面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「アヒルの子」

2010年10月26日 | 映画
小野さやかは、5歳の時の1年間、親元を離れてヤマギシ会幼年部に預けられた。
その時、親から“捨てられた”と感じ、極限まで寂しさを経験した彼女。
その後は「二度と捨てられたくない」という思いから、両親に気に入られようと“良い子”を演じ続けて生きてきた。
それは同時に、常に「生き辛い」思いを抱えることとなり、本当の自分が分からなくなっていく。
自殺を強く意識した彼女は、トラウマを乗り越えて前へ進むために、自分の心の奥底にある“苦しみの根源”を直視し、家族ひとりひとりと対峙することを決意した…


「幸福会ヤマギシ会」は、農業、牧畜業を基盤とした理想社会を目指すコミューン体として、その昔概要を聞きかじった覚えがある。
最近はあまり聞かなくなっていたが、今も存在していることを知って勉強になった。
そんなヤマギシ会に、子供の頃に1年間預けられた小野監督は、その体験がトラウマとなって、ずっと生き辛さを抱えてきたという。
ごく当たり前に両親の愛情を受け、ごく平凡で平和な家庭に育った自分には、その苦しみは想像することしかできないが、おそらく想像を絶するものであろう。
それは、カメラの向こうで常に苦悩し続ける小野監督を観ていればわかる。
心に氷の刃が突き刺さり、ズキズキと冷たく痛むのである。

カメラの前で自らの全てを曝け出し、懊悩を包み隠さず吐き出して嗚咽し、悶絶する小野監督の姿に思わず息を呑む。
「自分探し」という言葉が流行ったが、本当に自分を見つめ直すということは、凄まじいエネルギーを必要とするものであり、ちょろちょろっと旅に出て思索にふけるようなことで達せられるものではないことを思い知る。

そこまで自分の心の奥底を掘り起こすことが必要なのだろうか?
誰でも心の中に、触れたくないもの、見たくないものは存在するし、それを直視せずとも暮らしていけるものだ。
本作を観ると、そんな疑問と「そこまでしなくても…」という思いが脳裏をよぎるのは、やはり自分が平和に過ごしてきた証拠なのだろう。
また、小野監督が人一倍強い感受性を持ち、ガラス細工のように繊細な心を持っていたということかもしれない。
そして、彼女の幼少期における、普通は経験することのないような体験もまた、彼女の心を追い詰めていったことは間違いない。
いずれにしても、自分とはあまりにかけ離れた環境を生きてきた監督の心の中を、本当に自らの思いとリンクさせて理解することはできない。
ただ、圧倒的迫力をもってカメラの前で曝け出される、小野さやかという生身の人間の真実を知るだけである。
しかし「彼女の真実」を知ることで、観客は彼女の苦悩を分かち合うことができ、彼女の重荷は和らぐのではないだろうか。
全てを曝け出しきった後の彼女の表情に救われるのは、そういうことなんだろう。

ドキュメンタリー映画の巨匠・原一男の薫陶を受けた小野監督は、見事に“原イズム”を消化して継承し、更に女性らしいスパイスを加えて見事に作り上げた、ドキュメンタリー映画の秀作。
これぞドキュメンタリー映画であり、彼女の今後に期待したい。


アヒルの子
2005年/日本  監督:小野さやか
製作総指揮:原一男


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