豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2018年04月06日 09時49分02秒 | 日記
  ( Vol 2229 ) 女児の名前を 赤字で書くべきではない という考え方が ある地方にはあるようだが そこには科学的な根拠がない

女児の名前を 赤字で書いてはダメ という人たちがいる

その理由は 感覚論 

お墓の建立者が 生きているときに建立したときに 建立者の名前を 赤色で書く という風習を捉えて 不吉と決めつける 


そこには 感覚 感情での判断 

冷静に 検証するという考え方が存在せず 誰かの言った言葉をうのみした 狭い考え方がある

禁止 規制に対して なぜ という 疑問をいだいてほしいものである


なんら 検証もせず 慣習だけで 言うのは 正しいことではない

物事 なぜ という疑問をいだき 発祥 経緯について検証して その禁止 規制に対して 正しい目をもって 再考して 行動する ことが大事なのではないか

自分自身が 発する言葉に 責任を持つ という考えをもって 禁止 規制 の言葉を 使ってほしいものである

知ったかぶり は禁物である

しっかりと 自分で検証して 言葉を使ってほしい ものである






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豊前善三つれづれ日記

2018年04月06日 08時25分18秒 | 日記
 ( Vol 2228 ) 大相撲舞鶴場所において 挨拶に上がった 舞鶴市長が 土俵上で倒れた その時 女性の看護師が救命活動をしたことに対する 相撲協会の対応は どうなのか 土俵上の女人禁制を問うてもいい時期なのではないか

いままで 女人禁制のところは 沢山あった

時代の流れの中で 女人禁制は 解かれていっている

霊峰富士への登山も 解禁
日光男体山の登山も 解禁

血に対する 考え方に 女性を排除するという 考え方が芽生えた結果 女人禁制は生まれている

その考え方は 科学的ではない ことを 再認識する時期ではないか

現代は 科学の時代 である

女人禁制は 感覚だけが頼りで 考えられた時代のもの その違いを 考える必要があるのではないか


土俵上の女人禁制は 解除すべき時にきたのではないか


科学的な根拠のない 感覚 感情だけ の規制は時代にあっていないのではないか


この土俵上における 女性看護師の人命救助をしたことの機会に 土俵上の女人禁制を解除すべきではないか


世の中 感覚 感情で決めつけている規制が 数多くある 科学が発達した社会においては 科学的な検証の上で規制のあり方を 考える必要があるのではないか





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