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# 828 城之内邦雄

2024年01月24日 | 1977 年 



新人で開幕投手に
開幕投手は投手の勲章で全幅の信頼を得ている証拠でもある。その名誉を新人ながら浴したのが昭和37年の城之内邦雄投手だ。佐原一高から日本ビールを経て巨人入りした城之内投手は3月3日の西鉄とのオープン戦に初登板し、6回・4安打・無失点と好投し勝ち投手となった。その勢いのままオープン戦は7試合・4勝0敗・防御率 0.27 と驚異的な数字を残した。オープン戦の実績を買われて4月7日の阪神との開幕戦に先発投手に起用された。城之内投手は5回まで2失点と好投したが巨人打線が小山投手に抑えられ敗戦投手に。

5日後の4月12日の大洋戦に先発したが僅か15球投げただけで降板。その後も勝ち星に見放され開幕から3連敗を喫してしまう。並みの新人ならここで滅入ってしまうだろうが城之内投手は違った。ちょっとしたきっかけで調子が上向いた城之内投手は勝ち星をあげて、今度は勝ち続けた。結局、このシーズンの閉幕まで24勝をあげたがその後に新人でこの城之内投手の記録を上回る勝ち星をあげた投手はいない。20勝に届いた新人投手すら昭和40年の池永正明(下関商➡西鉄)ただ一人である。


出色のノーヒットノーラン
新人王の記者投票で166人満票で選ばれた。昭和46年に巨人を退団するまで三度の20勝投手になるなど期待を裏切らなかった。それでいてMVP(最高殊勲選手)はおろかベストナインにも一度も選ばれなかったのは不運としか言いようがない。そんな不運投手が胸を張って誇れるのが昭和43年5月15日の大洋戦で実現したノーヒットノーランである。この試合は巨人が3回に5点、その後も巨人打線が爆発して計16得点をあげた。えてして大量リードをすると投手も気が緩みがちだが城之内投手は気を抜かず投げ切った。

昨年までの63試合のノーヒットノーランは僅少得点で達成したケースが多い。「1得点・19試合」「2得点・9試合」「3得点・9試合」「4得点・9試合」など46試合が4得点以下で、10点を超す得点で達成したのは城之内投手を含めて5人の投手しかない。この試合で自軍が3回に5点を先取したのに次の回に打席に立った城之内投手は三塁打を放ち、次の打席も中前打で出塁するなどピッチング同様に打つ方でも決して手を抜かなかった。


1968イニング目の初ボーク
昭和46年に巨人を退団した後、2年のブランクを経て昭和49年にロッテで復帰した。3月14日の巨人とのオープン戦に登板した城之内投手は5回一死まで2安打・無失点に抑えて「恩返し」をした。しかし往年の速球やシュートはキレを欠いていて不安視する声が多かった。シーズンが開幕し5月5日の南海戦の8回から登板した際にセットポジションの一時静止を怠ったとしてボークを宣告された。これは実働11年目、1968イニング目で生涯初のボークだった。7月3日の阪急戦に先発して5回まで3安打・1失点に抑えて退いたのが現役最後のピッチングだった。

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