自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

中東の悲劇はいつまで、、、

2009年01月14日 19時54分08秒 | コラム
 昨年末から引き続いているイスラエルのガザ侵攻作戦、日々犠牲者が増え続けている。新聞、テレビの報道では、中立・不偏不党を堅持しているつもりなのだろうが、『イスラエルもひどいが、ハマスも何とかならないのか、、、』式の、喧嘩両成敗で、結果的には、「力が正義」を後押ししている。ハマスをイスラム原理主義の過激派と報道するなら、モサドをユダヤ原理主義(神から選ばれた民族)に基づくテロ組織と報道すべきだ。

 もつれにもつれたパレスチナの問題を、原点に戻って解決する責めは、アメリカとイギリスにある。原因を作ったのがイギリスであるし、それを固定し解決を長引かせているのがアメリカであるからだ。世界で最初に市民革命そして産業革命を経て資本主義を確立したイギリスは、世界各地に植民地を獲得し大英帝国を築いたのであるが、その分割統治の政策の後遺症は、旧大英帝国内の地域に残されている。
 アフリカの飢えも、インド・パキスタン紛争、アフガン、パレスチナ問題も根は同一である。

 パレスチナは、第一次大戦後、オスマントルコに変わってイギリスが獲得(セーヴル条約)した地域だが、それまで長きにわたってこの地を支配したオスマントルコは徴税権だけで、宗教・文化・民族の自治を認めていた。それ故に一時は地中海沿岸から東ヨーロッパまでその領土を持つ大帝国を築き、17世紀には全盛期を迎えていた。それでも、パックス・ロマーナが永遠でなかったように、パックス・オスマーナも19世紀になると陰りを見せる。クリミヤ戦争・露土戦争でロシアの南下政策に敗北、ドイツと結んでの第一次大戦に敗北、13世紀の発祥の地、小アジア半島のに収まり現在に至っている。

 第一次世界大戦中、イギリスは戦費を、富豪ロスチャイルドから引き出すために、シオニズム(2000年も前のイスラエル王国の地に、ユダヤ人の国を再建)の実現を約束、アラブ人には、対トルコ反乱を勧め、独立を約束、仏・露・英間では中東の分割を取り決める、三枚舌外交(ロシア革命が起こり、レーニンにより秘密外交文書が暴露)により、この地の不安定の原因を作ったのがイギリスである。やがてイギリスは、国連に丸投げすることとなった。ユダヤ人の大量移住、その建国とは異なる、イフード運動(民族性・宗教性を表に出さない平和統合国家建設)を当時の英米が支持していれば、今日の混乱はなかったと思う。

 この地の人々は、水さえあれば、平和的に共存が可能であった。ところがこの地が石油の埋蔵地であることが分かった20世紀に、先進国、特に米英にとってはそのコントロール下に置く必要が生まれてきた。そのためにはアラブの民族主義、イスラムの倫理は、資本の論理とは相容れないものとなる。そのために打ち込まれた楔が、国連によるパレスチナ分割決議による、イスラエル建国である。この決議案にはイギリスも初めは同意しなかったのであるが、アメリカのトルーマンは、国内のユダヤ人の投票を期待して、圧力をかけて成立させた。

 

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