青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

楽しい中国旅行 2012年正月(断片2)

2012-01-05 21:08:32 | 雑記 報告


いやもう、痛いのなんの!

4日午後、河源からセンツェンに。香港を往復し、夕刻、センツェンのY.H.着。さっき、宿舎の隣の食堂でトイレに入ろうとしたら、入り口に釘のようなものが突き出ていて、足の親指を串刺しにしてしまった。血だらけになって、うんうん唸っているところです。まあ、頭にレンガ直撃に比べりゃ、どうってことはないのかも知れませんが(前回、大理で親指を串刺しにしたときは、ひと月以上痛みが続いたのだけれど、今回はどうなることやら)。ともかく中国にいる限り、何が起こっても不思議はない、としか言いようがありません。

今日はこれからまともな内容のブログを書こうと思っていたのだけれど、痛くて集中出来ない。と言う訳で、昨日に続いて、情けない話を書き連ねて行きます(ちなみに手元にまともに撮影の出来るカメラがないので当分は写真なしのブログです)。

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自慢じゃあないですが、僕はこの数10年間「年賀状」たるものをほとんど出したことがありません(よって貰うこともほとんどない)。別にイデオロギーがあるわけでなく、単にぐうたらなだけで、毎年、出来ることなら出したいもの、と思い続けてはいるのです。

今回、相変わらずの資金欠如によって、大晦日から正月三ヶ日を、広東省河源市のホテル(秋に“苦麦菜”と“油麦菜”の炒め物セットを食べた所)の室内に閉じ込められたまま過ごすことになりました。食事は1日2回、白いご飯2元と卵焼き8元(それでも帰国中の100円マックバーガー1日3食よりマシだと思う)。特筆すべきは、最近としては珍しく、室内からインターネットがスムーズに使える(ただし中国ゆえYou-tubeなどは見れない)こと。

で、ハタと気が付きました。ネットのメールで“謹賀新年”を送信する。これなら、日本人用に「謹賀新年」、中国人用に「新年(元旦)快楽!」、欧米人用に「Happy New Year」の3つを用意しておけば、以前に着信したメールの“返信”をクリックするだけで、あっという間に事が済む。旅先で会ったいろんな方からメールを頂いても、返事を出さねばと思いつつタイミングを逃してしまって、結局のところ誰一人出せずにしまっているのです(特に英語と中国語のメール返信は辛い!)。そのリカヴァリーのチャンス!

とりあえず、去年1年分メールを頂いていた方を中心に60余名、一気に“年賀メール”を送信しました。

結果は、メールをしてよかった、と思っています。返信を頂けると思っていなかった人を含め、多くの方々から、“返信年賀メール”が届いたのです。

しかし困ったことも。

以前にメールを頂いたのだけれど、誰だか分からないので返事をしないでいた方が、何人もいます。この機会に、いわば当てずっぽうでメールをしてみたのです。すると、何人もの方々から返信メールが来ました。向こうは僕のことをよく知っていて、非常に喜んでくれているのですが。でも僕の方は、やはり、どこで会った誰なのか、老若男女国籍(おおむね中国人?)全く思い出せない。「それで、あなたは一体誰ですか?」と尋ねるわけにも行かないし、、、、。せめて、会った場所と、季節と、年齢性別ぐらい記していてもらえば、おおよその判断はつくのですけれど。

テンテンだって最初は誰だか分からず(バスの中で会った男の子だと思っていた)、しばらくの間は正体不明のままメールのやり取りをしていたのです(笑)。

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これは日本人なのですが、以前こんなことがありました。

僕が帰国するたびに週刊B誌K記者がご馳走歓迎会を開いてくれるのですが、ジン君なっちゃんやT・N嬢(本人からイニシャルにしろと要望あり)以外にも、毎回一人は新しいメンバーを誘おうと人選します。或る時、ちょうど会合の一週間ほど前に、成都のシムズコージーで一緒だったという男性から、帰国しているならぜひ一度お会いしたい、というメールが来ていたのです。具体的に誰であるかは分からなかったのだけれど、シムズでは多くの感じの良い青年たちに会っています。その一人であることには間違いありません。それでちょうど良い機会なので、会合にお誘いしました。

K記者から、どんな人なのかプロフィールを教えてほしい、とのことだったので、「中国成都のユースホステルで一緒だった若者です、熱意のある将来有望と思われるナイスガイなので、よろしくお願いします」と返信。

さて当日、会場の料理店に行くと、見知らぬ先客が来ています。年の頃60代後半の脂ぎった紳士(?)、やあやあ!と握手を求めてきたのだけれど、こんな人は呼んだ覚えがない。はっと気が付きました。この人が「将来有望なナイスガイ」かも。

慌てて店の門に引き換えし、まだ来てなかったK記者を待って、「実は僕の勘違いで、、、云々」と事情を説明した次第。

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とまあ、いろんな方からの年賀メールの返信が届きます。けれども肝心の、資金援助を要請(原稿料の前払いetc.)している方々からは、うんともすんとも返事がありません。

100名余が集まった19日の「旅」の会合では、特別にスピーチさせて頂き、50人分余のプレゼンパンフレットを渡し、10人以上の方から、ネイチャークラブへの入会または援助の確約を頂いているのですが、いまだ連絡が来ないでいます(僕のネットの閉鎖中にトライして頂いた可能性も?)。名刺を頂いている5名の方(それらの方々が入会・援助を約束して下さった方々に含まれるのか否かは不明ですが)には改めて入会要請のメールを送信しているので、せめて一人ぐらい反応を示してくれることを願うばかりです。とにかく藁をも掴む気持ちで連絡を待つしかありません。

元旦に河源を訪ねた後、すぐにセンツェンに戻る予定だったのだけれど、半額以下の宿泊料でネットがスムーズに使えるため、正月三ヶ日を河源に停滞していたわけです。どこからか入金があるまで、このまま安い(かつネットがスムーズに使える)河源のホテルに居続けようかとも考えていたのですが、4日でビザなし滞在期限が切れてしまうことに気が付きました。4日中にはシンセン・ホンコンに出ねばなりません。残り予算は約3000円、香港までの片道運賃は1500円ほどなので、とりあえずは、出国は出来ます。そのあとは、センツェンのユースに泊まるか、河源に戻るか、いずれにせよ予算はぎりぎり。4日中にどこからの振込通知があれば良いのだけれど、、。もしなければ、今回もまた資金振込をA氏にお願いしなければならない。気が重いことこの上もありません。

河源のホテルで正午まで連絡を待ち、結局誰からも連絡がなかったので、残金のほか、日本コインで700円分、香港コインで70ドル分をかき集め、交通費と宿泊代を確保して、ともかく出発。ホンコンには意外と早く着きました。正月三ヶ日は中国人にとっては普通の日、全く関心がないのかバスはがら空きです。月末の旧正月に向けての準備期間といったところでしょう。

ユースに到着してメールを開いたのですが、依頼中の各氏からはまだ一つもメールが返ってきていません。唯一、いつも困ったときに無理をお願いするA氏から1万円の振り込み通知がありました。ただし“絶交”宣言つきで、、、(トホホです)。この虎の子の1万円を使って、ほかの各氏に電話交渉をしようかどうか、迷っています。それと、消えてしまった2万円の帰国後回復を試み、三井住友銀行大船支店へも至急電話連絡したいのですが、2万円の確保のために、万単位の電話料金を使ってしまえば元も子もありません(三井住友銀行との交渉はいつも大変な長時間を要する)。こちらも慎重に考えねばなりません。

ともかく、この1万円が無くならないうちに、カメラ修理資金と台湾渡航費用の確保を目指し、根気よく交渉を続けます。1万円入金が分かっていたら4日はセンツェンに泊まらず河源に戻るのでしたが、、、、。宿泊費が半額以下ゆえ、往復の交通費との兼ね合いで、2泊ならセンツェンと同額、3泊以上なら河源の方が安価ということになり、次の入金までまだ時間がかかりそうなので、5日には河源に戻ることにします。

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肝心の資金要請をしている人たちからは一つも返信が来ていないとはいえ、新年のメールを打っておいてよかったです。その後もいろんな人から返信が来ています。

以前に勤めていたミャンマーの植物園や、その関係者の大阪のNさんからもメールがあり、近い将来、改めて選択肢にミャンマーでの活動の再開も加えたいと考えています。そのためにはやはり纏まった資金が必要です。今春の「活字関係」の仕事の受注を得ることが先決でしょう。

前回話した、杭州(上海の隣)の美人T.V.ディレクターから、今マカオに滞在中で、もう言一度会っていろいろと話を聞きたい、よってマカオに来れるなら来てください、と改めて連絡が来ています。週明けにはセンツエンのユースに戻ってくるとのことなので、そこで話し会えば良いと思っています。すぐにはお金にならないでしょうが、今後中国のメディアで仕事をすることも選択肢に入れておいてもよいかも知れません。スーリンといい、テンテンといい、美人ディレクターといい、なんだか最近、急にモテ出したようです(カイワンシャオ=it’s joke)。例の“モテ期”というのは実在するのかも知れませんね。

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追記:その後2名の方(旧知の元A新聞記者と、「旅」関係のE氏)から、「幾許かの資金援助可能」のメールが届きました。両氏には深く感謝いたします。あと一息で、修理カメラの引き取りが可能になりそうです。とにかく一刻も早くカメラを取り戻し、台湾に向かわねばなりません。




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