面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「かぐや姫の物語」

2014年01月05日 | 映画
光り輝く竹の中から「竹取の翁」に見つけ出されて育てられ、成長して「かぐや姫」と名付けらた後、貴公子から求婚されるもこれを退け、帝からのお召しにも従わずに、やがて月へと去っていく。
日本最古の物語文学と言われる「竹取物語」を、スタジオ・ジブリの高畑勲監督が、「ホーホケキョとなりの山田くん」以来14年ぶりに手がけた長編アニメ映画。


「竹取物語」あるいは「かぐや姫」は、研究家の間で様々に解釈が加えられているところであり、古典文学に何ら知識を持たない自分が、ここでどうこう論じることはできない。
ただ、高畑監督も言及しているように、“原作”はかぐや姫の心情について触れることはほとんどない。
この点について、高畑監督の見事な“仕事”が活きている。

かつて宮崎駿と共に作った「アルプスの少女ハイジ」において、原作の中で十分には描かれていないハイジの日常生活と心情の描写を丁寧に積み上げていく演出で、ハイジという少女を魅力いっぱいに描くことに成功し、海外の人々にも広く受け入れられることにつながったという。
一方かぐや姫も、誰もが知る話ながら姫の気持ちや考えは、原作の中には書かれていない。
そこで本作の製作にあたって、新たに姫の心情や山での暮らしを丹念に描くことで、人間としてのかぐや姫の存在感と魅力が広がった作品に仕上げることができたとのこと。
「アルプスの少女ハイジ」制作後、「いつか日本を舞台にハイジを作りたい」と語り合ったという高畑勲、宮崎駿の名コンビの、40年来の思いが遂に実現した作品でもある。


山村から都に移り住み、「高貴なお姫様」を目指すことを課されたかぐや姫。
顔を白く塗り、眉毛を抜いて“描き改め”、歯にお歯黒を塗るのが高貴な姫のあるべき姿なのだが、かぐや姫は受け入れられない。
歯を黒く塗ったりすれば、笑ったときに真っ黒な歯が見えてみっともないというかぐや姫に対して、教育係・相模は、「高貴な姫君は口を開けて笑うものではない」と言う。
笑いたいときにも存分に笑えない。
「高貴なお姫様は人間じゃない。」
かぐや姫の痛切な訴えが心に響く。

高貴な人々、すなわち貴族と呼ばれる人々の世界において、女性はあくまでも一族繁栄のための「モノ」でしかない。
その世界にあっては、位(身分)の低い家の女性が、位(身分)の高い「貴公子」から求婚されることほど幸せなことはない。
昔から脈々と続いてきたそんな価値観の中で生きてきた高貴な人々にとっては、それはごく当たり前のことである。
従って高貴な女性たちも、「そういうもの」として受け入れながら、「高貴な姫君」として育っていくのだろう。
そこには、人間として当たり前の「喜怒哀楽」の発露は無く、かぐや姫の指摘する通り人間ではなくなっていくとも言える。

かぐや姫は山村に生まれて大自然に囲まれて育ち、そのときそのときの感情をそのまま露わにして生きてきた。
笑いたいときに目いっぱい笑い、走りたいときに目いっぱい走り回り、歌いたいときに歌う。
大自然に触れ、喜怒哀楽を感じながら「人間」として生きることこそ、月の都から地上へと降りてきたかぐや姫の目的でもあったのだ。

しかし育ての親である翁は、かぐや姫を「高貴なお姫様」にしなければならないと考える。
その瞬間、姫は「人間らしさ」を失うことを余儀なくされてしまのだが、翁と媼への愛情と、育ててもらった恩に報いるため、「高貴なお姫様」としての教育を受ける。
ただしそれは、高貴な人々の「モノ」にはならない、即ち高貴な人々との婚姻はしないという条件の元で、ということに他ならない。
そのことが、本来「月の世界の住人」である天人たるかぐや姫が、地上にいる意味をなすために「人間」であり続けることになるのだから。
五人の貴公子からの求婚を退けるのも、かぐや姫が地上に居続けるためには仕方のないことなのである。

ところが、かぐや姫に更なる“難題”が襲いかかる。
帝がかぐや姫を求めたのだ。
その頃の日本において、帝の思し召しを拒否するという行為はありえないし、そもそもそんな発想さえ誰も持ち得ない。
帝からの“要求”を伝えられたとき、翁が一も二も無く受諾するのは自然な流れである。
帝の「モノ」になることを誰も拒むことはできない。
ただ一点、自ら命を絶つことでのみ、それは可能となる。
それがためにかぐや姫は、帝の元へ送られるのなら命を絶つと宣言するのである。

ここでかぐや姫にとって“計算違い”だったのは、拒否されれば更に求めたくなるという人間の心理に思いが及ばなかったところか。
自らの要求が受け入れられないなどありえない帝にとって、かぐや姫の態度によって、その興味をますます掻き立てられるのは必定。
帝をして、かぐや姫の部屋へと忍びこませることとなり、帝の「モノ」になることがイヤさに、地上にいることさえ嫌悪してしまったことで、かぐや姫の進退は極まるのである。


かぐや姫の罪は、翁に対して自らの“正体”を明らかにし、地上にいる意味や目的を明確にしなかったこと。
そしてその罰として、翁・媼と別れさせられ、美しい自然に包まれた色鮮やかな地上から呼び戻されることになる…

しかし罪を犯し、罰を与えられたのは、ひとりかぐや姫だけではない。
翁もまた、表象的な「栄達」という欲にとらわれ、かぐや姫を「モノ」にしてしまった罪を追う。
そしてその罰として、最愛のかぐや姫を、この世から失ってしまうことになったのである。


高貴な人の手によって成立した「竹取物語」の、高貴な世界の常識そのままに感情表現の薄いかぐや姫に、姫の感情を丁寧に豊かに描くことで人間味を与え、魅力たっぷりなキャラクターを作りあげた高畑勲監督の見事な演出が光る逸品。


かぐや姫の物語
2013年/日本  監督:高畑勲  脚本:高畑勲、坂口理子
声の出演:かぐや姫…朝倉あき、捨丸…高良健吾、翁…地井武男、媼…宮本信子


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