もうすぐママが2階へ上がって来る。僕は明かりを消して、毛布を頭まで被った。いい子にしていないと、ママはお話を読んでくれない。ボクは昨夜からずっと、あの天使のお話の続きが気になって仕方がなかった。そこで何度かママに、あの子はどうなったの? 死んじゃったの? 助からなかったの? おやつのビスケットをかじりながら、庭でお花に水やりをしながら、つづきを尋ねてはみたんだ。だけど何度聞いてもママは、「夜になったらね。」と、教えてくれない。ボクは隣の家に住む子達と一緒にいる時間も、遊びに夢中になれなかった。ぜ~んぶ、ママのせいなんだからな! その時、コツコツと、階段を上がって来るママの足音が響いた。やった~!遂に! ボクは心の中で小躍りしそうだった。
そっとドアを開けると、ママがこっちを覗き込んだ。ボクはわざと寝息をたててみせる。ママは小声で、
「もう、寝ちゃったかな… 」と呟く。ボクは慌ててがバッと起き上がると、
「今まで寝ていたけど、今、目が覚めたよ。ママ、お話のつづき、早く、はやく!」
両手でママを呼ぶと、ママも笑いながら傍へ来て、お話ノートを広げた。では、読むわね。
「うん!」僕はどきどきしながら、ママの話の続きを待った。ママはにっこり笑うと語り始めた。
【天使の賛歌 エピローグ】
火の海となった船上は、乗員乗客が一致団結したこともあり、無事に消し止められたが、火の手が上がった部屋には、人が倒れていた。
「きっと、この客室の女の子だ」
「まだ、こんなに若いのに」
「何とも気の毒なことだ…」
集まって来た人々が口にする。その内の一人が、焼けずに首に残っていたチェーンを見つけた。ペンダントのようだ。乗員がハンカチでススを払うと、太陽を象ったペンダントの裏側に、J.J.とイニシャルが掘られていた。
「あぁ! お嬢様ぁ! それは、お嬢様の物です。間違いなくお嬢様の…太陽のペンダント。そのイニシャルもお嬢様で…」
ばあや、違うわ! 何処からか、少女の声がした。
それまで、わんわんと声を上げて泣いていたばあやが、振り返ると、そこには焼け死んでしまったのだと思っていたジュリーが、ぽつり、と立っていた。
「それは私じゃない、私を助けてくれたジョンよ。私の身代わりに…作家になれ!と。」
ジュリーはその場に泣き崩れた。 周囲にいた人々は誰一人、口を開くことが出来ず、嵐が去った後の船上には、ただ、少女の泣き声だけが響き渡っていた。
ここで、この曲(詞あり)をお聴き下さいませ~🎵
【天使の賛歌】作品NO 360 作詞作曲:すず
「ママ、それから二人はどうなったの?」
ボクの質問、聴こえなかったのかな。ママは黙ったままだ。ボクはもう一度、ジュリーは助かって作家になれたの? ジョンはあのまま死んじゃったの?と、聞いてみた。
「あぁ、そうね。ジュリーは無事に米国へ戻り家族に会えた。その後も勉学に励んで、日本へも渡ったの。そこで紫式部を研究をして、同じ大学院生と出逢い、結婚した。男の子も生まれたわ。名前はジュン。純粋の純、と漢字で書いて、ジュン。」
ボクはびっくりして思わずベットから跳び起きた。
「純? ジュンっていうの? ボクと同じ名前じゃないか!それで、ジュリーは作家になれたの?」
「ええ、なれたわよ。」
ボクのハートがドクン、ドクンと音がするぞ。だけど、ママはジュリアンだ。ジュリーって名前じゃない。ボクはゆっくりと… そうだ!最近、覚えた言葉でいうと、”すごく慎重に”言葉を選んだ。
「それで… 今、ジュリーは何処にいるの? どんなお話を書いているの?」
ママは何処か、遠い目をしたまま、しばらく窓の外をみていた。満月だ! 今夜は満月。ジュリーとジョンが、「月を見たら、お互いを思い出そう」と約束した、満月の夜。
「純、ジュリーはね… あなたの目の前よ、ジュン」
えーっ! ボクの予感、的中だーっ! やっぱりママだ。ママは作家になったんだ。ジョンとの約束を果たしたんだ。ボクの友達はみな、いいなぁっていう。ママが作家だから、本屋さんにママの本が並ぶ前に、お話を知っているのだから! ボクが一番の読者って訳だ。ボクの自慢のママだ。だけど…
「ジュリーじゃない、名前が。そう思ってるのね。昔はね、ジュリアンじゃなくて、ニックネームでジュリーと呼ばれていたのよ」
そうだったのかぁ。ボクは最大の疑問をママに投げつけた。
「ジョンは? ほんとにママの身代わりになって死んじゃったの? 天使はいるの? 本当にいるの?」
息子の疑問はごもっともだ、という風にママは再びこちらを向いた。
「あの日、炎の中で、ママは確かにジョンの声を聴いたわ。諦めるな!って。ジョンは死んではいない。天使になったのよ。あの船上の火事から一年後に、ママは不思議な話を耳にしたの。ジョンという名の男の子が誤ってボートから川へ転落した。その子は泳げなかった。だけど、その子の友達だったジュリーという名の女の子が川へ飛び込んだ。彼女も泳げなかったのに。彼を助けたい一心で。」
「えーっ、それじゃ、二人とも溺れて死んじゃうじゃないか!」
ボクは、ぶーぶー言った。ママは、そうね、と短く返事をすると、先を続けた。
「だけど、不思議なことが起こったの。女の子が飛び込んだ直後、川の水がすう~っと引いたの。女の子は急いでジョンって男の子をボートにつかまらせた。」
それじゃぁ! ボクはぱあっと明るい日が差してきた気がした。月夜だ、月光だ、きっと!
「助かったんだね、ジョンもジュリーも!」
「ええ、いいえ…」
ママは一瞬、困った顔をしたが、先を続けた。
「ジョンは助かったの。複数の人が川岸から天使の光を見たそうよ。あの日のように、天使が現れて、ジョンを助けたのね。だけど…」
「だけど?」
ボクはつづきを催促してしまった。
「ジョンが大人達に川岸へ引っ張り上げられた直後、一旦引いた筈の水が戻って来た。そこにあった筈の黄金の道は消えていた。」
「じゃぁ… ジュリーは… 死んじゃった、いや、天使になったんだね」
ボクは分かって来た。火の中へ飛び込んでジュリーを救ったジョンと。
水の中へ飛び込んでジョンを救ったジュリー… ママが時々話す、「時空を超える」ってことなのかな。前世も今も、未来も、何処かで繋がっているって。あの月が、何千年も、僕が知らないくらい長い間、光輝いて、どこからでも見えるように。
ママと目が合った。
「ジョンはきっと、僕とママのお話を天から聞いていると思う。作家になったママを自慢してるよ!」
ママはにっこり笑った。ジョンが好きだった、栗色の瞳だ。月光の輝きだ。
「そうね。ジョンがいなければ、ママは生きてはいなかった。あの勇気ある少年が命を投げ出して自分を救ってくれなければ、ママは死んでいたし、純だって生まれてこなかったのよ。分かるわね?」
僕はコクリと頷く。ママはポケットから何かを取り出した。もしかして…ジョンと交換した…懐中時計! 月灯りを受けて、黄金に輝いている。ママはそっと僕の手のひらに乗せた。ボクはドキドキしてきた。ずしりと重たかったからだ。ジョンとジュリーの命の重さだ。
「純、ママはね、こう考えているの。ジョンは火の中へ飛び込んで天使になり、ジュリーは水の中へ飛び込んでジョンを救った。きっと、ジョンも時空を超えた場所で生きていると」
僕は深く頷く。きっとそうだ。ボクはそっと懐中時計を開いてみた。カチ、カチ、カチ、と時を刻む音がする。ボクもジョンとジュリーと満月の時計を通じて繋がっている気がした。そして、ジュリーはボクのママなのだ。
ママは幸せそうだった。ジョンとの約束を果たしたママは立派だ。ママを救ってくれたジョンは男の中の男だ。今、僕が守りたいのは…
「お母さん、僕がジョンの代わりに守るからね。それに僕がいつだって最初の読者になるから安心してよ」
「あら? お母さんって呼んだわね。ママは卒業かぁ。ちょっぴり寂しい気もするなぁ」
「僕、ちょっと思い付いたんだけど、こういうお話はどう? ジョンは時空を超えて生きていた、の続きを考えたんだ。」
「あら?是非、聴かせてちょうだい」
身を乗り出したお母さんに、僕は早口で喋った。ジョンは火傷をおい、記憶を失ったけれど、懸命に働いて、日本に留学する。そこでは、純一と名乗る。記憶喪失で名前も思い出せなかったから。それでも紫式部は覚えていて、お母さんの学友になって結婚する。そして僕が生まれるのだと。
「ジョンが純一? あなたのとうさん? それは面白いわね! わずか6歳でそんな話を思いつくなんて。私よりずっと才能あるわよ、ジュン」
僕とママは…かあさんはお互いを見つめ合いながら笑った。僕らを照らす月夜も優しく笑っていた。
その後、出版された本、【天使の賛歌】のラストは次のような一文が加えられていた。
「時を超え、空間を超え、人々の勇気は未来へと受け継がれる。それこそが天使の賛歌が語りかけるメロディーなのだ。」
おしまい