「江夏西武入り」・・強いチームを倒す事を生き甲斐にしてきた男がチャンピオンチームに加わる事となる。その感想を聞かれると「もう苦しむ事に疲れた」と。トレードを言い渡されて25日間、江夏は何を苦しみ悩み続けていたのか?一匹狼の胸の内は・・・
東京・六本木にある球団事務所で小島球団代表、大沢管理部長(前監督)との会談を終えた時点では「正式に西武との契約を済ませた訳ではないけど」と前置きしながらも「次が自分の最後の働き場になるだろう」「17年間の財産を森投手ら若手に伝授する」と意欲を見せた。広島から帰京した12月13日の羽田空港で報道陣から「西武入りが決まった」と聞かされ不快感を露わにしていた表情はもう無くサッパリとした顔つきだった。それは小島代表が一連の手順ミスを認め江夏に謝罪したからだった。「何度でも言うがトレードはもっとドライに行なうべき。何か悪い事をしているかのようにコソコソされるのは御免だ」と江夏は1ヶ月近くに及ぶ騒動に苦言を呈した。
「植村監督がいらないと言うなら仕方ない。それがこの世界の掟。ワシは日ハムに拾われて自分なりに恩返ししてきたつもりだがそれにしては余りにも冷たい」江夏放出を日ハムが決めてから25日間ずっと「これ以上晒し者にするのは勘弁してくれ」と江夏は言い続けていた。優勝請負人と呼ばれ抑え投手の記録を次々と塗り替えて800試合登板を記録した投手がまるで欠陥投手のように扱われる寂しさと悔しさで納会を欠席しようとも考えたがケジメをつける意味もあって出席した。その席で江夏は小島代表に「今回のようなやり方をしていたら球団が世間から笑われますよ」と忠告した。広島から日ハムに移籍する際には大沢監督(当時)と広島の球団フロントが水面下で交渉を続けて江夏のプライドを傷つける事なくトレードを成立させた。
ところが今回はどうだ。日ハムはどの球団とも根回しをせず江夏が言う " 晒し者 " にしたまま放置してきた。いきなり「江夏はどうですか?」と言われて「ハイ、そうですか」と応じる球団がある筈がない。年俸や交換選手の問題もあり簡単に手を挙げるとは考えられない。江夏にしてみれば自他共に認めるセーブ王のプライドを傷つける行為に映った。その怒りが頂点に達したのが12月13日の出来事だった。広島時代に知り合った友人と愉快な時間を過ごし帰京した羽田空港で報道陣から西武へのトレードが球団から発表された事を知らされた。確かに広島市内のホテルに大沢管理部長から「西武に絞って交渉中である」との連絡はあった。だが正式発表は自分が東京へ戻ってからだと思っていた。
先ずは今回のトレードの経緯の説明があって然るべきで次に来季の契約更改を済ませてから正式に発表するものと考えていた。野球協約上は来季の契約更改は新旧どちらの球団で行なっても構わないとされているが旧球団で更改を済ませるのが球界の慣例とされてきた。ところが日ハムは自分が飛行機で雲の上を飛んでいる最中に一方的にトレードを発表し来季の年俸は「どうぞあちらで」と言わんばかり。これが3年間チームに尽してきた選手に対する扱いかと思うとハラワタが煮えくり返った。「犬や猫じゃあるまいしポ~ンと放り出されたみたいじゃないか。俺だって血も涙もある人間なんだぜ」とポツリ。
一連の騒動の中で江夏自身は筋を通してきたと自覚している。それは「自分の身柄は大沢前監督に一任する」という約束を守ってきたからだ。江夏は自分を拾ってくれた大沢管理部長を「恩人」として立ててきた(ちなみに江夏は今でも " 前監督 " と呼んでいる)。江夏には人情を大事にする一徹な所があり、こうと決めたら方針を貫く。今回もそうだった。江夏は球界内に様々なツテを持っており自分に有利な方向に動こうと思えば動ける強力な人脈がありながらしなかった。大沢管理部長に一任した以上、自分が動き回れば大沢管理部長を裏切る事になるからだ。自分は約束を守り筋を通しているのに球団は次から次へと江夏のプライドを傷つけるような言動に出る。それが許せなかった。
江夏にはグラウンド以外でも日ハムに貢献してきた自負がある。入団して初めての選手会に参加した時の事、球団に対する要望書を各自が書いていたが殆どの選手が「ユニフォームをもう1着作って欲しい」と記していたのを見て驚いた。当時の日ハムでは試合用と練習用のそれぞれ1着しか支給されていなかったのだ。オールスター戦に出場した選手は他球団の選手が着ている綺麗なユニフォームと自分の継ぎ接ぎだらけのそれを見比べて恥ずかしい思いをしていた。選手会長の柏原選手に意見を求められた江夏は「今の時代はノンプロのチームだって2~3着は持っている。プロ球団が今頃そんな事を言ってるなんて考えられん。それは要求以前の問題」と切り捨て選手会として球団と直談判するよう提言した。
これを機に江夏は球団に対して「いいチーム」「強いチーム」になる為にズバズバと進言し続けた。「だから球団から見るとうるさい野郎と煙たがられる存在だったかもしれん(江夏)」と苦笑いする。しかし、まがりなりにも日ハムはプロ球団に相応しくなり初のリーグ優勝を果たす事が出来た。微力ながらも球団に貢献出来たとの思いをフロント陣に踏みにじられたという無念さを感じるのだ。当初、球団は交換選手が豊富な巨人とトレードしようとしていたフシがある。しかし巨人側が江夏獲りに乗り気でなく話が進展しないと判断すると後は手当たり次第に各球団に交換トレードを打診した。取り敢えず江夏を放出したいとの思いからだった。
江夏を同じリーグの西武に放出するのを最後まで渋った日ハムだったがセ・リーグで交換トレードに応じる球団はなく西武入りが決まった。複数のセ・リーグ球団から「金銭トレードで」との申し込みはあったが大沢管理部長が「金銭では江夏に失礼」と断っていた。ただでさえ豊富な西武投手陣に更に強力ストッパーが加わる事となり「これで来季のパ・リーグの灯は消えたも同然」と指摘する評論家も現れた。今後の注目は広岡監督との関係である。広岡監督は「ウチに来る以上、ウチのやり方に従ってもらう。それが嫌なら辞めてもらって結構」と早くも牽制球を投じる一方で「ワンポイントで1試合1球でもいい。その1球を投げるのにどう考え選択したのかを若い投手達に教えてもらえればいい」とシビアな歓迎の弁も。対する江夏は「自分なりの調整法がある。それは広岡監督とじっくり話し合えば解決できる」と。今後の2人から目が離せない。