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# 776 本拠地移転

2023年01月25日 | 1977 年 



「大洋よ移転しないで!」と熱望する川崎市。移転歓迎をますます強く打ち出した横浜市。ホットな両市の " 捕鯨合戦 " の反響の大きさに大洋は戸惑いながら決断を迫られてきた。さて、その内情は?

チラリとのぞいた球団社長の本音
6月15日、大洋球団の横田球団社長は川崎市役所で額に汗をにじませながら記者会見でこう述べた。「移転問題が大きくなり過ぎてしまったので、大洋球団独断で決定できない。54万人の市民が移転しないでという熱意を汲んで今しばらく結論を延期したい」と。しかし記者からの質問に答えた横田社長は会見の終わりに「球団も企業である。採算が合わなければ改善しなければならないという基本姿勢は変わらない」と付け加えることを忘れなかった。これまで明確な方針を打ち出してこなかった横田社長の最後の一言こそ、大洋球団が抱き続けてきた本拠地移転への意思表示であった。

横田社長はその日の午後に伊藤三郎川崎市長と会談をした。その内容は、❶大洋の移転が社会的問題にまでなっているので慎重に検討する ❷7月のオールスター戦が終わってからコミッショナー、セ・リーグ会長に調停を依頼する、の2点を申し合わせた。移転問題が社会的にも政治的にも大きくなってしまった所以である。ここで今回の移転問題の経緯を整理しておく。大洋の本拠地移転が明るみに出ると事前に打診すらなかったと川崎市側は反発し、市や市議会・川崎球場・川崎市商工会議所など19もの団体がスクラムを組んで大洋球団に川崎に残ってもらうべく反対運動を起こした。

プロ野球界始まって以来の本拠地移転反対運動に大洋球団は返答を先延ばしにした。業を煮やした反対派団体は大洋の親会社である大洋漁業、コミッショナー、セ・リーグ会長、横浜市長、横浜市議会、横浜新球場などに対して移転反対54万人分の署名を手渡した。なかなか回答しない大洋球団とは対照的に移転先の横浜市の態度は強気の姿勢で一歩も譲らなかった。反対派団体によると横浜市側は最初からケンカ腰で交渉の体をなさなかったという。


大リーグの本拠地変更と違う事情
親会社の大洋漁業は世界最大の水産会社だが捕鯨量の制限が厳しくなると同時に追い打ちをかけたのが専管200海里で経営面で強い打撃を受けた。ここ数年来、球団経営からの撤退が噂されてきたが、その度に故中部オーナーは絶対に手放さないと明言してきた。しかし現実は昨年9月の決算では球団の累積赤字の始末に他資本からの補填をしなければならなくなったほど厳しい。その他資本こそ今回の移転問題に重要な関係者となっている西武グループの国土計画だ。大洋球団の資本金は6億5千万円だが、その内45%にあたる3億円が国土計画の持ち株分だ。国土計画社長の堤義明氏は移転に積極的な飛鳥田横浜市長と懇意で知られている。

3億円という他資本の導入が出来たからこそ立地の悪い川崎球場よりミナト横浜の中心地・伊勢崎町から徒歩圏内の横浜新球場への移転を可能にしたと言えよう。しかし川崎市や川崎球場側とすれば移転は寝耳に水の話だった。大洋漁業出身者である宮崎川崎球場社長は前歴が前歴だけに口は重いが、その宮崎氏ですら「今回の移転話はどうにも納得がいかない」と大洋球団や横浜新球場へ不満をぶつける。関係各所に十分な根回しと対策を講じないうちに本拠地移転の狼煙を上げられたのでは27年間、球団と苦労を共にして歩んできた川崎球場側が怒りを爆発させるのも理解できる。

一方で赤字に苦しむ球団が心機一転を図る為に移転する策も当然とも言える。大リーグではニューヨークのブルックリンからロスアンゼルスに移ったドジャース、同じニューヨークの一角からサンフランシスコに移ったジャイアンツなど珍しいことではない。ただし日本と米国の国民性の違いというのか、日本ではビジネスライクに事を運ぶのは難しい。「横浜市は子供たちの為にプロ野球チームを迎えたいと言うが、それは川崎市の子供たちだって同じ。大洋は川崎のシンボルだった。隣家の庭で育った柿の実をむしり取るのと同じではないか」と反対派団体の関係者は憤る。


川崎側が強気になる強力な決め球
一番苦境に陥ったのは大洋である。大洋は横浜新球場の1セット250万円のボックス席を80セット購入することで建設費に2億円の投資をした。新球場の発足には堤義明国土計画社長、クラウンライターの中村長芳オーナーらが筆頭の発起人に名を連ねていたが、騒ぎが大きくなるにつれて2人は一歩引いた立場を取るようになり大洋は孤軍奮闘状態となった。対する反対派団体は伊藤川崎市長によると「反対署名をした54万人の人たちはこれからも最低3回は川崎球場に足を運んで大洋を応援するそうだ」と勢いを加速させている。自治体の行政指導というものは市民の意見はなかなか一致しないのが通例だが、今回ばかりは様相が違う。

マスコミ報道もスポーツ紙より一般紙の方が川崎・横浜両市の争いを様々な角度から論評している。特に日本経済新聞5月28日付け首都圏版で『大洋球団争奪戦、外野席から見る』と題して報じ、清水一郎群馬県知事ら首都圏の自治体関係者7氏の陪審でも川崎市側が圧倒的に同情されている。川崎市側が着々と得点を稼いでワンサイドゲームになりつつあり大洋球団としては決断が益々難しくなってきた。「もし強引に横浜へ移転してごらんなさい、親会社の大洋漁業にとって由々しき問題が起こるはずです」これは反対派団体某氏の言葉だが、暗に大洋漁業商品の不買運動まで示唆して、いよいよ問題は球団の枠を越えて大ごとになってきた。

川崎市側にはもう一つ強力な決め球があった。それが大洋の練習場返還の件だ。大洋の合宿所と練習グラウンドは川崎市等々力の多摩川河川敷にある。広さ1万6336平米で将来は川崎市に返還する条件で昭和32年に格安で購入したもの。合宿所の横にはテニスコート3面、バレーボールコート1面があり大洋漁業本社社員の厚生施設にもなっている。多摩川べりの緑地対策の為に既に一部分は川崎市に返還され大洋漁業が賃料を払って借りている状態だ。さすがに担当の川崎市環境保全局も正面きって強硬手段に出ることはないだろうが、大洋はロッテのような練習場ジプシーに陥る危険があるのは事実だ。

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