面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「セデック・バレ 第一部 太陽旗/第二部 虹の橋」

2014年01月19日 | 映画
台湾の山岳地帯を拠点とし、「虹」を信仰する誇り高き狩猟民族・セデック族。
大自然と共に生きる彼らには、近代に至ってもなお、戦った相手の首を狩る「出草(しゅっそう)」という風習が残っていた。
セデック族の一集落であるマヘボ社のリーダーの息子モーナ・ルダオ(ダーチン/リン・チンタイ)は、初めての「出草」で敵の首を二つも狩り、集落内外に勇名をはせた。

日露戦争における清の敗北により、台湾は日本の統治下に置かれることになると、彼らが住む山奥にも日本軍が押し寄せる。
彼らは必死に抵抗したが、近代的な装備を整えて圧倒的な軍事力を持つ日本軍には抗しきれず、集落は次々と支配されていった。
モーナも反抗を繰り返すものの力及ばず、服従するほかに民族を守る道は無いのだった。

「蕃人」とされたセデック族たちは、日本人として生きるように教育を受けさせられる。
日本風の生活習慣を押しつけられ、日本の文化を学ばされて、彼らの持つ文化や風習は禁じられた。
更に、過酷な労働と日本人への服従を強いられ、日々耐え忍ぶような毎日を送ることを余儀なくされたのだった。

日本統治となって35年の月日が流れ、リーダーとなっていたモーナは、耐えに耐えて生きてきた。
先祖からの狩り場で経験を積み、「出草」の実績を残し、顔に刺青を入れて勇者となることこそ、先祖達のもとへと「虹の橋」を渡っていくことができる。
モーナは、先祖伝来の狩り場が開発の名のもとに失われていくことに心を痛め、忸怩たる思いを抱えていた。

ある日、婚礼の場で、日本人警察官とセデック族とが衝突する騒動が起きる。
これを契機に、長い間抑圧されてきたセデック族の若者達の不満が爆発、モーナに対して日本軍への反抗を訴えた。
反乱を起こせば、いかんともしがたい武力の差によって、セデック族は滅亡することになるかもしれない。
完全な負け戦となると認識していたモーナだったが、命をかけて民族の尊厳を守るために決起してこそ「セデック・バレ」=「真の人」となるとして、ついに行動を起こした。

各集落と連携しながら、次々に日本人警察官が住む駐在所を襲う決起部隊は、やがて霧社公学校へと迫る。
その日、連合運動会が開催されることになっていた公学校には、高官から一般市民まで200人余りが集まっていた。
運動会が幕開けしようとしたその時、民族衣装に身を包んだセデックの戦士たちが運動場の四方八方から飛び出し、日本人に襲いかかった。

この突然の反乱劇に日本政府は即座に応戦した。
陸軍少将の鎌田弥彦(河原さぶ)以下1000名の部隊が鎮圧に向かったが、険しい山岳地帯で地の利を生かして戦うセデック族相手に苦戦を強いられる。
以前からセデック族の人々と友好関係を築いていた小島巡査(安藤政信)は、公学校で妻子が殺されたことに対する怒りもあらわに、モーナ・ルダオの宿敵だったタイモ・ワリス(マー・ジーシアン)をけしかけて、懸賞金を条件として強制的に日本軍に従わせ、出兵させた。
民族の誇りを胸に立ち向かうセデック族の戦士達と、復讐に突き動かされながら鎮圧行動に出る日本軍との戦いは、様々な悲劇を生みながら終焉へと向かう…


1930年、日本統治下の台湾で起きた、原住民による抗日暴動である「霧社事件」。
東日本大震災でもいち早く巨額の義捐金を送ってくれた記憶も新しく、親日のイメージが強い台湾においてこんな事件があったとは、恥ずかしながら本作を観るまで全く知らなかった。
台湾では高齢者の中に日本語ができる方が見受けられ、台湾出身の芸能人やプロ野球選手も日本で活躍するなどしていることから、日本による台湾の統治は、比較的平和に行われていたと暢気にも勝手に解釈していた。
しかしその実態がどういうことだったのか、本作によって思い知らされることとなった。

日本による台湾統治は、政治的に支配下に置くということだけでなく、日本の文化や風習、生活様式を押し付けて、結局は台湾の人々を「日本人化」しようとしたものに過ぎない。
中でも、本作に登場するセデック族をはじめとする原住民に対しては、彼らを野蛮人としてひとくくりにし、文明的で豊かな暮らしを送ることができるように「教えてやる」という意識のもとに、彼らの生活を否定して「日本人になること」を強要したのである。
またセデック族には、戦った相手の戦士の首を狩る「出草」という風習を持っていたことから、特に彼らを「野蛮人」であるとみなし、自分達の生活に従わせることで「文明化」しようとしたのではないだろうか。

確かに、自分達日本人の感覚からすれば、戦って倒した相手の首を狩るという行為は、野蛮そのものでしかないと認識するに違いない。
しかしセデック族が先祖より連綿と守ってきた風習であり、狩猟民族として一人前の戦士となるための儀式として必要なもの。
ましてや、一人前の戦士とならなければ、死後に彼らの先祖が待つ「虹の橋の向こう側」へと渡ることができないという、「虹の橋」の信仰もある。
「野蛮だからやめなさい」と言われて「はい、そうですか」とやめてしまえるような代物ではない。
野蛮という概念で判断するものではなく、民族のアイデンティティそのものなのである。
それを否定されることは即ち自分達の存在を否定されることにつながる。

ただ、人間の首を狩るという風習自体は、いわゆる「文明的」な行為ではない。
残虐な行為であって、国際社会の中においては決して許されるものではないのも事実。
しかしそれを止めるかどうかの判断は、外部の人間が決めることではなく、民族が今後生きていくうえで自ら考えて結論付けるべきこと、または自然淘汰的に廃止されていくべきことなのではないだろうか。
そういった民族が守ってきた文化・風習というものは、その内容はどうであれ、強制的に禁止してしまうものではないことを改めて認識した。


抑圧は必ず反発を呼び、それが悲劇へとつながっていく。
第一部「太陽旗」は、「太陽」を信仰する民族が押し寄せてきた姿を描き、第二部「虹の橋」は、「虹」を信仰する民族による反撃と悲劇が描かれる。

セデック族の人々が民族の尊厳を賭けて戦い、信仰のもとに命を落としていった歴史的事件「霧社事件」を、原住民の出身者を出演者に揃えて大自然の中を縦横無尽に駆け巡らせ、圧倒的な迫力で描ききったスペクタクル巨編!
重厚な一大叙事詩の傑作♪


セデック・バレ 第一部 太陽旗/第二部 虹の橋
2011年/台湾  監督:ウェイ・ダーション
出演:リン・チンタイ、マー・ジーシアン、ビビアン・スー、ランディ・ウェン、安藤政信、ルオ・メイリン


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