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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#221 第10回・日米大学野球選手権 

2012年06月06日 | 1981 年 



多くのプロ野球選手も出場経験のある日米大学野球選手権が、この年は日本で開催されました。日本が
過去9回の大会でアメリカに勝ち越したのは第1回・7回大会のみ。第1回大会では山口高志(関西大)の
好投と長崎慶二(法政大)・藤波行雄(中央大)・山下大輔(慶応大)などの好打者たちがアメリカ投手陣を
打ち崩し、第7回大会では松沼弟(東洋大)や高橋三千丈(明治大)らの好投手を揃えてアメリカを倒した。
今大会では第1戦が森岡と尾上、第2戦は全員野球、第4戦は仁村、そして優勝を決めた第5戦は宮本と
日替わりでヒーローが現れて3年ぶり3度目の優勝をした。第1回大会では元巨人のクロマティもアメリカ
代表に選ばれていて今大会に選抜されたメンバーの中にも後のドラフトで指名されてプロ入りした選手が
多くいました。


尾上旭(中央大→中日)…派手な一発だった。9回まで3安打の無得点。森岡(明治大)の力投でどうにか
延長戦に突入した10回裏に尾上のサヨナラ本塁打が出て初戦に勝利した。 「いつものお前らしくないぞ、
何なんだコツコツ当てにいくバッティングは」 大会前の練習を見た中大・宮井監督に一喝された。体格は
1㍍75㌢68㌔と大きくないが思い切りの良さで東都大学リーグ現役最多の13本塁打を放つ豪快な打撃が
魅力の尾上だったが練習ではヨソ行きの打撃に終始していて「監督さんに言われて目の前のモヤモヤが
消えました。東都の面目に懸けても森岡の為にも打ちたかった。スタンドへ入ったのが見えた時は思わず
涙が出ちゃいました」 今大会では遊撃手に大学球界を代表する選手が2人選ばれた。明治大の平田と
尾上だ。島岡全日本監督も悩みに悩んで尾上を二塁へコンバートしてまで尾上の打撃を生かそうとした。
「あいつは大仕事をするタイプだと思ってた。狙い通りだよ」と島岡監督も、してやったりの表情。


西浦敏弘(近大→南海)…それは外人顔負けの凄まじいパワーだった。第2戦9回一死1・2塁の場面で
マイスター投手が投じた直球を叩き左翼スタンド中段まで届く本塁打を放った。「外人の球はもっと速いと
思っていたけど大した事なかった」とポパイが愛称の西浦はニコニコ顔。上腕部のチカラコブは40cmを
超えるほど盛り上がる。全日本大学選手権大会で2ホーマーした近大の主砲はまだ2年生だ。「よく喰うし
ありゃ国技館へ行っても通用する」と島岡監督もそのパワーに目をむく。しかし泣き所は守備で高校では
三塁、大学では一塁を守っているが本職レベルには程遠い。その為、守りの野球を標榜する島岡監督は
西(明大)を先発で起用しているがアメリカのパワーに対抗できる数少ない日本人選手の起用に気持ちが
揺れ始めている。


仁村薫(早大→巨人)…第4戦を勝ち一気に王手をかけたい第5戦は、第1戦同様に森岡とボスバーグの
投げ合いで延長戦ムードが漂う展開に。7回一死一・三塁で代打に起用されたのは投手が本職の仁村。
ボスバーグの2球目を叩くと打球は右中間スタンドへ飛び込んだ。「外寄りのチェンジアップ。抜けるとは
思ったけどまさか入るとは・・・」と本人もビックリ顔。実は仁村起用には裏話がある。確かに仁村は打者
顔負けの打撃技術を持っているが、さすがにこの様な緊迫した場面では荷が重い。島岡監督は仁村では
なく西浦を告げたつもりだったのだが、この試合の球審はアメリカ人。通常は国際試合の場合は背番号で
選手交代を告げるのだが、つい日頃の癖で名前で告げた為に「ニシウラ」を「ニムラ」と間違われたのだ。
怪我の功名となった仁村は「次は投手としても貢献したいです」と打者・二ムラにご満悦。


宮本賢治(亜大→ヤクルト)…優勝に王手をかけて臨んだ第5戦(札幌円山球場)、先発・宮本は必死の
形相だった。森岡、仁村でポンポンと2連勝した後の第3戦で負け投手。同じ下手投げの森岡が好投した
だけに「2度も負ける訳にはいかない」6回を3安打1失点、仁村に救援を仰いだものの優勝決定試合の
勝利投手に。「外人相手に初めて投げたが打球が飛ばないので拍子抜けしてしまった。自分の球がある
程度通用する事が分かって自信になった」 3試合11回投げて3失点の好成績を引っ提げて、卒業後は
プロ入りを目標としている。


平田勝男(明大→阪神)…タッチの差だった。あと1本ヒットが出ていれば主将として日本チームを優勝に
導いた功績に首位打者の栄誉まで付くところだった。毎試合安打の主砲・スタブスが3割6分で、平田は
3割4分5厘。自由に打てる三番打者と比べて制約の多い二番打者だった平田は分が悪かった。今年の
チームには去年の原辰徳(東海大→巨人)のような大物スター選手はいないが全員が良くまとまっている
そこには人当たりの良い性格と攻守で牽引した平田の存在を忘れてはならない。「首位打者なんて柄じゃ
ないです。今日で日米野球は終わり。少し休んだら秋へスタートです」と既に気持ちは切り替わっている。
最終戦でも豪快な一発を放った尾上とはドラフト会議で人気を二分する新たな戦いを繰り広げそうだ。





                                                 

他に白武佳久(日体大→広島)・木戸克彦(法大→阪神)・山沖之彦(専大→阪急)やアメリカチームには
後に横浜や阪神で活躍したジム・パチョレック(当時の表記は「パシオレック」)なども出場していました。




       

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1 コメント

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初めまして (カムバッカー)
2013-02-03 19:24:52
初めまして。カムバッカーと申します。

外野手のジョン・エルウェイは後にスーパーボール(アメリカン・フットボールの優勝決定戦)で優勝したクォーターバックになっているんですね。

アメリカのスポーツのトップ選手の凄さが分かりました。
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