面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「宇宙兄弟」

2012年05月05日 | 映画
宇宙が大好きで、毎日宇宙のことばかり考えている、南波六太(ナンバ・ムッタ)と南波日々人(ナンバ・ヒビト)の兄弟。
ある夜、なんと二人はUFOを目撃する。
猛スピードで月へと飛び去って行くのを目撃した弟のヒビトは、瞳を輝かせて言う。
「俺さ、将来は宇宙飛行士になって、月に行くことにしたよ。ね、ムッちゃんは?」
突然の“宣言”に、先を越されたような雰囲気になってしまい、弟に負けるワケにはいかない兄のムッタは言葉を返す。
「お前が月に行くんなら、兄ちゃんはその先へ行くに決まってる。火星にいくよ!」
「すっげぇ!さすがムッちゃん!」
「よし、そしたらヒビト、約束だ。俺たちは二人で宇宙飛行士になるぞ。二人で一緒に宇宙に行こう!」

時は流れて西暦2025年。
子供の頃に“宣言”した通り、ヒビト(岡田将生)は宇宙飛行士となり、日本人初の月面探査メンバーに選ばれる。
一方兄のムッタは、いつしか夢を諦めてフツウに大学を卒業し、フツウに自動車メーカーのデザイン開発社員として働いていた。
しかし自分が精魂込めて進めてきた新車開発プロジェクトが、社長の鶴の一声で頓挫した挙句、あろうことか上司に頭突きをかまして会社をクビになってしまった。

全世界の注目を集め、まもなく月へと飛び立とうとして胸を張る弟に比べ、無職になってしまったムッタは、就職活動もうまくいかないまま背中を丸めて落ち込むばかり。
そんな虚しい時間を送っていたムッタのもとに、ひとつの手紙が届いた。
差出人は「宇宙航空研究開発機構」(JAXA)。
その内容はなんと、宇宙飛行士選抜試験の書類選考通過の通知だったのだ。
そもそも、そんな試験に書類を送ってなどいないムッタが訝しがっているところへ、ヒビトから電話が入る。
「忘れたのかよ、あの約束。」
子供の頃の約束をすっかり忘れてしまっている兄に内緒で、ヒビトが応募していたのだった。
ずっと約束を忘れずに、ついに夢を叶えて宇宙飛行士となった弟の思いを受けて、ムッタは諦めていた夢に向かって走り出した……!


2011年、「講談社マンガ賞」と「小学館漫画賞」をW受賞(同じ年に両賞を受賞)という史上初の快挙を達成した大ベストセラー漫画「宇宙兄弟」の映画化。
原作の存在は知っていたものの読んだことは無かったのだが、そんなことは本作の鑑賞には全く問題なし。
何の予備知識も要らず、黙ってイスに座って画面を眺めているだけで、スーッと物語の中へと入っていくことができる。
そして子供の頃、学研の「宇宙」の図鑑を眺めながら、自分が月面や土星の衛星に降り立ったり、太陽の表面に限りなく近づいたりする場面を夢想して楽しんでいたことを思い出した。


JAXAの全面協力により、普段は関係者以外誰も入ることのないエリアを取材したスタッフにより、忠実に再現された宇宙飛行士選抜試験の様子はリアリティに溢れていて興味深い。
また、アメリカ・フロリダにある、NASAの「ケネディ宇宙センター」での撮影シーンは圧巻。
「ロケット・ガーデン」という、アポロ計画時代からのロケットが立ち並ぶ前で、ムッタとヒビトが出会う場面には、まるで我が事のように胸が高鳴った。
その他にも、ムッタがヒビトの打ち上げを見ることになる旧管制塔や、ヒビトがロケット組立棟の前を歩きながらムッタと電話するシーンなど、NASAの敷地内で撮影された貴重な映像が次々登場する。
機密事項が多く、常にロケット打ち上げを控えるNASAにおいて、日本映画の撮影が許可されるというのは極めて異例で画期的なことであり、粘り強く交渉を続けたスタッフの熱意を受けて描かれたのだから、感動的な場面になるのも当然というもの。

更には、アポロ11号の乗組員として、アームストロングに次いで月面を踏んだ、宇宙開発史にその名を刻む英雄であるバズ・オルドリンが、本人役で登場してくるのも見どころのひとつ。
とても宇宙飛行士とは思えない堂々たる演技で宇宙への夢を語る姿は、実際に月面を歩いてきた男ならではの説得力を持って感動的。
ヒビトが日本人で初めて月面着陸のクルーになる、また兄弟で宇宙飛行士になるという、ある意味非常に気宇壮大な物語がリアリティを持って胸に迫ってくるのは、こうした数々の“ホンモノ”を使った撮影の賜物だ。


主題歌には、イギリスのロックバンド、コールドプレイの「ウォーターフォール~一粒の涙は滝のごとく」が使われているが、彼らが映画に楽曲を提供するのは初めてだとか。
ファンであったという森監督が、ダメ元で出したオファーに、曲の持つ世界観と映画が描く世界とがマッチしているとして快諾したというだけあって、作品の余韻を更に心地よいものにしている。


日本人初の兄弟宇宙飛行士を目指すヒビトとムッタの熱い兄弟愛と、夢に向かってリスタートを切ってひた走るムッタの熱い情熱と、そして「兄弟で宇宙飛行士」という夢に期待を膨らませる周囲の熱い眼差しが織りなす、心温まるストーリー展開に、最後までスクリーンから目が離せない、一級の娯楽作品!


宇宙兄弟
2012年/日本  監督:森義隆
出演:小栗旬、岡田将生、麻生久美子、濱田岳、新井浩文、井上芳雄、塩見三省、堤真一

お得情報。

2012年05月04日 | ニュースから
妻が年下であるほどお得な加給年金 ただし申請忘れると大損(NEWSポストセブン) - goo ニュース


昨今流行りの「年の差婚」の世帯は、絶対に忘れないようにしておかないともったいない話。
「年金官僚たちはわざと制度を複雑怪奇に設計することで、国民が制度のメリットを享受しにくくし、もらい忘れを誘発して、集めた保険料を掠め取ろうとする」というのは、けだし名言。
年金官僚に限らず、官僚というものはそういう生き物だろう。
申請や申告が必要なものは、その作業を面倒で分かりにくいものにしておき、更に周知徹底などせずに放置しておけば、誰も利用しないまま、血税を浮かせることができる。
いかにして“一般市民”から血税を絞りとり、掠め取って甘い汁をすするだけすするかに日夜血道をあげるのも仕事のひとつに成り下がっていると思うのは、自分だけではあるまい。

「劇場版SPEC~天~」

2012年05月03日 | 映画
通常の捜査では解決できない特殊な事件を専門に扱う「警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係」。
通称“未詳(ミショウ)”と呼ばれるこの部署に所属する特別捜査官の当麻紗綾(戸田恵梨香)と瀬文焚流(加瀬亮)のもとに入った「ミイラ死体殺人事件」の情報。
先に遺体で発見された同僚刑事も、同じようにミイラ化していた。
真相を追って捜査を進めるにつれて現れる数々の謎。
「シンプルプラン」と呼ばれるプロジェクトは何か?
「ファティマ第3の予言」とは?
謎が謎を呼び、更にまた謎を呼びながら、当麻の左手がうずきはじめる……


人間の脳の大部分は使われずに“眠っている”と言われている。
しかし、通常は“眠っている”部分が活性化すると、人間の叡智が及ばないような特殊な能力が使えるようになるという。
そんな「超能力」(=SPEC)を持つ人間(=スペックホルダー)のうち、何%かが自らのスペックを悪用しているとすれば、真相を明らかにできないまま「未詳事件」として未解決の事件が発生するのは必定。
原因や殺害方法その他、事件の全容が明らかにならない「未解決事件」は、もしかすると悪意をもった超能力者の仕業なのかもしれない(多少マジで)。

常軌を逸した難事件を解決するためには、常人をはるかにしのぐIQを誇り、決して常識にとらわれることのない当麻は適任。
そして彼女の相棒を務められるのは、これも常人を超えた体力を持つ瀬文が適任。
互いに“キレキャラ”として激しく罵り合いながらも、抜群のコンビネーションを発揮する当麻と瀬文の二人による“バディもの”でもある「SPEC」の劇場版は、物語の流れである「起承転結」の「転」にあたるシリーズのクライマックスとなるラストに向けた前段。
テレビドラマのシリーズと特別編の「翔」を見ていなくても、本作は独立して楽しむことができる。
とはいえ、やはりこれまでのシリーズについて、ある程度知識がある方がより楽しく観ることができるので、「SPEC」シリーズをこれまでご覧になったことの無い方は、ぜひパンフレットを購入しておくことをお勧めする。
なんとパンフレットにはテレビシリーズにおける各回と、特番である「翔」の、全てのあらすじが載っている。
上映の前にあらかじめ購入しておき、あらすじ部分を事前に読んでおけば、劇場版の面白さが際立つというものだ。
ただし本作のあらすじは読まずにご覧になることをお勧めする。


超能力を持つがゆえの悲哀を切なく描いた名作「七瀬ふたたび」のテイストを漂わせつつも、イマドキなキャラクターを縦横無尽に配して「堤ワールド」を炸裂させた、SF刑事ドラマ。
(と言っても「ロボット刑事K」ではないので念のため)


劇場版SPEC~天~
2012年/日本  監督:堤幸彦
出演:戸田恵梨香、加瀬亮、伊藤淳史、栗山千明、三浦貴大

「アポロ18」

2012年05月02日 | 映画
1961年に始まり、1969年には人類を初めて月面に送り込んだ「アポロ計画」は、1972年のアポロ17号による月面着陸を最後に、突如中止された。
ところが、それから40年を経た今、インターネットの片隅で、ある映像が発見された。
そこに映し出されていたのは、アポロ17号で終了したとされていた「アポロ計画」に18号が存在して月面着陸を果たしていたということだけでなく、決して表に出ることのなかった月世界の真実だったのである!


NASAが極秘裏に進めたこの「最後のアポロ計画」は、軍事目的によるものだった。
月へと送り込まれた3人の宇宙飛行士に与えられたミッションは、当時のソ連を監視するための“装置”を月面に設置すること。
比較的簡単なミッションに取りかかったとき、月面に自分達以外の「足あと」を発見する。
なぜ、こんなところに足あとがあるのか…?
その謎を追った彼らは、明らかにアメリカのそれとはことなる月面探査機を発見して愕然とする。
なんと、月面着陸を達成したのはアメリカだけとされていたが、実はソ連も成功していたのだ。

世界に誇るべき偉業を達成したはずのソ連が、なぜこの事実を公表していないのか。
そしてNASAはその情報をつかんでいたと思われるのに、アポロ18号の乗組員達には隠されていたのはなぜか。
彼らが記録した映像には、軍事目的は表向きのもので、真の目的が存在していたことを物語っていた。
そこには、人類の想像を絶する、衝撃の事実が隠されていたのだ……!


アメリカの威信をかけた世紀のプロジェクトであった「アポロ計画」が、なぜ突如中止となったのか。
表向きは予算の都合によるものとされたが、その裏には隠された真実があるとして様々な「都市伝説」も生まれているが、その憶測に対するひとつの回答を描いたサスペンス・ドキュメンタリー。


アポロ18
2011年/アメリカ=カナダ  監督:ゴンサーロ・ロペス=ギャレゴ
出演:ウォーレン・クリスティー、ロイド・オーウェン、ライアン・ロビンス

「アーティスト」

2012年05月01日 | 映画
1927年のハリウッド。
銀幕の大スター、ジョージ・ヴァレンティン(ジャン・デュジャルダン)は、共演した愛犬と共に、新作の舞台挨拶で満員の観衆から拍手喝采を浴びていた。
劇場前は熱狂的なファンが押し寄せて大混乱。
そんな中でマスコミの取材を受けていると、ひしめき合う群衆からはじき出されるように出てきた一人の若い女性から、ヒップで突き飛ばされる。
怒るどころか微笑んで優しく振る舞うジョージに感激した女性は、あろうことか大スターのほほにキス!
その瞬間をとらえた写真が、翌朝の新聞でトップを飾った。

大スターと一緒に新聞のトップを飾った彼女の名前はペピー・ミラー(ベレニス・ベジョ)。
ハリウッド・スターを目指す彼女は、自分が大々的に載った新聞を手に、映画会社のキノグラフ社へとやってきた。
関係者に新聞を見せて売り込みをかけてみるものの効果はなかったが、持ち前の弾けるような明るい笑顔とキュートなステップを披露すると、ジョージ主演の新作映画にエキストラとして採用される。

憧れの大スターとの再会と夢のような共演に感激のペピーは、撮影終了後にジョージの楽屋を訪ねた。
ジョージは、「女優を目指すのなら、目立つ特徴がないと」と、アイライナーで彼女の唇の上に、小さなほくろを描く。
その日を境にして、ペピーの快進撃が始まった。
ダンサー、メイド、名前のある役と、順調にステップアップしていくペピーは、遂に映画ヒロインにまで駆け上る。

1929年。
トーキー映画が登場すると、キノグラフ社はいち早くこれを作品の中心に据えることにする。
しかしジョージは、音声の出る試作フィルムを見て一笑に付すと、「サイレント映画こそ芸術だ」と主張、社長(ジョン・グッドマン)と決別すると、自ら監督兼プロデューサーとして、サイレント映画の製作に取りかかった。
大スターを失ったキノグラフ社だったが、ニュー・ヒロインとしてペピーを主演に据えたトーキー映画を製作。
そしてジョージの新作とペピーの新作とは、期せずして同じ日に公開されることになる。

連日観客が列をなして押し寄せる大ヒットとなったペピーの作品に対して、ジョージの新作は惨憺たる興行成績となった。
莫大な自己資金をつぎ込んだ映画が大コケしたジョージは、失意のどん底に沈んで心を閉ざして妻にも愛想を尽かされ、家を放り出される。
一方ペピーは、トーキー時代の新たなスターとして出演作が次々にヒットし、絶大な人気を得るまでになっていく。
過去の栄光に固執して苦悩するジョージの人気は、凋落の一途をたどった。
折からの世界大恐慌による不況の嵐が吹き荒れる中、生活にも困るようになって自暴自棄となったジョージに、変わらぬ愛情を抱いていたペピーは、救いの手を差しのべようとして…


第84回アカデミー賞において、作品賞、主演男優賞、監督賞など5部門を受賞した話題作。
サイレント映画が作品賞を受賞するのは、第1回アカデミー賞以来83年ぶり。
CGによるリアリティあふれる特撮映像や、3Dによるド派手な映像が幅を利かせる昨今、サイレントのモノクロ作品がアカデミーを制覇したことは、進化した撮影技術への依存に対するハリウッドの自省の念の表れか、単なる“映画人”たちのノスタルジーの賜物か。
そんなことを考えてしまうのは己の根性の曲がり方が相当なものである証拠だろう。
それはともかくとして、豊かな表情や動きによる感情表現や、細かい小道具の使い方などの、サイレントならではの細やかな演出方法は、音や撮影技術に頼らずとも良い作品が創り出せることを改めて証明するものと言える。
またジョージとペピーを演じた主演の二人が、サイレント時代のスターそのものといった風情で、当時の雰囲気を見事に表しているのも、本作の妙味となっている。

映画がサイレントからトーキーへと移行していく時期のハリウッドを舞台にした、大スターと新進女優のラブ・ストーリーといえば「雨に唄えば」を思い出すが、全く趣を異にした新たなキャラクター設定に、イマドキのテイストがうまくアレンジされている。
大スターとなったペピーに対して、彼女の自分への思いを素直に受け入れられずにジョージは自暴自棄となるが、そんな彼にペピーが「ごめんなさい」と自分に否があると詫びるペピー。
ジョージの高慢とさえ言えるプライドを、決して傷つけることなく大きな母性で包み込む姿は菩薩の如し。
過去の栄光にしがみついて離れられない情けない中年男が、一途に自分に対する愛情を持ち続けている元気溌剌の若い女性に癒され、励まされる姿に、昨今流行りの「歳の差婚」成立の一端を見た思いがした。
いくつになっても男はガキのような精神構造を持ち続けていて、いくつであっても女性は大らかな母性を持っているもの。
「愛があれば歳の差なんて」という言葉の持つ意味のひとつがここにある(と思う)。


なお、本作は全面的に“サイレント”で作られた作品だと思っていたのだが、実は一部で自然に音声が入っていて驚いた。
しかしそれが実に効果的な演出になっていて、より感動を深めてくれるところがまた憎い。

今観ることが新鮮なサイレント映画の手法で情感豊かに描いた。オーソドックスなラブ・ストーリーの秀作。


アーティスト
2011年/フランス  監督:ミシェル・アザナヴィシウス
出演:ジャン・デュジャルダン、ベレニス・ベジョ、ジョン・グッドマン、ジェームズ・クロムウェル、ペネロープ・アン・ミラー、ミッシー・パイル、ベス・グラント、ジョエル・マーレイ、マルコム・マクダウェル、エド・ローター、ケン・ダビティアン