青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

朝と夜のはざまで~My Sentimental Journey(20’s meets 60’s)・1

2010-12-11 15:26:04 | 雑記 報告
このひと月の間に、2つの夢を見ました。

夢は良く見るほうですから、もちろんその他にも無数に見ているはずなのですが、なぜか、ここしばらくの期間、それ以外には“夢を見た”記憶が全く無いのです。

眠っている時には、常に夢を見ているのかも知れません。ただし、それが“夢”として認知されるためには、夢を見た、という自覚が必要なのではないでしょうか。睡眠と目覚めの狭間の、覚睡の間際の一瞬のまどろみに追認した“夢”の残照、それが実質上の夢なのだろうと思います。

そもそも、人間は(いや、動物や植物も同じです)なぜ眠るのでしょうか?むろん、生理学的にいくらでも説明は可能なのでしょうが、眠る(死の一変形?)と言うことと、命(生)の問題が深くかかわりあっている、ということは、直感的に感じとることが出来ます。死と生に間に産み落とされる子供が、「夢」なのかも知れませんね。
 


【2006.9.29 保山】

ウトウトしながらCDで音楽を聞くことが良くあるのですが、2つのことに気が付きました。ひとつは、曲と曲の間の空白が、途方もなく長い時間に感じること。時間とは相対的なものであると(例えば、1年より100年が「長い」とは、必ずしも言えないなどを)実感出来るのです。

もうひとつは、例えばCDの中の曲を、続けて繰り返し聴いているとしましょう。すると、例えば、眠った瞬間が、4曲目、覚睡が8曲目だとしたら、その間の曲は、完璧に聴こえていないのです(代わりに何らかの夢を見ているのかも知れません)。眠った瞬間と、目が覚めた瞬間に、意識が見事に切り替わっているわけです。眠っている時と、起きている時は、別の世界に存在しているのかも知れません。

あらゆる現象は、全て2つの対応する要素から構成されている。例えば、朝と夜、光と影、太陽と月、、、、。15年ほど前、雲南省南部をアシスタントの北村さんと旅した際、双子の姉妹の一方だという彼女は、雲南各地に見られる、太陽と月などのモチーフで対を成した紋章に、非常に興味を惹かれているようでした。
 

【2009.7.4 ミニャコンカ】


僕の大好きな「高丘親王航海記」という小説には、春丸と秋丸の双子の姉妹(?)が重要な役割を担って登場します。偶然ではあるのですが、東シナ海-杭州-西安(-成都)-広州-ベトナム-カンボジア-マレー半島-ミャンマー-雲南(大理)-アンダマン海-スマトラ-シンガポールと辿る、高岳親王の足跡は、僕のフィールドとも、ピッタリと重なります。

ちなみに、澁澤龍彦は、友子さんが大好きだった作家、この作品は彼の絶筆です。そして、これも偶然なのですが、その「高丘親王航海記」の文庫本、およびその中の一章を単行本化した「獏園」は、僕と千明さんを結びつける、大きなきっかけともなりました。

千明さんは、幼いころから、眠ると怖い夢を見てしまうのだそうです。「眠る前に“獏に申す、獏に申す、獏に申す”と三回唱えれば、怖い夢を見なくなる」と教えられてからは、幾らかは怖い夢を見る頻度が減ったとのことです。「獏園」は、主人公(67歳の高岳親王)の夢を食べる獏の話で構成されているのですが、千明さんの夢と獏との結びつきは、後になってから知ったのです。
 

【2009.7.4 ミニャコンカ】

僕が最近見た2つの夢、ひとつはもちろん友子さんの夢です。友子さんと別れてからの10年余、これまでは定期的と言って良いほど、週に一度ぐらいの割合で彼女の夢を見続けたのに、ここのところ、友子さんが夢に現れることが、少なくなってきた、と前回の「朝と夜のはざまで~断片」に記しました。この間見た夢は、「断片」に記した時以来の、今年になって2回目の友子さんの夢なのです。

友子さんの夢を見る機会が少なくなってきたことと反比例して、一度の夢が、とても長く、とても濃密に感じられるのです。今回の夢も、(内容は忘れてしまったのだけれど)とても楽しい夢だったように記憶しています。覚えているのは、彼女が夢の中で繰り返し一生懸命謝ってくれたこと。謝らなくていいんです、僕のほうが悪かったのです、と夢の中での僕。

前回も今回も、長距離寝台列車で移動の最中に、ガタゴト揺られながら見たのですけれど、どんな意味があるのでしょう?
 


【2010.5.18 維西】

その一週間ほどのち、突然千明さんの夢を見ました。風邪を拗らせて、ウンウン唸っている時にです。地方の宿の粗末なベッドの中。ある訳があって、パソコン内に納められたままになっている千明さんの写真をチェックすることになり、非常に疲れていたものですから、千明さんの写真画面を傍らに、そのまま眠ってしまったのです。

千明さんと最も関係が良かった頃、なかなか眠れないでいることが多かったのですが、そんなとき、「離れていても、いつも青山さんの傍にいるんですよ、だから安心して寝て下さい」とメールを送ってくれたものです。だから、傍らに千明さんの写真を枕元に置いて、彼女の夢でも見ながら眠ろう、としたのだけれど、やっぱりダメ。どんな手を使って眠ろうとしても、眠れない時は眠れないものです。

一般論で言えば、夢に見ようと思って、愛する人の写真を傍らに眠りについたとしても、まず効果はありません。逆にとんでもない怖い夢を見てしまったりするのがオチでしょう。
 



【2010.5.18 維西】

今回は、全く逆の状況ですね。眠りながら彼女の写真を見ようなんてまるっきり考えていなかったし、ましてや、夢の中に出てきてほしいなどとはこれぽっちも思っていなかった。ところが、心ならずも、傍らに写真を開いたまま、眠り込んでしまったわけです。そして、夢の中に千明さんが登場。望んでいない時に限って、台本通りにお出ましになったわけです(笑)。不思議としか言いようがありません。

僕は、千明さんに復讐(笑)する、ただそれひとつのために生きているのです。復讐はちょっと大げさ、というより語弊
があるでしょうから、千明さんからの謝罪を得る、と置き換えておきましょう。

1日24時間、1年365日、そのことばかり考えていれば、夢にも頻繁に出て来そうなもの。なのに、眠ると、彼女の夢は見ないのですね。関係の良かった頃のみならず、関係が破壊して以降を通じても、全く見ない。友子さんの夢は頻繁に見るのにです。
 


【2008.7.28 雨崩村】

千明さんの夢は、「朝と夜のはざまで・断片2010.7.4」に記した、2年余にして始めて見た夢に次いで、今回がやっと2回目。前回は、千明さんが夢に現れたのは確かでも、ただそれだけで具体的な内容はなにも無かったように思うのです。でも今回は、はっきりと“ストーリー”があった。そのような意味では、初めての夢といえるのかも知れません(実は、これまでにも眠っている間に千明さんの夢を何度も見ていたのだけれど、他の夢とは違って、なぜか千明さんの夢だけは、覚睡してからの追認識が出来ないでいた、という可能性もありますが)。

千明さんから、逢いたいと。僕は“いやです”と拒否。それを何回か繰り返します(友子さんから、夢の中で“会いたい”と言われた時の、最高に嬉しかった気持ちとは対照的)。現実の世界でも、夢での話と同様に、千明さんからの謝罪がない限り、断じて許せないですから。

誤解を招くと困るのですが、千明さんは、今でも大好きですよ。Bert Kaempfertと友子さんの次ぎぐらいに(それが僕の中でいかに高いポジションにあるかは、簡単には分かって貰えないでしょうけれど)。でも、それとこれとは別問題。繰り返し言うけれど、和解するつもりは全く無い。きちんとした謝罪があった場合、許しはします。でも、和解はしない。そして(謝罪を受ける場以外では)会うつもりは全くありません。
 


【2009.6.3 白水台】

でもただ一つ、心残りがあるのです。

こんな共通の経験が、話題に上ったことがありました。ダリの絵ではないけれど、覚睡直前をめぐる話。眠っている最中に、「間違いなく、これから目が覚める」という確信を得ることがあります。例えば、このあと目覚まし時計が鳴るという確信。そして直後に実際に鳴るのです。僕も千明さんも、全く同じ経験をしばしばしていると。

むろん、予知能力とかのオカルトチックな答えで、かたずけてしまう気は全く無い。いろいろな解釈は可能でしょう。例えば、認識に至る時間の順序が、一時的に入れ替わって脳に伝達された結果としての現象(聞いた音を意識の深層下ではリアルタイムで捉えているも、表面的には認識し得ていない、そして、表面的な認識が、何万分の一か遅れて脳に伝達される)とか。でも、そのようには簡単に答の出せぬ、より深遠な問題が含まれているのではないかとも思うのです。

この話の続きだけは、いつかじっくりと千明さんとしたかったのです。




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