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ぽかぽか春庭「神田川橋巡り with 地学研究会」

2025-05-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250508
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記薫風(4)神田川橋巡り with 地学研究会

 4月26日土曜日から2025年のゴールデンウイークがはじまったとかで、テレビニュースは海外へ出かける旅行客の姿を成田や羽田からの中継で伝えていました。
 春庭のGW。4月27日、日曜地学ハイキングの例会「神田川の橋と史跡を巡る散策 」に参加しました。一日中よく晴れ渡った4月にしては暑いくらいのお天気でしたから、途中休憩時に、中の長袖シャツを脱いで半袖Tシャツになり、せっせと歩きました。お茶の水聖橋から神田川が隅田川に合流する地点の柳橋まで。

地学ハイキングからの巡検内容の案内:
①ニコライ堂:ギリシャ正教の大聖堂で,緑色をした円形の屋根が目立つ.
②聖橋:1927にかけられたアーチ橋で,橋から地下鉄丸の内線とJR総武線の交差や松住町架道橋がみられる.
③湯島聖堂:徳川綱吉が建てた孔子廟.入徳門・大成殿・孔子像などを見学.コース沿いの地質の説明.
④神田明神:神田祭は江戸の3代祭りのひとつ.本殿に加えて旧万世橋欄干の石材を使用した彰忠碑も見学する.
⑤昌平橋:この橋から聖橋がよく見える.江戸時代の寛永の頃に架けられ「一口橋」と呼ばれていた.
⑥万世橋レンガ街:筋違橋跡の碑・旧万世橋駅のホームの見学
昼食休憩:旧鉄道博物館横のスペースで食事
⑦和泉橋:昭和通りの幅に合わせた広い橋で,川沿いに柳の木が沢山植わっていた柳原土手を思い浮かべる.
⑧美倉橋:橋の起源は古く,寛文年間(1661-1673)の架橋.
⑨左衛門橋:明治八年頃架橋された民間による有料橋であった.
⑩浅草橋:屋形船が沢山浮かぶ
⑪柳橋:柳橋芸者や船宿で江戸時代にぎわっていた.
⑫隅田川:地質の説明と記念撮影

 集合場所は、御茶ノ水駅聖橋口。40余名の参加者を引率してくださるのは、地団研の先生方です。地学団体研究会(地団研)は、地学の研究者や愛好者によって1947年に創立された学術団体です。創立以来78年にわたって、研究や普及活動を実践してこられました。

  地学普及活動のひとつが「日曜地学ハイキング」。地層見学や化石掘りなど、親子連れで楽しめる企画に、30年ほど前、中学生の娘小学生の息子を連れて参加しました。娘も息子ももはや母といっしょに参加することはなくなりましたが、ひとりでも参加しやすい企画のときお出かけしています。

 今回は山歩きではなく、お茶の水から神田川沿いに浅草橋までの橋と史跡めぐり。それほどの上下移動はない道筋なので、気軽に参加しました。東京の地形は台地とハケと低地が組み合わさっているので、移動によってはかなりの上下移動があるのですが、今回の1万5千歩の移動は、それなりに疲れたけれど、普段の美術館めぐりで鍛えた足はなんとか耐えました。 

 橋巡り。お茶の水駅聖橋口集合。私は、お茶の水口で乗り降りしてきたので、聖橋口はめったに利用してきませんでした。聖橋から上流のお茶の水橋をながめることはあっても、お茶の水橋から聖橋を眺めたことがないのは、駅の出口から左にある目的地へ向かうとお茶の水橋を渡ることがないためです。
ニコライ堂見学してから橋巡りに繰り出しました。

 聖橋は、鉄骨コンクリートアーチ橋。関東大震災(1923年)後の震災復興橋梁の一つとして1927(昭和2)年に完成しました。設計・デザインは山田守、成瀬勝武。
 担当の先生は、北区王子駅近くの音無橋と形がよく似ている、と解説。音無橋は1930 年に竣工しましたが、老朽化によって1988 年に改修されています。聖橋は、表面の保護コンクリートなどは改修されましたが、コンクリート躯体は95年間がんばって大勢の人が行きかったのだと思うと、えらいえらいがんばれがんばれと応援したくなります。 

 聖橋から地下鉄丸の内線が地上に出て神田川を渡るようすを眺めてから、聖橋の北側、湯島聖堂と神田明神を見学しました。(史跡編の報告は次回)

 神田川橋梁(丸の内線)

 神田明神見学と休憩後、昌平橋へ。
 昌平橋の元の橋が神田川にかけられたのは、寛永年間(1624-1645)と伝わりますが、昌平橋の名称は1691(元禄4)年から。将軍綱吉が傾倒した儒学の祖孔子のふるさと昌平郷から名づけられました。その後紆余曲折を経て、1923(大正12)年4月 、 鉄筋コンクリート製アーチ橋に架け替えられ、9月の大震災にも耐えました。現在はアーチ補修などが加えられ、100年橋として存続。   

万世橋から見る昌平橋  左側は修復利用されている万世橋煉瓦街      
 

       

万世橋
  



 和泉橋は、この地の北側に藤堂和泉守の屋敷があったことから和泉橋の名がつけられました。寛永年間(1624-1645)には「いづみ殿橋」という記載があるそうです。現在の橋は、関東大震災後の復興橋として建設された上路式2ヒンジ鋼製アーチ橋。
 


 
 この橋の南詰には、「既製服問屋街発祥の地」という掲示板が立っています。


 美倉橋は、佐柄木町・本銀町・紺屋町の蔵地からなり三倉地と呼ばれ、三つの町の費用で営繕される橋でした。1869(明治2)年に三を美に改め、美倉町美倉橋にしました。現在の橋は1929(昭和4)年、鋼製アーチ橋。
  

 左衛門橋は、橋の北側に酒井左衛門尉の屋敷があり、川岸一帯が左衛門河岸と呼ばれたことから。現在の橋は鋼製ヒンジアーチ橋で 1930(昭和5年)竣工。付近には釣り船や屋形船が見え、船宿が両岸に並んでいます。
 
 
  

 浅草橋は、江戸城に36か所あったという見附(見張り所)のひとつ、浅草見附があった場所に架けられました。現在の鉄鋼製の橋は、1929(昭和4)年に竣工しました。
 



 浅草橋から下ると柳橋。柳橋は、1698(元禄11)年に架けられ、付近は柳橋芸者も行きかうにぎやかな地域。江戸末期まで猪牙舟(猪の牙の形に似ていることからチョキ舟と呼ばれた)が柳橋から浅草山谷掘へ向かい、吉原まで行き来したそうです。現在の柳橋は、1929(昭和4)年の竣工。浅草橋と同じく復興橋のひとつ。形は永代橋と似ています。
 

 

 柳橋は神田川にかかる最後の橋。ここで神田川は、隅田川に合流します。現在は隅田川テラスが整備され、魚釣りをしている人もいます。

 隅田川テラスに集まって、東京の地層についてのレクチャーを受けました。ここが「地学ハイキング」の一番肝心なところ、ということでしたが、何分にも地学リテラシー皆無の頭なので、いただいたレクチャーパンフレットの地層図を見て、世田谷層とか埋没波食台などの地層用語もわかっておらず、、、

 ただただすごいなあと思ったのは、東京でビル新築の際、必ず地下をボーリング検査する、その検査結果によって、東京の地層は正確に突き止められている、ということをボーリングされた穴によってあらわされた図。図の中の丸いシルシは、ボーリングされた穴の印。東京中丸い穴だらけ。ボーリングの結果わかったこと。台地の地下には谷があって、それをお茶の水埋没谷と呼ぶとか、神田川の下には藪層があるという図をながめて、すごい!と感心するばかり。藪層(やぶそう)は、中期更新世(約30万年前)に堆積した地層なのだそう。

 地学の専門家のレクチャーですから、貴重なお話をうかがったのですが、文系頭はひたすら「地震こわいけど、日本の耐震は信頼できる」ということを信じるのみ。15年前の中国単身赴任時のこと。中国は北京も長春も建築ラッシュでしたが、鉄筋ではなく竹筋が使われている現場を見て「地震のない地盤とはいえ、これでいいのか」と危ぶんだのを思い出します。2025年2月、ミャンマー大地震がおこり、遠く離れたバンコクの高層ビルが長周波地震によって倒れたというニュースに、さもありなんと感じたことでした。手抜き工事などと悪評が出ていますが、手を抜いたのではなく、通常の耐震工事だっただけ。たぶん。いくらなんでも高層ビルに竹を使ったということはないと思いますが、設計者が「こんくらいやっとけばOK」と思った耐震基準が、襲ってきた低周波地震に耐えられなかっただけで、設計者施行者の耐震基準が合わなかった。さて、合わないビルは世界にどれほどあるか、地震が起きて倒れるビルはこれから続々と出るのやら出ないのやら。高層ビルに立ち入る場合、どこが設計施行したかは、要注意。私、中国も中国人も大好きですけれど、現政権はちょっとね。あはは、ブラックリストに載せられちゃうな、こんなこと言うと。

レクチャーをうける参加者


 一同そろって記念写真を撮って解散となりました。先生方、ありがとうございました。

 隅田川にかかる橋。少し上流には隅田川橋梁(総武線)とスカイツリーが見え、下流には両国橋が見えます。一日よいお天気で少し焼けましたが、足はなんとか持ちこたえました。
 娘へのおみやげのタイ焼きを買って、浅草橋駅から地下鉄に乗ってかえりました。都営地下鉄はシルバーパスなので、一日中使ったお金はタイ焼きのほかは私鉄分だけ。お金使わない高齢者行楽、本日も大満足。

<つづく>
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