青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

2012.1.23 青山潤三日記 Ⅰ、 Ⅱ

2020-01-24 12:57:35 | 雑記 報告


2012.1.23 青山潤三日記 Ⅰ
三世が「新型肺炎(コロナウイルス)」について書け!というので、仕方なく書きます。

①こちら(深圳・広州)では、ほとんど話題にもなっていません。

②僕自身、肺炎(新型かどうかは分からない)発症寸前です。呑気に記事など書いていられません。

③武漢は、北は北京、南は香港(深圳・広州)、東は上海、西は重慶・成都への、東西南北のジャンクションに位置する、人口1000数百万人の大都市です。可愛い女の子が多いです(日本のおっちゃんたちが東西南北のどこかで出身者に多数接している可能性あり)。日本大好きな若者たちが多いです(東西南北を経て大挙して日本に押し寄せます)。詳しいことは、僕の著書「海の向こうの兄妹たち」を読んでください(市販無し、「ネイチャー・アジア」協力者にのみ提供)。

・・・・・・・・・・・・・

次回記事予定

●「高木守道と小沢一郎」

次々回記事予定

●「京アニ・青葉容疑者」と「山ゆり園・植松被告」について

ともに、大作になります。今しばらくお待ちください。





2012.1.23 青山潤三日記 Ⅱ
続・三世が「新型肺炎(コロナウイルス)」について書け!というので、仕方なく書きます。

新型肺炎、等々について、もう少し付け加えておきます。

●中国は、明日「大晦日」です。明後日から一週間が「お正月」(春節)です。

僕のアパートの周辺は、完全にゴーストタウン(みんな故郷に帰っている)です。売店も食堂も全て閉まっています。

バスで1時間余の都心に行けば(ただし明日の午後は運休)、賑やかで、レストランその他、開いています。でも僕の所持金は1000円を切った(これで帰国まで10日間過ごさねばならない)ので、何も食べることが出来ません。

実は、「新型肺炎」への対応に関しては、今日、突然変化がありました。都心の飲食店の従業員全員がマスクを着用している(今日から突然です)。さすがに、心配しはじめたみたいです。

●前々回の帰国時のことですが、、、。香港~成田便(ほとんど全ての乗客が中国・香港人)の機内で、隣の座席の兄ちゃんと、後ろの座席の兄ちゃんが、4時間に亘り、ゴホゴホ咳しっぱなし、グズグズ鼻水垂れっぱなしでした。苦行でした。

成田空港のイミグレで、そのことを申請しました。が、イミグレのおっちゃんには、「運が悪かったですね!」と笑ってスルーされました。

中国も中国だけれど、日本も日本です。中国起源の肺炎(僕も既に侵されている?)など、とっくの昔から、既に日常的にやってきている、と思います。

メディアでニュースになれば、一斉に大騒ぎする。滑稽です。





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2020-01-21

2020-01-24 12:54:28 | 雑記 報告


2020-01-21
香港デモの現場で無知で無学な貧乏老人が遭遇した「ある違和感」 いつかどこかで見た「正義」に燃える若者たちの姿 【2019.7.7執筆】
青山潤三日記 香港デモ
筆者は、6月9日付けの「現代ビジネス」に、天安門事件30周年に際して「私が目撃した“天安門事件”あの日、中国の若者に訊ねられたこと」という記事を寄稿しました。

掲載3日後の6月12日、全く別の(本来の自分の仕事としての野生生物の観察という)目的で、香港を経由して中国本土を訪ねる予定でいたのですが、ちょうどその日、香港で(ある法案の採決に反対する)デモ隊と警察の衝突があったことを知ったのです。

情報によれば、このあと16日に本番の大規模デモがあるらしい。中国奥地での野生生物の調査を数日ずらし、香港に数日滞在して、ゆっくりと取材してみようと考えました。

香港に対して感じた「ある変化」

筆者の想いは、「第二の天安門事件」を、阻止することです。たぶん、大半の人たちが考えていることとは正反対の意味で、、、。

「天安門」での事件の後、秋口から、中国行きを再開したのですが、以降今に至るまで、それまで上海イン・アウトだった中継地点を香港イン・アウトに変更しました。四川省や雲南省の奥地に向かうためには、香港起点のほうが何かと便利だったからです。以来30年間、筆者は香港を中継点として、日本と中国を行き来しています。

数100回(概算560回)に亘る香港/中国(深圳羅湖)の「国境」通過は、本来の目的(中国奥地での調査活動)遂行のための手続きの一つにすぎず、筆者にとっては、ほとんど意味を持たない時間です。でも、これだけ永い年月に亘り往来を繰り返していると、人間社会には興味も知識もない筆者といえども、香港と中国(深圳)の(様々な意味での)「違い」を、否応なしに感じてきたのも確かです。

筆者は、香港大好き人間でした(過去形にして良いのか、現在形に留めておくのか、迷うところなのですが)。地獄の中国、天国の香港。四川や雲南の山中での調査を終え、広州駅で(出入国手続きをして)香港行き直通列車に乗った瞬間、生きて帰ってきた、という想いに、いつもなったものです。

ちなみに広州から香港への直通列車については、昨年以来、「直通列車が香港中心部(九龍)まで延びたことから、香港の主権に影響が、、、」とかの報道が見受けられ、国外のメディアでも、反対運動などが紹介されたりしています(7月7日にも大規模デモが予定されている由)。

直通列車は、30年前頃から既に存在していました。現実的には、切符の買い方とか、プラットホームの場所とか、レールや使用車両などが改正されただけです。

ということで、筆者は30年間、香港イン・アウトで何百回と日中を往復している、基本「香港大好き人間」なのですが、いつの頃からか、その想いが変わってきました。最近は、香港にいる間はうんざり。むしろ深圳に出るとホッとするのです。いったい何故なんだろう、と不思議に思っています。

むろんその間にあった中国への返還(1997年)が、大きな要因であることには違いないでしょう。香港の文化が中国クオリティに侵されつつある。

香港と中国(面積比では、ほぼ1:10000)では、その民度に大きな差があります。地下鉄の乗り降りひとつとっても、香港の人々はルールを守り、きちんと整列して乗ります。深圳や広州では、地下鉄そのものの見かけは同じでも、乗降客のマナーは香港とは比べようもなく、乗客が降車する前に、我先と団子状態になって乗り込んできます(ただし、そうやって確保した席を、老人を見かけると躊躇なく譲ってくれるのが中国人の面白いところ、そのようなことは香港では滅多に遭遇しません)。

香港が「中国化」することへの懸念(「自由」や「人権」のへ侵害)が為されて当然です。

でも、筆者の気分に纏わりつくのは、それだけでは説明がつかない、もっと別の「何とも言えない嫌な感じ」なのです。そして、その「嫌な感じ」の正体が、今回のデモの取材で、なんとなく見えてきたような気がします。

「正義」の外側から目にした光景と、メディアの報道との落差

筆者は、この20日間(6月12日~7月2日)を通して、香港政府にプロテストを行う学生や、それを応援する市民たちだけでなく、警察、イスラム系の住民、中国本土の人たちの、動きや想いを追ってきました。

まず感じたことは、デモ隊を含む大多数の香港市民たちが、一致団結して行動していることです。余りにも、と言っていいほどの統制・同調。少なくとも日本で見られるような、一般のデモ(特定の思想に基づく一定数の集団行動)とは異質のように思います。

「香港の自由を守る」「中国に主権は譲り渡せない」、、、香港市民のほとんど全てが一致団結し、異見を差し挟むことは出来ません。

一致団結の表れのひとつが、プロテストの時間や空間が一点集中し、かつ波の満ち引きのごとく繰り返し行われることです。

ある時、ある場所では、プロテストの波自体が、そのまま日常の世界と化し、(仕事の場を離れられない人を除いては)市民全員が、「香港の正義・自由を守る」という、同じ想いの許、プロテストに参加しているわけです。

「同調」の力も凄いです。例えば、群衆のマスクが話題になりましたね。筆者も、プロテスト支援者の若者から、何度かマスクを渡されたことがあります。最初の頃は「何でマスクをするの?」と尋ねたら「もし催涙弾を浴びたときに被害を最小限に抑えるため」と説明されていました。

実は、最初の頃は、マスクをしているのは、ごく一部の人々(おそらく警察との衝突を仮定した実働隊の人たちなど)でした。

しかし、やがてメディアから、「プロテストに参加する人たちは皆マスクをしている、その理由は、顔を知られると警察や中国共産党警察からの復讐が行われるから」という情報が流れ始めました。

その情報と呼応するように、日が経つにつれマスクマンの数は増えていき、「権力に弾圧される無抵抗の市民」の象徴として、更なる頻度でメディアに紹介されていくようになりました。

プロテスト集団の拠点は、法議会ビルに至る陸橋周辺と、法議会西側の広場の周辺です。祭り(あえてそう表現します)が終わると、彼らは別の日常の世界に戻っていき、その姿は幻のごとく消え去ります。

そして、ここが本当に香港なのか?と目を疑うような、さらに別の「日常」が出現します。インドネシア(主にムスリム)とフィリッピンの女性たちで埋め尽くされるのです。

フィリッピン人とインドネシア人は、合わせて香港総人口の約4%(各2%)を占め、旧・主宗国の英国人をはじめ、日本人を含む全ての外国人を合わせた人口(約2%)を上回ります。彼女たち(主にメイドとして雇われている人たちで、筆者の宿泊したホテルのハウスキーパーもミンダナオ島出身でした)は、「香港の正義」の外側で暮らしているのです。

「正義の外側」の人々と言えば、 中国本土からの移民?も当て嵌ると思います。1997年の「本土復帰」以降の22年間に、本土から移り住んだ漢民族は香港総人口の10%強を占めると言われています。その人たちが富裕層なのか、ムスリムの人々同様に下層の労働者なのか、筆者には把握しえていませんが、意外なほど少ないような気がします。

「中国は悪」「我々香港人は中国人ではない」「中国人は香港から出ていけ」といった罵声を受け、彼らは何を想うのでしょうか?

彼らの存在を香港で探し出すことは、意外に困難です。たとえ邂逅することが出来ても、本心はなかなか話してくれません。

手っ取り早いのは、隣接した深圳などの中国本土に住む人たちに、香港への想いを聞く事です。

筆者の古くからの友人Sは、中学卒業後に集団就職で広西壮族自治区の田舎の村から深圳にやってきて、ベルトコンべエアで流れてくる電気製品の部品を組み立てる作業員として、2つの日本企業と、1つの香港企業で働いていました。彼女の住むアパートの前の小さな川を隔てたところが香港だったのですが、そこに住んで10年以上の間、香港に行くことは叶わなかった。

筆者のアシスタントのMも、香港に隣接した広東省の田舎の村出身です。初めて行った香港は、新婚旅行の時だったそうです。

彼女たちは、口を揃えて言います。「香港は嫌いだ」と。何故なら、明らかに自分たち(ことに田舎出身の)中国人を見下しているから。

筆者自身、以前こんな経験をしたことがあります。

香港の高級住宅街のあるカフェで、水を持ってきてくれたウエイターに「謝々」とお礼を言ったところ、たまたま隣のテーブルにいた現地在住の日本人のおばさんたちが注意してくれました。「あなた日本人でしょ?シェイシェイと言うのは止めたほうが良いですよ、中国人に間違われて惨めな思いをするから」。

そのMやS(それぞれの田舎の村に住んでいる)にも、今回の香港のデモについての感想を聞いてみました。巷の情報では、中国においては、天安門や香港デモの話題は、ネット規制を受けて見れないようになっている、と聞きますが、少なくとも、筆者やMやSは、(「百度」などの中国ネットを通じて)何故か普通に検索することが出来ています。

その反応と言えば、「香港も中国なんだから中国の法に従うのは当たり前でしょう?」と。当たり前、と言われてしまえば、それ以上話を進めようがありません。

そりゃそうでしょう。日本人同士で「尖閣」や「竹島」の話題をする際だって、「日本領土なのは当たり前」という前提で話が始まれば、話は先に進みません。

「嫌な感じ」の正体は?

「取得権の保守」の自由を香港の人たちが「当たり前」と考えるのも、また「当然」と言えます。 

香港の人々は、中国に返還される前は、いわばイギリスの「使用人」、という位置づけにありました。敢えて言えば(欧米に)見下ろされる存在の弱者だったのです。

しかし、返還後は「主人」(欧米とは建前上対等)になって、中国本土やアジアを見下しだした(筆者が感じる「なんとなく嫌な思い」の正体は、そこら辺にあるような気がします)。

中国に返還されて以降、中国の人々の香港への行き来が、以前よりも簡単になっただろうことは、確かなのでしょう。
 
とはいっても、筆者がこれまで何100回のイミグレーション通過時に見てきたのは、ボーダーを行き来している大半の人々が香港人であるという現実。  

7月1日の昼(ちょうど学生たちが議会に突入した頃)は、連休2日目ということもあってか、深圳/香港のボーダーは、帰路に着く膨大な数の香港人観光客で溢れていました。

返還後、中国共産党政策が香港に侵入、と一般には理解されていますが、実際は香港の資本主義社会が、中国に侵入しているのです(イミグレでの人の流れをみていると、そのことがよくわかります)。

香港の市民は、基本的に「エリート」「富裕層」です。

大富豪の人口は、ニューヨークに次いで世界2位。世帯の一割前後が、1億円以上の資産を有していると言います。

香港が中国に返還され、より恩恵を受けているのは、筆者には「富」という「力」を持った香港の側であるように思われます。

「警察は学生たちを殺すな!」、、、、、警察は、何をしたのだろうか?

ひとことで「力」と言っても、いろんな次元における「力」関係があると思います。

権力、例えば中国共産党による支配、というのも「力」。無意識の同意(正義)に基づく「多数の抵抗勢力」というのも、また別の次元の「力」。そこに捻じれ現象が生じます。

日本においては、「警察」「法」を絶対正義と信じ、「人権運動」とか「デモ」が嫌いで、事件が起こると「警察は発砲して犯人を射殺しろ」「日本の司法は生ぬるい、犯罪者は即死刑に」と唱える同じ人間やメディアが、「警察許さまじ」「人権を守れ」「逆送法は悪」と大合唱。メディアの発信側も受け手側も戸惑っているようにも思えます。

香港市民にとって、自らの自由(取得権)を奪おうとしている「ラスボス」は中国共産党であり、香港の警察は、その「手先」と位置づけられています。

筆者は、この20日間、ずっと警察の動きに注目し続けてきました。警察が動いたのは、6月12日夜の暴動時と、7月1日の議会突入時だけです。筆者は現場にはいなかったのですが、TVで見る画像には、確かに催涙弾を放って応戦しています。何人かの負傷者も出たようです。

警察の第一の役目は、市民の安全を守ることでしょう。12日午後の衝突時は、交通機関が動いている中、学生たちが縦横に走りまくったりして扇動しています。このような状況下では、それが香港であろうが中国や日本であろうが、警察は何らかの制圧処置を採るのは当然です。催涙弾発射は、相手に与える最低限のダメージで効果を得る方法だったように思います。

1日の突入は、武器(大きな鉄塊は武器そのものです)を使っての破壊行為。はっきり言ってテロですよね。

学生側は、初めから話し合いなど想定していません。ただただ「悪」に対して「正義」を押し通す(そのことは15日リーダーたちのブリーフィングでも明言している)。そして、世界を味方につける(“天安門事件”の際、学生側リーダーの一人が「流血を期待している」と煽ったことと同じ流れ)。

「警察は香港人を殺すな」。延々とその大合唱が繰り返されます。張り紙やシュプレヒコールによる、露骨な嘘もヘイトも厭わない。どこかから切り取ってきた写真を「警察の暴力」として至る所に張り付け、嘘の発言も平気で発します。

日本人は香港人の味方と思われているようなので、気安く話しかけて来ます(少なくても100%そう信じて疑わなかった16日頃までは)。「取材してくれて有難う、日本にも伝えてほしい、昨日、僕の友達がここで警察に殺された」と、口々に発するのです。一体何人の友人が殺されたのやら。

警察は実によく頑張っていた。上記した2つの時空以外には、一切抵抗を行っていません。自分たちに向かって「人殺し(むろん一人も殺されていない)」と罵声を浴びせ続ける、数100万人の市民の安全を守るため、ただただ愚直に、身を挺して、ひたすら見守っていたのです。

というよりも、16日より以降は、(そのことの良し悪しは別として)「下手に関わって濡れ衣を着せられるのは嫌」と、市民の安全保護の義務も放棄し、ほとんど表に出てくることさえなかったように思います。

「第二の天安門事件」が作り上げられていく

法議会ビルへの再突入のあった7月1日の夜も、いつものように筆者は群衆の写真を写していたのですが、人々の態度にある変化が見られました。

「何の騒ぎも抵抗も起こさず穏やか抗議を続けている(少なくともそのように報道されている)」はずの学生たちが、議会に強引に突入し、その破壊行動が報道されました。一方、「虐殺を続ける」とされている警察の側の動きは(実在しないのだから)報道しようがない。

「事実とはどこか違う?」と感じる国外メディアも出てくるのではないか、と危惧してのことでしょう。(政府側からではなく学生/市民側からの)取材規制が為され始めました。学生側の望まない異論は排除され、様々な手法を駆使して、自分たちが「被害者」(少数派)であるという印象・主張を世界に発信します。

それまでは自由に撮影することが出来ていた群衆の撮影は、「我々は穏健に行動しているのに海外メディアに暴動と誤解をされると困る」「学生側の不利になるような写真は撮影してはならない」「撮影を許されるのは我々が許可したメディアのみ」と、一切拒否されます。

暴徒のごとく走り回り、物を投げつけ、挙句は工事現場から鉄の車を持ち出して突入の準備。どこが穏健だというのでしょうか?

それらを撮影中、周りの群衆(普通の香港市民です)から何度も写真のデレイトを求められ、強制的に削除させられたのみならず、カメラを奪われてレンズを壊されました。(それでも撮影を続けていると)何度も取り囲まれ、押し倒されたり引きずり回されたりして、命の危険を感じました。

筆者は一介の浮浪者のような存在ですから、大きな問題になることはないでしょう(たとえそのまま殺されてしまったとしても都合よく処理されるでしょう)。でも、本当は、大変なことだと思います。

筆者を救い出してくれたのは、アメリカ人のフリージャーナリストです。彼もまた、フリーであることから(香港市民の総意に従わないことにより)謂れなき要求を受けていた由ですが、白人に対しては強引な手出しは出来ないのです。中立の立場でのフリー報道の重要性を説く彼に感謝し、その場を離れることにしました(その直後に、この日2度目の突入が為された)。

ふと思ったのですが、近い将来中国は香港を手放すのではないか、と。ブルネイやUARのように石油資源があるわけではなく、シンガポールのように地の利があるわけでもない。ただ富だけからなる、面積にして9000分の1の香港が、生き残ることは出来るのでしょうか?まあ、その時は日本が助けてくれるのでしょうけれど。

今後、筆者自身のブログで、(物理的には至近距離で遭遇した)「実態」を、「空気」と「同調」だけで物事を伝える日本のメディアから少し離れた立脚点に身を置きつつ、少しづつ報告していこうと考えています。
shakainomadokara 2日前




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2020.1.20「青山潤三の世界・あや子版」と「社会の窓から」の読者の皆さんへ

2020-01-23 21:29:10 | 雑記 報告


チエちゃんが「社会の窓から」に、出鱈目な情報を流したまま、ほったらかしにしています(悪気ではなく単にグウタラなだけですが)。下手をすると、僕や「社会の窓から」だけでなく、日本人全体の信用を無くしかねません。「あや子版」のほうで掲載分を否定し、改めて正しい文を載せることにします。
まず、「社会の窓から」に掲載されている、「高木守道追悼」以降の文章は、一旦無視してください。ことに、
2020-01-23【三世が「新型肺炎(コロナウイルス)」について書け!というので、仕方なく書きます。2019年7月7日執筆】
↑最新のこの記述は、無視願います。
順序だてて説明します。
香港のある出版社に原稿を送る必要があったのですが、僕のパソコンからは送信が出来なくなりました。それでチエちゃん(コンデンスミルク三世)に送信を頼んだのです。
その件は終了したのですが、三世が(たぶん送れなかったときに念のためこちらを見て貰おう、と思って)送信分を「社会の窓から」に掲載しました。それは有難い事なのです。でもその原稿は、2019年7月7日に記述したものなので、その旨を見出しの後に追加しておいてください、とメールしました。
すると、三世から「武漢の新型肺炎コロナウイルスについて記事を書いてください」というメールが来ました。
3つ書いて送りました。
ひとつだけが掲載されました。
それで、
「続き2つが掲載されていないので、掲載宜しくお願いします」
「香港デモの記事に、まだ日付が入っていないので、よろしくお願いします」
とメールしました。
すると、何を思ったのか(たぶんメールの文章を全く読んでいない、笑)、「香港デモ」の表題の後ではなく、「コロナウイルス」に関する最初の一つの記事に対して(続きの記事は載っていない)「2019.7.7執筆」として紹介され、すぐに削除・訂正を求めたのだけれど、未だそのままになっています。
2019.7.7の日付と「コロナウイルス」は全く関係がありません。「社会の窓から」の記事は、訂正が為されるまで、無視してください。誤った情報をそのままにしておくと、僕だけでなく、日本人全体の信用を無くしてしまいかねません。
改めて「青山潤三の世界・あや子版」に、(「高木守道追悼」以降の)本来の記事を一括掲載しておきます。



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追悼、、、、

2020-01-18 08:31:58 | 雑記 報告


高木守道さん、死去。
ご冥福をお祈りします。







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青山潤三の世界・ユーチューブから

2020-01-17 20:52:52 | ユーチューブ


「香港デモの真実~中国残留老人・青山潤三72歳が語る」第1回 “初めまして、宜しくお願いします”


「香港デモの真実~中国残留老人・青山潤三72歳が語る」第4回 “阪神大震災から25年目です:その3”








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青山潤三日記2020.1.12

2020-01-13 08:46:15 | 雑記 報告


9日に香港経由で中国広州に戻ってきました。
日本での年末年始のアルバイト(マクドの深夜清掃8日間)を頑張り過ぎたために、大変なことになっています。
一つは、睡眠時間を逆転(夜→昼)しようとしたため、それに失敗して全く眠れなくなってしまったこと。やっと昨日あたりから、通常(夜中に寝る)の状況に戻りかけているところです。

もう一つは、眠れないまま、結構重労働の作業を続けたため、腰を完全に痛めてしまった。痛み止めの薬を飲んでも全然利かないほどの猛烈な痛さが続いています。

今回の中国では、大きな目的があります。

広州在住の日本人(奥さんは中国人)知人のK氏から、ユーチュブをやるように、と勧められ、それを実行することにしたのです。携帯電話が必須です。僕は携帯電話を持っていないため、アドレス登録や撮影は、モニカの携帯を借りて行うことにしました。

数回分の内容を箇条書きにしてパソコンにメモっていた(それを読みながら喋る)のですが、今日はモニカの時間がなく、外で食事をすることになって、部屋での本格作業は明後日(14日)になりました。
とりあえず、飯を食いながら、即興の自己紹介みたいな映像を約12分間撮ってみました(12分間と言うのは結構ありますね)。
明後日に改めて、4~5本は撮ろうと考えています。それをK氏に委ね、最低でも一年間続けます。
タイトルは、「香港デモの真実!」
サブタイトルとして、 「中国残留老人・青山潤三72歳が語る」
(直接「香港デモ」に触れるのは僅かですが、その背景について考える、ということで)
●「香港デモの真実!」
●「エルヴィスとビートルズの狭間で」
●「東アジアの生物地理を探る旅」
向こう一年間、それぞれ100本づつくらいアップ出来れば、と考えています。





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青山潤三日記 2020.1.3 「香港デモの真実!」余禄

2020-01-03 13:19:05 | 雑記 報告


餓死寸前です(笑、、、、本当は笑ってなどいられないのですが、笑)

日記タイトルは、 (「エルヴィス~」とか野生生物関連以外の話題に関しては)「香港デモの真実!」で統一していこうかと思っています。読んでくださった方が、「えっ?読んでみたけれど、香港デモとは関係ない内容だろう?」って思われるかも知れません、、、でも、あるのです。皆、分かんないだけです。

ちなみに、去年の秋以来、「香港デモ現場には近づかない」と決めています。これは、「消極的」な考えではなく、「積極的」な視点に立っての、僕のポリシーです。

さて、まずは「謹賀新年」ですね。もっとも本番の「春節」はまだ先なので、新年のメール挨拶を交わしたのは、数人の知人だけです。

元旦、中国広州在住の元・日本人K氏にもメールしました。すぐに返事がきました。以下、そのやり取りです。

>僕:大晦日も元旦もマクドでバイト中、今日もこれから深夜清掃に入ります。9日に香港~広州着です。

>K氏:どこか、ハッスルされているお元気な青山さんが目に浮かびます。1月9日に広州イン、かしこまりました。

>僕:元気じゃありませんよ!死にもの狂いです。年末から食費一日140円。餓死しかねません。あと、(夜型生活にせねばならず)睡眠も上手くとれません。正直、9日まで生きていれるかどうか(給料支払いは15日)。羽田空港まで辿り着けば何とかなるのですが(一応電車賃を計算して、そのうえで一日の食費140円)。香港に着けば中国銀行のカードを使える(モニカに200元ほど振り込んで貰う)ので、そこまでが勝負です。

僕のブログの読者の方々に伝えておきたいのですが、間違っても「無理はしないでね」「健康に気を付けて」、あるいは万が一(実際は1/3くらいの確率だと思っている)の時に、「可哀そうに」「惜しい人を亡くした」「言えば助けてあげたのに」とかは言わんといてくださいね(「自業自得」とか「ざまあみろ」とかは言っても良いでしょうが、笑)。その資格はないですから。

「誰かに相談すれば、きっと助けてくれる人がいる」、、、そんなのは嘘です。(本人はそうは思っていないでしょうが)“趣味”で人助け(被災者への寄付など)をやっている人たちにとっては、目の前にいる弱者などは、自分とは無関係、どうでも良いのです。

これまでも、窮地に陥った時の最後の手段として、ブログ上で、ずっと助けを求めてきました。(かれこれ10年ほど前に手を差し伸べてくださった数人の読者の方を除いては)誰一人反応してくれません。むろん今回(昨年末に緊急救済要請を掲示)も、誰一人反応なし。

助けてくれる人(それはとりもなおさず最悪の事態の時に悲しんでくれる人)は、モニカとスーリンと、あと、窮地に陥った時のこまめな借金に応じてくださっている(でもなかなか返せないでいる)あや子さんら、僅かな方だけです。

三世はダメですね。ゴタクばかり並べて、どうしようもないです(笑)。まあ、僕の唯一と言っても良い日本人の友人(ほかに想い当たるのは、友子さんの90歳近くになる御父上と、40歳年少の「現代ビジネス」担当編集者U氏ぐらいかな?)であることだし、それに、これまでも(現在も)いろんな面で心の支えにはなってくれてるので、感謝はしていますが。

そこにいくと、何の見返りもないのを承知で、10年間に亘って僕を助け続けてくれているモニカには、頭が上がりません。第二次大戦後、中国の人達は、大陸に置き去りにされた日本人の孤児たちを、それこそ何の見返りもないのに、一生懸命育ててくれました。中国人の民度は最低です。出鱈目極まりないです。中国共産党の一党支配、他民族への侵略(彼らは融和と捉えている)などにも、怒りを覚えます。

でも、今の日本人に、上記のような行動が出来るのでしょうか? それを思うと、一日本人として、中国には感謝せざるを得ません。
 
とにかく、最悪の健康状態ではあっても、(健康を回復するためにも)当面の赤貧からは逃れねばなりません。幸い、年末になって、マクドナルドの深夜清掃作業の仕事をゲットすることが出来ました。

生活パターンを夜型に変えねばならず、十分に寝れない日が続いています。僕にとっては、睡眠不足が(第三者には信じられないほど)堪えるのです。それに加えて空腹。表面上「平気平気」と笑っていますが、実情は、相当にヤバイ状況にあると思います。

今回のバイト確保は、僥倖でした。これまでも何度か近所のマクドやコンビニでアルバイトを申し込んだのだけれど、顔見知りのスタッフの段階ではO.K.を得ても、上に上っての最終決定でアウトになって仕舞います。職業安定所(ハローワーク)にも度々赴きましたが、結果は同じです。

ネックになるのは、
保証人がいないこと。
電話を持っていないこと。
年齢。健康上の不安があること。

現実問題として、僕のような何の身寄りもない貧乏病弱年寄りが、ファーストフード店やコンビニや警備員などのアルバイトを得ることは、ある意味、岩波書店で本を刊行し、朝日新聞で記事を掲載するよりも困難なことなのです。そのことは、今の日本の社会の仕組みを、如実に反映しているのだと思います。

幸い、年末になって、以前から顔見知りで、今は正社員となった若いマクドのスタッフの手引きで、東京のアパートから3駅目にある店舗の深夜清掃の(短期雇用)の許可を得たわけです。ということで、体調に関しては、事が起こったらその時はその時で考えれば良いと、チャレンジしました。時給1200円余、深夜6時間勤務。年末までの5日間の給料は、1月15日に貰えます(口座振り込み)。

1月9日、香港・中国に発ちます。いつものように成田空港ではなく、羽田空港から。思えば、一昨年には酷い目に会いました。早朝出発で、前夜都内でU氏にご馳走して貰ったあと、最終電車で成田空港へ。朝になっていざチェックアウトをしようとしたら、そんな便はない、と。羽田発だったのです。もう間に合わない。モニカにこっぴどく怒られ、チケットを買い直しました(その時乗ったケニア航空の機内食が美味しかった!)。まあ、こんなドジを度々繰り返しているから、何時まで経っても貧乏から抜け出せないわけですが。

今回は失敗しません。空港までの電車賃(とマクドへの往復電車賃)は確保します。そのうえで計算すると、あと一週間の食費に回せる額は一日平均140円です。

マクドバイト中は、スタッフ割引で70円でハンバーガーを食べることが出来ます。近所の業務用スーパーで3個198円のご飯パックも購入出来ます(以前、三世が買ってくれた湯沸しポットに入れて温める)。おかずは、納豆と豆腐、ジャガイモやサツマイモ、キャベツ、少々贅沢に生卵(時々腹を壊しますが)。

なんとか餓死を免れ、生き抜かねばなりません。僕が死んで悲しんでくれるのは、とりあえずモニカぐらいしかいないので、頑張るしかないです。

ゴーンさん、日本脱出、良かったですね。超富豪の彼と、赤貧の極みの僕。でも、世間の「同調正義」の束縛から解き放たれる、という置かれた立場は、同じです。

地獄の日本を脱出し、中国のアパートに辿り着けば、トーストもチャーハンも、たっぷり食べることが出来ます。

あと1週間、頑張りぬきます。




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2020.1.2 青山潤三日記

2020-01-02 13:07:13 | 雑記 報告




正月からグッド・ニュース!
ゴーンさん、よくやりました。
世界からは、日本の民度は中韓と同レベルと見られていますので。
いや、ある意味、もっと下かも、、、、。

ついでに「香港デモ」を総括しておきます。
「同調」と「空気」と「力」。
実態無き真実。そのうち、香港も(日本共々)世界から見捨てられます。





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2020.1.1日記:ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代

2020-01-01 10:29:15 | アメリカン・ポップスearly60’s


From An Album 「The Best Of Johnny Tillotson(1968)」 1958-1967 *some arrangement

当分の間、もう一つのブログ「社会の窓から」に紹介するのと同じ記事を、「あやこ版」の方にも併行して紹介していきます。

僕の本業は、一応「昆虫(殊に蝶)写真家」となっていると思います。でも私的には「写真家」などと大それた?ことは思っていません。一介の物書きです。蝶については、生殖器の構造比較による系統関係の考察。あと、セミの鳴き声構造や、野生アジサイの系統分類が、自分のライフワークだと思っています。

これまで何度も訴えてきたように、世間に「マニアック」と勘違いされているらしいのが哀しいです。間違ってもそのような姿勢では取り組んでいません。マニアックな所作とは対極にあると信じています。といって「アカディミック」という訳でもなく、あくまで「普遍性」に基づいた、「実態」の探求(結論や答えを出すつもりはなく探求自体が目的)です。だから、自分の仕事を「マニアック」な目で見られることほど、嫌なことは有りません。

一方、もう一つの「ライフワーク」と言ってよい「アメリカン・ポップス」に関しては、こちらは、はっきり言って、マニアックそのものです(笑)。自信を持って「マニア」を名乗り上げます(その道の凄い人のトンデモない膨大な知識には到底及ばないけれど)。

もっとも、(昨年一年、実際的な「ライフワーク」化していた、「香港デモに対する“客観的報道”」も含めて)言おうとしていることは、同じところに収斂する(「“答え”は一つではない」「同調の“空気”によって形成される“力”の所在に対する懸念」)のですが。

「ElvisとBeatlesの狭間で」は、「“涙くんさよなら”の謎・外伝~“外国人が把握する日本人の感性”の妥当性」があと3~4回(「ドイツにおける1963年の大ヒット曲“おみっちゃん”」「元野球選手で黒人のNo.1C&W歌手チャーリー・プライドの日本語歌唱“北風”」など)、昨年の正月前から書き進めている「A Short Story of The Cadence Record~3人の女性ポップス歌手ほか」、「“夢の枕を”&“涙ながらに”50バージョン」、「香港に於ける“路上ジュディ・ジュディ・ジュディ”100バージョン」、、、それから2~3日前突然割り込んで書き始めた「最強の英語教材~Johnny Tillotsonの歌詞“くらべられない素晴らしさ”を使って英語を極めよう!(についてのメモ)」、それぞれ9割方書き終えて、結びに戸惑っている間に、いつの間にやら年が変わろうとしています。

今日は正月元旦(大晦日の晩も元旦の晩もマクドナルドで深夜清掃のバイトです)なので、何かをブログにアップしておきたいと思い、手っ取り早く、ユーチュバー「キャンディ・チャンネル」さんの「ジョニー・ティロットソン・グレーテスト・ヒット」と、別のユーチュブに紹介されている「ザ・ベスト・オブ・ジョニー・ティロットソン」を基にした、私的アレンジ版の見出しの分だけを、リストアップして(各曲の)紹介をしておくことにしました。それぞれの曲の解説や感想を書きだすと、それぞれ一冊の本になってしまいそうな分量なので、それは後回しです。

ユーチュブ上には、ジョニー・ティロットソンのベスト集が多数紹介されています。その中でダントツで出来が良いのが、Candy Channel(多分、オーストラリアやニュージーランドか東南アジア在住の女性)です。「キャンディ・チャンネル」には、膨大なポップス「ベスト盤」が紹介されています。Johnny Tillotson Greatest Hits 【Full Album】(注:現在は全く無関係の同名ユーチュブが複数の別人により紹介されている)は、他のアーティストのベスト盤に比べ曲数はやや少ないのですが、選曲といい、音質といい、曲と曲の繋ぎの部分といい、そのセンスが何とも素敵なのです。

まず、「ジョニー・ティロットソン入門」アイテムとして、これを推薦紹介しておこうと、以前から考えていました。

ところが、昨年になって、突然消えてしまった! キャンデイ・チャンネルさんの紹介による他のアーテイストのベスト集は、大半がユーチュブ上に残っているので、ジョニー版特定の何らかのクレームがついたものと考えられます(実質ジョニーの曲を管理している現在の奥さんのナンシーによって消された可能性もある)。なんとも勿体ない話です。キャンディさんと(もしそうだとしたら)ナンシーに連絡を取って、何とか復活して貰えないだろうか?と交渉してみることも考えています(僕個人用にはクラヴィング・エクスプローラでパソコンに取り込んであるのですけれど、規約上それは公に紹介が出来ません)。

さて、ジョニー・ティロットソンのベスト盤として「まずこれ(キャンディ・チャンネル版グレーティスト・ヒット)を推薦」と上に記しましたが、実は、この「ベスト盤」は、かなり選曲が偏っていて、厳密には「ベスト盤」とは言い難いのです。同じユーチュブが何度か更新されていて、最初の頃には、“ベスト盤なのに何故「トーク・バック・トレンブリング・リップス」が入ってないの?”といったコメントも見られます。よく考えたら、その他にも「夢の枕を」とか、入るべき曲が多数抜けています。

選ばれている曲は、ほぼ全てがケイデンスからのリリース曲。しかも、本来なら「ベスト・ヒット」の中心となるべき、C&W系の曲が、ほとんど抜け落ちている。1曲だけ「涙ながらに」。それとMGMからのリリースが1曲だけ「恋はつらいね」。

キャンディさんの意図は、一般の(特にアジア諸国、なかんづく日本における)リスナーが認識している「ティーン・ポップス歌手」としての、ジョニー・ティロットソンの集大成であるわけです。

カントリー系の2曲は、中間あたりにかかります。R&B原曲のティーン・ポップ・バラード「アース・エンジェル」から、カントリー・フレバー満載の「恋はつらいねHeartaches By The Number」に移り変わる際の、ギャップというか、「違和感」が、何とも魅力的なのです。

いずれにしろ、一方の、すなわち(日本語曲は別として)日本でも馴染みのある、「ティーン・ポップス歌手」ジョニー・ティロットソンを最もよく表現している「ベスト盤」です。ちなみに、トップが「ジュディ・ジュディ・ジュディ」、2曲目が「キューティ・パイ」であることから、アメリカでも日本でもない国の制作であることが知れます。

それで、ジョニー・ティロットソンのことをよく知らない人に紹介する際には、まずこの「キャンディ・チャンネル盤“グレーティスト・ヒット”から始めよう、と考えていたわけです。もちろん、それだけでは代表的ヒット曲の(C&W系の曲が抜け落ちた)半分ですから、そこで、ユーチュブ上で紹介されている何種類ものベスト集の中から、もう一つ選んで共に紹介しておくことにしました。それが「ザ・ベスト・オブ・ジョニー・ティロットソン」(こちらも同名の異なるベスト集がユーチュブ上に幾つか取り上げられていて、今回紹介した中の「ユアー・ザ・リーズン」の画面の曲順に、ほぼ等しい)です。

二つの「ベスト集」は、違いが極端で、大半の曲が重なりません。「ザ・ベスト・オブ~」の方は、一曲目が「涙ながらに」で始まり、ラストが「恋はつらいね」で終わります。そして、2曲目から5曲連続で「グレーティスト・ヒット」に入っていない曲が続きます。早い話、カントリー系のヒット曲も収録されているのですね。バランス上は「ザ・ベスト・オブ」の方が、本来の意味での「ベスト盤」と言えると思います。

欠点の一つは「ウイズアウト・ユー」の選曲バージョン。実は、このベスト盤は、このブログ表題にも示したように、1968年リリースのMGM音源 「SE4532」のベスト・アルバムを基にしています。そのアルバムは、ケイデンス時代のヒット曲を新録しているわけですが、ユーチュブ上に紹介されている「ザ・ベスト・オブ」の一つ(すなわちここで取り上げたもの)は、客観的に考えてクオリティがより高いと思われるケイデンス音源に置き換えた(オリジナルに戻した)ものです。でも、唯一「ウイズアウト・ユー」だけが、MGM新録のままです。クオリティが劣るとは言っても、MGM新録の方も、それはそれで味があるのですが、「ウイズアウト・ユー」に関しては、ちょっと勘弁と思うほど、出来が宜しくない(笑)。

今回、曲順などは原則として68年MGMリリースの「ザ・ベスト・オブ」およびそれに基づくユーチュブ上の「ザ・ベスト・オブ」に従い、「ウイズアウト・ユー」を含めて、全てケイデンス時代の曲は、ケイデンス音源に置き換えました。

そのうえで、「グレイテスト・ヒット」の方の1曲目と2曲目の(米国ではヒットしていない世界的ヒット曲)「ジュディ・ジュディ」と「キューティ・パイ」を加え、また、代表的ヒット曲の一つでありながら、「グレイティスト」「ベストオブ」のどちらにも収録されていない「どうにも出来ない」「涙でいっぱい」を追加、末尾にジョニーのロングインタビュー(21世紀になってDVD発売)、更に、日本独自のヒット3曲(「カントリー・ボーイ」「涙くんさよなら」「ユー・アンド・ミー」)を加えました。

他にも入れるべき曲(「グレーティスト」のほうに収録されている「トゥル-・トゥルー・ハピネス」「アース・エンジェル」「ジミーズ・ガール」を始め、「恋のウルトラC」「プリンセス・プリンセス」「素敵なガールハント」「バラが咲いた」、、、等々)が何曲かあるのですが、コンパクトに纏めるために敢えて割愛しました。
 
それぞれの曲についても、ひとつづつ解説・感想などを記して行きたいのですが、それを行っていると、一つの曲で本一冊分になって仕舞い兼ねません。今回は、ユーチュブから選んだ、曲の紹介だけに留めておきます(解説・感想は、このあとチャレンジする予定)。

全体の音質を揃え、かつ各曲ごとに別の動画表示画面を示すことに苦心したことも、評価して頂きたいです(笑)。

■ 「グレイティスト・ヒッツ」に収録されていない曲
● 「ザ・ベスト・オブ」に収録されていない曲
★ 両方ともに収録されていない曲

It Keeps Right On A Hurtin’ [涙ながらに] 
Cadence 1418≫ written by Johnny Tillotson.
(62.5.12-62.9.15) # 3 Pop/# 4 C&W/# 6 R&B


Send Me The Pillow That You Dream On [夢の枕を] ■
Cadence 1424≫ written by Hank Locklin
(62.8.11-62.11.10) # 17 Pop/# 11 C&W/# 5 Adult


I’m So Lonesome I Could Cry [泣きたいほどの淋しさだ] ■
Cadence 1432(B-side)≫ written by Hank Williams
(62.12.1) # 89 Pop


You’re The Reason [ユアー・ザ・リーゾン] ■
MGM 13829≫ written by Bobby Edwards, Terry Lmesfell, Fred Henley
(67.11.11-68.1.13) # 48 C&W


Worry [ウオーリー] ■
MGM 13255≫ written by Chip Tailor
(64.7.18-64.9.19) # 45 Pop/# 5 Adult


Talk Back Trembling Lips [トレンブリン・キッス]■
MGM 13181≫ written by John D. Loudermilk
(63.11.9-64.2.1) # 7 Pop/# 6 Adult 


Why Do I Love You So [こんなに愛して] 
Cadence 1372≫ written by Clifford Rhodes
(60.1.18-60.4.18) # 42 Pop 【Thailand # 1】


Poetry In Motion [ポエトリー] 
Cadence 1384≫ written by Mike Anthony & Paul Kaufman
(60.10.10-61.1.16) # 2 Pop/# 27 R&B 【England # 1】


Dreamy Eyes [夢見る瞳] 
Cadence 1353/1409≫ written by Johnny Tillotson
(58.11.3-58.12.29) # 63 Pop/(61.12.4-62.3.3) # 35 Pop


Without You [ウイズアウト・ユー] 
Cadence 1404≫ written by Johnny Tillotson
(61.8.7-61.10.30) # 7 Pop


She Understands Me [シー・アンダスタンズ・ミー]■
MGM 13284≫ written by Merle Kilgore & Margie Singleton
(64.10.31-65.1.9) # 31 Pop/# 4 Adult 


I Can’t Help It(If I’m Still In Love With You) [どうにも出来ない]★
Cadence 1432≫ written by Hank Williams
(62.10.27-62.12.22) # 24 Pop/# 8 AC)


Heartaches By The Number [恋はつらいね]
MGM 13376≫ written by Harlan Howard
(65.8.28-65.10.30) # 35 Pop/# 4 Adult 


Out Of My Mind [涙でいっぱい]★
Cadence 1434≫ written by Johnny Tillotson
(63.3.2-63.5.4) # 24 Pop/# 11 Adult


Country boy, Country Boy [カントリー・ボーイ]★
MGM 13499(B-side)≫ written by Johnny Tillotson & Lucill Cosenza
(1967) non-cheated in US 【Japan top 10】


Cutie Pie [キューティ・パイ]●
Cadence 1404(B-side)≫ written by Johnny Tillotson
(1961) non-cheated in US 【Argentina # 1 (63.6.8)/Japan top 10 (63.8)】


You Can Never Stop Me Lovin’ You [恋に弱い子]
Cadence 1437≫ written by Ian Samwell & Jean Slater
(63.8.10-63.10.13) # 18 Pop/# 4 Adult 【German # 1】


Judy, Judy, Judy [ジュディ・ジュディ]●
Cadence 1437(B-side)≫ written by Doc. Pomus, Mort Schuman, Johnny Tillotson
(1963) non-cheated in US 【NewZealand # 1 (63.12.7)】


Johnny Tillotson Interview Video (2000’s)
※こちらで見ることができない場合は「社会の窓から」で同じ記事を載せていますので、ごらんになってください。


Good-Bye Mr. Tears (Adios Al Sufrir) [涙くんさよなら]★
DM(MGM)1042/MGM Chile≫ written by Kurnosuke Hamguchi 
(1965/1966) 【Japan # 1/Argentine and Chile top 10】


You And Me [ユー・アンド・ミー]★
DM(MGM)1056≫ written by Ichiro Takaski & Kunihiko Suzuki
(1966) 【Japan # 1】







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