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生涯学習吹田市民大学

今年の秋から開講する生涯学習吹田市民大学の開講記念講演会に参加しました。

最初は、決算委員会の準備もあるので、オープニングの漢舞(関西大学のグループ、地域で知り合いの学生が出るかもと思って)の演舞を見るだけで帰ろうと思っていたのですが、記念講演の大阪大学総長の鷲田さんの話が面白くて、結局最後まで残っていました。

教養とは何か?というテーマでお話されたのですが、堅苦しい話ではなくて、

たとえば、
知人の息子が学校で卵が新しいか古いかの見分け方を習った。生卵を割ったとき、黄身が厚みがあるのが新しく、古いのは厚みがないということですよね。
その後、テストがあって、卵を割ったとき、黄身の厚みがあるものと薄いものとの絵があって、さてあなたはどちらを食べますか?という問いであった。

その息子は黄身が薄い、つまり古いほうの卵を食べると書き、×となった。

テストをした先生は大きな間違いをしている。
一つは、卵の鮮度を見分けることと、どちらの卵を食べるかということとは一致しないのに、問題としたこと。つまり新しいのはどちらですか?という問いなら○×はあるが、どちらを食べるか?という問いの場合、新しいものを食べたい人は新しいほうを選ぶだろうし、その息子のように、日ごろから「冷蔵庫には食べて悪いものは入れていないのだから、古いほうから食べるように。新しいものから食べていると、古いものはどんどん古くなるでしょう」と教えられていたときは、古いほうを選ぶのが正解となる。

二つの間違いは、卵を割ってしまったら、両方食べないとダメになるから、割らずに鮮度がわかる方法を教えなければならない。

というような話でした。

そして、卵を割らずに鮮度がわかる方法を学校で習った記憶はあるが、水だったか塩水だったかに卵を入れて、浮くほうが新しいのか、浮かないほうが新しいのか、よく覚えていないということでした。

結局、習ったことは覚えていても中身は忘れているというのは、習ったことを実際の生活で使ったことが一度もなかったからだとのことでした。

つまり、教養というのは、ただ知っている知識というのとは違うものだということを鷲田先生は言いたかったのかな、と思いました。

「知っている」と「行動できる」とは大きく違うということですよね。



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