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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 568 ペナントレース総括・読売ジャイアンツ

2019年01月30日 | 1985 年 



覇気が失せた常勝軍団に若い芽が
四番に座ると打率が低下する怪奇現象
ここ数年来、四番打者を固定できずにいる巨人。何故なら四番に据えた途端に打率が低下してしまう選手が続出したのだ。例えば昨季、四番打者としての中畑選手の打率は2割7分0厘だが四番以外の打順の時は3割1分8厘。同じく原選手は2割4分7厘と2割9分9厘。クロマティ選手は2割5分0厘と2割8分2厘だった。また今季も中畑は2割6分8厘と2割9分6厘。クロマティは2割3分1厘と3割1分6厘。原に至っては2割7分4厘と3割8分9厘と1割以上の差があった。かつては巨人の四番は日本の四番と呼ばれた時代もあったが今や巨人には満足に自分のチームの四番を務められる打者がいないのだ。四番を任せられる選手がいないチームに常勝軍団の姿は求められない。

周りが打てば火つく打線。ウラを返せば…
更に中畑・クロマティ・原の3人は意外とムードに左右されやすいのも巨人にとっては致命的だった。つまり他の選手が打てばそれに乗せられて打つが、緊迫した投手戦になるとサッパリ打てなくなるのだ。1点差で負けた試合の打率は中畑は1割7分0厘、クロマティは2割2分9厘、原は2割8分6厘だった。例えば9月4日の対広島戦は2対3で惜敗したが、この試合の3選手は合わせて11打数1安打。これが5点差以上で勝った試合だと一転して中畑は5割0分5厘、クロマティは3割1分0厘、原も3割9分2厘の高打率。周りが打てない時こそ真価を発揮させるのがクリーンアップの役割りなのだが残念ながら巨人の場合は程遠い。

投の斎藤、打の吉村の台頭で来季に期待
そんな巨人に明日の希望を灯す選手が現れた。22歳の吉村選手と20歳の斎藤投手だ。吉村の強みは左打者ながら左腕投手を苦にしない点だ。今季は打率3割2分8厘で堂々のリーグ3位、対左腕も50打数21安打の4割越えと一気に才能を開花した。斎藤は対ヤクルト戦5勝を筆頭に12勝をあげ巨人投手陣トップの成績。この2人の成績はシーズンが深まるにつれ比例するようになり、吉村が打って斎藤が勝つというシーンが増えていった。8月13日の阪神戦では7回裏に吉村が決勝本塁打し斎藤は7勝目。5日後の大洋戦では0対0の6回表に吉村が中前適時打し斎藤は完封勝利。斎藤が勝利投手となった12試合の吉村の打率は4割5分2厘だった。

番記者が選ぶベストゲーム
8月3日の対阪神戦17回戦(甲子園)。この試合で江川投手があわやプロ入り初のノーヒットノーランかという快投を見せた。113球・7奪三振・1被安打で二塁を踏ませない完封勝利。最近は「100球肩」やら「6回戦ボーイ」やらの酷評を吹き飛ばす怪物ぶりだった。記者席では快挙に向けて過去の無安打試合の記録を調べたり慌しい雰囲気に包まれた。実は今回の関西遠征中、宿舎近くの喫茶店での記者達との雑談中に江川が「あと3年は現役を続けたいなぁ」と弱音を吐いて周囲を驚かせた。それでも終わってみれば「やっぱり江川はモノが違う」を印象づける圧巻のピッチングだった。

定岡投手は他球団で投げるつもりだった。それなのに…
近鉄へのトレードを拒否して引退した定岡正二氏。でも本当はまだ野球を続けるつもりだった!「巨人に憧れて巨人に入った。野球をやるなら巨人で、と心に決めていた。あと2~3年やってボロボロになり辞めるより " 巨人の定岡 " でユニフォームを脱ぎたい」と現代っ子らしい男のケジメを見せた定岡氏だが実は「ヤツは巨人以外でも野球を続けるつもりだったよ」と某主力選手は言う。では何故引退を選んだのか?某主力選手は球団の不手際を指摘する。ここで一連の定岡問題を振り返ってみよう。トレード通告…それは10月25日のことだった。岩本渉外担当が都内のホテルで定岡氏と会った。「君を欲しいという球団が3つほどある。これは決してトレード通告ではいが新天地でやるのも君の為かと思う」と。

しかし定岡氏はこれをトレード通告と受け取った。帰宅後に定岡氏は親しいチームメイトに電話をし、「俺は巨人が好きだ。けど野球がもっと好きだ。野球を辞めてこの先のアテもないし…」と迷いを打ち明けている。この時点で定岡氏の気持ちは揺れていた。少なくとも絶対に巨人で、という強い気持ちではなかった。だが事態は思わぬ形で動き出す。マスコミ報道である。マスコミはセンセーショナルな話が好きだ。話を煽る。『定岡、トレード拒否。引退へ』の見出しがスポーツ紙に踊った。この辺りから話はややこしくなる。球団側は " トレードなら引退 " 報道に狼狽えた。「私はトレード通告などしていない(岩本担当)」、「私は何も聞いていない(長谷川代表)」と球団のトレード責任者は共に責任回避に躍起になっていた。

その裏で球団の事務方担当の渡辺一雄管理部長が10月29日に密かに定岡氏と会い " 事情聴取 " をしていた。もしもこの聴取を長谷川代表が自ら行なっていたら状況は変わっていたかもしれない。後日、定岡氏は「僕の我儘かもしれないけれど、あの時はいい知れない寂しさを感じた。もしも代表が僕の話を聞いてくれたなら、他球団でプレーすることが僕の為にも巨人の為にもなるのなら違った結論だったかも。渡辺さんは決して悪い人ではないけれど、野球に関しては全くの素人さんだし細かな事を聞いても『分からない』でしたから。あぁウチ(巨人軍)はこんなもんなのか、と気持ちが切れちゃった」と述懐した。11月2日に長谷川代表との話し合いが行なわれたが定岡氏は翻意することなく引退の道を選んだ。

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