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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#209 ビーンボール ③

2012年03月07日 | 1981 年 
            ~大リーグの場合~

昭和49年9月29日の南海戦で日ハムの高橋博士が1試合の中で全ての守備位置についた事がある。球団社長・三原脩の発案で消化試合の話題作りだった。最後に投手として登板し野崎投手を打ち取り珍記録を達成した。野手がマウンドへ上がる事はアメリカでは許されていない。10年ほど前にルールが改定され投手として登録されていない選手が登板する事は禁止された。理由はビーンボールに対する報復行為を避ける為である。ぶつけられた相手投手に打席が回ってきたらマウンドに上がり"お礼参り"をツインズの監督時代のビリー・マーチンが実行すると宣言した為にMLBが慌ててルール変更をしたのだ。

中日やクラウンに在籍したデービスがレンジャーズにいた頃に強烈なビーンボールを投げられた。次の回にその投手が打席に入るとデービスは報復したくて仕方ないが規則で投げる事が出来ない。怒りを抑えられないデービスは守備位置のセンターからマウンドへ駆け寄り自軍の投手に「ぶつけろ」と強要するが「出来ない」と拒否されると味方同士で大喧嘩となり、元々チーム内で浮いた存在であったこともありシーズン途中にカージナルスに放出されてしまった。 とにかく大リーグではビーンボールで乱闘に発展するケースが多い。

昨年のナ・リーグ東地区覇権を巡ってのフィリーズとパイレーツとの乱闘は凄まじかった。5月30日に対戦した時に"カーブの芸術家"との異名を持つブライルベン投手がフィリーズの主砲 M・シュミットに「くさい」投球をした。めったに怒らないシュミットが血相を変えてブライルベン投手に突進し両チームは大乱闘。シュミットとグリーン監督が乱闘を仕掛けたという理由で退場となった。これが3回の出来事。6回にブライルベン投手に打席が回って来ると両軍のベンチから 「ぶつけろ」 「やったら殺す」とヤジが応酬される中、フィリーズのソーシエ投手が報復の死球。再びの大乱闘となりヤジの張本人と目されたレイシー(パイレーツ)とスターレット(フィーリーズ)の2人が退場処分に。1試合で4人が退場するという異常事態だった。

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