面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「小三治」

2009年05月26日 | 映画
柳家小三治という噺家。
どことなく陰気で暗く地味な高座だと嫌っていた。
それは、遡ること既にン十年前、その名前を意識して見た初めての高座の印象を、長らく引きずってきたからだ。
またそのときのネタが、上方落語では考えられないほど暗い噺である「死神」だったから、なおのことだったかもしれない。

それが高じてしまって、最近では彼の落語を聞くことはほとんどなかった。
もっとも、テレビやラジオなどのメディアへの出演は極力避けているとのことなので当り前ではあるのだが、自分から追いかけて聞く、例えばCDを借りるなどすれば聞けるものを、それさえしてこなかったのである。
なので、今度小三治を追いかけたドキュメンタリー映画が公開されるということを知り、逆に観たくて仕方がなかった。
それは、あの陰気で暗い高座を作り出す噺家は、どんな人となりなのか!?という、少々悪意のある興味からだった。

そして、ようやくにして作品を観ることができた。
そして小三治その人に触れることができ、学生時代に彼の高座が気に入らなかった己の浅はかさを、今さらながら思い知った。
しかし自分が小三治の味わいを認識できるようになるには、相応の社会人生活を送る必要があったかもしれない。

小三治は、記録に残すことが好きではないという。
落語というものが、高座で演じる噺家と、その場で空気を共有する客とで作り上げていくものだという思いがあるからで、それは彼が寄席で高座を務めるという「噺家の本業」を何よりも大切にしているために、それに支障が出るようなメディアの仕事は避けるという姿勢に現れている。

確かに、「レッドなんとか」をはじめとする瞬間芸花盛りの昨今のテレビにおける演芸の扱いを見れば、落語における「間を味わう」という楽しみ・醍醐味など、まどろっこしくて誰にも分かるものではなくて、そんなものウケねぇよ、と切って捨てられるものだろう。
特に“間”の味わいが楽しい小三治に対して、テレビ界からオファーがかかるわけがない。
しかしそれはそれでいい。
小三治の面白さは、寄席の高座を通して同じ空気を彼と共有することでこそ、最もよく味わうことができるものだから。

師匠と呼ばれ、弟子を何人も抱える人は皆そうかもしれないが、この作品の中で小三治が口にする言葉のひとつひとつが、皆趣があって人生の機微が感じられて、そして茶目っ気たっぷり(そこは噺家ならではかもしれないが)で楽しい。
落語好きはもちろんのこと、落語のことを全く知らない人も、小三治という噺家の「人となり」に触れることで、いろいろ様々に思いを巡らせることができる、“癒し系ドキュメメンタリー”。


小三治
2009年/日本  監督:康宇政
出演:柳家小三治、入船亭扇橋、柳家三三、立川志の輔、桂米朝
語り:梅沢昌代


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