船宿で江戸時代にぎわっていた.
⑫隅田川:地質の説明と記念撮影

 集合場所は、御茶ノ水駅聖橋口。40余名の参加者を引率してくださるのは、地団研の先生方です。地学団体研究会(地団研)は、地学の研究者や愛好者によって1947年に創立された学術団体です。創立以来78年にわたって、研究や普及活動を実践してこられました。

  地学普及活動のひとつが「日曜地学ハイキング」。地層見学や化石掘りなど、親子連れで楽しめる企画に、30年ほど前、中学生の娘小学生の息子を連れて参加しました。娘も息子ももはや母といっしょに参加することはなくなりましたが、ひとりでも参加しやすい企画のときお出かけしています。

 今回は山歩きではなく、お茶の水から神田川沿いに浅草橋までの橋と史跡めぐり。それほどの上下移動はない道筋なので、気軽に参加しました。東京の地形は台地とハケと低地が組み合わさっているので、移動によってはかなりの上下移動があるのですが、今回の1万5千歩の移動は、それなりに疲れたけれど、普段の美術館めぐりで鍛えた足はなんとか耐えました。 

 橋巡り。お茶の水駅聖橋口集合。私は、お茶の水口で乗り降りしてきたので、聖橋口はめったに利用してきませんでした。聖橋から上流のお茶の水橋をながめることはあっても、お茶の水橋から聖橋を眺めたことがないのは、駅の出口から左にある目的地へ向かうとお茶の水橋を渡ることがないためです。
ニコライ堂見学してから橋巡りに繰り出しました。

 聖橋は、鉄骨コンクリートアーチ橋。関東大震災(1923年)後の震災復興橋梁の一つとして1927(昭和2)年に完成しました。設計・デザインは山田守、成瀬勝武。
 担当の先生は、北区王子駅近くの音無橋と形がよく似ている、と解説。音無橋は1930 年に竣工しましたが、老朽化によって1988 年に改修されています。聖橋は、表面の保護コンクリートなどは改修されましたが、コンクリート躯体は95年間がんばって大勢の人が行きかったのだと思うと、えらいえらいがんばれがんばれと応援したくなります。 

 聖橋から地下鉄丸の内線が地上に出て神田川を渡るようすを眺めてから、聖橋の北側、湯島聖堂と神田明神を見学しました。(史跡編の報告は次回)

 神田川橋梁(丸の内線)

 神田明神見学と休憩後、昌平橋へ。
 昌平橋の元の橋が神田川にかけられたのは、寛永年間(1624-1645)と伝わりますが、昌平橋の名称は1691(元禄4)年から。将軍綱吉が傾倒した儒学の祖孔子のふるさと昌平郷から名づけられました。その後紆余曲折を経て、1923(大正12)年4月 、 鉄筋コンクリート製アーチ橋に架け替えられ、9月の大震災にも耐えました。現在はアーチ補修などが加えられ、100年橋として存続。   

万世橋から見る昌平橋  左側は修復利用されている万世橋煉瓦街      
 

       

万世橋
  



 和泉橋は、この地の北側に藤堂和泉守の屋敷があったことから和泉橋の名がつけられました。寛永年間(1624-1645)には「いづみ殿橋」という記載があるそうです。現在の橋は、関東大震災後の復興橋として建設された上路式2ヒンジ鋼製アーチ橋。
 


 
 この橋の南詰には、「既製服問屋街発祥の地」という掲示板が立っています。


 美倉橋は、佐柄木町・本銀町・紺屋町の蔵地からなり三倉地と呼ばれ、三つの町の費用で営繕される橋でした。1869(明治2)年に三を美に改め、美倉町美倉橋にしました。現在の橋は1929(昭和4)年、鋼製アーチ橋。
  

 左衛門橋は、橋の北側に酒井左衛門尉の屋敷があり、川岸一帯が左衛門河岸と呼ばれたことから。現在の橋は鋼製ヒンジアーチ橋で 1930(昭和5年)竣工。付近には釣り船や屋形船が見え、船宿が両岸に並んでいます。
 
 
  

 浅草橋は、江戸城に36か所あったという見附(見張り所)のひとつ、浅草見附があった場所に架けられました。現在の鉄鋼製の橋は、1929(昭和4)年に竣工しました。
 



 浅草橋から下ると柳橋。柳橋は、1698(元禄11)年に架けられ、付近は柳橋芸者も行きかうにぎやかな地域。江戸末期まで猪牙舟(猪の牙の形に似ていることからチョキ舟と呼ばれた)が柳橋から浅草山谷掘へ向かい、吉原まで行き来したそうです。現在の柳橋は、1929(昭和4)年の竣工。浅草橋と同じく復興橋のひとつ。形は永代橋と似ています。
 

 

 柳橋は神田川にかかる最後の橋。ここで神田川は、隅田川に合流します。現在は隅田川テラスが整備され、魚釣りをしている人もいます。

 隅田川テラスに集まって、東京の地層についてのレクチャーを受けました。ここが「地学ハイキング」の一番肝心なところ、ということでしたが、何分にも地学リテラシー皆無の頭なので、いただいたレクチャーパンフレットの地層図を見て、世田谷層とか埋没波食台などの地層用語もわかっておらず、、、

 ただただすごいなあと思ったのは、東京でビル新築の際、必ず地下をボーリング検査する、その検査結果によって、東京の地層は正確に突き止められている、ということをボーリングされた穴によってあらわされた図。図の中の丸いシルシは、ボーリングされた穴の印。東京中丸い穴だらけ。ボーリングの結果わかったこと。台地の地下には谷があって、それをお茶の水埋没谷と呼ぶとか、神田川の下には藪層があるという図をながめて、すごい!と感心するばかり。藪層(やぶそう)は、中期更新世(約30万年前)に堆積した地層なのだそう。

 地学の専門家のレクチャーですから、貴重なお話をうかがったのですが、文系頭はひたすら「地震こわいけど、日本の耐震は信頼できる」ということを信じるのみ。15年前の中国単身赴任時のこと。中国は北京も長春も建築ラッシュでしたが、鉄筋ではなく竹筋が使われている現場を見て「地震のない地盤とはいえ、これでいいのか」と危ぶんだのを思い出します。2025年2月、ミャンマー大地震がおこり、遠く離れたバンコクの高層ビルが長周波地震によって倒れたというニュースに、さもありなんと感じたことでした。手抜き工事などと悪評が出ていますが、手を抜いたのではなく、通常の耐震工事だっただけ。たぶん。いくらなんでも高層ビルに竹を使ったということはないと思いますが、設計者が「こんくらいやっとけばOK」と思った耐震基準が、襲ってきた低周波地震に耐えられなかっただけで、設計者施行者の耐震基準が合わなかった。さて、合わないビルは世界にどれほどあるか、地震が起きて倒れるビルはこれから続々と出るのやら出ないのやら。高層ビルに立ち入る場合、どこが設計施行したかは、要注意。私、中国も中国人も大好きですけれど、現政権はちょっとね。あはは、ブラックリストに載せられちゃうな、こんなこと言うと。

レクチャーをうける参加者


 一同そろって記念写真を撮って解散となりました。先生方、ありがとうございました。

 隅田川にかかる橋。少し上流には隅田川橋梁(総武線)とスカイツリーが見え、下流には両国橋が見えます。一日よいお天気で少し焼けましたが、足はなんとか持ちこたえました。
 娘へのおみやげのタイ焼きを買って、浅草橋駅から地下鉄に乗ってかえりました。都営地下鉄はシルバーパスなので、一日中使ったお金はタイ焼きのほかは私鉄分だけ。お金使わない高齢者行楽、本日も大満足。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「お好み焼き教室」

2025-05-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250506
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記薫風(3)お好み焼き教室

  広島に本社があるオタフクソースは、木場の東京本部ビルに「おこのみスタジオ」を設け、お好み焼き料理教室や食育教室を開催しています。
 懸賞生活を続ける娘が4月に当てたのは、「オタフクお好み焼き教室」。19日土曜日に母娘ふたりで参加しました。私は「粉もん」が上手ではなく、ネギなどを入れた昔風田舎風の「お焼き」を私が作ると、子供たちには「美味くない」と不評でした。私は料理が得意ではありませんが、私の料理にもいくつかは好評なものもありました。ジャガイモのラシュティ、鶏肉オレンジソースなどですが、たいていは「レストランよりおいしい」とはなりませんでした。お焼きも不評。
 ここはひとつとびっきりのお好み焼きの作り方を習って帰りましょう。

 木場駅を降りて木場公園方面へ歩き、オタフクソースのビルへ。
オタフクソース東京本部
  

 13時集合時間には参加者が集まり、13時半の開始より少し前に係の方々のご挨拶。お好み焼きの粉や具材の提供はオタフクソース。飲み物はキリンの提供のミルクティとストレートティ。

 ソースにはこんな果物野菜がつかわれています、のディスプレイ


 最初はキリンから紅茶の茶葉についての解説。次は調理師さんのお手本を見学しました。私は粉と具材を混ぜ込む関東式お好み焼きは自分でも焼きますが、具材を重ねていくヒロシマお好み焼きは作ったことがありません。私が作らないので、娘も初めてのヒロシマお好み焼き調理です。

指導者のお手本調理


 粉を溶くのも、いつも小麦粉でやっているとダマになることもあるのに、専門のお好み焼き粉だと、すぐ滑らかに溶けました。ホットプレートの片側で、丸く伸ばした粉の上にキャベツ、揚げ玉、もやし、ネギ、カツオ粉末を重ねる。この段階ではキャベツに空気が入っていたほうがいいのでギューギュー押しつけてはいけない。一番上にブタ三枚肉薄切り。肉の上に粉液をたらす。たらたらと少しだけ。形をととのえて、上下をひっくり返す。肉の焼け具合を見ながら、麺をプレートのはじで炒め、大匙いっぱいほどのソースで味付け。キャベツが蒸し煮になっている具合を確かめて、麺の上にのせここでギューギュー押して形を整える。キャベツが自分の好みの状態になったら、薄焼き卵の黄身が半熟くらいの上に全体をのせる。卵が上になるようにひっくり返す。へらで半分に切り、皿にとってお好みのソースと青のりをかける。


 ひっくり返すとき、キャベツがはみ出てしまいましたが、寄せ集めてしまえばノープロブレム。卵がはがれてしまっても、ソースをかけてしまえば見た目も没問題。

 出来上がり


 娘とおいしくいただきました。


 3時半の解散後、隣の木場公園で咲き残りチューリップや花盛りのパンジー、デイジーなどをながめて散歩。広い芝生の上で、親子連れが思い思いに遊んでいます。のんびりした平和な光景を見るのが大好きです。


 木場公園は南側と北側をつなぐ大橋の間からスカイツリーをのぞめることが映えポイント。


  お好み焼き調理と公園散歩。娘とふたりよい時間をすごすことができました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「べらぼうたちの本 in国立公文書館」

2025-05-04 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250504
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記薫風(2)べらぼうたちの本 in国立公文書館

 2024年のNHK大河ドラマは、平安時代「光る君へ」でした。主人公紫式部や周りのおきさきお局の衣装、調度、イケメンぞろいの貴公子たちも馬球競技のあとは、サービス肉体美をみせてくれるし、権力争い寵愛争いはえげつないし、史実にのっとりながらの史実離れの妙。最後までおもしろかったです。
 1月から始まった「べらぼう」。出版関連を家業としている我が家にかかわり深いと思う業界なのに、いまひとつノレません。
 江戸のメディア王蔦屋重兵衛。鬼平も美形だし、田沼意次はイケオジだし、でもなんだかなあ。花魁瀬川が没落検校に離縁されたのち失踪しようと、お世継ぎ西の丸様が急死しようと、物語に没入できません。

 蔦屋重三郎の「まじめなる口上」


 自転車東京めぐりにはまっていたころ、三ノ輪の投げ込み寺でお参りもしました。2024年には、タカ氏と「吉原展」を東京藝大で見たし、『吉原細見』も本物を見てきたのですが、1年の3分の1すぎてもストーリーにのれないでいます。

 紫式部は父に従って越前に行き、1年弱暮らしたほかは、京の中で過ごし須磨明石へさえ行ったことなかったけれど、まだしも広い世界を描いていた気がします。幼い三郎道長が勝手に市中に出て初恋の少女と出会ったり、越前でイケメン薬師に惚れられたり、作り話は承知の上でも、楽しめました。
 ほぼ吉原の中だけで終始してきた「べらぼう」。蔦重の若いころの生涯はわかっていない部分も多いのだから、平賀源内にくっついて秋田に行ったり、蘭学修行者にくっついて長崎に行ったことにしたり、京阪の出版業者のもとに商売修行に出てもよかったのに。私がノレないのは、あまりにも狭い吉原のなかだけのごだごだになっているせいかも。紫式部だって、ぜったいにアリエネー太宰府まで出かけているんだし。

 国立公文書館で「書物がひらく泰平―江戸時代の出版文化―」展を開催していたので、近代美術館観覧ついでに見ました。だれでも無料。国立だからね。

 国立公文書館の口上
 江戸時代に確立された印刷技術は、大量印刷や増刷、挿絵の追加、多色刷りなどを可能にし、近世文学の多彩な表現を可能としました。こうして文化が花開く一方で、江戸時代は厳しい出版統制が敷かれ、人気の書き手たちはもちろん、出版を手がけた本屋も処罰されるなどの事件も起きます。そこには出版をめぐる複雑な歴史的背景がありました。本展では江戸時代の出版文化に着目し、近世文学作品を中心に、江戸時代に特徴的な版本の数々をご紹介します。
 
 江戸時代を中心にした日本の印刷文化の歴史。先日観覧した町田市国際版画美術館で見た「版画のはじめ」と今回の「印刷のはじめ」は同じ百万塔陀羅尼経の展示でした。
  百万塔陀羅尼経            嵯峨本
  

 さて、江戸の出版事情。
 徳川家康が筆記させた本がありました。
 新刊吾妻鏡(伏見版)(しんかんあづまかがみ(ふしみばん)
                  家康刊行の木版書物
  
 『吾妻鏡』は、鎌倉時代の歴史書。鎌倉幕府が公的に関わった編纂物と推定されています。源氏挙兵の治承4年(1180)から文永3年(1266)までの87年にわたる幕府の歴史を日記体で記述しています。
 展示資料は、慶長10年(1605)3月、徳川家康(とくがわいえやす、1542~1616)が征夷大将軍の職を辞す直前に出版されたもので、家康の命を受けた閑室元佶(かんしつげんきつ、別姓三要(さんよう)1548~1612)が制作したも閑室が伏見の円光寺の開山となったことから、彼が手がけた出版物には、「伏見版」の通称があります。内務省旧蔵。

兼江直次が手掛けた出版物 枕草子などの古典も江戸出版で広く読まれるように。        
    

 室町時代まで、手書きで書写した貴重な本を読めるのは一部の人だけであったが、版木を彫って絵や文字を表す木版印刷が盛んになった江戸時代、さまざまな書物が市中にでまわり、印刷本により、庶民も枕草子、源氏物語などを読めるようになりました。江戸の狂歌や俳諧には、古典を生かした諧謔が求められ、あらゆる階層の人々がこぞって本を求めました。

 室町時代に書かれた「鉢かつぎ姫」も、江戸時代になると絵入りの丹緑本として読まれました。丹(アカ)と緑色が挿絵に使われたために丹緑本と呼ばれ、広く流通しました。
  

 須原屋、鱗方屋、西村屋など、蔦屋のライバルが手掛けた浮世絵や青表紙黄表紙が展示されていました。テレビの登場人物が実在の人間として生き生きと出版をめぐって競い合い、よりよい本を作ろうと奮闘した江戸の本をめぐる人々の姿が浮かんできました。よい展示でした。

 この国立文書館に収められている文書書物は、江戸城紅葉山文庫に収められていたものです。江戸城無血開城のおりに、大奥の家具調度品などといっしょにまるごと残されました。

 出版不況です。本は売れてません。私だって調べ物は久しく辞書なんかひかずにGoogleチェックですもん。でも本、大好きです。本を編集し出版してきた人たち、大好きです。べらぼうな人々。べらぼうとは、諸説ありますが、、、、。今、電車の中読書の本は「大正幻影(川本三郎)」でも、家で寝る前に本を読むのは久しくお休み。スマホでyoutube視聴です。活字は読まなくちゃならぬけどyoutubeは目をつぶって、耳で聞いているだけでもいいものが多いから。

 穀物を潰す「へらぼう(箆棒)」が語源で、「穀潰し(ごくつぶし)」という意味も持っていると言われ、江戸時代には米などの穀物を潰してモノを貼り付ける糊を作っており、その時にヘラ棒を使いました。転じて、ただ飯を食うばかりで役に立たない者を「ヘラ棒」→「べらぼう」と呼んだという説が有力。意味が拡大し、程度が桁外れなことや、はなはだしい様子、常識では考えられないばかげたことなど、一般的ではない事象を表現する言葉として定着しました。

 常識的なぼやぼやした生き方で過ぎた来し方ですが、ただ飯を食うばかりで、役に立たない者の意味での「べらぼう」として生きていくしかない。



<つづく>
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