中日と巨人、この2球団の話になると何時だって野球だけで終わらない。どうしても親会社である中日新聞と讀賣新聞とのいわゆる " 新聞戦争 " という生臭い話に行き着く。郡山での巨人戦に逆転勝ちして「みちのくシリーズ」を全勝した際に中日・山内監督はポケットマネーからポンと10万円を出した。3連戦最後の郡山の試合は9回二死から代打の豊田が西本投手から逆転2ランを放って監督賞を手にした。通常は5万円の監督賞のみだが巨人戦には「半督賞(ハントク賞)」と称する半分の2万5千円の賞もあり、牛島と金山が手にしたのだ。ことほど左様に中日の巨人に対するライバル心は相当なもので当然、親会社の中日新聞も販売部数で讀賣新聞に負ける訳にはいかないのである。
山内監督の一種異様なはしゃぎぶりの裏にもこの新聞戦争があるのだ。中日はシーズン前に二度ばかり壮行会を親会社の中日新聞本社内で行なった。社内での内輪だけの壮行会だから当然本音が飛び交う。球団関係者によれば今年ほど " 打倒巨人 " のボルテージが上がった事はなかったという。「ウチの打倒巨人は毎度の事なのですが今年はしきりと巨人の創立50周年が引き合いに出された。例年なら先ずは中日の優勝を口にするんですけど今年は自分の優勝より巨人の優勝を阻止する事をお偉方が盛んに強調してました。ちょっと異様な雰囲気でしたね」と中日新聞関係者は言う。
讀賣新聞が名古屋地区で「中部読売」を発行して50年になる。また中日スポーツと対峙する報知新聞も含めて " 中・読 " 戦争は激化するばかりであったが、昭和57年に一応の決着がついたと見られていた。名古屋の政財界の後ろ盾や根強い地元意識を背景に讀賣新聞の浸食を最小限に食い止めたからだ。それが今年になって再燃した大きな要因が地元の大府高から巨人入りした槙原投手の存在である。プロ2年目の昨季、中日相手に5勝をあげた。「中日新聞上層部が慌てたのは槙原の出身地である半田市の販売部数が激減した事。それまでは8対2で大きく水を空けていたのが5対5にまで急追された」と関係者は語る。
名古屋地区全体では中日新聞の牙城は依然として強固であるが、仮に今年も槙原に負け続け巨人に優勝されたら地滑り的な現象が名古屋地区に広がるのではないかと警戒している。一説には中日球団は山内監督に対して優勝よりも巨人に優勝させないよう厳命しているのではと言われているがあながち無い話ではない。一方の讀賣サイドも対抗策を打っている。例えば中日の準地元である津・金沢・岐阜・浜松で巨人主催のオープン戦を挙行した。また開幕後には名古屋初遠征の際に歴代の監督が名古屋市中栄区にある中部読売本社を訪れるのが恒例となっていて、今年も王監督が訪問し「僕らは野球で頑張るが記者さん達は一致団結して記事で敵を圧倒して下さい」と檄を飛ばした。
そうこうして始まったこれまでの今季対戦成績は7勝1敗1分けで中日が圧倒。「昨季の中日新聞は200万部、中日スポーツは50万部だったが今季の好調ぶりを反映してそれぞれ、202万部・51万部と伸ばして球団もろともウハウハ」とは中日担当記者。自分の所で確保していた中日スポーツが売り切れた為にわざわざ他の販売店に走る中日新聞販売店員が出るなど中日の快進撃に比例して中日スポーツは売れに売れている。片や低迷する巨人のせいで中部読売は大苦戦。「もう新聞は読まない!」という巨人ファンの足止め策として「お金はいらないから」と配達を続けているという噂話まで出る始末。明暗がこれ程はっきり出ては山内監督ならずともハシャギたくもなるだろう。
実は讀賣新聞の他にも中日の快進撃に割りを喰った新聞社がある。スポーツニッポン新聞社だ。スポニチはペナントレース開幕に合わせて現地印刷を始めた。中日スポーツに独占されている東海地区の部数を当て込んでの事。「アチラ(中日スポーツ)さんと同じ事をやっても読者は奪えない。ドラゴンズの裏ネタやセンセーショナルな記事で中日ファンを切り崩そうと思ったんですが、ドラゴンズがこう強くちゃ勝負にならない。読者は単純なヒーロー記事を喜ぶんです」とスポニチ関係者は嘆く。最近では中日関連の記事が一面を飾る機会がめっきり減って地理的に近い阪神ネタが多くなった。
現時点では出だしからつまずいた巨人を横目に打倒巨人すなわち打倒讀賣を目論み通り果たし、返す刀で東海地区進出を虎視眈々と狙う毎日新聞系列のスポニチもバッサリと斬り捨てた山内中日。「ですから中日新聞本社では早くも論功行賞が行われているらしいですよ。例えば山内監督を招聘した鈴木代表に対して山内監督の任期中(5年間)の代表職を約束したみたいです」と中日担当記者。ま、そんな話はともかく中日ファンとしては山内監督の面白い野球がこの先もずっと見られればいう事なし、という所だろう。
山内政権が崩壊した要因は、
①85年1月の田尾の放出
②86年中尾のサードコンバート撤回
が大きいと当方は思っています。
①については、球団がどうかしていた。
②については星野仙一が撤回させた。
そんなんで、85年からの二年は5位でした。