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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#247 稲葉・北別府・山内

2012年12月05日 | 1981 年 



稲葉光雄(阪急)…「あの怒鳴り方は凄かったな」「凄いと言うより酷かったよ」「アイツの顔を見てられなかったよ」・・ベテラン連中の会話である。3ヶ月前の6月20日の事で、稲葉は後楽園での日ハム戦に先発したが3回を2安打・4四死球でKO。ベンチに下がった稲葉を上田監督が怒鳴りつけたのだ。プロ11年目の投手を新人の如く叱った。本人もこの試合が今季で一番印象に残っていると振り返る。

「あの試合がボクの目を覚ましてくれた」後期は山田・今井と共に三本柱の一角としてローテーションを守り9月17日のロッテ戦で通算100勝を達成した。洒落たフレーム眼鏡に細見のスタイルで、銀行員と言われても誰も疑わない。一見ヤサ男だが秘めている思いは熱い。昭和45年、日本軽金属にいた稲葉に最初に接触してきたのは巨人だった。他球団が動かなかったのは体力に不安を感じたからだ。174㌢・67㌔・・野球選手としては線が細くてとてもプロの練習に耐えられそうもない身体だった。稲葉自身もプロでやっていく自信は無く巨人の誘いにも消極的だった。

しかし蓋を開けてみると中日が指名した。「相当迷いましたよ。家族は反対でしたしボクもプロへ行く気にはなれず断るつもりでいました」しかし同僚の一言で気持ちが変わった。「ちょうどオイルショックの頃でこれからは不景気になる、ウチの会社だってどうなるか分からないから勝負してみろと言われたんです」そしてその言葉通り数年後に日本軽金属野球部は解散したのだ。中日入団後は周囲の心配をよそに2年目には20勝をするなど活躍した。阪急に移籍後も3年連続2桁勝利をするなど順調だったが昨年は5勝8敗・防御率は6.36と低迷した。

トレードとは言え中日から放出された経験から不成績のシーズンオフは落ち着かない。「もしクビになったらもう拾ってくれる球団は無いだろう」それだけに昨年の契約更改の会見では「来年も野球が出来る」と喜んだ。だが今シーズン当初は結果が出ず「キャンプ、オープン戦とやれる事は全てやってきた。でも勝てない。そんな時に上田監督に喝を入れられて開き直った。あの試合が無かったら今頃はユニフォームを脱いでいたかもしれない」 終わってみれば11勝をあげ見事に復活した。「これでまた来年も野球をすることが出来る」と稲葉は心からそう思っている。





北別府学(広島)…6月16日の巨人戦で江川と投げ合い勝利した。これ以降、江川は広島相手に勝てなくなり広島戦を回避するようになった。鹿児島県と宮崎県の県境にある町で生まれ、都城農高時代には江川がいた作新学院と対戦した事もある。「ボクが1年生の時でしたけど凄い投手がいるんだと驚きでしたね」「でもプロ入りはボクの方が先だし負けられません」と気合が入る。

高橋慶、大野、北別府。この3人がカープ若手の人気を三分する。北別府の人気の秘密は赤いホッペの童顔と親孝行ぶりが母性本能をくすぐるらしい。昨年の東西対抗戦でMVPに選ばれ100万円を手にし、何に使うかを問われると「ここまで育ててくれた両親と祖母にあげたい。3人には今まで何もしてあげられなかったので、このお金で旅行にでも行って欲しい」と即座に答えた。母親のツユ子さんは「もったいない。学が命を懸けて得たお金を使うなんて・・神棚に飾って学の健康を祈ります」と涙ながらに語った。

「ボクには兄貴が2人いるけど2人とも普通のサラリーマン。給料もボクに比べたら少ない。けど2人とも幸せな生活をしています。ボクは兄貴らが一生かけて手にするお金を数年で稼げる。でもそれは周りの協力や助けがあればこそです。いくら野球が上手くても人間としてダメなら寂しい人生を送るようになってしまう。そうはなりたくないんです。周りの人達への感謝を忘れずにこれからもやっていきたい」 同じ合宿所暮らしの大野はいまだに自転車で球場まで通う。ドラフト1位で入団して常に陽の当たる恵まれた環境で過ごして来た北別府。勝負の厳しさを背負いながら野球に対する姿勢も前向きになってきた。 





山内新一(南海)…今季の目標を15勝と公言していた山内は開幕から3連勝。---気持ちに張りがあると良い仕事をする---今年の山内がそれだ。開幕前の新居への引越しと9月に誕生した次女の存在だ。「ローン返済があるし、家族が増えたからボヤボヤしてられんのや」 前期に8勝をあげて投手陣の屋台骨を支えていた山内に肩痛が襲ったのは次女が生まれる1ヶ月前だった。

2週間の安静を強いられて自宅で悶々としていた時と同じくして出産準備の為にれい子夫人が家を空ける事となった。自宅には長女と山内の2人。長女の遊び相手にとマルチーズを飼う事にしたが、気に入ったのは長女ではなく山内だった。「まさか・・と思いましたよ。あの神経質な主人が犬と一緒に寝るなんて」とれい子夫人は驚いた。と言うのも山内は部屋を真っ暗にしないと寝られない、しかも人の気配がすると寝られず寝室には必ず1人。そんな山内が犬と寝てる事が信じられないのだ。

それにはどうやら理由があるらしい。山内は自宅から大阪球場への行く道も負けると変えるくらいゲンを担ぐ性格。たまたま犬と寝た次の日に好投して以来、夜になると娘から奪うように自分のベッドへ連れて来るようになったのだ。「今じゃ生まれた次女よりも犬の方にベッタリで・・」とれい子夫人も苦笑い。

9月28日の近鉄戦に今季最後の登板をして負け投手になったが14勝10敗と目標に近い勝ち星をあげる事が出来た。14勝はチームの稼ぎ頭で、自身では昭和51年の20勝に次ぐ好成績。「怪我もあったけど順調なシーズンだった。家も建てたし次女も無事生まれて今年は良い事づくめだった。まだまだ頑張るよ、早く150勝したいね」とベテランの目は既に来シーズンに向けられている。

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