一昨々日、東大工学系研究科の学生さんたちの「伊豆大島土砂災害からの地域再生」というテーマの研究発表会があったので参加しました。
会場にはポスターでの発表や…
模型での発表もありました。
精巧な作り…どれも力作です!!
屋根が黒いのは、溶岩を砕いて乗せているからのようです。
15人の学生さんは中国、タイ、スイス、フランス、スエーデンからの留学生と、日本人1人。

4チームに分かれて研究し、成果を発表してくれました。
印象に残ったことを簡単に報告します。
チーム1のコンセプトは
a parth for Izu-Oshima(道)
観光ルートを歩くと、島民との交流ができるようにする。一連のプログラムを組み合わせ、道を通して展示し、その道で町と山をつなぐ。

三原山までを1本の道でつなぎ、その道が保育園(展示や子供達の遊び) 図書館(自然を見ながら読書 シアター室)、椿油製造工場(製造工程見られる) 文化センター(交流の場)、新町亭(市民の生活見られる大島の歴史的な建物)、登山準備ができる場所(売店着替えなど)を配置。
災害が削り取った土地の境界線をそのまま保存し…
それを忘れないように、残された自然の方をむく建物の配置も印象的でした。
「観光客にとって「道」とは、綺麗な風景の中で新しい文化を発見できる冒険」
道が冒険という発想がとても興味深かったです。
チーム2のコンセプトは
layer(重なり)
自然と共に暮らす人間と自然が人を集める。
「郷土資料館に”自然観察エリア”を設け、自然の移り変わりをそのまま見られる場所を作る」というアイデアが、目からウロコでした。
たしかにこの方法なら草刈りをする必要がなく、維持費がかからないし、連続写真を撮っておいたら、植物の再生の過程をそのまま見られる貴重な場所になりますよね。
「新町亭であんこ体験」という案も盛り込まれていました。
チーム3のコンセプトは
sando(参道)
「一面にひろがる海と、山の自然、災害と復興、大島は自然に対する恐れと敬いがあると知り、感銘を受けた」
「三原山への敬意の念、災害と復興の道、神聖な場所への意識を高めるため山への入り口を設ける」
「今あるものを生かしつつ、山へ続く新たな道となるようなもの考えた。
道の脇には大島特有の椿、オオシマザクラなどを植え、大島の樹木がそこにいくと見られるようにする」

プランには、他にもオオムラサキシキブ、イソギクなど大島ならではの花や実が美しい植物が描かれていて「よく勉強しているなぁ」と感心しました。
チーム4のコンセプトは
grow again(神立を再び、緑豊かな土地にする)
「土砂災害は、新たな土壌をもたらした。残った場所には、花や果物を栽培するための道を作り、農園の貸し出しをする」
「若い人と年配者の文化交流の場所を作る」
「芸術家の作業場、展示スペース、定期的に変わる展示を楽しめるようにする」
災害が新たな土壌をもたらす。それを活用する…という発想が新鮮でした。
「道のはじまりと終わりに駐車場、等高線に沿って、ゆるやかな道を作り、急な近道も作る」
確かにそうすれば、時間のない人、のんびり歩きたい人など、様々な人の要望に答えられます!
発表を聞きにきた人たちからは、短時間でこの計画を作り上げたことに対する賞賛の声の他…
「人々の動きすらも、ランドスケープであると思った」
「しっかりとコンセプト持ったまちづくりをしなければならないと、改めて感じた」
「皆さんの思いを受け止めて活用していければ、と思った」
「人が集まった後の運営をどうするかが大切」
「民間の事業者が継続的に入る必要がある。大島の自然風土をよそに知らしめるために、ある程度のインフラがいる。3年、5年、10年のスパンでやっていけたら」
「線として考える思考がすごい。来た人が生き生きとして帰っていくという発想があっても良いのかと思う」
…などの感想が聞かれました。
最後に、この学生さんたちの研究をまとめた大月先生の言葉。
「学生たちには、机上の空論ではなく、現場に近いところで勉強して欲しいと思った。今回の提案は、実際にやったら何十億円。でもこの中の少しでも活用していただけたら嬉しい。急いで作るのではなく、10年ぐらいかけて一つずつ丁寧にみんなで作っていかれたら良いのではないか。大島は、いくつもの災害を、時間をかけて乗り越えてきた島だと思うので」
「時間をかけて、みんなで考えながら作ることが大事」という考え方、本当にその通りだと思います。
多くが外国人である学生さんたちにとって、魅力的に感じられたものは、伊豆大島の自然、災害を乗り越えてきた歴史や文化、そしてここで暮らす人々そのものなのだということが良くわかりました。そしてそれは多く日本人にとっても、最も魅力的な存在なのだと、改めて感じました。
(カナ)