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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 614 問題男の去就 ➊

2019年12月18日 | 1976 年 



シーズン終幕近くなると気の早い人は来季への青写真を描き始める。消息通といわれる人達の間で今ひそかに話題となっている情報を集めてみると・・消息通だけが知っている不気味な大物の去就、シーズンオフに話題必至の怪情報である

何もしないと言われる関根巨人二軍が優勝した時?
長嶋巨人V1の声が高い。これはチーム全体が一丸になってのものだ。だから来季も現体制維持は固い筈なのに、関根二軍監督だけは辞任するのではないかという噂が出るのは何故だろう。二軍も一軍同様に優勝しようというのに。その理由は先ず契約切れ。関根二軍監督は第1次長嶋内閣のヘッドコーチとして一昨年の秋に2年契約で巨人に入団した。長嶋監督の懐刀として期待されたがチームは球団初の最下位に沈み、当時の関根ヘッドは責任を取り辞任を申し入れた。だが球団側が慰留して二軍監督に配置換えとなった。その2年契約が切れるが関根二軍監督は自らの去就について明言していない。担当記者によると昨年一度辞表を出した経緯もあり契約更新はないとの見方が多勢だ。

もともと関根氏は長嶋監督のヘッドコーチ招聘にも難色を示していた。夫人が川崎市で喫茶店を経営しており、経済的にも不安はなく自由に発言し活動できる解説者の仕事に満足していた。批判も受けやすいヘッドコーチ就任に家族も反対していたが長嶋監督たっての要請に現場に戻る決断をしたのだ。それだけにユニフォームに対する執着は少ない。辞表を提出したのも最下位になった責任を取るのも理由の一つだろうが、コーチ業が性に合っていないと考えたとしても不思議ではない。監督やコーチの去就は本人の意思と契約期間だけで決まるのではない。球団側が強力に慰留すれば留任するケースは少なくない。

球団側が慰留する理由として後任問題がある。次の二軍監督を任すことが出来る人物に当てはあるのか?「今の巨人に二軍監督候補はいません。滝コーチでは無理。宮田コーチや中村コーチも力不足。内部からだと黒江コーチくらいか。だが黒江コーチを二軍に回したら一軍のコーチが手薄になってしまう。黒江コーチの後釜に土井選手をコーチ専任にという声もあるが本人は現役に拘っていて無理。今更、武宮寮長や中尾スカウト部長の現場復帰も有り得ない」と担当記者は言う。つまり内部昇格の線は難しく球団として関根氏に辞められると困るのが実情だ。しかし球団内に関根氏の指導力に疑問を持つ勢力が存在しているのも事実。

現在の二軍はイースタンリーグで優勝目前。西本投手、篠塚選手、中畑選手、二宮選手らが着実に成長し来季の一軍入りを虎視眈々と狙っている。彼らの成長は関根監督の手腕と言えるが不思議と評価されていない。「優勝と選手の成長を関根監督の手腕と結びつけるのはどうかな。二軍は昨季も2位でほぼ同じメンバーで戦ったのだから勝って当たり前じゃないの。選手の成長だって伸びる奴は放っておいても上手くなるもんさ。関根監督はとにかく動かない。全てをコーチや選手任せ。自主性を重んじると言えば聞こえがいいが、若い選手にはある程度の押しつけも必要だと思うんだけどね」と巨人OBの評論家は言う。巨人生え抜きの外様に対する冷めた意見とも言えるが同じ事はヘッド時代も言われていた。

そこで問題となるのは関根氏を三顧の礼で迎えた長嶋監督の意向である。監督就任1年目に球団初の最下位となった代償でコーチの人事権を剥奪されたが今季は優勝目前で、このままいけば発言権も強くなると予想される。仮に長嶋監督が関根氏の続投を望めば球団側も無下に拒否できないであろう。二軍の戦力は年々強化され関根氏の " 波風立てぬ " 温厚主義の下、和気あいあい&のびのび野球で勝利を重ね結果を出した。その何もしない関根野球の効用を長嶋監督が評価し続投を球団側に要請するかが焦点である。後任に人材がいない巨人、少なくともミスは犯していない関根氏。こうして見ると噂となっている退団話も今後は紆余曲折の展開となりそうである。



ヤクルトの実力者、武上の現体制協力度は?
広岡監督と並ぶもう一人の実力者である武上コーチ。広岡監督とは水と油の関係であると球界内では大方の見方であるが、今のヤクルトでは一致協力してチームを支えている。何が武上コーチを変えたのだろうか?変身の兆しが見られたのは第2次荒川内閣発足の頃からである。武上コーチは現役の頃から歯に衣着せぬ言動が目立ち、おとなしい選手が多いヤクルトでは異色の存在であった。 " 突貫小僧・ケンカ四郎 " のニックネームはグラウンド上だけの事ではなく、思った事は例え相手が監督だろうとズケズケと言葉にした。三原監督の時代に干されかけた時もあったが武上の言動は変わらず結局、三原監督も武上を手懐けるのを諦めた。

通算1000本安打にあと23安打としながら引退を余儀なくされた頃から武上の振る舞いに変化が現れ始めた。親分肌の武上に他の選手が追随するのは特に問題は無かったが、現役を引退してコーチという管理職になり立場が変わるとそうはいかない。チームとして組織のトップは監督であり、コーチ・選手が監督の意に従わなければチームは空中分解してしまう。「広岡監督とは性格が正反対だったが野球観は不思議と一致していた」と担当記者は話す。また別の記者は「荒川監督式の江戸っ子野球には反発していたが粘っこい妥協を許さない広岡の野球理論には昔から傾倒していた。広岡監督とは性格は水と油だが自分にはない広岡監督の理念・信念を学ぼうとしたのでは」と推論する。

荒川監督時代、コーチ会議の座長は広岡ヘッドコーチだったが生え抜きの丸山・武上両コーチが積極的に発言していて、当時から広岡ヘッドとはウマが合うようになった。立場が人を変えた。だが周囲はそうは見ていなかった。荒川監督が成績不振で休養となり、広岡ヘッドが監督代行となると " 静の広岡 " と " 動の武上 " はいずれは対立するだろうと思われていた。しかしその心配は杞憂に終わった。「広岡さんは武上コーチの一本気な性格を買っているんだ。似たもの夫婦より正反対の夫婦の方が上手くやっているみたいなもの(担当記者)」。好むと好まざるを問わず武上がコーチ業に全力投球をしているうちに武上自身が大人になったと考えるのが最も的確な結論であろう。

もっともその裏には球団内部というよりヤクルト本社筋の広岡監督への信頼が大きくものをいっているのも見逃せない。荒川前監督が僅か5連敗しただけで更迭されたのはまるで一時的な雇われマダムの様な扱いだったが、広岡政権はヘッドコーチとして入団した時からの既成事実だったからである。佐藤球団社長が逃げ回る広岡氏を千葉のゴルフ場まで追いかけて口説くなど三顧の礼を尽くして迎え入れた経緯からして広岡監督誕生は既定路線だった。そのあたりの政治力学を武上も感じ取った筈である。近い将来、いずれ武上にも政権を任される時がやって来るであろう。自分に欠けているものを広岡監督から吸収し勉強しようとする姿勢は想像に難くない。

広岡監督同様、武上コーチの能力を高く評価している松園オーナー。「武上にはまだまだ修行させないと。広岡君にはチームの優勝とは別に後継者も育てて欲しい(松園オーナー)」と周囲に話している。球団にもヤクルト本社にも全く信用されていなかった荒川前監督とは違って投手陣を再生させた広岡監督の手腕は今や絶大な信頼を得ている。「勝負の世界に妥協は絶対にダメ。どちらかが生き残り、殺されるかなんだから。考えているのはチームが勝つ事のみ(武上)」と言う台詞は広岡監督と全く同じである。誰よりも早くグラウンドへ来て一番最後に引き上げる粘っこさも広岡監督ばりである。今年も悲願の初優勝は成らずBクラスに低迷したがムードは決して悪くない。
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