江川卓・28歳。確かに投手として転換期を迎えている。ネット裏では「もう潰れているんじゃないか」やら「寝たふりをしている」とか議論百出。先ずはプロ入り以降ずっと江川を見続けている他球団のスコアラーの声を紹介しよう。
広島の中村スコアラーは「元々江川の持ち球は直球とカーブだけ。ただ2つとも "超"が付く一級品で好調時は球種を絞っていても打てなかった。今季はその "超" が取れただけで一級品である事に変わりない。要するに求められる内容が高過ぎるからあれこれ言われる。今でも充分な働きをしてますよ」と限界説には否定的。ヤクルトの岩崎スコアラーは「球種が少ないから球威が落ちれば打たれる確率は高くなる。相手もプロですからただ速いだけでは抑えられない。今季の江川は球速よりもキレが落ちている。ただ球速は歳と共に落ちて回復させる事は困難だがキレは戻せる。でも今季中に戻すのは無理じゃないかな」と語る。一方で大洋の沖山スコアラーは速い球を投げられないのではなく、あえて投げない「寝たふり」派だ。「8月2日の対戦でもここぞと言う場面では速かったですよ」 「昔は " 太く短く " が当たり前だったけど江川は " 細く長く " と考えているんじゃないかな。だから僕は世間で言われるほど深刻だとは思ってない 」と。
ただ江川自身の昨年までの自信が揺らいでいるのがコメントから推測出来る。6月30日の阪神戦では掛布に初球を打たれて初回から大崩れで「プロの怖さを改めて教えられた。長いこと野球をやっているけどこんなの初めて」 7月12日の同じく阪神戦は延長12回まで縺れ込み193球も投げたがまたも掛布に打たれた。「前にインコースの直球を打たれたので外角にカーブを投げたけど…本当に今年はやる事なす事上手くいかない」と弱音を吐き「今年はもう上昇しないでしょうね。現状維持が精一杯」と親しい知人に漏らしている。全てはキャンプで肩をパワーアップしようとした際の怪我が原因。鉄アレーを使って筋肉強化をしていてギクッと痛めてしまった。それ以降、江川の歯車は狂い直っていない。「投手というのは悪くなっていく時はたった一箇所の原因でどんどん深みに落ちて行く。でも直すにはその一箇所を修正しても元に戻らない。それくらい投手とは繊細な生き物なんだ」と堀内投手兼任コーチは言う。
相手選手の目にはどう映っているのだろうか? 同い歳で自他共に認めるライバルの掛布(阪神)は「かわしてくる江川は本当の江川じゃない、と思っている。だからかわす投球をする彼を打っても心底から喜べない。現実に戦っている相手に失礼かもしれないが逃げないで勝負していた頃が懐かしい。敵地で2ランと満塁、甲子園で決勝2ランと3本打ってるけど気分は今一つ」マウンド上の姿も小さく見えて寂しいとまで。田尾(中日)は「去年までの江川の球は振っている所から浮いてきた。そんな球を打てるわけない。ホップするからファールにも出来なかったが今季の江川ならカーブを待っていて直球が来てもファール出来る。キレが全然違うよ」と証言する。オールスター期間中に江川にフォークボールの投げ方を教えた際に色々と語り合ったと報じられた牛島(中日)は「江川さんの肩や肘の状態?秘密です。少なくとも今の僕より江川さん方が速い球を投げてる。本当に痛かったら球を握るだけで激痛が走りますよ」と故障説を否定した。
過去に球速が落ちた速球投手が再び球速を取り戻した例はない。池谷(広島)は昭和51年に20勝したが翌年には疲労による肩の故障を起こし、再起を図り筋力アップやフォーム改造など色々と試みたが願いは叶わず今や並み以下の投手。松岡(ヤクルト)も例外ではない。既に5~6年前にはスピードだけでは通用しなくなった事を自覚し投球のモデルチェンジを余儀なくされた。松岡もまた江川と同じく直球とカーブだけでプロの世界で生き残ってきた男だったが、スライダーを活かす為に打者の胸元を執拗に攻め、スライダーに対応されるとフォークボールを新たに会得し投球の幅を広げた。「若い時はがむしゃらに直球を投げ、それで抑える事が出来た。でも球威は一度落ちると二度と戻らない。その事実を乗り越えるのにどれほど苦労した事か。恐らく江川も現実と向き合って苦悩しているんじゃないかな」と松岡は江川の心中を察する。
問題は江川が速球投手としてのプライドを捨て去る事が出来るかだ。高校時代の江川を題材にした漫画の中で昭和48年のセンバツ大会の広島商戦を描いた場面があった。江川の連続イニング無失点記録を佃選手の右前打で止めたのだが、作者は佃選手が左腕投手だった為に左打ちに描いたが実際は右打ちだった。そこに江川はカチンときた。「あの当時の俺の直球を引っ張って打てる打者はいなかった」 確かに右打ちの佃選手の打球は振り遅れてライト前にポトリと落ちたポテンヒットだった。たかが漫画にこれ程まで拘る速球投手としてのプライドを捨て去るのは容易ではなさそうだが出来なければ江川の投手生命は短くなる一方だろう。ここで昨年引退した星野仙一氏のコメントを紹介しよう。「スピードが落ちたと言っても並み以上は出る。もしも俺にあのスピードがあれば引退せずに済んだ」…星野氏は決して速球投手ではなかった。打者を騙す、脅すなどして生き延びてきたのだ。球速がなくても打者を抑える事は出来るが自分の持ち味は速球、あくまでもスピードに固執して短命の道を選ぶのもまたプロとしての生き様。江川の選択に注目だ。