豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2020年01月18日 13時08分04秒 | 日記

 ( Vo 2455 ) 政治家は 「民 信無ければ立たず」という言葉を 忘れてはならない 「貞観政要」を熟読すべきである


この言葉は 論語に書かれている言葉である

為政者に 対する 国民の信頼こそ 政治の根本である

ということをいっている


いま 安倍政権は 国民の信頼について どう考えているのだろうか


「貞観政要」の中に

川の流れの 清濁は その原因が 水源にある

という 文がある

これは 今の時代に置き換えるならば 安倍政権は 政治の水源であり 国民は 川の流れ と同じ

政権が 嘘詐りを行って 国民に 正直を行ってほしい と希望するのは これは 丁度 水源が濁りながらも 川の水の清いことを 望むと同じ


このように 言われるように

政治を任されたものは このことを 心して 行動すべきではないか

今の政治家は この心が欠けている のではないか


安倍政権の 独裁を招いているのも 国民の生活が貧困になっているのも この心が欠けているからである

政治家は 「貞観政要」を熟読して 心をあらためて もらいたいものである



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2020年01月17日 20時27分16秒 | 日記
 ( Vol 2454 ) リーダーを諌める ことができなければ 独裁になる 国会において 与党の絶対多数の中において 野党が 安倍政権の政策行動に対して 諌める ことは重要である

今の安倍政権内には 与党の中に 諌める者はいない

これは 政治の独裁 暴走を生む

国会では 数の論理で 多数決により 都合の悪いものは すべて否決

この現象を見て 国民は 野党が不甲斐ないと 見る向きがあるが それは間違いである

安倍政権は 多数の論理で すべてを拒否している

質疑においても 真摯に答えず はぐらかし 

果ては 関係書類の廃棄 関係者の配転 

という 離れ業をやって 野党の非力をアピールするということを 演じた


国民は 結果でなく 経過を見る目を持つ必要がある


政権を トップを 諌める者のが いないというのは 独裁を招き 国民にとっては好ましくない ことである

野党は 国会において 与党の絶対多数の中で 非力ではあるが 諌める という点おいて 追求する姿勢を 持ち続けてほしいものである

諌める 行動が大事である








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2020年01月09日 17時13分57秒 | 日記
 ( Vol 2453 ) カルロス ゴーン氏のレバノンでの記者会見は カリスマ指導者や独裁者の 指定席を追われ 逃亡した 弁明に似ていて 地に落ちたようにさえ映った

会見の内容は 自分は無実だ 腹心の反逆だ と自分の行動に対する反省の弁はない


ゴーン氏の 逃亡は 日本の司法に対する不満が原因 のように言っているが 

それは 本当だろうか

ゴーン氏の 日産 ルノーという企業での立場を考えると 法律の遵守は 当然のこと

また グローバルで活躍する ゴーン氏にとっては 各国の司法は 尊重する ということは当然のことであるはず


ゴーン氏のレバノンでの記者会見は パフォーマンス


自分が無実であるならば 国外逃亡という形ではなく

日本の司法の場で 戦うべきではないか

ゴーン氏にとって 負い目があるから 国外逃亡を図ったのではないか

なぜ フランスのパスポートを持っていて フランスに行かず

レバノンという イスラム教という 教義に縛られた フランスのような自由ではない 自由が制限された国へ行ったのか

ゴーン氏にとって 自分を保護してくれる国としては レバノンしかなかったのではないか

日本にいるよりも自由は制限されているのではないか

ゴーン氏の 会見で言っている論理には 理解できない一面が見える







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2020年01月09日 06時44分37秒 | 日記
 ( Vol 2452 ) グローバル化の中 宗教のあり方は 違った考え方 習慣を持った人たちの集まりの場においては 厳格化ではなく 場のルールを尊重する態度が必要である

場における 争いの多くは 考え方 習慣の違いから起きている

特に 宗教の違いが影響している

違った考え方 習慣の人たちが 共存するには お互いが歩み寄ることが必要になる

すべてにおいて 自分達の立場を 守るという厳格化を求めては 共存はできない

特に 宗教の指導的立場にある人は 緩やかな対応指導を 考えてほしいものである

すべての争いは お互いが譲らないことから起きている ことを知ることである
場における ルールを 尊重し 第一優先として 考えて行動することが 大事なのではないか

場においては 宗教の厳格化 習慣の維持 考え方は 変更する必要がある



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2020年01月07日 11時53分39秒 | 日記
 ( Vol 2451 ) 習慣に対して「 ここが おかしい 」と指摘することは すべて否定すべきことか 判断する基準 物差しが違う ことではないか

世の中 えっ と思うことが沢山ある

渦中にいると 行為や 考え方が 他から見ると 「おかしい」と見えても 当人たちには 当たり前のこと


それを 「おかしい」と言って 否定するのは どうか

その場で 通用することを 他では通用しないこと で否定する というのは 場を否定することになる

狭い日本の中でも 地域差があり 「おかしい」と思うことは 多々ある


国家間においても  差がある


宗教の違いによっても 差がある むしろ 大きな違いがある


これを 単に 「おかしい」という 一言で 否定することこそ おかしい のではいか


違いをみとめる ということから 考えると おかしく感じても その場では 尊重することではないか


ただ 改革するときには その「おかしい」と感じたことを 提案すれば良いのではないか


「おかしい」と 習慣 風習 を指摘され 言われて 卑下することではない

そこには 地域文化が つくりあげてきた 歴史がある

「おかしい」と批判している者のほうが 「おかし」ということもある

そこには 常識という定義 そのものが関わっている

常識は 場によって 違っている

このことを 認識し 場を受け入れる 姿勢が必要なのではないか


違った考えのものたちが 同じ場で 共に住むことは 違いを意識して 共通化する 努力が求められるのではないか


頑なに 「おかしい」と否定 拒否することは 相手を認めないことになる

それは 場の環境の安定を 乱すことにもなる

まず 認めることから 自分を認めてもらい 話し合える環境をつくることではないか


慣習 常識 それは 絶対的な根拠 普遍的な根拠 をもって決まったものではない

すべてが 感覚 

指摘する側の 論理も 突き詰めてみれば 感覚 慣習を基に している

このことも踏まえて 指摘する側も 指摘される側も 考える必要がある

















  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする