自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

文化の日

2012年11月03日 08時05分02秒 | コラム

 ”自由と平和を愛し、文化を広める日”として祝日と定められたのが、1948年、二年前の’46年11月3日に公布された日本国憲法が文化とは対となる戦争を放棄した内容を持つことから、ふさわしいと考えられたからだ。”迷ったら原点に戻る”が原則で、混迷する現在、日本国憲法の理念に立ち戻り。焼け跡での決意を取り戻さなくてはならない。

 欧米列強の帝国主義の後追いをし、アジアの国に食指を伸ばし、他国他民族の犠牲を強いる中で自国の豊かさを求めたのが、明治以降の殖産興業、富国強兵の国是であった。大義名分のスローガンが”大東亜共栄圏”であり、その行き着き先が対米英開戦、結末が”焼け跡”であった。  そしてその焼け跡での決意が、人類の叡智、”might is rightからright is right”への第一歩としての戦争の放棄だったはずだ。

 ”力が正義”を信奉する勢力が現実の政治を左右しているが、”正義が力”に向けて一歩一歩歩む決意をする日が、今日の文化の日といえるだろう。そんな日に、沖縄における米兵の暴力が報道されているが、9条第1項で、戦争放棄、第2項で、前項の目的を達成するために、陸海空軍その他の戦力の不保持を定めたのだが、その他の戦力に在日米軍が入るのは理の当然である。憲法の番人、最高裁が、”統治行為”で逃げを打ち続けた結果、”日米同盟”が当然のごとく振る舞う政治家、のみならず、メディアも口走っている。

 実質軍隊の自衛隊が存在し、日米同盟が当然視され、オスプレイの訓練が強行される現実、最後の砦が日本国憲法第9条となる。国会議員の多くが現実を肯定して、理念を変えようとしているが、、その先走りをしている、軍国おじさんや、軍事おたくの横行を許してはいけない。、


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